6月11日
前回に続いて、わが家の庭を飛び交うチョウたちの話である。
その頃は気温も高く、花々も咲き乱れていて、その赤と黄色のレンゲツツジの花の蜜を求めて、一度に五六匹のミヤマカラスアゲハが舞い、二匹のキアゲハもそこに加わり、サカハチチョウやクロヒカゲなどもそれらの間をぬって飛んでいいた。
このレンゲツツジの周りを囲むように生えている、チゴユリの葉の上にとまっているのはサカハチチョウ(写真上)だが、その鮮やかな羽を見ていると、中央部にある白い逆ハの字が、その名前の由来になったというのがよくわかる。(これは春型で夏型ではもっとはっきり八の字がわかる。)
日本の昆虫や草花たちにつけられた名前は、今の時代になっては理解しがたいものもあるが、なかにはなるほどとうなずける場合もあり、ある意味では、日本語の歴史を感じさせる生きた証拠ともいえるだろう。
さらに、このサカハチチョウと同じように、わが家の庭で多く見られるチョウには、他にもクロヒカゲがある。
いずれも、日本では比較的にどこにでもいるチョウなのだが、いつもあまり人を恐れずに、私の体にもよくとまることがあって、その時はさかんに触診して何か吸っているようにも見えるのだが、下の写真では、私のズボンのひざにとまっていたので、そのまま手に持っていたカメラでのシャッターを押しただけのことなのだが。(写真下)
そしてしばらくの間、私はそのレンゲツツジやチゴユリの花のそばに座り込んでは、入れ代わり立ち代わり忙しく飛び回る、チョウやトラマルハナバチたちの動きを眺めていたのだが、確かに一か所にとどまらずにあわただしく動き回る様子からは、そこに何らかの目的や法則があるものなのかと考えさせられてしまうのだ。
そうした私たちが抱く小さな興味から、無限に広がる昆虫観察の世界を私たちに教えてくれたのが、あの有名なファーブル(1823~1915)であるが、その『昆虫記』(岩波文庫)を全巻揃えておきながら、まだそのうちの何章かを読んだだけにすぎなくて、とうてい最後までは読み通せないだろう。
こうした植物から生き物、自然現象にまで及ぶ、広大な自然科学の世界には、あちらこちらにと興味深い分野があるものの、結局はチラ見しただけで、どれ一つ深く勉強、研究するまでにはいたらず、何事も浅く広く知っただけになってしまった。
しかし、考えてみれば、一つの物事を極めれば他の物事に関してはおろそかになってしまうのだから、むしろ私のように、ぐうたらのどっちつかずで、一つのことに専心し深く考えることのできなかった人間ほど、むしろ俯瞰(ふかん)的に対極的なものの見方ができるようになるのではないのかと、自分の都合のいいように、自己弁護して考えてみたりもするのだ。
ところで、上の写真にあげた個体ではなく、別のクロヒカゲの一匹が、先ほどから長い時間、レンゲツツジの花の中に体を入れたまま、動こうともしないのだ。
大体において、チョウは動きが早くて、あまり一所にじっとしていることはないのだが、そのクロヒカゲは、先ほどからもう数分もの間、その奥まった花びらの中にじっといるのだ。
いろいろな状況を考えてみたが、結論はつかずに、思い切ってそのレンゲツツジに近づいて、小枝をかき分けて目の前で見ようとしたその瞬間、チョウは飛び去って行ってしまった。
そこで私の考えていた結論の一つ、”もう死んでしまっている”という予測が外れて、それはよかったのだけれども、もう一つの結論、生きているのなら、夢中になって蜜を吸い続けているのか、それとも花の中に取り囲まれていて、うっとりとした思いになっていたのか。
そして実はこの最初と最後にあげた予測こそが、私がこの花の中のチョウを最初に見て、すぐに感じた思いだったのだ。
私は一つの情景を、ある一つの夢想的な世界の光景へと思い募らせていく、”夢見がちなじいさん”としての性癖(せいへき)がある。
もっとも若いうちなら、それも許されるだろうが、この年になってもまだ少女漫画のように瞳を輝かせていれば、若い娘たちからは、”まじ気持ちワルいんだけどー”と非難を受けそうだが。
私がその時に、夢想した光景は、”チョウが花の香りの中に包まれて、ここを自分の終焉(しゅうえん)の地と決めて、穏やかに死んでいく”ということだったのだ。
これは言うまでもないことだが、あの西行(さいぎょう)の辞世の歌だと思われるようにもなった、有名な歌を思い浮かべたことによるものなのだが。
”願わくば 花の下にて 春死なん その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ”
一般的に、チョウの羽化後、成虫としての寿命は二三週間から数か月までと幅広いそうだが、このクロヒカゲの場合、その寿命が短いとしても、今の花々の盛りの時期に、自然死することなどあまり考えられないことなのだが。
いずれにしても、私のはかなき夏の白昼夢ではありました・・・。
ところで、日々は移りゆき、前回書いたように、この北海道は十勝地方でも、気温が30℃を超える日があったりして、すっかり夏を思わせる暑い日が続いていたのだが、数日前からあの夏の空気が一変して、冷たい空気に入れ替わり、この三日ほどは最低気温が5度前後にまで下がり、再びストーヴの火をつけるほどであり、昨日はいくらか晴れたので15度近くまで上がったのだが、一昨日と今日は天気も悪くて、最高気温が10℃を下回り、春先の寒さになっているのだ。
あれほど耳を聾(ろう)するまでに鳴いていた、エゾハルゼミの声がぴたりとやんでしまい、その林の中からは他の野鳥たちの声一つさえ聞こえない。
もちろん花の盛りを過ぎたレンゲツツジのまわりにも、一匹のチョウの姿さえ見えない。
二三か月前の春先のような、この寒い気温の中で、家の周りの昆虫や生き物たちも声を潜め、それでも生きていかなければならない。
三日前に降った激しい雨は、一時的なにわか雨で20㎜にも満たなくて、それは井戸水の水面を2㎝押し上げることにはなったのだろうが、干上がり寸前の井戸の水を満たすべくもなかった。
まだまだ、水もらいに出かける日々が続くということだろう。
それでも自然界の草花たちにとっては、今回、適度なお湿りを受けたことで、多少寒くとも生き生きとしているように見える。
家の周りの日当たりの良い林のふちでは、スズランやヒオウギアヤメが咲いていて、光がこぼれるだけの林の中には、ベニバナイチヤクソウの群落が広がっている。(写真)
何事にも不遇な時があり、耐え忍ぶしかない時があるものだ。
しかし、そうした暗い空がいつまでも続くわけではない。
その間にも地球は回り続けて、私たちすべての時を刻み、やがては、暗闇の中から明るい光のきざはしが差し込んでくることだろう。その時までと、待つことだ。
”Just binding my time”という声が聞こえてきた。
まだ若いころの話で、当時の愛別離苦の思いもよみがえってくる・・・。
東京で働いていたころ、音楽雑誌編集の仕事をしていて、その仕事とは別に、私的にも洋楽レコードを聴くのが好きで、週末になると輸入盤レコード探しに明け暮れていたのだ。
ジャンルはクラッシックからジャズ、ロックと幅広く、その中でもジャズ女性ボーカルがお気に入りだったのだが、ふと聞いたFMラジオから流れてきた、カナダ生まれの歌手アン・マレーの、カントリー・ウェスタン調の素朴なアルトの歌声に魅了されてしまって、当時、東芝EMIから発売されていたアルバム数枚を買込んで聞いたほどだった。
その後も、輸入盤を探すほどにはまっていて、カナダ時代のまだ初々しさの残る彼女のデビュー盤を見つけた時には、宝物を見つけたような気分になったものだった。
当時の大ヒット曲「スノーバード」のB面にあったのが、この「時節を待って(Just bind’ my time )」だったということは後になって知った。
そのアン・マレーのレコードが、今手元にはないので、詳しいことは書けないのだが・・・あの彼女の歌声が今も耳元に聞こえてくる・・・。