ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

紅葉の伽藍(がらん)

2016-11-14 21:13:42 | Weblog



 11月14日

 この週末にかけて、晴れた天気の日が続いていた。
 特に、土曜日は、終日快晴の青空が広がり、風も穏やかで暖かく、晩秋の紅葉を眺めての山歩きには、もってこいの日だった。
 それなのに、いつものように、休日の山での雑踏を避けたいと思っている私は、さらにはまだヒザの状態が思わしくないこともあって、一日中家にいて、洗濯をし、掃除をし、こたつ布団を干しては、ベランダでゆっくりと新聞を読んだりして、のんびりと時間を過ごした。
 もちろん、こんな天気のいい日に山に行けないなんてと、歯ぎしりしている自分がいたのも確かだが、もう行かないと決めたからには、家にいてできることを楽しんだほうがいい。
 小春日和の暖かい日差しを浴びながら、庭仕事をしたり、そのついでにと、少し歩いた所にある、今は誰もいない家の庭に植えられている、モミジ・カエデ(以下モミジで表記)の紅葉を見に行ってきた。

 確かに山好きな私にとっては、山で見る、自然に生えているモミジのほうがいいのだけれども、こうして家の庭の周りに植えられている、数本の良く茂った植栽用のモミジを見ると、やはり、その圧倒的な数の紅葉の葉がおりなす色艶(あで)やかさに、思わずひきこまれてしまったのだ。
 そのモミジの樹々の下に行って見上げれば、そこは極彩色の伽藍(がらん)の中であり、陶然(とうぜん)とした気分のまま、動けなくなってしまうほどだった。(写真上)

 どこかで同じような、体験をした記憶があるのだが・・・それは若いころに行った、ヨーロッパ周遊旅行の中で初めて見た、教会聖堂のステンドグラスの輝きだった。
 フランスはパリの、サント・シャペルとノートルダム、そしてシャルトルの大聖堂、ドイツのケルンの大聖堂、イタリアはミラノのドゥオーモなど、たちどころにいくつかの名前が思い浮かんでくるが、考えてみれば、それぞれの国で見たそれぞれの教会には、大きさ形こそ違え、そびえ立つ高い伽藍の内部には、どこでも、その高みから神の光が下りてくるような、様々な色合いのステンドグラスが飾られていたのだ。
 そこで話を元に戻せば、私が見た家の近くのモミジの紅葉は、高い樹々の伽藍の中で、輝かしい光の反映に満ち満ちていて、これもまた自然という、神の恩寵(おんちょう)の”しるし”としての、光だったのかもしれない。

 紅葉にも、姿かたち、数などからなる様々な美しさがあって、それぞれに独特の個性があり、一概に比べられないものなのかもしれない。 
 山の中の一本のモミジの紅葉の美しさと、民家の周りに植えられた数本のモミジの紅葉の美しさとは、それぞれに意味合いが違うように、それはまた、春の新緑の山の中に、ただひとり咲く一本のヤマザクラと、枝もたわわに花を咲かせる、数十本や数百本ものソメイヨシノの並木道の眺めとを、比べ物にはできないように・・・つまり、それは当然のことながら、いずれの場合にも、それぞれの、鑑賞すべき美しさがあるということだ。

 さて私は、先週の絶好の天気の日にも山に行かなかったと書いたが、確かに週末の混雑を恐れていたこともあるが、それ以上に、ヒザがこれ以上悪化してはという心配のほうが強かったのだ。
 実は、前回書いたように、九重山は黒岳の登山で少し無理をして、ヒザ裏が痛くなっていたままで、それはその前の週のことだったのが、その後も続く晴天にガマンできなくなり、午後から出かけて、いつも行く家の裏山に登ってきたのだ。
 その慣れ親しんだ山には、家から登山口になる所までも、歩いて登ることにしているのだが、今回はひざの不安もあって、登山口まではクルマで行ったのだが、それからはゆるやかな登りが続いて、ヒザの負担も少ないだろうと思って歩き続け、結局は上り下り同じ時間がかかって、3時間もの登山になってしまった。
 その時から、もう1週間以上もたつのに、夏から続くじん帯損傷によるヒザ裏の痛みが、いまだによくならないのだ。
 このたびの九重黒岳登山で無理をして、しばらくおとなしくしていればいいものを、この秋早めに戻ってきたのは、九州の山の紅葉を見るためだったのだからと自分に言い聞かせいて、それだからこそ、九州の山の”ゆく秋”にいてもたってもいられずに、無理を通しての登山になってしまったのだし、まさに自業自得ではあるのだが。

 その上、この山は標高の低い里山であり、もともと昔から里の人たちによる伐採の手が入っていて、他の日本中の低山帯がそうであるように、スギ・ヒノキの植林地か、伐採後の二次林の広葉樹林帯があるだけで、自然林の紅葉は数少ないのが実情である。(前回登った黒岳は、九州の山では珍しく、山麓近くから自然林に覆われている。)
 それでも谷沿いには、多くの紅葉・黄葉の木々があるのだが、いかんせん標高が低い分、まだ色づき始めたばかりだった。
 上の尾根のあたりには、ミヤヤマキリシマの株がいくつかあるのだが、その一つには、いっぱいに季節外れの花が咲いていた(もう枯れた花が多かったが)。
 
 帰りは、もと来た道を戻るべきだったのだが、この時期に登るのは初めてだし、もう一つの尾根の紅葉はどうだろうかと、南尾根を下ることにした。
 しかし、この道は今ではもうほとんど人が登らず手入れもされていないから、ほとんど廃道の状態に近くて、カヤやササがかぶさって足元が見えずに危険だし、また反対側の登り口からの道も、もともと両側にササが高く茂る道だったのだが、今ではそのササ被りの上に倒木などもあって、元の道が全く分からない状態になっている。
 その上、私は途中にあった、見事に黄葉した木を見に行くために、さらなるヤブこぎをして近づいて行って、そのエノキの立派な姿を目の前に眺めることはできたのだが(写真下)、さて、その今まで何とかたどってきた道がどこなのかわからない。
 右に左に高いササをこいで足元にあるだろう道を探すのだが、見つからなくて、強引に、今まで何度もたどったことのある登山口のほうへと向かい、先のほうで、ようやく道に合流することができたのだ。
 そのあたりは比較的ゆるやかな所で、天気も良くて、周りの山腹の高低の状況も見えていたからよかったようなものの、とても年寄りが踏み入るような道ではなかったのだ。



 ただし、そのヤブこぎの苦労あってか、見事なエノキの黄葉を見ることができたし、少し薄くなったササヤブの所には、なんと今の時期に、それもこんな所にと思うような、一輪の花が咲いていたのだ。
 その時は一瞬、わが目を疑ったほどだが、しゃがみこんで見ると、それは薄紫の小さな花の集まりが一房になった、たぶんアサツキやネギの仲間だろうと思ったのだが、他にもう一輪あっただけで、群生というほどではなかったし、ただ、あの北アルプスは白馬岳周辺に咲く、シロウマアサツキの花を思わせた。

 さっそく、家に戻って調べてみると、珍しくもない、ヤマラッキョウの花ということだった。
 それでも私としては、道を迷ったがゆえに見つけた、エノキの黄葉とヤマラッキョウの花だったのだ。
 こうして、思わぬ出会いに喜んだのもつかの間、私はその後、持病のヒザがさらに悪化するという代償を負ったのだ。

 そして、さらに天気の良い日が続いても、私は家にて、近くの紅葉を見に行くくらいで、山に登ることもなく、穏やかな日々を送っていた。
 そこで、前にもここであげたことのある、『ラ・ロシュフコー箴言(しんげん)集』 (二宮フサ訳 岩波文庫)からの幾つかの言葉を。
 ちなみに、この本の作者であるラ・ロシュフコー公爵(1613~80)は、フランスの17世紀ブルボン王朝ルイ13世と14世の時代に生きた、当時の有力貴族の一人でもあった。

 「人は決して今思っているほど不幸でもなく、かつて願っていたほど幸福でもない」

 「われわれに起きる幸不幸は、それ自体の大きさによってではなく、われわれの感受性に従って大きくも小さくも感じられる。」

 さらにこれは、若き日の自分には言えることでもあるが、思い返せば、その頃の自分がかつてそうであったように、哀れにも、あるいはほほえましくも思われるのだが。
 
 「人はしばしば、自分が不幸に見えることに、ある種の喜びを感じることによって、不幸である自分を慰める。」 


 それにしても、最近はさらにぐうたらになってきて、せっかく予約録画した、大好きだったロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』はおろか、他のクラッシク番組に、幾つもの山の番組、美術番組、歌舞伎、映画などなどと録画がたまるばかりで、一向に見る気にならないのだ。
 
 かといって、すべてのテレビ番組に興味がなくなったわけではない、たまに見た民放のバラエティー番組でも思わず見続けてしまうものもあるし、ただ、あのNHKの『ブラタモリ』だけは、放送があるたびに欠かさず見ているし、なんといっても歴史から地理、地形、地学などの分野にまで手を広げた、ある種の教養的な謎解き番組であることが面白く、そこにタモリならではのユーモアを加味してという、今までになかったスタイルの旅番組というのが素晴らしい。相方の近江アナウンサーも、九州福岡局在任時と比べると、すっかりアカ抜けしてきれいになっているし、初々しさと慣れの加減がちょうどいい。
 
 さらにもう一つ、欠かさず録画して見ているのは、NHK・BSの『AKB48SHOW』である。
 相変わらずのAKBファンである私は、先月末の長時間歌番組、『ハロウィン音楽祭』はもちろん録画して、AKB・乃木坂グループの歌のところだけだけをまとめて、20分ぐらいに編集していて、ことあるごとにその孫娘たちの歌い踊るさまを見ては、心楽しい気分になって、このじじいめのささやかな癒(いや)しになっているのです、はい。

 というように、部分的な熱意は残っているのだから、すべてに興味がなくなったわけではなく、ただ前にも書いたように、ロックにジャズ、クラッシクと聞いてきた私が、今ではアイドル・グループAKBの歌を多く聞くようになったということは、前にも書いたように、年を取り、次第に”幼児帰り”をしていてゆくという予兆なのかもしれない。
 とすれば、そのうちに、あの有名な映画『E・T』のラストシーンのように、乳母車付きの自転車に乗せられて、今日のスーパームーンのような月の向こうに、運ばれて行くのではないだろうか・・・。