7月1日
強い香りを辺りに漂わせながら、ハマナスの花が咲いている。(写真上)
バラ科の花であるハマナスは、咲いているのは一日二日で、すぐにしおれて花びらが散ってしまうのだが、この香りの強さは、その花の命の短さゆえのものなのだろうか。
秋になるころまで、この庭の生垣のどこかで花を咲かせてくれていて、さらにその花の後には、赤いルビーのような実をつけてくれる。
とげだらけで、手入れするにはやっかいな灌木だが、色鮮やかな花の色と、その香りは、手入れが行き届かない私の庭での、数少ない見ものの一つなのだ。
それにしても、何という肌寒さだ。
ストーヴの薪(まき)に火をつけるほどではないにせよ、下着を長袖長ズボンにして、足元を温める電気ストーヴをつけるほどだ。
天気はこの数日、霧や低い雲が覆う日が続いていて、朝の気温は10℃くらいで日中でも15℃前後くらいまでしか上がらない。
しかし、一週間ほど前には、二日続いての晴れた日があって、気温が27℃まで上がり、さすがに夏が来たなと思っていたところだけに、一気に十数度も下がるこの寒暖差には戸惑ってしまう。
もっとも、こうした夏の涼しさこそが、今までに何度も言っているように、私が北海道を好きな理由の一つでもあるのだが。
さて、最近気になっている事どもについて、その一つ二つを。
もう2か月ほどにもなるのだけれども、ある音楽にはまり込んでしまって、一日に一度は聞きたくなってしまうほどだった。
もっとも、今では二三日に一度くらいの頻度(ひんど)になってしまったのだが、まあそれも、例えばかつてAKBや乃木坂の歌にうつつを抜かしていた時期もあったのに、今ではめったに聞かなくなってしまったから、まあ私のあきっぽい性格からきているのかもしれないのだが。
それは、フランスのバロック時代の音楽家、ジャン=フィリップ・ラモーのオペラ・バレー「優雅なインドの国々」からの一節である。
このラモーの有名な曲といえば、「クラヴサン曲集」に室内楽の「コンセールによるクラヴサン曲集」や、オペラに準ずるものとして、「カストールとポリュックス」(ギリシャ神話にもとづく王妃レダ(白鳥座)から生まれたふたごのカストールとポリュックスによる冒険譚で最後にはふたご座の星になるが、ヨーロッパ・アルプスにはその名前を付けられた二つ並んだ山がある)や「ピグマリオン」(ギリシア神話からの彫像に恋をした男の話)などがあり、さらにはオペラ・バレーとして有名なのが、今回とりあげる「優雅なインド国々」である。(インドとは今のインドのことを示すのではなくヨーロッパ以外の未開の地すべてを示す言葉でもあった。)
これらの曲はレコードやCDで聞いて知ってはいたのだが、その中でもこの「優雅なインドの国々」は、所々に歌が挟まれた完全版ではなく、歌以外の管弦楽曲の抜粋版だったのである。
いまだに手元に置いてあるレコードは、あのコレギウム・アウレウム(ハルモニアムンディ盤)によるものとパイヤール室内管弦楽団(エラート盤)の演奏によるもので、調べてみれば今からもう数十年前の録音のものだから、演奏楽器や演奏法も異なっていて、古臭い現代演奏という感が免れないが、このyoutubeで探した演奏を聞いてみて、私はその音色響きにすっかり引き込まれてしまったのだ。
なぜ今頃になって、この曲の演奏を聴いたのかというと、それは、あの現代きってのカウンターテナーで有名なアンドレアス・ショルの歌う、バッハの「マタイ受難曲」の一節が聞きたくなって(CDは九州の家にあるので)、ネット上でのyoutube で検索して聞いたのだが、それを検索したことによって、次回からyoutube の推薦欄に、今回取り上げたこの「 優雅なインドの国々」がリストアップされていたのだ。
まずは、タイトル静止画の演奏だけのものを聞いたのだが、それはゆったりとしたテンポと雅(みやび)な楽器の響きで、私の心に心地良く伝わってきたのだ。
つまり、同じ系列としてリストされていた、あの有名なウィリアム・クリスティー指揮のレザール・フロリサン演奏のものや、フィリップ・へレヴェッヘ指揮のシャペル・ロワイヤル演奏の様な、少しテンポが早めの現代のバロック音楽演奏などとは異なった、ゆったりとした垢抜けないテンポで演奏されていて、むしろそののどやかな雰囲気こそが、当時の宮廷などでの演奏風景を思わせるものだったからだ。
さらにそこには他に、このオペラ・バレー演奏の舞台そのままを記録した動画もあげられていて、いかにも昔の舞台衣装らしい飾り物をつけた、原住民たちの群舞によるシーンに思わず見入ってしまった。
まるで、子供たちの素人舞台におけるような、ありがちな単純な動作の踊りで、見方によっては余りのつたなさに笑ってしまうようなものだったのだが、私にはむしろその時代にふさわしいものではないのかと、深く胸打たれたのだ。
(この舞台で演奏している、”Ispirazione barroco"という演奏団体のDVDやCDを探してみたのだが、どこにもなく、今はこのyoutube で見るしかないのだが、それでも出会えただけでも良しとしよう。)
今まで私は、現在のヨーロッパでのオペラ上演が、このバロック時代に作曲されたものですら、すっかり近現代の時代に置き換えられた、演劇ものになっていていることに、大きな不満を抱いているのだが、それは例えば、日本の誇るべき歌舞伎が現代風に背広とスカートで演じられたならば、それはもう歌舞伎とは呼べずに、歌舞伎の脚本をもとにした現代劇の舞台だというべきものだろうが、古い歴史を誇るヨーロッパ・オペラなのだから、そのいにしえの伝統を守って上演してほしいと思うのだが、もう私が生きている間に、その復古調のオペラ・ルネッサンスがやって来て、その当時に近い舞台上演形式で、日の目を見ることなどありえないことなのだろうか・・・。
そうした私のひそやかな思いを、youtubeで見たラモーのオペラ・バレー「優雅なインドの国々」が、その一端を垣間見せてくれたのである。
そしてこれもまた思っていたことなのだが、バロック時代の音楽の楽章小節は当時のダンスのテンポで書かれていて、例えばmenuet(メヌエット)やgavote(ガボット)rondeau(ロンド)などのように指示されているのに、それをすべて現代バロック演奏の様な、快速感覚で演奏していいものだろうかと思っていたのだ。
それだからこそ、この稚拙(ちせつ)さを感じさせるような舞台と踊りと演奏さえもが、そうした昔の上演風景など知るはずもない上に、音楽に関しては保守的な私の胸には、どこか懐かしく響いてきたのだ。
もちろん、こうした見方はあくまでも私の独断と偏見によるものであり、現代の演奏家たちからは一笑(いっしょう)に付されるだけの、しろうとの”たわごと”にしか聞こえないのだろうが。
そこでこうして、私は自分のブログで憂さを晴らして、年寄り特有の頑固さで、この独断と偏見の自分の道を進んでいくのだ。
”これでいいのだ”と。
さらに、このyoutubeは、私に別な愉(たの)しみと喜びも与えてくれたのだ。
それは、最初にアンドレアス・ショルの演奏音声を探した時に、リストアップされたものの中にヴィヴァルディの「カンタータ集」の一つがあり、その歌声も素晴らしかったのだが、そこにあげられていたジャケット写真がピエトロ・ロータリ(1707~1762)の描いた「本を持つ少女」だったのである。
かつてどこかで見たことのある絵が、それを今ここで見たことで、記憶としてよみがえってきたのだ。
バロック後期のカラヴァッジョの劇的な世界から、やがて来たるべきロマン派絵画の時代への萌芽も含んでいた時代に、主に王侯貴族の肖像画家として活躍し、各地を流浪したあげく、ロシアのサンクト・ペテルブルクで50数年の生涯を閉じた画家であり、彼の名前は絵画史に残るほどのものではなかったかもしれないけれど、どんな画家でもそうであるように、誰にでもおそらく”私の一点”とでもいうべき作品があるものであり、そんなロータリの一点こそが、この「本を持つ少女」ではないのかと思うのだが。
ベージュのドレスを着て、濃紺の帽子をかぶった少女の上半身像である。彼女は上目遣いにこちらを見て、その口元を手に持って広げた本で隠している。(この絵は、著作権の関係でここにはあげられないが、画家の名前で検索すればネット上で見ることができる。)
これは、若い娘のいわくありげな表情の一瞬をとらえた、写真で言うスナップショットの一枚である。
特に、彼女の目の細密描写には、思わずひきこまれてしまう。
一般的に言えば、女性のポートレイト写真を撮る時には、浅い被写界深度で目にピントを合わせることが大切だとされているが、ここでもその写真のいろはを改めて教えられる気がする。(この絵では全体にピントがあっていて、彼にはそこまでの意識はなったのかもしれないが、例えば後年のルノアールの女性の肖像画には、目にだけ焦点を当てた印象的な手法で、対象人物を見事に描写している。)
さて絵について書いていくときりがなくなるので、この辺で一旦終わりとして、今回もう一つ書きたかった、題名にあるテーマについてのことなのだが。
少し前の6月10日の項で写真にあげた、家の玄関の棟木の辺りに住んでいるアオダイショウのことであるが、先日、いつものように外に出る時は、上からヘビが落ちてきやしまいかと見上げて通るのが、そこで何と二匹のアオダイショウがからみあって垂れ下がっているのを見たのだ。
その二匹がからみあった姿は、どう見ても気持ちのいいものではなく、写真にも撮っているのだが、グロテスクすぎてここにのせる気にはならなかった。
ネットで調べると、ヘビのからみあいは雄と雌の繁殖行動であり、いったんからみあうと数日間はそのままのからみあった姿でいるとのことだった。
ということは、うすうす感じてはいたが、家にはつがいのヘビがいて、さらにはその卵から子供が孵(かえ)り、私がいなくなった後もこの家がある限り、子孫代々、このアオダイショウの一族が住み続けることになるのだろう。
それで私に害があるわけではなく、何度か捕まえて道路向こうの牧草地に放り投げたのだが、そのたびごとにこうして戻って来ているし、むしろネズミなどを駆除してくれることにもなるのだから、見た目に気持ちが悪いとしても、お互いに無視して共棲していくほかはないのだ。
”これでいいのだ”と。
若いころに読んだことのある小説で、フランスの作家、フランソワ・モーリアックが書いた「蝮(まむし)のからみあい」という小説があったことを思い出したのだ。
内容はほとんど忘れてしまったが、ある年寄りが自分の死んだ後のことを考えて、妻子や親類縁者たちに疑心暗鬼となり、その心の様をヘビである蝮(まむし)のからみあいに例えて、題名にしていたと思うのだが。
彼にはもう一つ「テレーズ・ディスケルウ」という、夫を殺そうとした女性を主人公にした心理小説もあって、それも読んだとは思うのだが、もうその内容のことまでは覚えていない。
それにしても、若いころには勢いに任せてでも、本は読んでおくべきなのだろうが、今となっては、読まずに本棚に並んでいるだけの本が、いかに多くあることかと気づいて、思わず愕然(がくぜん)とするのだ。
”少年老い易く、学成り難し。”