ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

紅葉年々歳々

2016-10-31 20:51:30 | Weblog



 10月31日

 ”年々歳々 花相似たり 歳々年々 人同じからず”

 あの『唐詩選』(岩波文庫)よりの、劉希夷の有名な「白頭を悲しむ翁に代わる」からの一節である。
 この秋、九重(くじゅう)の山に登っている間、私はずっとそのことを考えていた。 
 いかようにも解釈できる、永遠なる自然へのあこがれの思いと、限りある命なるがゆえの嘆息のひと時・・・。
 もっとも、そう感じることのできる今を、私は、生きているのだが・・・。

 このたび、いつもの年よりはずっと早く、北海道から九州に戻ってきたのだが、その理由の一つは前回書いたように、私が最も親しんでよく登っている九重の山の紅葉を見るためであった。
 数えたことはないけれども、九重の山に登るのは、雪氷を見るための冬の時期と、シャクナゲにミヤマキリシマツツジを見るための、春から初夏にかけての時期が最も多く、それぞれ数十回は行っているのだが、夏山の記憶は若いころに三度ほどあり、近年では、二度ほど初歩的な沢登りを楽しんだことがあるだけで、さらに秋山に至っては、それも紅葉の盛りを過ぎたころに、これまた三度ほど行っただけなのである。
 それだから、冬の九重と花の時期の九重については、今までだけでも、十分に堪能(たんのう)することができたとは思っているのだが、いかんせん暑い盛りの九州の夏山はともかく、この色彩あふれる紅葉の時期の九重に登っていないのは、”四季の山を愛する”などと日ごろからうそぶいている私にとっては、どこか後ろめたい気がするままに、残されていた大きな課題の一つだったのだ。
 それも、”じじいへの道”を歩み始めた、この年になって初めて、何よりも先に登るべき山だ気づいたのだ。
  
 人は、自分の命に限りがあることを知ってから、その残りの時間の間に自分ができることを、と考えるようになるものなのだ。
 前に何度も書いたことのある、ドイツの哲学者、ハイデッガー(1889~1976)がその著書『存在と時間』の中で言った言葉が、重く胸に響いてくるのだ。
 それは、私なりの勝手な解釈ではあるが、”死を意識することで、本来の時間を知り、初めて生きている意味がわかるようになる”、のだと自分なりに理解している。 

 しかし、こうしたこむずかしいことを、山の中を歩きながらずっと考えているわけではない。
 ただ、そうした命題の一つがふと頭の中に浮かんでは、ほんのひと時の間、自問自答を繰り返しただけというのが本当のところだ。
 思えば、山にいるときのほとんどの時間は、周りの景色に対する反応と、歩き続けるだけの体力的疲労を感じつつ、いつもこの道の先に続く、次なる場所への思いをはせているだけなのだ。
 もっともそうした、自然の中にいる一匹になることが、昔の人間も感じていただろう、そんな先祖返り的な、まさに動物的に行動するという。心地よさを含んでいるものなのかもしれない。 

 さて、その日は、風も弱く、終日快晴の素晴らしい天気の日だった。
 こちらに戻ってきてから、すぐにでも、翌日にでも山に行く気ではいたのだが、あいにく三日ほど雨降りの日が続いて、じれったい思いでいたのだが、前日の天気予報でも全九州的に晴れのマークがついていて、朝起きてみれば、もう見まごう事なき快晴の空で、喜び勇んで家を出たのだった。
 道の途中の光景はもちろん、色づき始めた木々が少しあるくらいで、秋のはじめを感じさせるだけだったが、牧ノ戸峠に上がっていく道の左右には、ところどころに紅葉している木々があった。
 5月の大地震による被害を受けて、まだ道の復旧作業が行われていて、片側通行による車列ができたが、ほどなく峠の駐車場(1330m)に着いた。
 さすがに、もう数十台の車が停まってはいたが、いい具合に空きがあってすぐに車を入れられた。

 朝の光線のことを考えれば、朝日や夕日に染まる紅葉も悪くはないのだろうが、単純平凡な色彩感覚しかない私は、紅葉は、昼間の順光や逆光で、何よりも青空を背景に見られれば、それが一番だと思っているので、朝早くから山に行く気はなかったのだ。
 7時半過ぎに、舗装された遊歩道を登って行く。
 この沓掛山(くつかけやま、1503m)北面の林の木々でさえ様々で、色づき始めたものから、もう葉を落としたものまであり、路面に散り敷いた紅葉もまたきれいだった。
 私はふと、ミャオのことを思い出した。

 いつもは11月下旬ぐらいに帰ってきて、そこでノラネコ同然にしていたミャオに再会し、それから再び二人だけの暮らしが始まり、そして夕方前には、二人で散歩に出かけていた。
 ネコの中でも、シャムネコの系統はイヌに近い気質もあって、ミャオは私と一緒に散歩に出かけるのを楽しみにしていたのだ。
 ああ、余りにも多すぎるミャオとの思い出を書き始めればきりがないし、かと言って、このブログに書いているミャオの話をたどるのもつらくてできないことだし・・・。
 というのも、15歳という年で、ミャオ死なせてしまったのは、私の責任であり、普通のネコたちの飼い主のように、ちゃんと私が家にいて、ミャオと一緒にいたならば、もっとミャオは長生きできただろうにと、今でも思っているからだ。
 
 そんなミャオが元気でいたころの姿を、この沓掛山に登る遊歩道に散り敷いていた紅葉で思い出したのだ。
 一枚の写真、ミャオ・・・。
 (前回書いたように、WiFiの速度が電話接続以下の遅さで、その時のブログ写真を見つけられないので、月替わりの明日でも探すつもりだ。→2008.11.24の項参照)

 さて、沓掛山前峰からは、北に遠く由布岳の姿が見え、明るい南側には、久住高原から阿蘇カルデラに続いて雲海に覆われていて、その雲の上に阿蘇山(1592m)が大きく見え、先日噴火したばかりの中岳からは噴煙が上がっていた。
 ドウダンツツジの紅葉が、所々に見られる稜線をたどって、沓掛山本峰に着くと、そこからはいつものおなじみの、縦走路越しの三俣山(みまたやま、1745m)の姿が見え、尾根道の紅葉の色合いは今一つだったが、何とか秋山らしい一枚の写真を撮ることができた。(写真上) 
 
 ゆるやかな高原状の、尾根道の登りが続く。
 昨日までの雨で、所々にぬかるみもあったが、思ったほどではなく、ほどなく右手に誰もが立ち止まるような、鮮やかな深紅のモミジが、ナベ谷源頭部を彩(いろど)っていた。
 そして、左手には、これから扇ヶ鼻分岐までの間、星生山(ほっしょうざん、1762m)西面の紅葉を楽しめるはずなのだが、あいにく色合いが今一つなうえに、午前中の斜光線で、すでに枯れ落ちた灌木の灰色の帯だけが目立っていた。
 しかし、反対側の扇ヶ鼻(おうぎがはな、1698m)の稜線下あたりには、色づきは今一つながらも紅葉の灌木の群落が見えていた。
 それを見て、私は今日の行く先を決めた。
 
 今回の登山は、あの6月下旬に大雪山緑岳に登ってひざを痛めて以来の、実に4か月もの空白期間をおいての登山だったから、第一歩目からひざのことが気になっていて、もともと今日は、30分くらいで行ける沓掛山だけで、ひざが痛ければすぐに戻ろうとも思っていたから、扇ヶ鼻までというのは、実に願ったりかなったりの、ちょうどよいハイキング距離になったのだ。
 登山客は、平日だったこともあってさほど多くはなく、あまり気になることはなかった。 
 分岐からは、急坂を上がって東の肩に着く。
 その見晴らしのきく所からの、九重主峰群と、久住高原から続く雲海のかなたに並ぶ祖母山(1756m)・傾山連峰の眺めが素晴らしかったのだが、残念ながら数年前に見た、ここからの肥前ヶ城(1685m)をめぐる岩壁を彩っていた紅葉が、今年はさっぱりで、色合いも悪く何とも見栄えがしなかった。
 近くで三脚を構えて写真撮っていた男の人が、携帯電話で相手に話していて、”全くダメで、去年の十分の一もないわ” と嘆いていた。

 それでも私は、縦走路から見上げたあの扇ヶ鼻北側斜面の紅葉をあてにして、頂上本峰の岩峰を目指してゆるやかに登って行った。
 頂上には、数人がいたが、私はより紅葉の灌木が多い西側の端まで行って、さらにそこから岩井川岳(1522m)方面へと道を下る。
 この道は、沢登りで扇ヶ鼻に登って、帰り道として二度ほど下ったことがある。
 しかし、岩井川岳まで下ると確か周りは草原で、紅葉はあまりないはずだからと、手前にある紅葉の灌木におおわれた、岩が出た小さなコブのほうに踏み跡をたどって行った。
 
 そこは、岩の上で展望がきいて、紅葉のドウダンツツジやナナカマドなどの灌木帯を前に、九重主峰群が並んでいた。(写真下)


 
 右から、久住山、中岳、天狗ヶ城、星生崎、(そして星生山)。
 確かに紅葉の色合いとしては、むしろ橙色(だいだいいろ)がちであり、おそらくは先ほどの彼が話していたように、今年は夏の酷暑と秋の台風の影響で、確かに紅葉の色が良くない年であったのかもしれないが、初めてここからの紅葉の山を見た私としては、この秋初めての,全くいうことのない秋山の光景に思えたのだ。

 より多くの体験をしていることが幸せでもなければ、一度っきりの体験で不幸せだということもない。
 私としては、この小さな登山で、今年の九重の山の紅葉風景に、十分に満足することができたのだ。
 右手には相変わらずの雲海の上に、阿蘇山が見えていて、岩の上で、暖かい日差しを浴びながら、ひとりきりで簡単な昼食をとった。
 誰も来なかった。
 鳥の声も聞こえなかった。
 私は山の中にいた。
 幸せな気分だった。
 
 扇ヶ鼻山頂に戻ると、人が増えて十人余りがいて、まだまだ登ってくる人もいた。
 分岐に戻って、斜面の所々に見える紅葉を目指して、星生山に登ろうかとも思ったが、まだ痛くはないがひざのことも考えて、今日はおとなしく戻ることにした。
 そして、この帰り道で、ちょうど光線の位置が良くなり、(写真家が嫌うベタな直射光だが)、行きには寒々しい色合いだった星生山西斜面の紅葉が、確かに色鮮やかではなく時期的にもずれていたかもしれないが、私にとっては初めて見る光景に近く、少し歩いては立ち止まりを繰り返しては、何枚も写真を撮った。(写真下)

 
 
 さらに反対側の、今見てきたばかりの、扇ヶ鼻北斜面の橙色の紅葉も、行きに見た時よりはずっときれいに見えた。
 そして最後の見ものは、ナベ谷源頭部の深紅のモミジだった。(写真下)

 ゆるやかな尾根道をたどり、沓掛山に登り返し、遊歩道を下りて行った。
 変わらずに、快晴の青空が続いていた。
 何とかひざが痛むこともなく、5時間ほどの軽いハイキングの山歩きを終えることができた。
 昼過ぎではあったが、峠の駐車場はもとより、両方面の道脇には路上駐車の列が続いていた。(休日にはどうなるのだろう。)
 
 翌日、軽い筋肉疲労と少しばかりのひざの違和感があったが、6月の緑岳登山ほどの痛みの恐れはなかった。
 これならばと、私は次なる九重の山の紅葉を見に行きたいと思った。
 大船山、三俣山、黒岳とある中からせめてもう一か所には行きたいと思った。
 
 三日後、天気予報とは異なって、朝から快晴の空が広がっていた。
 私はあわてて支度をして、再び九重の山に向かった。

 今年は、紅葉があまりよくない年であったとしても、私としては、扇ヶ鼻で初めて見るに等しい素晴らしい光景に出会えたから、もう一つと機会をうかがっていたのだ。
 そこで、冒頭にあげた漢詩の言葉を変えて、つぶやいてみた。

 ”年々歳々 人相似たり 歳々年々 秋同じからず”

 以下詳しくは、次回へ。