6月12日
三四日ごとに、晴れて暑くなる日と、曇りや雨で寒くなる日が、繰り返している。
今日は、昨日までの雨も上がって、晴れているけれども、朝の気温は+4度で、まだまだ薪(まき)ストーヴの火をつけなければならない。
実は数日前、晴れて暑くなった日に、裏の植林地の中に生えているスズランを採ってきて、それは町に住む友達へのいつもの贈り物でもあるのだが、残りの幾つかを、ビールの小びんで代用している花瓶(かびん)に入れて、ストーブの上に置いてみた。もうこんなに暑くなれば、ストーヴを使うこともないだろうからと。(写真上)
そこは、暗い所だから、余計にスズランの小さな花の集まりが可憐(かれん)に見えた。
そして漂う、なつかしい自然の中の香り・・・都会の人々の間から匂ってくる、強く甘い刺激的な香りとは違うもの・・・。
しかし、そこにスズランを置いていたのも、ほんの二三日だった。
今朝の冷え込みで、ストーヴに火をつけざるを得なくなり、スズランは定位置のテーブルの上に戻した。
燃える薪の臭いと、少しばかりの煙の臭いが、再び春先の季節へと私を連れ戻した。
こうして、春から初夏の季節感を、互いに繰り返し、こき混ぜては、夏へと移っていくのだろう。
しかし、”こき混ぜて”という言葉の使用法は、ここで使うのは正しくないのだろうけれども、どうしてもあの古今集(こきんしゅう)の中の有名な一首を思い出してしまうのだ。
「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりけり」(素性法師)
この歌は確かに、往時(おうじ)の、春の京の都を少し俯瞰(ふかん)して見ているかのような、鮮やかな絵画性にあふれていると思うのだが、もう一首、紀貫之(きのつらゆき)の”曲水宴歌会(きょくすいえんうたかい)”で詠まれた歌をあげておきたい。
「春なれば 梅に桜とこきまぜて 流すみなせの 河の香ぞする」
水無瀬(みなせ)川から引き入れた、小さな流れに盃を浮かべ、歌を書いた短冊(たんざく)を載せて流し遊んだ、あの曲水の宴を、目の前に見る思いがする。
時は春、まだ梅の花が残っている中で、桜も咲き始めて、二つの花の香りが混然一体となって漂う中に、身をかがめて盃の歌の短冊を取ろうとした時、ふと匂ってきた川の匂いに、さらなる春を感じたのだろう。
前者を絵画的な春の歌だとすれば、この貫之の歌は、臭覚的な春の歌だとは言えないだろうか。
この二首は、並べて詠み、楽しみたいう歌ではある。
さて、わが家の庭から林にかけての花と言えば、前にも書いたように、オオバナノエンレイソウにオオサクラソウ、シバザクラにヤマツツジなどが咲いていたが、それらも終わって、今は栽培種のオレンジ色とレモンイエロー色のレンゲツツジが盛りの鮮やかさにあり、その根元には、チゴユリの白い小さな花が群れをなして咲いている。
ただ残念なことには、あのナナカマドの木のそばに咲いていたクロユリの花(’15.5.25の項参照)は、今年はもうあの草や葉自体が見えなくなり消えてしまった。
ユリ科の球根を持つ、多年草であるはずのクロユリが、なぜに数年で消えてしまったのか。
さらに、これまた悲しいことではあるが、毎年、麗しい紫の花のブーケをいくつも咲かせてくれていたライラックの樹が、去年エゾシカにぐるりと幹回りをかじられはがされてしまい(’16.5.30の項参照)、応急処理はしていたのだが、つぼみを出したまま、すべてしおれ枯れてしまっていた。
今までに、エゾシカに何本の庭木がかじられて枯れてしまったことだろう。
確かにエゾシカを傍で見れば、そのつぶらな瞳はかわいいのだが・・・さらには、私のクルマにぶつかったこともあるし・・・。
とはいえ、春から初夏にかけての緑の勢いは日々に強くなり、道のまわりや庭の草刈りは、これからも秋の初めまで続くことだろう。
特に、猛烈な勢いで増え広がる、あのセイタカアワダチソウを駆除すべく、まだ背丈の低い今のうちにと抜き取ってはいるのだが、周りには牧草地・畑の周辺地があり、そしてまだ原野に近い植林地もあって、どだいくい止めること自体むつかしいのかもしれない。
そんな林のふちを歩けば、それでもスズランやベニバナイチヤクソウに、ヒオウギアヤメも咲いているし、なあに深く考えることはない、”年々歳々人同じからず”の例え通りに、実は樹や草花も少しずつ変わっていくものなのだろう。
その生き物たちのリズムに合わせて、私も、クイック・クイック、スロー・スローと人生を歩んでいくしかないのだから・・・。
さらに晴れた日に、クルマで少し走って行って、前から目をつけていた場所に行ってみる。
一面のキカラシの畑の向こうに、まだ残雪を頂いた日高山脈の山々が見えていた。(写真下)
私の好きな、絵葉書写真の景色だ。
普通の写真家は撮らない、日中のべた光線のもと、明るくくっきり見える中なら何でもいい私は、ひたすらに写真を撮り続ける。
青空とキカラシの畑を前に、30分余り。何と楽しいひと時だったことだろう。年寄りのひそやかな愉(たの)しみなのだ。
今の時期、十勝地方のあちらこちらで、この広大なキカラシ畑を見ることができる。
もうしばらくすると、トラクターですき込んでいき、畑の飼料になるのだが、もともと輪作の畑だから、毎年同じ所で見ることはできない。
農水省の役人ではないのだから、農家の一軒一軒に去年はキカラシの種をまきましたかと聞くわけにはいかないし、ただクルマで広範囲に走り回って探すしかないのだが、色が色だしすぐに見つけることはできる。
キカラシは同じアブラナ科の菜の花と間違われやすいし、遠くから見ただけでは区別がつかないけれども、葉が茎を包んでいるかどうか、あるいは他にもつぼみがあるかどうかで、見分けられるとされているが、私は傍で見るまでもなく、簡単にその匂いで区別しているのだが。
あの菜の花の集団の、むせかえるような匂いが、キカラシからはそれほど匂ってこない。
花の集団と言えば、控えめにただテレビで見ているだけのファンでしかない、AKBファンの私にとって、やはり年に一度の”AKB選抜総選挙”は楽しみである、まして今年は、一般的には全く知られていない地方グループの子が、初期速報で1位になったものだから、あれこれ良からぬ噂も飛び交い、さらには変革期にあるAKBの将来を占ううえでもと興味はつのるのだが。
それはともかく、今回の選挙前の選抜曲、「願いごとの持ち腐れ」という曲は、曲名はともかく歌詞に曲調、振り付けに衣装とその意図がはっきりしているので、最近のAKBの曲の中では好感が持てるほうだと思う。
もちろん、今のAKBグループが、上り坂の欅坂(けやきざか)46や乃木坂46と比べれば、明らかに下り坂になっているということを分かったうえで、それでも、日本の伝統的な歌謡ポップスの、アイドル・グループのスタイルを変えようとしないのは、総合プロデューサーの秋元康と運営側の強い意向なのだろうが、それは、ぶれないというべきかかたくなだというべきか。
KPOP(韓国ポップス)界では、世界に通用する、洗練された歌・ダンス・スタイル・容姿をそろえた娘たちを集めては、次々に新しいグループを作り送り出していて、それと比べれば、わがAKBは、悪く言えば田舎のイモねえちゃんふうにダサく見えてしまうのだが、なあに、私たち年寄りにとっては、AKBにはあの故郷の”花子ちゃん”的な、洗練されていない日本的な純朴さがあり、そこがいいのだ。
ところで、私が欠かさず見るようにしている番組は、思えばNHKばかりなのだが(念のため言っておくが、私はNHKとは何のかかわりもありません)、朝夕定時のNHKのニュースとBSの「AKB48SHOW」に、前回取り上げた岩合光昭の「世界のネコ歩き」と「ブラタモリ」であり、この「ブラタモリ」についても以前に事あるごとに書いてきたのだが、前回の「名古屋城編」もなかなかに興味深く面白く見せてもらった。
専門家に登場してもらい、歴史・文化と地理・地学によって、その土地の成り立ちが謎解きふうに解明されていくのだが、こうして番組が緻密に構成されていることに、いつも感心してしまうのだ。
かてて加えて、タモリの博識な意味が込められたダジャレやウィット・・・例えば前回、城下町の魚棚(うおたな)が”うぉんたな”と呼ばれていたと聞いて、タモリがさっそく茶々を入れるのだ。
「昔の時代に”うぉんたな”だなんて、かっこいい名前ですね。カルロス・ウォンタナ・・・。」
周りにいた人には、うまく伝わらなかったのかもしれないのだが、プロデューサーや番組編集者たちは気づいて、映像編集の時に、その場面でサンタナの音楽を軽くかぶせて流したのだ。
名ロック・ギタリストのカルロス・サンタナの曲では、初期の大ヒット・アルバム「ABRAXAS」に収められたラテン調の「ブラック・マジック・ウーマン/ジプシー・クィーン」もいいけれど、ここではその後の大ヒット曲「哀愁のヨーロッパ」が流れていたのだ。
私は、この番組の有能なるスタッフ陣に、拍手を送りたい気分だった。アシスタントの近江ちゃんも、かわいいし。
ことほど左様に、一つの番組、映画、作品にも様々な制作者側の意図が込められているのだろうが、私たちはいつも彼らの意図のすべてをくみ取っているわけではないのだ。
もちろん、この”うぉんたな”の件(くだり)は、この番組でたまたま私が気づいた一つにしかすぎず、まだまだ他にもあっただろう多くのことを見逃していたのかもしれない。
そういえば、これも後になって気づいたことだが、たまたま少しだけ見た、フジテレビ系の「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」で、あるタレントが昔のアイドル歌手の柏原芳恵の歌う「ハロー・グッバイ」(喜多條忠作詞小泉まさみ作曲)の歌真似をした後で、ご本人が登場して歌うというドッキリになっていて、その姿は懐かしくもあり少し哀しくもあったのだが、問題はそのことではなく、その歌詞にあるのだが、それは当時、子供たちが好きでよく歌っていたから、私も憶えてしまったのだが、出だしの「紅茶の美味しい喫茶店・・・」という有名なフレーズから始まって、途中で変調したところで、「あなたは銀のスプーンで、私の心をくるくるまわす」と歌われていて、今まで私は、その字面(じづら)通りに受け取っていたのだが、今の柏原芳恵が歌っているのを聞いて、はっと気づいたのだ。
この歌の、女の子のデート相手の彼は、お金持ちの男の子だったのだ。
いわゆる慣用句として使う、”銀のスプーンをくわえて生まれてきた”、いいとこの家の息子だったのだ。
だから、その金持ぶりを見せつけられて、彼女の心はくるくるかき回されていたのだ。
何と、そのことに気づくまでに30年もの歳月が流れ、年寄りになった今ようやく気づいた私は、情けないというよりは、この年になって、あの名曲「神田川」の作詞者でもある喜多條忠の歌詞に、もう一つの意味があったことを、今さらながらに知らされたというべきか。
まあ、わざわざこんなところで取り上げるまでもない、小さなことだから、そのまま気づかないで過ごしたとしても、私の人生に、何らの影響もないのだろうが、しかし、新しく分かったことが増えただけでも、自分の無知さはさておいても、人生は面白いしと思えるし、年を取っていくということは、今まで見過ごしていたことや分からなかったことが、一つまた一つと解明されていくことなのだと、楽しくも思えるのだ。
ぼんやりとした生きていくことの不安におびえ続けた、「或阿呆(あるあほう)の一生」よりは、ぼんやりとした知識しかない自分を分かっていて、そんな「ある阿呆の一生」の中でも、生きていれば年とともに、まだまだ知らないことが解き明かされていくこともあり、そんな喜びがあるのだと、知っただけでもありがたいことなのだ。