ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

命の記憶

2018-06-18 21:10:38 | Weblog




 6月18日

 肌寒い日が続いている。 
 最低気温は5度くらいにまで下って冷え込み、日中も10度前後くらいまでしか上がらない。
 毎日、朝のうちだけ、部屋が温まるまでだが、薪(まき)ストーヴに火をつけている。 
 今年はこちらに戻ってくるのが遅くなり、戻ってきてすぐに一度だけ、薪ストーヴを使ったことがあったが、その後は急に暑くなってきて、この春からから初夏にかけてのストーヴはこれで終わりで、もう使うこともあるまいと思っていたのに、今また春先のような低い気温に戻って、もう10日余りにもなるというのに、毎日ストーヴの薪に火をつけているのだ。 
 まあそれはそれで、悪くはないのだが、つまりストーヴの上の乗せたやかんでお湯を沸かせるし、この前はおやつに食べるために小豆を煮たりしていたほどだから。

 ただ、オホーツク海高気圧からの冷たい風によって、気温が上がらないだけでなく、毎日続くうっとおしい曇り空になってしまうのは困ったことだ。
 それによって、私の愉(たの)しみでもある日高山脈の山なみが隠されてしまうからだ。
 そういえば、こちらに戻って来て一か月近くにもなるというのに、このブログ記事に、一枚も山の写真も載せていないことに気がついた。
 それではと、もう最後に山が見えた一週間以上も前の写真だが、夕空のシルエットになって見えていた日高山脈の写真をあげておくことにする。(写真上)

 この時は、その前景背景にあるそれぞれの雲の姿も興味深かったので、いつもの近くの丘にまで行って写真に撮っておいたのだが。
 映っている山々は、左から1643峰、1823峰、ピラミッド峰、カムイエクウチカウシ山、1903峰、1917峰なのだが、背景の空の高い所には、上層雲としての巻層雲(けんそううん)が広がり、1823峰から南側には(写真には写っていないが、左側にずっと続いている)中層雲としての高層雲がかかり始めていて、さらにその下の山々の中腹辺りまでには、下層雲としての層雲つまり霧雲が、まるで押し寄せる波頭のようにうねっていた。
 しばらく立ち尽くしていたいほどの、夕焼雲と黄昏(たそがれ)の山が見せる光景だった。それは、ひとりだけの静かなひと時だった。

 しかし、この二三日後には、北海道に冷たい空気が一気に流れ込んできて、日高山脈の標高1900m以上の稜線には、それまでの残雪の上に、新しい雪が降り積もっていた。
 ただ、頂上付近には雲がかかっていて、くっきりとした雪山風景としては見えなかったのだが、それでも雪の季節の山々の姿を思い起こさせてくれた。
 こうした北海道の高い山では、9月の初めにはもう山での初雪が記録されるようになるのだから、雪の降らない時期は、7月から8月への2か月余りしかないということになる。 
 ああ、山に登りたい。私は、なんともう2か月以上も山に登っていないのだ。

 さらに私を、憂鬱(ゆううつ)な気分にさせるのは、毎日の生活用水のことだ。
 それは、”人間は空気と水がなければ生きていけない”という、生きるための大前提を日々実感させられているからだ。
 こちらに戻ってきて、もう一月近くにもなるが、井戸の水が干上がったままなのだ。
 5mの浅井戸の水位が50㎝足らずしかなく、吸い上げ管の先端はその辺りだから、井戸ポンプは水を吸い上げることができないのだ。
 そこで、もう数年以上前のことだが、井戸掘り屋さんに来てもらって試し掘りをしてもらったのだが、この辺りは大昔からの火山灰が、高い地層となって降り積もっていて、それ以上掘っても地盤が弱く泥ばかりで管を打ち込めないとのことだった。

 それならば、離れたところで新しい井戸を掘るか(それで水が出るかどうかは分からないが)、それとも近くまで来ている公共水道から分水してもらうか、いずれもしても相当なお金がかかるとのことで、老い先短いこのじいさんは、もう先がないのにそんな無駄なことをしてもと、二の足を踏んでいて、今のところは、頭を下げて水もらいに歩き回ることにしているのではあります。

 さらに毎日の生活では、顔は洗わない、歯磨きコップは三分の一に、食器洗いは二度三度と水が濁るまで使い、最後の水は植え替えた草花にやることにして。
 風呂屋には足しげく通い、食事はなるべくコンビニ弁当やインスタントものにすること、などを続けているのだが。
 しかし、こうした水をけちけち使う生活というのは、実は長い間すでに経験済みのことであり、不便ではあるにせよ、初めてのことでとても耐えられない不便さというわけではないのだ。 
 というのも、こうした水不足の生活は、長期間にわたる山脈縦走の山旅で、いつも味わってきたことでもあるのだから。

 ところで、そんな水不足の家でも、周りの木々は繁り、草花は咲き続けている。 
 ただし、前回書いたように、シカに幹をかじられたのがもとで、リンゴの木が枯れてしまい、仕方なく切り倒したという話をしたが、それでも下の方の比較的太い幹の部分だけは、切り残しておいた。
 というのは、洗濯物はコインランドリーで洗うとしても、乾燥は自然の日光で乾かすのが一番だと思っているので、その木の残り杭はロープをつなぐ柱として利用できると思ったからだ。
 そして、その杭の上に、一羽のシジュウカラがたびたび来てはとまっていた。(写真下)




 そして、しばらくあたりを伺った後、私が家の中から見ていると、こちらの窓の上の方に向かって飛び上がって来た。
 どうやら、その窓のひさしのすき間を見つけて、巣作りを始めているようだった。
 もともと、人家などに小鳥が巣をかけるのは、そう稀なことではなく、ツバメが玄関先の軒下に巣をつくるのは、もはや彼らの習性となっているほどであり、他にもスズメやセキレイの仲間、そしてこのシジュウカラなどの話はよく聞くし、別に珍しいことではないのだが、一方では心配もある。
 
 それは、”朝顔につるべ取られてもらい水”(家の井戸水をくみ上げるツルベの綱に朝顔のツルが巻き付いて、それを取り外すのも朝顔がかわいそうだし、井戸のツルベにからみついて咲く朝顔という風流な光景も見られないから、他所の井戸に行ってもらい水をしている)といったたぐいの人情話としてではなく、私にはただ雨戸が閉められないだけの話で、別に構わないのだが、むしろ巣作りした後の外敵が心配なのだ。 
 つまり、今までには、庭の生け垣に巣作りをしていたアオジの卵を、ヘビがひと呑みにしている所を見たことがあるし、屋根の上まで上がってきて日向ぼっこをしているヘビを見たこともあるから、今のシジュウカラの巣の所まで上がってくることもあるだろうし。
 さらにもう一つ、先日、窓の外で大きな物音がしたので見てみると、何と野良猫が一匹、雨戸の上に駆け上がった所だった。
 それはすぐに追い払ったのだが、などといろいろな心配もあるからだ。
 親にとっては、卵からヒナになって、無事に巣立ちするまで、ひと時も心安らぐ時はなく、面倒を見続けているというのに・・・。
 
 そうしたこととは遠く離れた人間の世界で、先日テレビに映し出されていた、無邪気に笑うかわいい小さな女の子の写真・・・義理の父と実の母に虐待されて、”ゆるしてください、おねがいします”とおぼえたばかりの字を書いて、やせ細ってひとり死んでいったわずか4歳の女の子・・・。
 新学期が始まって、学校から家に帰る途中、若い男のクルマに引きずり込まれ殺されて、線路に投げ出された、まだ7歳の女の子・・・。
 この朝の大阪の地震で、大好きな学校に行く途中、その小学校のプールのブロック塀が倒れてきて、その下敷きになってしまった9歳の女の子・・・。

 そこに、周りの人々の記憶だけが残されて、本人自信の記憶のすべては、その時点で消え去ってしまう・・・何と残酷に、幼いうちに人生が終わってしまうことだろう。
 つまり、生きているということは、お互いの記憶の積み重ねの中にこそあるというのに。

 いっぽうで、この年までいたずらに馬齢を重ねて、生き延びてきている私たちは、偶然と幸運の奇跡的な連続の中で、今まで生かされてきたのだ。
 曇り空の寒い日が続き、井戸水の出ない日がいつまで続くのかもわからず、けがをした脚の不安が残るまま、何もない日々の毎日であったとしても、その小さな静かな日々の記憶は、ありがたくも続いているのだ・・・その日までは。

 いつもあげる、ローマ時代の思想家弁論家であった、あのセネカ(B.C.4~A.D.65)の言葉から。

 ”生きる術(すべ)は生涯をかけて学び取らねばならないものであり、死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばならないものである。・・・。
 人間的な過誤を超越した偉人の特性は、自分の時間が寸刻たりとも掠(かす)め取られるのを許さないことなのであり、どれほど短かろうと、自由になる時間を自分のためのみに使うからこそ、彼らの生は誰の生よりも長いのである。・・・。
 時間を残らず自分の用ためだけに使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日でもあるかのように管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。”

(『生の短さについて』セネカ著 大西英文訳 岩波文庫)

 現代の倫理観が、”誰かのために生きること、誰かのために奉仕すること、そしてそこに喜びを見い出すこと”であるということを、十分に理解しながらも・・・いつしか、自分が生きていくこととはと考えてしまう・・・。


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