ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(64)

2009-07-10 11:19:27 | Weblog



7月10日
 拝啓 ミャオ様

 すっかり、間が開いてしまって、申し訳ない。別に、新しいテレビに夢中だったわけでもない。山にも登ってきたが、それは後で書くとして、まあ一人で暮らしていても、色々と細かい仕事があって、パソコンの前に座る時間がなかったということだ。

 ところで、梅雨のうっとおしい天気が続く中で、ミャオは元気に暮らしているのだろうか。
 最近のニュースによれば、ある国では、猫が食用として、食べられていて、野良猫だけでなく、家の飼い猫までもが、大量に捕まえられていて、問題になったということだ。
 まさか、その魔の手が、九州の山の中にまで、及ぶとは思えないが、くれぐれも注意してくれ。もっとも、他の人やクルマを恐れるオマエには、そんな心配はないだろうが。
 普通のネコなら、飼い主がいなくなり、家に誰もいなくなったら、どこか他の家にネコなで声で入り込み、その家のネコになったりするものだが、その点、オマエはえらい、ひたすらに私の帰りを待っていてくれるもの。

 飼い主を追って、何ヶ月もの間、何百キロもの道のりをかけて、帰ってきたイヌ(まれにはネコも)の話などはよく聞く事だが、(一方では、飼い主のもとにたどり着けずに、途中で死んでしまったイヌやネコたちもいるのだろうが)、オマエは、そんな無駄な危険は冒さずに、ただじっと、飼い主が帰ってくる日を待っている。
 ああ、私は思うのだ。オマエたち動物たちの、そうした忍耐強さを、我々人間が持ち合わせていたら、世の中は、もっと穏やかなものになっていただろう。
 そういう私自身が、より良いものを求めて、北と南を行ったり来たりして、落ち着きのない、慌ただしい生活を送っているのだから。そうして、分かっていても、続けざるをえないという所が、人間の情けない業(ごう)なのかもしれない。
 
 その私の、やめられないものの一つ、ネコのオマエから見れば無益のことに思えるだろうが、例のごとく、また山歩きに行ってきた、三日前のことだ。
 実は、その前の日から行きたかったのだが、ネットで調べると、午後になってにわか雨の区域予報が出ていて、小屋泊まりの計画をあきらめて、一日晴れの予報が出ていた翌日に、日帰りで行くことにしたのだ。

 朝4時に家を出て、3時間かかって、大雪山は層雲峡に着く。ここからロープウェイとリフトに乗り継ぎ、30分ほどで七合目まで行くと、後はもう一時間余りの登りで、大雪山の一峰、黒岳(1984m)山頂に立つことができる。
 思えば、私が、初めて北海道の山に登ったのも、この黒岳だった。

 その頃、東京の会社に勤めていた私は、9月の始めに夏休みをとり、バイクに乗って、毎年、北海道に行っていた。もちろんそれは、広大な北海道の風景を見て回る旅だったのだが、山の好きな私は、初めて見るの北の山々からも目が離せなかった。
 その中でも大雪山には、どうしても登りたかった。まず表側の勇駒別(ゆこまんべつ、旭岳温泉の旧名)から姿見まで、ロープウェイで上がったのだが、天気が良くなかったので、旭岳(2290m)には登らなかった。そして裏側の層雲峡に回った時に、快晴の天気になったのだ。
 ライダー・スタイルのブーツをはいたまま、皮ジャンを手にして、頂上に登り着いた私の目の前には、まるで別天地と呼ぶにふさわしい、素晴らしい山上の光景があった。 
 まだ蒸し暑い、夏空の下の東京と比べて、この山の上には、すでに爽やかな秋の空が広がっていた。周りに立ち並ぶ穏やかな北の山々には、赤く色づきはじめたウラシマツツジやチングルマの紅葉が鮮やかだった。それは、傍らのハイマツの緑と、さらにまだあちこちに残る、残雪の白からなる、見事な三色の色彩模様になっていた。
 それが私の、幸せな大雪山との出会いだった。その後、もう一つ知ることになる日高山脈の山々と伴に、この二つの山群には、以降、何回となく登ることになるのだ。

 まだ登山道に雪が残り、朝早いこともあって、道の前後には誰もいなかった。夏から秋にかけてのこの時期、いつものハイキング客でにぎわう山とは思えないほどの、静かなたたずまいだった。
 黄色い花が鮮やかなチシマノキンバイソウの、小さなお花畑の斜面を上がり、黒岳の山頂に登りつく。その期待通りの、美しい残雪模様の山々を眺めた後は、すぐに縦走路へと下って行く。
 黒岳石室(いしむろ)付近は、北海岳(2149m)の残雪模様を背景にして、点在するキバナシャクナゲの間に、赤いエゾコザクラが咲いていて(写真)、大雪山の夏の訪れを告げていた。
 そこから、左へと御鉢一周のコースをたどり、御鉢平(おはちだいら)の雪解け水を集める、赤石川の沢へと下る。分厚い残雪の下から、雪解け水が、ほとばしり流れ出している。その雪渓の先では、雪の壁は、まだ10mほどの高さもあった。
 雪渓をたどり、白いウラジロナナカマドの花や、黄色いウコンウツギの花が咲く潅木地帯を抜け、さらに登っていく。見晴らしが開け、御鉢平をはさんでそびえ立つ、北鎮岳(2244m)を背景にして、登山道の斜面には、キバナシャクナゲの他に、赤いエゾツガザクラや黄色のミヤマキンバイ、メアカンキンバイ、白いイワウメも咲いている。
 北海岳の山頂からは、さらに西へと向かう縦走路の先に、まるで巨大なシャチの体のような、黒白の残雪模様の、旭岳の姿があり、はるか南には、一際高くあのトムラウシ山、(2141m)が見えていた。
 次の、間宮岳(2185m)との間には、楽しみにしていたタカネスミレの一大群生地がある。九州の阿蘇九重火山帯に、広く群生するキスミレを除けば、私は他に、これほどのスミレの群生地を見たことはない。ただ、昔と比べて、株の数が、少なくなってきたような気もするが。
 さて、間宮岳にさしかかる頃から、あれほど爽やかに晴れていた空も、あちこちで雲が湧き上がってきて、周りの山々の見通しも、少し霞んできていた。
 行きかう人も増えてきて、団体ツアーの人影でにぎわう北鎮岳は、今回は割愛(かつあい)して、少し長い雪面を下り、その先で、雲の平の左右に広がる、チングルマ、キバナシャクナゲの群落を眺めながら、黒岳へと登り返す。
 後は、上り下りのハイキング客と行きかいながら、リフト乗り場へと戻った。


 疲れた体を、層雲峡のお湯でいやして、また3時間もかかって帰路に着く。往復6時間のクルマ運転と、7時間余りの登山。若い頃には、こうして遠く離れた山に行くのにも、日帰りは苦痛ではなかったのに、年を取ってくると、同じ行程でも、余計に疲れを感じてしまう。
 せっかく、良い山の一日だったのに、疲労困憊(ひろうこんぱい)では、楽しさも半減するし、何より危険でもある。今後は、年相応に、もっとゆっくりと、ゆとりを持って、歩いていける山旅にしなければと思う。

 私、不肖(ふしょう)、鬼瓦権三(おにがわらごんぞう)、考えてみれば、ただでさえ恐い顔が、山登りの苦しさにあえいで醜くゆがんでいるとしたら、それは誰が見ても恐ろしく、公共良俗違反になるかもしれない。
 たとえば、『恐ろしくて、臭くって、美味しいものなんだ』、という子供のなぞなぞに対しては、普通には、『それは、鬼がトイレでまんじゅう食っている所だ』、と答えるのだろうが、ふと、それは、『私が、山に登ってまんじゅうを食べている所』、ではないのかと思いたくなる。
 だから、これからはそんな顔にならぬよう、ゆっくりと登ることにしよう。口元には、微笑(ほほえみ)を浮かべて・・・それもかえって不気味で、気持ち悪いか。
 
 今日は、昨日の夜からの雨が降り続いている。朝の気温は13度で、日中も15度位までしか上がらないだろうとのこと。昨日は晴れて、28度まで気温が上がったのに。しかしこの暑い日ばかりが続かない、寒暖の差が激しい気候こそ、私の好きな北海道なのだ。
 こんな日には家にいる。そして、前回書いたように、新しいテレビの素晴らしい画面に見入る。カメラをテレビにつなげて見る画像に、ただあぜんとするばかりだ。今までこんな大画面で、自分の写した写真を見たことがなかったからだ。

 しかし一方では、化学物質汚染による環境破壊を恐れ、自然環境を憂うる私が、なんと、科学発達による電子機器の恩恵をうけているのだ・・・。
 それは、二律背反の性(さが)を背負う、人間の悲しさだが、ミャオたち動物は、神の意のままに、そこに行く前に進化を止めたのではないのか、とさえ思ってしまう。
 つまり、神の意に反して、科学の力を手に入れ、思うがままにふるまっている、我々現代人を除くと、神に祝福されるべき人間は、未だに未開の原始的生活を送る、ごく少数の人々しかいないのだ。
 我々は、あのイカロスのように、自ら作り上げた羽が焼かれることも知らずに、太陽に向かって、余りにも近づきすぎたのではないのだろうか。
 今も、神の祝福の手の内にある、すべての動植物たちは、その進化の過程で、穏やかな太陽の光を受けられる所に、とどまっていたというのに・・・。

 そう考えてくると、ミャオ、オマエは本当にえらい、と私は思うのだ。
                    
                     飼い主より 敬具


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