ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(80)

2009-02-03 19:31:29 | Weblog
2月3日
 今日は、一日中雨が降っている。朝の気温、3度からずっと変わらないので、やはり寒く感じる。
 ワタシは人のいない家の軒下で、ずっと寒さに震えていた。そこにようやく飼い主の、私を呼ぶ声がして、やっと来てくれたのかと思う。
 そして雨の中、ワタシを抱えた飼い主の50mダッシュの繰り返しで、ようやく今、家に戻り(飼い主はゼイゼイいっている)、コタツの中にもぐりこんだところだ。
 昨日は、快晴の良い天気だった。ところが、飼い主は朝から出かけてしまい、午後2時ころになってようやく戻ってきた。顔が少し、例の赤鼻のトナカイになっているところを見ると、また山に行ってきたらしい。
 ワタシは、ずっと家の中にいて知らなかったのだけれども、飼い主が開けてくれたベランダは、12度まで気温が上がり、暖かい春に日差しに満ちていた。
 久しぶりに、そのベランダで日の光を浴びて過ごして、夕方にサカナをもらった後、その日は、まだ散歩に行っていなかったので、飼い主を促して外に出た。
 そして、途中でワタシが草を食べたりして、ノンビリしていると、飼い主は先に帰ってしまった。やがて日が沈み、夕闇が迫ってきた。ワタシは帰れなくなってしまったのだ。
 それは、ワタシが年を取って、より用心深くなったこともあるが、夜になると、他の動物たちが出てきて魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界になるし、おまけにワタシたちのサカリの時期でもあり、他のノラのオスネコたちの声が聞こえてくるからでもある。
 去年の、あの恐ろしい出来事(4月14日から23日の項)を、ワタシは決して忘れてはいない。あんなことは、もう二度とゴメンだ。
 それでそのまま家に帰れなくなって、人のいない家の軒下に隠れて夜を過ごし、そして、今日は朝から雨で、帰るに帰れなくなってしまったというわけなのだ。

 「ミャオが、まる一日近く帰ってこなかった。心配で、気持ちが落ち着かなかった。今までには、もっと長い間、帰ってこないこともあったから、それほど気にすることはないのだが。
 昨日の夜に探しに行って、今日の朝に行っても見つからず、恐らくはこの雨の中、帰れなかったのだろうと思ってはいても、ミャオのいないがらんとした部屋を見るのは、寂しかった。
 そして、午後になってまた探しに行き、やっとミャオの鳴き声を聞いた時は、嬉しかった。
 人は誰でも、普通に一緒に暮らしている時は分からないけれども、いなくなってから初めて、その人の、あるいはペットがいてくれたときの有難さが分かるのだ。
 若いころに、一緒に暮らしていた彼女がいなくなり(私の方が出て行けと言ってしまったのだ、何と情けない)、寒々とした一人っきりの部屋に、戻ってきた時の寂しさ。そして、一緒にいた母を亡くして、自責と後悔の念にかられながら、一人いること・・・人はそうした幾つかの試練を経て、それでもしっかりと生きていくのだろう。
 少し、しんみりとした話になってしまったが、ともかく、今また、ミャオとのいつもの暮らしが続くことになって、一安心ではある。

 ところで、終日快晴の良い天気だった昨日、山に登ってきた。前回(1月17日の項)から、2週間以上間が空いてしまった。その上、私の好きな雪に覆われた山というわけでもなかったのだが、これからしばらくは雪の降る寒さにはならないとのことで、やむなく、頂上付近が白いだけの山に登ることにしたのだ。
 朝は-5度と冷え込んでいて、8時前の登山口の駐車場には、まだ2台だけしか停まっていなかった。目の前に、由布岳(1583m)の双耳峰の頂が見えている。
 この由布岳は、九重山に次いで、私がよく行く山であるが、登って良し、眺めて良しの独立峰で、天下に誇る名山であると思う、百名山なんかには入っていなくても、万葉集にその名が載るほどの名山なのだ。
 由布院盆地に入る四方向の、いずれの道からも、盆地に入ると目の前に、すっくと立つ山の姿を見て、誰もが歓声をあげるだろう。しっかりとした土台の山腹の上に、まさしく双耳峰(そうじほう)の典型と言ってもよいほどに、見事な二つの耳をそばだたせている。
 他にも、双耳峰として有名な山は、鹿島槍ヶ岳とか雨飾山とかあるけれども、その拮抗する形から見ても、日本一の双耳峰だと思う。
 これほど個性的な山が、百名山に選ばれなかったのは、逆に山にとっては幸せだったのかもしれない。
 登山口から、東西いずれかの頂上までの標高差は800mほどで、わずか2時間ほどで登り着くことができて、年間を通じて、多くの登山者に親しまれている。
 さて、霜柱に先行者の足跡が残る山腹の道を、ジグザグに二十曲がりほど登って行く。上の方には、雪が残っていて、マタエと呼ばれる、東西峰の分岐に着いて見ると、火口壁を取り囲む内側は、びっしりと白い霧氷に覆われていた。
 そこから、鎖のある岩場(日が差さないときは、凍りついていることもあり危険)を通って、西峰に着く。ここまでは、普通の人も登ってくるが、それから先の道は人が少なくなる。この日も、他には、人の姿は見えなかった。
 道を覆いかぶさる霧氷の木々を払いながら、北側へとずんずん下っていく。緩やかな草地になったところで、その先は、今なお崩れ続けて立ち入り禁止の大崩壊地になる。
 道はその手前から下り、そして岩稜の連なるスリリングな地帯になる(写真は、その御鉢の岩稜と東峰)。この辺りからは、全くの冬山になる。アイゼンを持ってきていなかったので、少し危険ではあるが、なんとか、手がかりや足がかりになる木の枝や岩をつかんで、攀(よ)じ登っていく。道は所々、凍りついていて、その上に落ちてきた霧氷の破片が散らばっている。
 北端の剣ヶ峰に登り着くと、一安心だ。後は、さらに霧氷の道をたどり、東峰に登る。そして、マタエに降りて、すっかり暖かくなった山腹のジグザグ道をたどり、登山口に戻る。休みを入れて5時間ほどの行程だが、岩場の上り下りで少し疲れてしまった。やはり、年だ。
 家に戻ると、ミャオが迎えてくれた。ベランダの温かい日差しが、冷えた体を温めてくれる。青空を見ながら、一面の霧氷に覆われていた山を思い返す。
 やはり、山は、いいよなー、山は。」
 

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