4月24日
全く申し分のない、晴れた日が3日も続いた。
快晴の青空、日の光に照り輝く新緑の樹々、さわやかな風。
この1週間ほどの間に、4回もの山歩きをした。
そのすべてが、家から歩いて行ける所ばかりであるが、そのうちの一回は、いつもの裏山登山であり、往復4時間以上かかっているから、立派な登山と言えるのだけれども、あとの3回は、新緑を求めての、ハイキングであり、沢歩きであったのだが、今日行ってきたのは峠越えの山麓歩きなのだが、4時間半もかかって、かなり疲れたから、これも十分な山歩きだったと言えるだろう。
昨日今日と、朝から快晴の空が広がっていて、とても家にじっとしてはいられなかったのだ。
それも前から気になっていた、あのヤマザクラを探しに行こうと思ったのだ。
数日前の、これまた快晴の日に、その日は少し風が強かったのだが、いつもの裏山に登って、咲いているアセビの花を楽しみながら下って行く途中、斜面のアセビの群落の向こう、杉林の尾根を挟んで遠くに、ヤマザクラがこれまた群れ集まって咲いているのが見えた。(写真上)
それは、ずいぶん前から気づいてはいたのだが、この裏山の登山道からの道はなく、もし行くとすれば、クルマで反対側に大回りをして細い林道を行くしかないだろうしと、二の足を踏んでいたのだ。
そして今朝、2日続いた快晴の空を見て、よし行こうと思ったのだ。あのヤマザクラを見たのは数日前のことだし、明日は雨の予報だから、花が咲いているのを見られるのもこれが最後だろうし。
いつもの裏山の登山口を出たのは、もう9時に近かった。
数日前に見た時と比べて、このあたりのヤマザクラはもう散っていたが、クヌギ、コナラやヒメシャラなどの樹々はもうすべてに新芽が出ていた。
杉林から、急斜面を登って台地に上がり、そこで登山道を外れて、大体の方向だけを決めて明るい林の中を歩いて行った。
倒木は多いけれど、他に下草やササはなく、枯葉が積もっているだけで歩きやすい。鞍部の所から、植林地のヒノキ林の中をゆるやかに下って行く。
間伐した跡が残っていて、あたりを見回しながらさらに下りて行くと、はっきりとした、古いブルドーザー道に出た。
2万5千分の1の地図に載っている林道だ。
通常に使われている林道ではないから、所々荒れていて、トラックや4駆のクルマでも苦労しそうだったが、歩いて行くのには問題はなかった。
周りはヒノキや杉の植林地だが、よく手入れされていて、道との間には所々に新緑の広葉樹があって明るさをそえていた。
ゆるやかに登った後、今度は二度ほど大きくカーブを切ってゆるやかに下って行き、地図上に描かれている十字路に出た。
そこを右に曲がりゆるやかに下って行くが、もうそこからは、1車線の狭い道だけれども、所々が舗装されている立派な林道になっていた。
ただし、依然としてスギ・ヒノキの植林地が続いている。
冒頭にあげた写真の杉林の向こう側になるはずだから、もうあのヤマザクラが見えてくるのかと思ったら、まだこちら側の斜面から向こう側の斜面まで、ずっと植林地の林が続いていて、とてもあの写真のヤマザクラがどこにあるのかはわからなかった。
しかし、この二つの植林地の間は、沢水が流れる結構な谷になっていて、その谷沿いに新緑の広葉樹や一二本のヤマザクラが咲いていた。
そして、この谷間にはシャガがいっぱいに茂っているところが多くあり、さぞや花が咲いた時にはきれいなことだろうと残念に思っていたのだが、その中に混じって、二つ三つ白い花が見える。何とうれしいことに、それはヤマシャクヤクの花だったのだ。(写真下)
それまでは、なかなかあのヤマザクラが見える所にたどり着けずに、この道をたどってきたのは間違いだったのかと、半ば後悔しかけていたところだっただけに、うれしかった。
このヤマシャクヤクに励まされるように、さらに植林地の間の林道を下って行ったが、一向に辺りはすっきりと展望が開けてはくれない。
いつもの登山口から歩き始めて、もう2時間半近くになる。戻りにかかる時間を考えると、もう限度の時間だった。
林道から支流の小さな沢に入り、ようやく杉林の向こうにすっきりと見晴らすことのできる所を見つけて、そこで腰を下ろして休んだ。
あの写真のヤマザクラの所へは、行き着くことができなかったけれども、こうしていかにも日本の山らしい、新緑に輝く山の斜面を見ているだけでも、私は十分に幸せな気分になった。(写真下)
行きにゆるやかに下ってきただけに、帰りはゆるやかな上り坂でもつらく感じてしまう。
ただ励みになるのは、あのヤマシャクヤクの花にまた会えたことと、時々、植林地の木々の間からヤマザクラが見えることだった。
(あの時のヤマザクラとは違うにしても、こうして望遠レンズで撮ると、なかなかいい感じに撮れている。写真下)
遠くで、ツツドリの声が聞こえていた。
カッコウと比べて、少し早めになく鳥だが、それでも初夏が近いことを思わせた。
こんな古い林道歩きでは、車はおろか、人に会うこともなかった。
そこで、あの『新古今和歌集』(鎌倉時代)にある法印幸青(ほういんこうせい、法印つまり僧正)の歌を思い出した。
「世を厭(いと)ふ 吉野の奥の 呼子鳥(よぶこどり) 深き心の 程や知るらむ」
(『古典名歌集』”新古今和歌集”1475 窪田空穂編 河出書房)
これも、私なりに訳すれば、”世の中が嫌になり、吉野の奥山に引きこもり住んでいる私に、呼子鳥(カッコー)の声が聞こえてくる、私の本当の心のうちを知っているのだろうか”、となるのだが。
もともと、藤原定家に代表されるような、『新古今和歌集』の”幽玄余情”などの世界観は、奈良時代の『万葉集』や平安時代の『古今和歌集』などと比べると、技巧的だと批判されることが多く、この歌も、そうした”自分に酔っているような表面的な表現の歌にすぎない”と評されることが多いようだが。
誰でも、それぞれに人に対して物に対して好き嫌いがあるように、この歌も、例えとしては的確ではないが、昔風に言えば”デカダンス(退廃的)”を装ったあの太宰治を三島由紀夫が嫌ったように、”自分だけが深く考えている”のにと、歌に託して言う作者のこれ見よがしな態度が我慢できないのだろうが。
しかし、この歌を単純に受け取るだけの能力しかない私は、その言葉をそのままに理解しては、”世を厭う 吉野の奥の”のくだりで、もう、ただ静かな人もいないヤマザクラをひとり見るにつけてと、さらに呼子鳥(カッコー)の声を聞いては、山の旅愁にひと時ひたってしまうのだ。
”その人の心のうちは、その人にしかわからないものだ”と言ってしまえば、物事はすべて解決されずにそこでおしまいになってしまうが、それでも私は、誰に見せるでもなく、自分が自分の内なる心にあてて、一首を詠まれずにはいられなかったような歌もあるものだと思っている。
(なお”呼子鳥”については、カッコーだというのが定説だが、他にもヒヨドリとかウグイスとかホトトギスさらにはツツドリではないかという説もあるようだが、その声と時期から私的に解釈してみれば、ヒヨドリはうるさすぎるし、ウグイスはウメの花のころからだし、ホトトギスは飛びながらはっきりと鳴きすぎるし、カッコーはもう少し遅くヤマザクラが終わったころで声も明るすぎるし、時期的に言えば、ヤマザクラの咲いているころに、今日聞いたように低く哀愁を帯びた声で鳴く、ツツドリこそがふさわしいのではないのかと思うのだが。)
そんなことなどを考えながら1時間かかって、ようやく先ほどの林道の十字路に戻ってきた。
すでにかなり疲れていて、やれやれとここでも一休みするべく、倒木の上に腰を下ろしたが、さてこれからが問題だった。
最初のうちは、整備された林道だったがすぐに荒れてきて、先にはクルマでは無理なブルドーザー道になった。
しかし、このままブル道を下りて行けば、別な方向へ下って行ってしまう。
地図を見て、さらに高度計の時計で高さを計測して、深い谷の対岸にある、行きにたどった登山道へ戻るべく、この谷を越えることにした。
まずは、苔むす倒木帯を越えて河岸の高みに出ると、そこは、高さ20メートルほどの土の崖になっていた。
どこから下りようかと、上流下流を見回して、木々の枝に捕まって下りれるような所はないかと探していたところ、この崖に斜めになって下りる細い踏み跡があるのを見つけた。たぶんシカの踏み跡道だろうが、ありがたくそれを利用させてもらい、倒木をくぐりまたいで谷の下まで降りた。
今度は、同じく急な崖への登り返しだ。
見回すと、60度以上の勾配がある崖が続く中、少し下った所に小さな尾根となってせり出している部分があって、そこには人の踏み跡もあり、何の問題もなく上へと登ることができた。
後は、見覚えのある林の中を横切って、いつもの登山道に出た。
往復4時間半ほどの、地図と高度計が頼りの山歩きで(方角は、天気の良い日は周りの地形や山の形で判断できるから、今回は一度も使わなかったが)、 道なき所を歩き抜けたりして、とてもいい歳をした”じじい”がやるべき山歩きではなかったが(逆に言えば、この年になってもまだ山への探検心があるのだということではあるが)、さらに”幻のヤマザクラ”になってはしまったが、ともかく快晴の空の下、ヤマザクラを求めての、いい山歩きの半日だったのだ。
ありがとう、母さん、ミャオ。
もういつも年なら、とっくに北海道の家に戻っていて、まだ雪に覆われた日高山脈を眺めながら、家の内外の片づけにに忙しい毎日を送っているころなのだが、しかし、今では北海道の家に戻ることが、それほどまでの愉(たの)しみではなくなってきたのだ。
それは、なんといっても水に不自由し、風呂にも入れず、溜め置き式のトイレが外にあるということが、私の気持ちを引かせてしまうのだ。
若いころには、それが少しも苦ではなく、むしろ野趣あふれる田舎暮らしだとさえ思っていたのに、年寄りになった今では、とても耐えがたく思われてきたのだ。
だから今、私はここ九州にいて、まだぐずぐずとしているのだ。私の後半生に深くかかわってきた、あの大好きな北海道なのに・・・。