2月27日
朝の気温は、さすがにまだ2月の季節どおりに、マイナスの日が続いていて、時おり朝、薄く雪が積もっていることもあるが、それはまさに春の淡雪で、すぐに溶けてしまう。
晴れた日には、気温は10度を超えて、時には家から続く坂道を、ずっと上まで登って行きたくなる。
いつもの、往復1時間以上はかかる、長歩きの散歩なのだが、まだ冷たい西風が残っていても、今ではどこか、その風当たりや空気に、ほのかな柔らかさが感じられるようになってきた。
周りの樹々は、冬枯れ枝のままで、さらには、枯葉をつけたままのカシワやコナラを見ても、まだ季節は変わってはいないと思うのだが、背景の裏山と青空との間には、もう冬の厳しい張り詰めた空気は感じられないのだ。(写真上)
別にそうして、春のきざしを一つ一つ並べあげていかなくとも、カレンダーを見れば、明後日には3月になってしまうのだ。
ともかく、そうして坂道を登っていた時、すぐ上のヤブに囲まれた日当たりのよい斜面から、”キョーン”鋭い声が一つ二つと聞こえた。
今の時期に、こんなところを歩く人は余りいないものだから、驚いたシカが発した警戒音だった。
それに続いて、”ダダダー”と群れになって逃げてゆく姿が見えた。
新緑の春からまだ青草が残る秋にかけては、山にいることが多いシカたちも、冬の間はこうした人家近くの山里に降りてくるのだ。
その被害たるや、毎度ここにあげるのもしばしばだが、減るどころか増える一方で、たまにこの集落から離れた山のほうで鉄砲の音がするのだが、さすがに頭の良いシカたちは、人家のそばでは発砲できないことを知っているかのように、こうして家々の近くの、日当たりのよい藪の中で休んでいるのだ。
本来は、夕方から朝早いころまでが彼らの行動時間なのだが、最近では、日中でも人の姿を見ても距離があれば逃げようとせずに、ササや木の皮や小枝などを食べているのだ。
もちろん周りの民家の人たちも、その度重なる被害に手をこまねいてあきらめているわけではなく、ハウスや防護網などだけではなく、一部では電気柵さえも設置して対策はしているのだが、それでも被害は出てしまう。
家でも今までにも、春先の草花はもとより、一部の樹々にさえ被害が出ていたのだが、アオキの葉を食べつくしただけでなく、食べる所もないと思われるヒノキの若木の皮をはがしていたこともあったし、さらにこの冬は何と、前回写真にあげたシャクナゲの、それとは別のシャクナゲの若木の葉と花芽を食べてしまったのだ。(写真下)
ただそれでも、幹の皮をはいで食べたわけではないからすぐに枯れることはないだろうが、葉をなくした木々の被害は決して軽いわけではなく、元に戻るまでは1年以上はかかるだろう。
そうした、シカの被害で忘れられないのは、前にもここであげたように、家の近くにあった大きなネムノキの、その幹の周りをぐるりと皮をはがされ、その下の生木の部分までをかじられてしまったことで、その木は翌年から枯れ始めて、とうとう土地の所有者が危険だからと切り倒してしまった。
毎年、夏になると虹色の花を咲かせていたあのネムノキ・・・富山側から北アルプスに入る時に(剱岳、立山連峰、大日三山、五色ヶ原に薬師岳などへの)起点になる、富山鉄道の終点立山駅、あの駅に近づくころに、谷あいの斜面にいつも咲いていた、何本ものネムノキの花を見るのが楽しみだったのに、もう何年もの間、夏の季節には行っていないのだ。
・・・もう一度、あのネムノキと立山の山々を見たい、釼や奥大日や薬師の頂きに立つことはできないとしても。
”彼は最後の力を振り絞って起き上がり、虚空(こくう)に向かって手を伸ばし、何かの山の名前をつぶやいては、そのまま倒れ込んでしまった。
その口元に、かすかな笑みをたたえながら。
それが、昭和ロマンの時代に山に登り続けてきた、彼の人生の最後の時だった。”
こうして、私は”妄想族”らしく、また新たな、自分の最後の時を思い浮かべてみるのだが。
もちろんそうして、自分の最後の時をできることならと想像するのは、誰にでもあることであり、例えばここでも何度も取り上げたことのある、あの有名な西行法師の歌だが。
「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ」
この歌は、古代国家の王族たちのように、巨大な墳墓や豪華な埋葬品に託して、死後の世界にまで現世の世界の続きを望んだものではなく、ただ風流な季節の景観の中で、ひとり潔(いさぎよ)くこの世に別れを告げて、極楽往生を遂げるべく望んだ思いを託しただろうと思うのだが、ここでもう一つ、同じ『山家集』に収められているものの中からの一首(1520)。
「うらうらと 死なむずるなと 思いとげば 心のやがて さぞと答うる 」
(この歌の中の、”思いとげば”という部分を、”思い解けば”と解釈する読み方もあるが、ここでは、”思い遂げば”という意味にとらえて、私なりに勝手に解釈してみたのだが。”何げなくやがては死ぬのだろうと考えていけば、心の中でそうなのだよと答える声が聞こえる”というふうになるのだろうか。参考文献:『西行』西沢美仁編 角川ソフィア文庫、『中世的人間像』「西行」西田正好著 河出書房新社)
この歌の後に、上にあげた「願わくは・・・」の歌を連ねて読み解けば、それらは決して悔恨や未練からくるこの世への訣別の歌ではなく、心静かに満ち足りた今を送る、その西行を取り巻く自然への、この世に対する惜別の歌であったように思えるのだが。
前回、ゲーテの格言の一つをあげたように、自らの心の安寧(あんねい)は、すべからく際限ない我欲を抑えることにはじまると思っているから、こうした人生の先達者の言葉を繰り返し聞けば、これから続く更なる先の道へと思いを深くするばかりである。
そこで、今回のブログ記事の題名「片方の靴下」であるが。
もう3週間ほど前の話だが、ある晴れた日に、いつものように洗濯をしてベランダに張ったロープに洗濯物を干したのだが、洗濯機に入れたはずの靴下の片方がない。
まあそんなことはよくあることで、ベランダまで運ぶときに落としたり、時には他の洗濯物の中に張り付いていたり、あるいはそもそも、洗濯機の中に入れずに部屋の片隅に残っていたりなどと、すぐに見つかることがほとんどだったのだが、今回はそれでも見つからない。
それで、壁の隅に置いてある洗濯機と壁との隙間を、懐中電灯で照らして探したがない。
それでは、洗濯物をベランダで広げて払ったときに、下の地面に落ちてしまったのかと探したがない。
何かと間違えて、近くにあるゴミ箱に捨ててしまったのかと探したがない。
あの内田百閒(うちだひゃっけん、1889~1971))のネコ小説『ノラや』(中公文庫)ではないけれど、次の日も次の日も探してみたけれど、どこにもいない。
そして、私は少しずつあきらめていくしかなかった。
私は若いころから、靴下にこだわるつもりなどなく、ずっと4足1000円のスクール靴下をはき続けていて、冬だけは最初は山用のおさがり靴下を、そしてさらには少し厚手のもこもことした冬用靴下を買い足してはいていた。
ところが、この厚手の冬用靴下は、内側ですぐに毛玉ができて、2,3年と持たずにすぐに一部が透けるほど薄くなり役に立たなくなってしまう。
そこで、ケチな私が奮発して、2足1500円の、ブランド名が織り込まれた厚手のロング・ソックスを買い、はいてみたのだが、さすがに高いだけあって、はき心地が良いしズレないしと、逆に登山用としても使うほどで、今では合計4足も持っている。
その靴下の、片方がなくなったのだ。
それまでのスクール靴下なら、同じ白や黒の靴下はいくつでもあるし、片方の足裏がすり減って破れた時のスペアとして取っておけばいいのだが、この厚手のロングソックスは、4足それぞれ色もロゴ名も違っていて、スペアにすることもできずに、それでもあきらめきれずに、三日ほどは探し回ったのだが見つからなかった。
そこで区切りをつけた。
靴下は、地面に落ちてイヌやネコなどがくわえていったか、誤ってごみとして捨ててしまったかで、今後は気をつけることにしようと。
そして、片方の靴下は、山用のストックやピッケルの先端の保護カバーとして使えばいい。
そして、結末はいつもごく簡単に、意外な形で現れるものだ。
三日前のこと、洗濯機の前でリンゴを落とし、拾おうとして腰を落とした時、洗濯機の下の部分が少しふくらんだような色になっていて、どうしたのかと思って触ってみたら、それは布だった。
引っ張り出してみると、それは3週間もの間、見つからなかったあの靴下だった。どひゃー!
つまりそれは、思うに洗濯物を洗濯機から取り出すときに、いつも面倒だからと、カゴを使わずに腕に抱えてベランダまで運ぶのだが、その時洗濯機のそばに落とし、二度三度と洗濯物を腕の中に収めているときに、その落とした靴下を知らずに洗濯機の下に蹴りこんでしまっていたのだ。
探していた時も、まさか見えている洗濯機の前面にはと、かがんでのぞきこむこともせず、残りの三方向の壁などとの隙間だけ探していて、さらにはその靴下が明るいグレーだったから、洗濯機の白と似たような色で区別がつかなかったこともある。
ともかくこうして、一件落着した。
全く他人には、どうでもいいような、”しょーもない”話だろうが、私にとっては、これまた様々な示唆(しさ)に富んだ小さな大事(おおごと)だったのである。
それはつまり、前回(2月20日の項参照)にあげたゲーテ(1749~18329)の言葉の意味するところであり、それはまた以下にあげる有名な老子(ろうし、紀元前604~532)の言葉の中にもあり、そして、今までここで何度も上げてきた、吉田兼好(1283~1350)の『徒然草(つれづれぐさ)』へと、大きく時代を隔ても受け継がれてきた思いだとも言えるからだ。
「足る(こと)を知るものは富めり。強(つと)めて行う者は志(こころざし)有り。」
(持っているだけのもので満足することを知るのが富んでいることであり、自分を励まして行動する者がそのこころざすところを得るのである。『老子』小川環樹訳 中公文庫)