ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

地理学入門

2016-10-25 23:54:55 | Weblog



 10月25日

 数日前に、九州に戻ってきた。
 いつもの年と比べれば、一か月以上も早い。
 理由は、いくつかある。
 まず、必要な事務的な手続きが、二つ三つとあり、次に、九州の山の紅葉を見たかったこと、最後に、先週末に放送された、NHK・BSの”AKB48FES2016”を見たかったからでもある。

 最初の事務的な仕事は、単純に処理作業をして終わらせることができて、次は九州の山の紅葉であるが、何とよく考えてみれば、私は長年、というより何十年にわたって、九州の山々の紅葉が盛りのころに、九州にいたことはなかったのだ。
 若者風に言えば、これは”ヤバイ”ことだ。
 思い返してみても、九州の山の紅葉の思い出があまり残っていないのだ。
 十数年前に一度だけ、10月下旬に帰ってきたことがあって、その時はもう終わりに近かったが、それでも何とか九重の山の紅葉をかいま見ることはできたのだが、それ以外のほとんどの場合は、早い時でも、11月の初旬頃であって、もうその頃は山麓の紅葉しか残っていなかった。(それでも、数年前の九重は黒岳周遊の晩秋のトレッキングは素晴らしかったが。2011.11.20の項参照) 

 というように思い返していたところで、気がついたのだ。そういえば、九州の山の盛り頃の紅葉を見ていないと。
 ほとんど毎年のように、今の時期は北海道にいて、大雪山だけではなく、道内のなだたる山々の紅葉を求めては、あちこち出かけていたのに、そしてこれからは、まだ少しか見ていない東北の山々の紅葉を見にいこう、と思って計画していたのだが、ある時ふと気づいたのだ、何たることだ!私の本来の地元でもある、九州の山々の紅葉をほとんど見ていないとは。
 いい年になった、じじいの私が、いつ死ぬともわからない身なのに、まして”山登りだけの人生だ”と公言してはばからないこの私が、四季折々の姿が美しい九州の山々で、冬と春にだけ力点を置いて、最も彩(いろどり)鮮やかな季節である、秋の紅葉の時期を見逃していたとは。
 今までに、もう十分すぎるほど見てきた北海道の山々の紅葉はともかく、東北や北アルプスなどの本州の山々の紅葉もさておいて、さらにはヨーロッパ・アルプスやヒマラヤの山々を見ること以上に、まずは自分の足元の、地元の山々の紅葉を知らなくて、どうして”山好き”などと言えるだろうか。
 このたびの早めの帰郷は、第一にこの九州の山の紅葉を見ることにあったのだ。

 それまでに、実に4か月もの登山空白期間が続いていた。
 6月終わりの、大雪山緑岳登山の時に、片方の足のひざの”じん帯”を痛めてしまい、3か月ほどは階段の上り下りにも苦労するほどだったのだが、最近ようやくその違和感も薄れてきて、とりあえず低い山に登ってみようと、今月の初めに北海道は然別(しかりべつ)の山に、紅葉見物がてらに行く計画を立てていた。
 しかし、その日は晴れてはいたが、いつもは眼前に並んでいるはずの日高山脈の姿でさえ定かではないほどに、空気がよどみかすんでいて、山の見えない登山など私にとって価値無きに等しいものであり、いかに快晴の空が広がっていたとしてもと、思い切って行くのをやめてしまったのだ。

 もっともそれは、自分への言い訳の一つであり、多分に”ぐうたら”グセがついていたからと言ったほうが正しいだろう。
 とはいっても、確かに今年は早く帰るつもりでいた九州の山のことを頭に入れていて、今、然別の山に登らなくても、もっとらくに展望のきく稜線にまで上がれて、年寄りにやさしい山である、あの九重に行けばいい、それもどうしても見たいと思っていた紅葉を見ることもできるし。
 そう自分に説明してはみたのだが、そうすると、今年の北海道の山は、何とあの6月緑岳の1回だけという、北海道に移って来て以来、初めての惨憺(さんたん)たる登山結果になってしまったのだが、何はともあれ、”桐、一葉(きりひとは)”の例え通りに、ひざ痛に端を発して、こうして山登りから遠のきがちになっている、自分の体力と気力を思ってしまうのだ。
 ”じじいへの道”をまっしぐらに。

 そして、昨日、九重の山に登ってきた。そのためにこのブログ記事を書く時間がなくなって、さらにはネット接続の不都合も重なって(ドコモ、WiFi接続のデータ消費量が異常で、追加2Gがわずか1時間ほどでなくなって、再び通信速度が極端に遅くなってしまったからだ)、そういうことで、一日遅れの今回の記事になってしまったのだ。
 その九重の紅葉の話は、来週に回すとして、今回は、例のごとく、北海道から九州への飛行機の旅、その窓から見た景色についていくつかのことを書いておきたい。

 一週間ほど前の、その日の朝は、ちょうど前線の通過と相まって、雨まじりの風が吹き荒れて、一便前の飛行機は離陸時間が大幅に遅れ、あまり広くはない待合室は乗客たちでいっぱいになっていた。
 あのNHKの定点観測ドキュメンタリー番組ではないけれども、こうして待っている人たちにはそれぞれの理由があって、東京に向かうのだろうし、その理由をインタヴューで聞いてみたら、おそらくは様々な光と影の交錯する、彼らの人生が見えてくることだろう。

 そこで、私にインタヴューされたら、最初の事務的な用事があってというのは、あまり面白くないし、それでは紅葉の山を見に行くためにというのも、いかにもヒマな山好きじいさんの話になるし、それならば、番組的に面白い受け答えになるだろうと思うのは、AKBの番組を見るために、ということだ。
 しかし、考えてみれば、テレビ・インタヴューというのは、そこにいつも”もろ刃の剣”としての、真実と誤りを含んだ、実に危うい大衆伝達への危険性も含んでいるのだ。
 つまり、短いインタヴューによって、より多くの人の話を聞くことができて、短時間のうちに大多数の意見をまとめ上げ、彼らの言う真実をくみ上げることができるだろうが、一方では、そんな一言二言しか話さないインタヴューの時間内で、その人は自分の思っていることのすべてを話せるだろうか、さらにまたその短い答えで、インタヴューアーは、自分の思うような答えを聞きたがっているのではないのかと。
 とかく、この世は難しい。
 それでも私は、誰一人として知り合いのいない乗客たちの中にいるのが、なぜか心地よかった。

 機内はそれほど混んではいなくて、何とか窓側の席に腰を下ろすことができた。
 ただ、朝から、そんな天気だったから、眼下の展望は時折、十勝平野が見えるくらいで、山々の姿を見ることはできなかった。
 日高山脈はもとより、もう白雪におおわれているだろう、大雪山や十勝連峰も、すっかり盛り上がった積乱雲の広がりの下に隠れていた。
 しかし、その上の数千メートルの上空は、いつものように濃い藍色(あいいろ)の天空に覆われていた。

 地上ではどんな天気になっていようとも、1万メートルの成層圏に近づけば、こうして全くの陰りのない蒼穹(そうきゅう)が広がっているのだ。
 もし私が死んだら、土のチリに戻るとも、あるいは海の藻屑(もくず)と消えるとも、どうなったところでもう私の知ったことではないのだが、できることなら、あの宮沢賢治の『よだかの星』のように、限りなく上空に向かって飛び続けて、最後はもう自分がどうなっているのかもわからないまま、小さな火の玉となって宇宙の果てに吸い込まれていく・・・。
 まあ年寄りは、自分が年寄りになったと気づいた時から、なにかこう、ロマンティストなファンタジスタになるものだろう。

 飛行機は、長い間海上を飛んだ後、今度は東北地方を縦断するように南下してゆき、ここでも山々は雲に覆われていたが、平野部はよく見えていて、刈り取りが終わった明るい枯草色と、まだ刈り取り前の暗い黄金色の田んぼの差が、はっきりと見て取れた。
 それも、平野部から山間部という位置的な差ではなく、植えつけ時期や収穫時期のずらしなど、それぞれの農家の考える刈り取り時期の差のように思われた。

 それ以上に、興味深いのが、耕作地の広がりかたである。
 例えば今見てきた十勝平野は、耕作できる平地だけを、広い四方形に区切ったます目状にして、それぞれに豆類、イモ類、ビート(甜菜)、トウモロコシ、牧草地などの輪作地として耕作し、それがパッチ・ワーク状にも見えるのだが、東北地方に入ると、それがちょうど米どころの宮城県のあたりだったから余計にそうだったのだろうが、単一栽培の水田利用地だけが目につき、それも耕作できない山々の部分をまるでアメーバ状に残して、どんな細い谷にも、水田耕作地が広がっているのだ。
 緑一色の春から夏にかけてはわからなかった、山間部の耕作地の形が見えていて、実に興味深い光景だった。
 
 次に、羽田で乗り換えて、福岡に向かう。
 こちらも混んではいなくて、窓側に座れたのだが、いつものようにどちら側に座るかで悩むところなのだ。
 左側は、富士山、右側は、南アルプスをはじめとした日本アルプスの山々が見える。
 しかし今年は、気温の高い日が続いていて、おそらく3000mそこそこの日本アルプスが雪に覆われていることはないだろうが、富士山ならば、頂上部だけが粉をかけたように新雪に覆われているかもしれないと、私は左側の座席に座った。

 箱根の山、芦ノ湖が見え、そして富士山が近づいてくる。
 しかし、今回の飛行ルートはいつもより北に離れていて、富士山が一回り小さく見えているし、逆光線で山体はただ黒々と見えるだけだった。
 そして、真横の位置から少し後ろに見えるあたり、大沢崩れが見えてきたあたりで、その火山特有の優美な山体の中腹が、ぐるりとカラマツの黄葉に彩られているのが見えてきた。
 飛行機から、黄葉の富士山を見たのは初めてだった。(写真上、富士山の向こうには伊豆半島、天城の山々も見えている。)

 そのまま眼下を見ていると、身延(みのぶ)山塊が現れてきて、続いて南アルプス南部の山々が見えてきた。
 最南部の3000m峰、聖岳(ひじりだけ、3013m)が窓ガラスに顔をつけてようやく眼下に見えるのだが、写真には撮れない。
 しかし、それに代わって、さらに南に位置する山々の姿が見事だった、
 手前に、大井川源流の堰止湖(せきとめこ)である、畑薙(はたなぎ)湖、奥に井川(いがわ)湖が見え、その間に伸びる急峻な尾根の稜線は、小無間山(しょうむげんやま、2150m)から大無間山(だいむげんやま、2329m)にかけての見事な山稜である。(写真下)
 まるで地学の教科書にあった、壮年期の山の見本のような、細かく浸食された谷がなんと美しいことか。
 南北と中央の日本アルプスに、北海道の日高山脈で目にすることの多い、急峻な浸食谷を持った壮年期の山岳地形を、こうして上空から見ることのできる喜び。

 十勝平野のパッチワーク畑作の耕作地模様と、東北地方の山間部にまで入り込む水田耕作地模様、そして火山である富士山中腹を彩るカラマツ黄葉と、南アルプス南部の褶曲(しゅうきょく)断層山脈による壮年期地形と、今回は、まさに地理学、地学入門のためのようなフライトだったのだ。

 そういえば、AKBの番組を目当てに帰ってきたといったのだが、先週末に放送されたその『AKB48FES2016』は、AKBグループ総出演の名曲メドレーで、AKBファンとしてはたまらない番組だったのだが、同じ時間帯のNHK地デジのほうでは『ブラタモリ』の「富士山樹海編」があり、これまた地学マニアにはこたええられない番組だったし、さらにもう一つわが北海道日本ハム・ファイターズの日本シリーズ初戦が重なってしまって(結果的には負けてしまったが)、AKBとブラタモリはしっかり録画して、見直しては十分に楽しませてもらった。
 まだまだ、じじいになっても楽しみは多くあり、そうして生きながらえていることに感謝したいのだ、日々をありがとうと。

 ここまで書いてきて、時々、日本シリーズ第3戦を見ていたのだが、わが日ハムは・・・やったぜ、大谷のサヨナラ・ヒット。
 広島が、”男気・黒田”をチームの柱として、良くまとまっているのはわかるけれど、わがファイターズも、謙虚な天才、大谷を柱としての若いチームとしてのまとまりで、ここまで来たのだから。
 来週このブログを書いているころには、その日本シリーズも終わっているだろうし、どちらが勝つにせよ、今年のプロ野球も終わってしまい寂しいような・・・。
 今日の野球が終わってから、さらに書いていたので遅くなってしまった。もう12時にもなる。いつもは10時には寝てるというのに。