6月5日
この三日間の、朝の最低気温は+3℃を少し超えるくらいで、最高気温は7℃前後。一日中、ストーヴで薪(まき)を燃やし続けていた。
九州から本州では、そろそろ梅雨入りしようかという時期に、ここ北海道では、早春のころの気温に逆戻りしているのだ。
もっとも、6月に降雪の記録があるくらいだから、このくらいの寒さでは、それほどの異常気温というわけでもないのだが、ただこの数日は、雨が降ったりやんだりの、ぐずついた空模様が続いている中の寒さだから、おそらく高い山の上では雪が降ったことだろう。
さらには、この雨の前、前回の記事に書いた、剣山登山の日からの三日間は、逆に暑い日が続き、これまた夏と同じように、連日の気温が27,8度までにも上がっていたのだ。
まさに、早春のころと夏の季節とを一度に体感できる、北海道ならではの季節の変わり目ではある。
”さあさあ、御用とお急ぎでない方は見てらっしゃい寄ってらっしゃい。これが噂の暑さ寒さが重なった「北海道SM体験ツアー」だよ。
それまでは、緑の野辺に花咲乱れ、鳥は歌い、セミたちは夏に向けての大合唱、人間どもも慌てては、野良の仕事に精を出し、大汗かいては水風呂にも入れる気分。一日終わりの、ビール一杯ぐいーっと。(ちなみに、センダイムシクイのように”焼酎一杯ぐぃー”っと鳴く鳥もいるが。)
それが一転、こりゃまたどうしたことだろう。おてんと様が顔隠し、冷たい雨がしとしとと、心の中まで降り続く。あかあか燃えるストーヴの、そばから離れず、年寄りが、一人見守るヨゴレ鍋。”
”洞窟(どうくつ)。その中央に火焔(かえん)ののぼる大きな穴が地面に口を開き、その上に煮えたぎる大釜がかかっている。雷鳴とともに三人の妖婆(ようば)が一人ずつ焔(ほのお)の中から現れる。”
妖婆一 ドラネコめが三度鳴いた。
妖婆二 ハリネズミが三度と一度鳴いた。
妖婆三 化け鳥めが呼んでる。「早く早く」って。(夜もクイックイッ=Quickと鳴くクイナのことだろうか。)
妖婆一 釜のまわりをぐるぐるまわれ。
・・・。
三人 増えろ、ふくれろ、苦労苦しみ。
燃えろ穴の火、煮えろ大釜。
・・・。
(河出書房版 世界文学全集1シェイクスピア 『マクベス』第四幕第一場 三神勲訳 より)
雨降りの薄暗い部屋で、ストーヴに鍋をかけて、豆を煮込んでいたら、上記の『マクベス』の一場面を思い出してしまったのだ。
妖婆ならぬ妖怪爺(じじい)の私の姿を見る私が居て、思わず一人笑いしてしまった。
ただでさえ”お天気屋”な私だから、こうして天気が悪くなると、どこにも出かけたくないし、家の中で音楽を聴いたり、本を読んだり、パソコンでネット情報見たりしていれば、朝昼晩の簡単な食事をはさんで、一日はあっという間に過ぎてしまう。
しかし、何も起きない一日こそが心地よく、こうして、年寄りは自ら年寄りになっていくのだろう。
それで十分だし、今さら、肩をいからして粋がっていた、若者の時代なんぞには戻りたくはない。
今こうして、神様からいただいた静けさの中に在るだけで、他に何がいるというのだろうか。
本来は強欲なはずの、私を含めた人間たちが、思い描く幾つもの望みの中で、ぜひとも必要なものを一つだけ自分のもとにあるのなら、他の欲望はすっぱりとあきらめるべきだと思うのだが。
その手元にある一つだけのものだからこそ、ありがたみも増すというものだ。
そして、例えばこうして季節外れの寒さになったとしても、私は、それさえもありがたく受け止めるようにしている。
つまり、今年は、もうストーヴの時期が終わるようなころに、北海道に戻って来たものだから、残念ながらあのストーヴの愉(たの)しみは味わえないのだと思っていたところ、ありがたい神様のお導きで、こうした寒い日があって、ストーヴのぬくぬくとした温かさを感じる日々を送ることができたのだ。
言うまでもないことだが、私は特定の宗教を信じているわけではない。
仏教も儒教もキリスト教もイスラム教もユダヤ教も、さらには様々な土着の宗教や新興宗教さえも、それぞれの教義の幾つかは納得できるとしても、同じくらいに矛盾点が目について、その上もとより、偉い人たちから話を聞いたり、あるいは詳しく調べたりする、熱心さなどは端からないものだから、一つの教えに帰依(きえ)することもなく、悪く言えば、それら様々な宗教の、ほんの一部の表面だけを眺めただけの、無信心な人間でしかないのだ。
ただ、すべての宗教に共通して”神に感謝する”という思いがあるように、過去から現在に続く日々の中で、私をここまで育て、はぐくんでくれたものに対しては、感謝したいと思うしするべきだと思っているから、そこで、日ごろから恵みを受けることの多い大自然に仮託して、自分だけの神をつくりあげただけのことなのだ。
もちろんここで、今、現代科学との間で様々な齟齬(そご)が生まれ問題化している、宗教そのものについて言及するつもりはないし、浅学の徒でしかない私にはその資格もない。
ただ、私が今まで使ってきた”神”という言葉は、そこに宗教的な意味はなく、あくまでも神秘性をとどめた広大な宇宙や地球を意味するような、感謝する相手としての代名詞でしかないのだ。
さて、神や仏の話はそのくらいにして、最近の身辺雑事については。
前回書いた剣山登山の後遺症として、三日間はひどい筋肉痛に悩まされ、それに加えて去年から痛めているヒザも相変わらずに痛みが残るしで、類人猿さながらの(私にお似合いの)ひどい格好で歩いていた。
畑仕事は、種イモを植えただけで、まだ他には何も植えていないが、ひとりでに花を咲かせているイチゴ畑の草取りと肥料やりをしなければならないし、何より、もう二回目の芝生や道端の草刈りをしなければならない。
そして、相変わらずにタンポポの花が一つ二つと咲いていて、見つけ次第に抜いているのだが、それ以上にやっかいな雑草の大集団がある。まだ今は小さな草丈だが、秋にはその名の通り、私に背を越す高さになるセイタカアワダチソウである。
駆除されるべき外来種の彼らは、根から伸びた地下茎でも増え、さらには花の種からでも伝播して広がっていき、元来のササ原さえも占拠するほどの繁殖力を持っているのだ。
さらに、去年切ったあの二十数本ものカラマツの木(’16.10.10の項参照)は、材として利用するために、今のうちに皮をむいておくか、あるいは薪にするために、少しずつ整理して、乾燥させるための場所に運んでおかなければならないが、そうして利用できるのは半分ぐらいで、残りは朽ち果てるままにしておくしかないのだ。
欲しい人がいればあげてもいいのだが、クルマが林の中に入れないために、すべて手作業になり、そんな労力を使ってまで誰も欲しいとは思わないだろう。
その林の中では、今、ベニバナイチヤクソウが咲いているし(写真上)、もう少し明るい林のふちには、スズランも咲き始めていて(’16.6.13の項参照)、二つ並べて花瓶にさせば、まさに紅白のおめでたい花たちになる。
そして、家の庭には、濃い桃色のエゾヤマツツジが満開になり、続いて黄色とオレンジ色の二色の花があるレンゲツツジも咲き始めた。
そこに、三匹ものミヤマカラスアゲハがやってきたが、元気に翅(はね)を動かせながら蜜を吸っては、あわただしく飛び回り続けて、まともな写真を撮らせてはくれなかった。
ただその中の一匹が、まだ咲いているシバザクラの所へやってきて、落ち着いてひとり花の蜜を吸っていて、そこでようやく、その翅を広げたところを一枚だけ撮ることができた。(写真下、それでも’08.5.28の項の時のようには撮れない。)
そういえば、1週間前の剣山登山の時に、一の森(912m)で休んでいると、林の中で咲いていたムラサキツツジのまわりを、このミヤマカラスアゲハとキアゲハがそれぞれ一匹ずつ飛び回っていた。
さらには、もうずいぶん前のことだが、あのペテガリ岳(1736m)の頂上で、キバナシャクナゲの花に止まっているキアゲハを見たことがあるが、高山蝶でなくてもあんな山の上までも飛んで行くことができるのだと(上昇気流に乗って来たのだろうが)、感心したことがある。
昆虫や動物たちの能力については、まだまだ私たちのうかがい知ることのできない世界が、幾つもあるのだろう。
そこで、最近見たテレビ番組からだが、いつも見ているあのNHKの「世界のネコ歩き」から、今回は京都の猫たちの話だったが、随所に京都らしさを取り込んっでいて、なおかつチャンスを逃さない岩合光昭氏のカメラワークには、いつものことながら感心することしきりだった。
さらには、岩合氏に関するもう一本。今では、こうして猫の写真家として有名な岩合氏だが、最初は父親の跡を継いで、野生動物写真家として出発したのだが、そうした経歴も併せて伝えていて、岩合ファンにはどうしても見ておきたいドキュメンタリー番組である。
それは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」であり、彼の長い動物写真家としての経験と、撮影相手に対する同等の視線を持った撮影ぶりには、なるほどと納得させられることばかりだった。
彼は、動物写真家として身を立てようと、思いを込めてアフリカに渡り、肉食獣と獲物としての草食獣との間の、ギリギリの命の闘いをとらえようと、根をつめて待ち構えていた時、ふと見た動物たちの日常のひと時に、思わず心打たれたのだという。
それは、例えばキリンが首を伸ばして、とげだらけのアカシアの葉を食べるさまだとか、ライオンの親子がくつろいでいる時の安らぎの光景(あの『National Geographic』誌の表紙を飾る)が、彼の目をとらえ、何も熾烈(しれつ)な闘いだけが動物のすべてではなくて、こうした普通の日常の中にこそ、動物たちの真実があるのではないのかと気づいたというのだ。
思い返せば、私が岩合氏の名前を強く印象づけられたのは、ずいぶん前のことだが、確か『アサヒカメラ』誌の表紙と口絵を飾っていたホッキョクグマ(シロクマ)の写真であり、あの北極圏のツンドラを彩る一面の赤いお花畑の中に一頭のシロクマが座っていたのだ。穏やかな表情をして。
その時の、もう二度と見つけることはできないだろう見事なロケーションと、シロクマが人間のように座り込んでいるというそのシャッターチャンスに、そして、あの星野道夫氏の遭難の恐怖を背後に抱えながらも、夢中になってカメラのシャッターを押し続けたであろう岩合氏、私はしばらくその写真から目を離すことができなかった。
テレビを見ることは、幾つかの定期的に見ている番組を除けば、いつも偶然の出会いでしかないのだが、これはニュース・バラエティー番組の中の一つとして、ほんの数分足らずの特集だったのだが、それは全国的にも問題になっている、”市街地商店街の過疎化”の問題に関連する小さな特集であり、その商店街の賑わいを取り戻すための一つの方策として、北海道は小樽市の商店街にあるお店のご主人の思いつきで、店の前に誰もが弾いていいというピアノを一台置いたところ、ピアノを弾ける老若男女が立ち寄っては弾いていくというだけのもので、それだけでも周りの皆は楽しそうだったのだが、何番目かに映し出されたのは、いかにもそれとわかる白い割烹着(かっぽうぎ)に、料理人の帽子をかぶった、近くの料亭のご主人だとかいう人であり、彼はゆっくりと腰を下ろして、ピアノの鍵盤に指を下ろした。
流れてきた曲は、何と、ドビュッシーのあの「月の光」だった。
それまでに皆が弾いた曲は、アニメソングやポップスにジャズなどのリズム音楽ばかりだったのに、ここでクラッシックの名曲の一節が流れてきたのだ。
それも初老の、日本料理店のご主人が弾いているのだ。
インタヴュー・マイクを向けられた彼は、照れくさそうな笑みを浮かべながら答えた。
”本当はもう仕事を辞めて、好きなピアノを弾いていたいのですけれどもね。”
その彼が映っていた、おそらくは数十秒にも満たない映像の中に、彼の人生の一コマ一コマの影像が切れ切れに流れていったかのようだった。
あしたの天気予報は、見事な晴れマークだが、まだ前回の山での疲れは十分には取れてはいないし、ヒザも心配だ。
それだから、いつも通りにのんびりと、ぐうたらに家に居て、少しだけ庭仕事をして、山々を眺め、家の林の中を歩き回ることにしよう。
それが、今の私の楽しみなのだ。