ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

求めないこと

2018-10-15 21:35:42 | Weblog



 10月15日

 少しずつ、少しずつ、周りの草花に、樹々に、吹く風に、空の雲にと秋の季節が深まってくる。
 上の写真は、家の近くの高みから見た、朝もやたなびく十勝平野と、秋色濃い日高山脈の山なみである。気温4度。
 数日前、家の庭を雪虫が飛んでいた。 
 話によれば、”雪虫を見た二三週間以内には雪が降る”とのことだが。

 雨が少し降った後、晴れた天気の日が続いていて、さらにあと一週間位はこの天気が続くだろうとのことで、まさにありがたい、秋の”十勝晴れ”の日々である。
 しかし、雪を前にして、家の仕事が山積みに溜まっていて、さすがにこの”ぐうたら”おやじも、その重い腰をあげて、ひとがんばりしなければならない時が来たようだ。

 折しも、ライブカメラで見る大雪山は、頂上から山腹にかけて雪に覆われていて、青空の下ひときわ鮮やかに見える。
 若いころには、さあこれからが人も少なくなって雪山を楽しむ季節だと、今日は大雪、明日は日高と、雪の巡礼者を決め込んでは、登りめぐっていたというのに・・・はい、歳月というのは時に怖ろしいものでございまして、紅顔の微(び)青年もどきが、あっという間に、足腰よたよたの白髪のじいさんに変り果て、唯一口だけは達者で、その昔、若いころには、日高や大雪をあっという間に縦走したものよと、自慢話をしては周りをけむにまいてはいたのだが、家に帰れば、哀しい独居老人の独り言になってしまい、枕もとには夜な夜な今は亡き人々たちが現れて、昔の思い出話しにつきあわされて、もう今では、私自身が生きているのか死んでいるのかもわからず、夢遊病者のごとき日々を送るのではありますが、はい。

 とは申しましても、生きている日々の暮らしも続けていかなければならず、まず屋根の天窓から雨漏りするようになり(それが安上がりの自作窓の結局は手間のかかるところで)、やむなく再び作り直さざるを得なくなり、さらにはこれも自作の、掘っ立て作りの車庫の丸太柱が痛んできて、その傍に補強丸太を立てなければならないし、さらには、林の中の傾いたり倒れたりしているカラマツも数本あって、今のうちにチェーンソーで切っておかなければならないし、さらには、来年分のための、薪(まき)作りもしなければならないし、さらにはいろいろと細かい仕事もあり、今までのように、のんべんだらりとした毎日を送っているわけにはいかなくなってきたのだ。
 それならば、もっと前から少しずつでもやっておけばよかったのにと言われそうだが、そこは根がぐうたらなものだから、思えば私の人生、いつも切羽詰まった所から、ようやく動き出して、それで何とか間に合わせてきたことばかりで、人様に自慢できるものは何一つとしてないのだ。
 ”ムチひとつ やっと動かす 荷馬車かな” (詠み人しらず)

 ところで、相変わらず家の井戸は枯れたままで、5月に戻って来てからずっとその井戸の水は使えず、もう半年近くも、もらい水とペットボトル水だけで、何とかここまでやりくりしてきたわけだが、当初の絶望的な気持ちからすれば、こうして蛇口から水が出ないことが当たり前のことになって、飲み水はもとより、洗い物用の水もけちけち使うようになり、それが日常化すると、もう今ではたいした苦行(くぎょう)とは思えなくなってきて、その不便な状態が連続し日常化すると、それがいつの間にか、毎日のこととして受け入れられるようになってくるのだ。 
 前にも書いたことがあるが、こうした苦難のさなかにある時、もっとも大切なことは、あのテレサ・テンの歌の題名にもあるように”時の流れに身をまかせ”、今ある状況に”慣れる”ことなのだろう。

 私は今まで、状況が変わって、人や物を失くした時、その時は失意のただ中にあって、自分ほど不幸な人間はいないと世をはかなんだりしたものだが、しかしいつしか時は流れゆき、時間はその最悪の状況を少しずつ変えていってくれるのだ。
 つまり、それが無いこと、いないことが、日常化してゆき、そのことに”慣れ”てゆけば、そのことが新たないつもの日常として、普通に受け入れられるようになるものだ。
 かくして、不幸も不運も時の流れの中に埋められてゆき、記憶は残るとしても、今あることだけが新たな日常として上書きされていくのだろう。
 私は今まで、そうして、時の過ぎ行くままに、自分の心のうちだけで、凶事たるべきものをなだめては、日常に転化させていったような気がするのだが。
 もっとも、それは私がまだ本当に絶望的な不幸に出会っていないからかもしれないのだが・・・。
 
 ところで、今までも書いてきたように、自宅の井戸水が使えないこともあって、定期的に街に出かけて行っては、コインランドリーで洗濯をしているのだが、その合間に近くのリサイクルショップ、平たく言えば中古品屋に寄って、その古本部門で安い本を探すのを楽しみにしているのだが、その時は、あの加島祥造(かじましょうぞう)の詩集というか、単独長編詩の『求めない』(小学館)が、新品のまま定価の数分の一もしない値段で売られていて、すぐに買ったのだが。

 この加島祥造(1923~2015)という人は、もともとアメリカ文学者であり、あのフォークナーやマーク・トウェインなどに多くの翻訳書があるが、彼自身が語るところによれば、たまたま英訳されていた『老子』を読んで、同じように平易な日本語に訳することができないかと試み、その結果として、多くの『老子』についての本が書かれることになったとのことだが、私が初めて、彼の名前を知ったのは、あの『清貧の思想』(草思社、文春文庫)で有名な中野孝次(1925~2004)の随筆集『足るを知る』(朝日文庫)を読んで、その中に彼の名前が出てきたからである。 
 そうした経緯があって、この加島祥造の随筆集である有名な『伊那谷の老子』(朝日文庫)を読んだのだが、そこでこのアメリカ文学者とドイツ文学者の二人が、お互いの人生の老境の中で、いかに老子の思想に心酔していたかがよくわかったのだが、それはまた私にとっても、”同好の士”と呼ぶにはあまりにも畏(おそ)れ多い、尊敬すべき人生の先達(せんだつ)たちでもあったのだ。(そうした人たちに出会えることこそが、本を読むことの愉しみでもあるのだが。)

 さて、私が買ったこの小さな正方形変型判の本は、一ページに一行だけという所もあって、恐ろしく効率の悪い本だが(詩集などにはよくあることで)、わずか200ページ足らずだから、ものの10分もあれば読めてしまうような本だった。
 とりあえず、その冒頭の、4ページほどをあげてみよう。

" 求めない──
 すると
 簡素な暮らしになる

 求めない──
 すると
 いまじゅうぶんに持っていると気づく

 求めない──
 すると
 いま持っているものが
 いきいきとしてくる

 求めない──
 すると
 それでも案外
 生きてゆけると知る "

 思うに、日ごろから物が足りない田舎にいて、都会の豊かな物に囲まれた暮らしからは、かけ離れた生活をしている私のような人間にとっては、どれほど励ましになる言葉だろうか。 
 今こうして暮らしていることが、実は間違いではないのだと言われているようで。
 
 もともと、私はこの地に移り住むにあたって、前提となる一つの条件を除いては、多くのことを望まなかったし、そのことが、私をこの地に数十年住み続けさせてきた理由にもなるのだが。 
 それは、”日高山脈の見える十勝平野に住む”ということだけであり、ここに至るまで、もちろん多くの困難もあったのだが、私ははそんな時いつも考えたのだ、”十勝に住むこと”ができているのだから、他のことはがまんすればいいじゃないかと。
 人は生きていく中で、どうしても譲れない一線があり、そのために繰り返し強く思うのだろう。
 もちろんそこには、それらの前提となるもの、”生きてさえいれば”というのが、すべての基本条件にあるのは言うまでもないことだが。
 もちろんそれは、緊急救命時に生命維持装置をつけたり、胃ろうを施してもらってまで生き延びたいとは思わないし、何事も自然な命の続くまままに、在りたいと願うだけのことなのだが・・・。

 ところで私は、こうした老子(ろうし)、荘子(そうし、そうじ)などの自然思想に近い考え方が、すべての人のための考え方だと思っているわけではない。
 例えば、上にあげた加島祥造の、老子の思想に基づく数々の言葉にしても、これを若い人たちがそのまま信奉していたとしたら、それは、あきらかな間違いだと言いたくなる。 
 むしろ、私は、”若い時には求めよ”と言いたい。
 成功の甘い蜜も失敗の苦い汁も、清濁併せ飲んでこその人生であり、両者の違いを学んでこその人生なのだから。 
 若い時には、競い合うべきだ。
 他人とも、自分とも。

 あの若い時の、成功の甘いひと時に比べうる喜びはないだろう・・・世界はすべて私のものになるからだ。
 しかし、失敗し敗北したとしても、その苦しみの絶望の淵から見上げる暗夜の彼方に、輝く星を見ることはできるはずだし、それが明日を夢みることにもなるのだ。
 若者よ、挑み、傷ついたとしても、今は繰り返し立ち上がることだ、必ず夜は明けるのだから、来たるべき明日を夢み続けることだ。

 そして一方では、この”老荘の思想”は、私たち年寄りにこそふさわしいものなのだと思う。
 若者には若者にふさわしい思想があり、年寄りには年寄りにふさわしい思想があるものなのだ。
 今まで、私たち年よりは十分に経験し、多くのものを所有しては、多くのものを失ってきた。
 これ以上、今さら、何を求めるというのだ。
 長い自分の人生の中で、経験してきた、おびただしい思い出の数々だけで十分ではないのか。
 これから必要なことは、”求めない”ことであり、その後に広がる静寂の世界に、たゆとう大海に身をゆだねてゆけばいいだけのことなのだから。

 ああ、喜びも悲しみも十分に満ち溢れていた、いい人生だったと、自分に言い聞かせながら・・・いつしか夢の世界の大海原へと・・・。