4月3日
今日は、周りの山々がくっきりと見えるほどの、晴れ渡った快晴の空が続いた一日だった。
朝の気温は、-1度にまで下がって、風はまだ冷たさを残していたが、日中の気温は15度近くまで上がって、日の光があたりをキラキラと輝かせ、これはもう全くの春の景色になっていた。
庭のウメは半分ほど散って、次に咲くヤマザクラのつぼみは、まだ膨らんできたばかりだけれども。
山に行くには最高の日和だったのだが、私はこうしてブログ書きのキーボードを叩いている。もう一月半も山に行っていないのだ。
そのためでもあるのだろうか、このところ山の夢を三回も見てしまった。
それは、今まで私が登ったことのある山のようだったり、登ったことはないが、テレビ番組で見ていつかは登りたいと思っている山のようだったり、さらには雪の季節のものであったり、雪のない新緑のころの山だったり。
そしてそこでは、いつも、何かの問題が起きて、どうするかを決めなければならない場面だったりで、落ち着いて頂上からの眺めを楽しむこともできないままの、寝覚めの悪い、いささか心残りのある夢だったのだが。
つまりそれは、いつもはぐうたらにのんべんだらりと生きている私が、その実、常日頃からいくつかの心配事を抱えている、ということの証しなのかもしれない。
そして、夢の中でその不安が、山に登りたいという思いと重なって、深層心理としての夢の映像を作り上げたのだろう。
こうして、山に行かない日々が続くと、いつも書いているように、無性に歩きたくなる時があるのだ。
数日前もそんな気持ちで、いつもの坂道遠歩きに行ってきたのだが、途中の光景のほとんどが、それまでの冬の景色とはまだ大差ないようにも見えるのだが、一方では、ところどころにウメやヒガンザクラさらにはアセビの花が咲いていたりして、それだけでも十分に春なのだと思えるし。
上の写真、桃色の花のアセビ(馬酔木)は、民家の庭先に咲いている栽培種のものであり、もう少し後になって咲き始める山のアセビの花の色は、ほとんどが白い色のものであり、たまにもっと淡い桃色になるものがあるくらいである。
しかし、いつも思うのは、これほど多くの小さな花を咲かせて、受粉し種を作るというは、その仕事効率があまりによくなくて無駄なようにも思えるが。
もっとも、人間側から見れば、その鈴なりの姿こそがきれいであり、ありがたいことでもあるのだが。
それは今咲いているウメや桜の花についてもいえることだが、植物たちの中でも、ある種では数多くの花をつけて、またある種では数少ない花だけでと、それぞれに受粉種子の形を進化させてきて今の形になったのだろうが、考えてみれば、それは今という時点にいる私たち人間の眼から見ただけのことであり、これは地球史規模で見れば、まだどうにでも対応可能な進化の半ばにある形なのかも知れないのだ。
NHKの新しい『グレート・ネイチャー2』のシリーズは、その予告ダイジェスト編を見ただけでも、期待を持たせるものだったのだが、こうして始まったシリーズを見ていると、あのイギリスの公共放送局BBC的な洗練されたカメラワークと相まって、地球上の生き物たちのまた新たな生態を見せつけられることによって、今の時代に生きる私たちが、いろいろと考えさせられてしまうのだ。
人類は、地球上のありとあらゆる、多種多様な生物植物体系に、取り返すことのできないほどの悪影響を与えているのではないのか、たかだか70億ぐらいの数の人間が、その数とは比較にならないくらいの、天文学的数字にのぼるほどの数が存在している、他の生き物たちに対して。
もともと誰でもがそうであるように、若いころに一度くらいは、ダダイスム(虚無的破滅主義)ふう的な思想の影響を受けているから、頭のどこかにはその加害者としての”人間の存在そのものが悪である”という意識が残っていて、こうした自然環境・生物たちのドキュメンタリー映像を見ると、いつも考えてしまうことになるのだが。
もっとも、この”人間悪”を認めれば、当然、自分の存在もなくなるから、理論として成り立たなくはなるのだが。
ということは、人間の進歩がまだ自然環境などに大きな影響を及ぼさなかった時代、歴史年表的に言えば、”人類大発展”のきっかけともなった産業革命以前の世界のころのように、自然をゆるやかにほんの少しずつ浸食し食(は)んでいただけならば、人間の存在は決して”悪”の存在ではなかっということになるのではないか。
つまり、地球上の生物や植物たちがそれぞれに、お互いの領域を犯さずに、自分の領域内だけで生きていて、無関心であるかそれとも、無駄な争いを起こさないために、無関心であることを装っていた時代こそが、地球上の生き物たちにとっては、一番平穏平和な時代であったのかもしれない。
しかし、人間だけが、自分たちの賢(さか)しらな知力に頼り、その欲望のままに、楽しみ生きることをむさぼり始めたのだ。
もう、元に戻れるものではない。
そういう私も、その時代という科学の進歩の流れの中にいる人間の一人なのだ。
ただ、なるべくならば、その時代の流れの中にある、大船団のただ中の一艘(いっそう)でありたくはない。
彼らからは遅れていてもいいし、少しは不便でもいいから、時には野の花が咲く岸辺に流れ着き、そこはかとない時の移ろいを感じることのできるような、粗末な草船の一艘でありたいと思う。
「疲れたら憩(やす)むがよい 。彼らもまた、遠くはゆくまい。」
(尾崎一雄『痩(や)せた雄鶏(おんどり)』)
(『人生の実りの言葉』中野幸次 文春文庫より)
これは、十数年前に読んだ文庫本の中の一節にあった言葉だが、出典元のその前後の文章も読みたくて調べてみたが、私の持っている全集本(『新潮現代文学5』尾崎一雄)にはなく、他でも見つからなくて多少気がかりではあるが、もっともこの部分だけでも、今の私には十分に心に触れてくる言葉ではある。
ただ、この一文は、本来ロシアのある作家が書いた言葉だそうだが、それを尾崎一雄(1899~1983)が自分の短編小説『痩せた雄鶏』の中に書いていて、それを読んだ中野孝次(1925~2004)が自分の随筆集『人生の実りの言葉』の中の一節として取り上げて、さらに、それを読んだ私がまたここに取り上げてという、また聞きの伝聞表記になっていて、いささか心もとない気もするのだ。
しかし、またひとつ考えてみれば、私たちは、こうした近代文明の一大護送船団の中の一艘としてあるからこそ、ゆっくりと遅れてでも流れに乗ってついていくことができるのだ。
それは、良かれ悪しかれ、今の時代の便利さを享受したうえでの、ぜいたくな一言であるかもしれないのだ。
というのも、上にあげた『グレート・ネイチャー2』では、前にもその予告編での一シーンをここでも書いていたのだが、今回はその一部始終としての映像を見たのである・・・あの進化論で有名な、ガラパゴスの島の砂地の中で、卵からかえったばかりのイグアナの子供たちは、まず最大の試練の時を迎えるのだ。
その時をとばかりに、待ち構えている何十匹ものヘビたちの襲撃。
必死に逃げて、ヘビの来ない岩場の上まで逃げ延びたものと、ヘビたちに捕まって絞め殺され飲み込まれていくもの・・・両者ともに生きるための闘いなのだ。
それなのに、ぐうたらにのんべんだらりと日を過ごし、”彼らもまだ遠くには行かないだろう”とほざいては、年寄りのぜいたくで、好きなものをなめまわすように眺め味わい尽くそうとしている私は、”どんだけー” いやらしい、じじいかとも思う。
最近は、さらに万葉集が身近になって、寝る前には必ず数首の歌を読むのが習慣になっているし、古今和歌集や西行も気になるし、西鶴(さいかく)や近松(ちかまつ)の物語も好きだから人形浄瑠璃(じょうるり)の文楽や歌舞伎も見たくなるし(NHK・Eテレの歌舞伎座公演、「妹背山女庭訓(いもせやまおんなていきん)」での名役者と若手の演技)、さらには日本の民謡に昭和歌謡と耳を傾けては(美空ひばりはやはり空前絶後の存在の歌い手だったと思うし)、今の歌も、”いきものがかり”(一時解散が残念) にAKB乃木坂が好きで(車の中ではいつも自作のCDを聞いているほどだし)、ジャズも(先日のNHK・BSの「チック・コリアとハービー・ハンコックの”ブルーノート”演奏会」は良かったし)、さらに相変わらずにクラッシック番組は聞き逃せなくて(先日NHK・Eテレでマーラーの5番)、さらに昔の映画と昔の絵画に昔の小説とくれば、もうこれは立派な、”おひとり様ヒマつぶし老人セット”になっているのであります。
さらには捲土重来(けんどじゅうらい)を期して、何とか悪いヒザを直して(薬など余り飲みたくない私が、NHKの「ガッテン!」に影響されて、コラーゲンなるものを飲み続けているのではありますが)、日本中のまだ登り残した山々に晴れた日に登りたいと思う、”ごうつくばり”じじいの哀れな一心が、果たしていかなることに相成りまするか、本日の恥知らずブログの拙(つたな)き一文は、これにて一件落着と相成りまして御座いまする。チョーンチョンチョンチョン・・・。