ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ブラームスはお好き

2018-11-05 21:34:56 | Weblog




 11月5日

 今日は、朝から暗く曇っていて、冬に向かう寒さが身に染みる。
 最高気温でも、8℃くらいまでしか上がらない。
 その忍び寄る冷たさが、あたたかい思い出を呼び覚ます。

 ”「いとしいお方」とお前は言った。
  「いとしいお前」と僕は答えた。
  「雪が降っています」とお前が言った。
  「雪が降っている」と僕が答えた。
 ・・・。
  (それは広々とした秋の、ある華やかな夕日の時だった。)
  僕は答えた、「くりかえしておくれ・・・もう一度・・・。」”

 (『ジャム詩集』「哀歌第十四」より尾崎喜八訳 彌生書房)

 ストーヴの薪(まき)のはじける音が聞こえる。
 こういう日には、ブラームスの室内楽のソナタを聞きたいと思う。 
 例えば、ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調「雨の歌」。  
 今日は雨が降っているわけではないけれど、こういう日にふさわしい音楽だ。

 その昔、秋から初冬のころの時期にかけて、私は、表側からの(旭川側)からの大雪山や十勝岳連峰によく登っていたものだが、その麓にある宿に泊まっては、翌日早朝に出かけて山に登っていた。
 その山登りの起点になっていた一つが、クラッシック音楽が好きなご夫婦が経営されている宿だった。
 小雨がそぼ降るある肌寒い日に、宿に着いてドアを開けると、すぐに暖かい薪ストーヴのぬくもりに包まれて、音響の良い小さなホールから、もの悲しいヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
 私は、キッチンにいた彼を見て、「ブラームスの”雨の歌”?」と尋ねた。
 彼は、私を見返して、「今日のような日にふさわしいかと」と答えた。

(昔のことだが、フランソワーズ・サガンの原作『ブラームスはお好き』をもとに作られた映画があって、その題名『さようならをもう一度』(1961年)は、いかにも当時のアメリカ映画らしく、イングリッド・バーグマン(スウェーデン)にイヴ・モンタン(フランス)、アンソニー・パーキンス(アメリカ)といった豪華な顔ぶれだった。)

 いい日々だった。
 山も宿も。 
 今では、すっかり足も遠のいて、思い出を繰り返すだけになってしまったが。

 それでも、今この家に居て、日高山脈の山々を見ながら、周りの木々の紅葉を見ているだけでも、十分に幸せな気持ちになることができるのだ。 
 若い時の、何かに追われるかのような、あわただしい気持ちではなく、そのころの思い出をいとおしみながらも、今自分のまわりにある光景を、四季折々に移りゆく景色を眺めては、ゆったりとした気持ちでいられること。
 それぞれの時代に、それぞれの思い出があり、今年また一つ、この北海道のわが家の紅葉を見ながら、いい秋だったと思うのだろう。ああ、あの時はよかったな、と。 
 なあに、考えてみれば、若い時よりは、様々な思い出の蓄積の上で、今を見つめることのできる年寄りの時代こそ、実は人生の中で最も輝かしい日々なのかもしれない。

 さて、この4日間、文句のつけようがないほどの快晴の日が続いていた。 
 終日ほとんど雲がなく、日高山脈の山々も終日見えていて、さらに強い北風もなく、そよ風があるくらいの穏やかな日のままに、そんなまれにしかない快晴の天気の日が、何日も続いたのだ。
 さすがに昨日の夕暮れ時には、それまでのシルエットの山なみとは違って、山々の稜線に雲が連なってはいたが。

 特に最初の日には、朝の気温が-1度まで冷え込んで霜が降りていて、日高山脈全山が雪に覆われていた。 
 もちろんすでに、先月の半ばころには、日高山脈最高峰の日高幌尻(ぽろしり)岳(2052m)周辺や、カムイエクウチカウシ山(1979m)周辺の山々の山頂付近に、初冠雪の雪を見たことはあったのだが、今回の雪は、もう山々の根雪となる、確かな冬の雪だった。
 冒頭の写真は、日高山脈南端に並ぶ楽古岳(1472m)と広尾十勝岳(1457m)の遠望の写真であるが、手前の牧草地には霜が降りていて、奥には収穫の終わったビート(砂糖大根)畑が続いている。
 この日はさらに、昼前に近くの丘陵地帯を歩き回り、広大な秋空の下の日高山脈の眺めを十分に楽しんだ。 
 (写真下、左から1823峰、ピラミッド峰、カムイエクウチカウシ山、1903峰、1917峰、春別岳と連なり、手前の十勝平野には幾重にも、今が黄葉の盛りにあるカラマツの防風林が続いていた。)





 その時、牧草地のそばで、ひらひらと二匹のチョウが飛んでいるのに気づいた。
 気温がマイナスまで下がる晩秋の季節なのに、と思いながら見ていると、これまた今どきにまだ咲いているクローバー(シロツメクサ)の花にとまって、花蜜を吸引しているようだった。
 黄色っぽい下地に、黒点があり、何より全体的に輝くような桃色に縁どられた、その羽全体の色合いが素晴らしい。
 私は最初、シジミチョウの仲間かと思ったほどだったのだが、よく見るとモンキチョウのようであり、あるいはふつうに見られるモンシロチョウの秋型なのだろうかとも思ったが、形が小さいし、たまにしか見たことのないエゾヒメシロチョウのようでもあり、とてもマニアでもない”にわかチョウ観察者”にすぎない私には、何とも判別はできなかったが、今の時期に、きれいな小さなチョウが飛んでいるのを見ただけでも、何か幸せな気持ちになることができたのだ。(写真下)

 


 そうして、丘歩きを終えて家に帰ってくると、遠目にもわが家の紅葉が鮮やかに見えていた。
 この10月中旬から11月の初旬に至るまで、今年ほど、紅葉が私の目を楽しませてくれた年はなかったようにも思う。
 前回、前々回は家のそばのモミジ、カエデの紅葉の写真を載せたのだが、他にも家の林の中にはまだ10本ほどのモミジの木があり、その中の数本は見上げる高さの大きな木になっていて、これもまた単独にではあるが、毎年紅葉を見るのを楽しみにしている。
 ただし、今年はそのほとんどが、ところどころに赤い葉もあるのだが、全体的には、紅葉ならぬ黄葉で埋め尽くされていた。(写真下)




 家の周りのモミジの木が、ほとんどが錦織りなす紅葉なのに比べて、このそれぞれに単独で生えているモミジの葉がすべて赤ではなくて黄色なのはなぜなのだろうか。
 Wikipedia(ウィキペディア)によれば、秋になって光合成をやめた木が、自分を守るための活動の一つとして、植物としての色素を作り出し、そのうちのアントシアニンが赤い葉になり、カロテノイドが黄色い葉のもととなり、その差は、気温、湿度、紫外線などの影響で左右されるとのことだが。
 確かに、同じ一本の木の中でも赤と黄色が同居したりとか、まだまだ分からないことがあるのだろう。

 それに加わうるに、前回書いたように、山の紅葉は年毎の差が大きく、家の庭木の紅葉の差がそれほどないのはなぜだろうかと・・・。
 しかし、それは思うに、確かにその年での色彩の違いはあるのだろうが、大きいのは、それを眺める個人的な視点の違いにあるのではないのか。 
 つまり、山に登って紅葉を眺めるのは、ほとんどの人が日帰りだろうし、逗留(とうりゅう)しても二三日くらいのものだろうから、多くの人はその日その時だけに眺めた紅葉が、今年の山の紅葉ということになるのだろう。

 一方で、自分の家の紅葉ならば、その色づきが始まった時から茶色に変色して落ちていくまでを見ることになるから、それぞれの時間でベストであった時の色合いが記憶の中で積み重なって、ああ今年の紅葉も良かったということになるのではないのだろうか。
 ことほど左様に、人間はその時の自分の視点だけでしか見ていないわけだから、いつも全体のほんの一部を見ているだけに過ぎないということになる。
 それは地球上に生きる、”生きとし生けるもの”の性(さが)なのだから、それによって失敗もすることにもなるだろうし、学ぶことにもなるわけなのだが。
 ただ言えることは、いつも自分の視点は個人的なものにすぎないのだ、という謙虚な心を持っておくことが必要なのだろう。

 さて、そうした決して自分の人生だけではない、さまざまな人生の姿があることを、私たちは日々知らされ、ある時は大きな反省とともに、年寄りになってもまだまだ学ぶべきことが多いことに気づくのだ。 
 私は、テレビではまずほとんどドラマは見ないし、多くのクイズ形式バラエティー番組なども余り見ないのだが、いつも言うように、すべてが事実を映し出しているとは限らないにしても、ドキュメンタリー番組はつい見てしまうことが多い。
 いつもここに書くことの多い『ブラタモリ』(NHK)や『日本人のお名前っ!』(NHK)はバラエティー番組なのだろうが、ある種の謎解きドキュメンタリーとも言えるし、そのほかにもこの秋からレギュラー番組になった『ポツンと一軒家』(テレビ朝日)も、昨日の放送では、まず宮崎県の山奥に、自分でモトクロス・コースを作り、併せてライダーハウスも作ったバイク屋のおやじさんの話で、もう一本は、栃木県の山奥でイノシシの被害に遭わないためにイノシシが食べない唐ガラシの栽培をしている老夫婦の話で、年に2回、こんな山奥の実家に、兄弟、子供たち、その孫たちまでもが集まるから、いつまでもやめられないと話していた。
 さらに、これはふと見たのだが、『ニチファミ!空き家をつぶす、ワケあり物件』では、若い時にギャル生活をしていた女の子が、妹の出産を機に心を入れ替えて、建物解体業界に入り3年の経験を積んで、今年26才になるというその美人解体士が、重機を上手に操って、狭い土地に建つ民家を解体していく様子が映し出されていたし、さらにもう一つは銭湯の解体専門業者が、あの23mもある風呂屋の煙突を、周りに破片が落ちないように、全く日本人の繊細さで壊し解体していく様子を映し出していた。 

 こうして、昨日見たテレビの中だけでも様々な人々がいて、当然のごとくそこには様々な人生があり、様々な形で生きている人たちがいるのだ。 
 あの子供の歌ではないけれど、”僕らはみんな生きている”と実感させる人間賛歌のエピソードに満ちていたのだ。

 今日は様々なことを、この一回の記事に詰め込んで書いてしまったような気がする。
 見るにしろ、反省するにしろ、学ぶにしろ、今私が見る光景は・・・沈む夕日は早いのだから。