2月23日
この冬は、山に雪が降って天気が良くなるのに合わせて、ちょうど週末が重なってという繰り返しが続いていた。
特に先々週の週末は、この冬一番かと思わせる終日快晴の天気で、人の多い時には出かけたくない私は、ひとりうらめし気に空を仰ぎ見ているしかなかった。
ところが先週、そのサイクルが一日ずれて、雪が降った後の快晴の日が平日に繰り上がり、何とありがたいことに、天はわがままなじじいの私に味方してくれたのだ。
そのうえに、今後気温は上がっていき平年より暖かくなる予報が出ているから、まともな雪山の感じはこれが最後になるかもしれないのだ。
”人生捨てたもんじゃないよね。あっと驚く奇跡が起きる。”
このお調子者のじいさんは、ご機嫌になって例のAKBの「フォーチュン・クッキー」 を口ずさみながら、いそいそと支度をして出かけたのだ。
道は心配するほどではなく、昨日降った雪はほとんど溶けていて、かわりに道にまかれていた融雪剤の塩化カルシュームで、テラテラと光っていた。
しかし、やはり高度が高くなる長者原から上は、峠までしっかりと圧雪アイスバーン状態になっていた。
牧ノ戸峠(1330m)の駐車場には、早くも20台余りが停まっている。
早朝には雲が出ていて、模様見をしていたぶん遅れてしまい、登山口を出発したのは9時に近かった。
沓掛山へと向かう遊歩道の周りは、まだ上の方に日が差し込むだけだったが、一面の霧氷林が白く青空に映えていた。
冬の時期に、同じ道を何度も繰り返して登っているのだが、それでもあきないのは、背景の山々の姿は同じでも、前景となる霧氷やシュカブラなどの氷雪模様が、いつも少しずつ違って見えるからだろう。
沓掛山(1503m)からは、南に今活動中の阿蘇山(1592m)の中岳の噴煙が見え、西の方には遠く雲仙岳(1486m)も見えていた。まったく見事な青色一色の空だった。
しかしその先から、扇ヶ鼻分岐付近までの台地上の尾根歩きでは、ただ枝に積もった雪が綿菓子のように垂れているだけで、ほとんど霧氷などは見られなかった。
ということは、昨日の風がこのあたりでは、霧氷や風紋を作るほどには強くなかったということなのだろう。
写真を撮りながら、それも年寄りの歩みだから、後続の人たちに次々に抜かれてしまったが、そんなことよりはこの天気を待ちかねていたのか、登山者が多いのが気になるのだが。
実際の所、行こうと思っていた星生山(1762m)の方には、二人さらに一人と登っていたので今回はあきらめることにして、そのまま西千里浜に続く縦走路をたどって行った。
雪は古い雪の上に新たに10㎝程積もっただけで、そのうえ何人ものトレース跡がついていて、夏道よりははるかに歩きやすいのだ。
やがて行く手には、いつもの鋭鋒久住山(1787m)の姿が見えてきたが、やはり今回も風が弱かったためか、シュカブラ、風紋ともにあまり発達してはいなかった。(2月9日の項参照)
しかし、その先の星生崎下の岩塊帯のコブを越えて、降り着いた久住別れの鞍部(あんぶ)辺りから、風も出てきて少し寒くなり、”エビのしっぽ”や風紋などが現われてきて、カメラを構えることが多くなった。
前後を歩いていた登山者たちはみんな、御池から九重最高峰の中岳(1791m)へと向かっていて、天狗ヶ城(1780m)に登るのは私ひとりだけだった。
よし、ここからがようやく、私の山なのだ。
急斜面で息が切れるが、最近のマイ・ブームである、例の乃木坂46の「君の名は希望」を、テンポを落として口ずさみ、息継ぎをしながら登って行く。
この曲は、あの尾崎豊の歌や”THE虎武龍(とらぶりゅう)”の「ロード」のように、リフレイン繰り返しの多い曲だから、ずっと同じメロディーを何度も繰り返して歌い継いでいくことができるのだ。
最近は、一日に一度はテレビ録画したこの「君の名は希望」を聞いているが、それまで乃木坂46では、とびぬけて美人の白石麻衣とAKBも兼任している生駒(いこま)ちゃんぐらいしか知らなくて、メンバーは皆きれいだけれども他は同じ顔に見えていたのだが、この曲を調べていて特にYouTubeでの生田絵梨花が歌うのを見たり(2月9日の項)、繰り返し録画を見ていることもあって、メンバーたちの顔の区別がつくようになってきたのだ。
それは例えて言えば、この九重の山々は、同じような溶岩噴火丘のトロイデ状の山々の集まりだから、離れてみれば最初は見分けがつきにくいかもしれないが、何度か通ううちに、それぞれに二つとない個性ある山々の集まりだと気がつくようなものだ。
やがて斜面には、一面に”エビのしっぽ”シュカブラで覆われるようになってきた。
右下には、凍結した御池とその上に左右に稲星山と久住山が並び、遠くには祖母山(1756m)から傾山(1602m)の山塊が続いていた。(写真上)
頂上には誰もいなかった。いつもの、周囲を取り囲む九重の主峰群の眺め、その中でもシュカブラの彼方に見える久住山の姿は、あの西千里浜から見た鋭鋒姿の久住山とはまた違って、いつものことながら”白鯨”を思わせる堂々とした姿だった。(写真)
さてここまでは、完全に凍りつき氷結していた所でも、アイゼンなしで何とか登ってきたのだが、これからは下りが多くなるからと、用心のためにも10本爪のアイゼンをつけた。
そして天狗ヶ城の急斜面を下りて行き、中岳に向かった。
”エビのしっぽ”が張りついた岩塊帯を回り込んで、ようやく中岳に着いたが、狭い頂上には、数は少ないけれどたえず人が入れ代わり立ち代わり登って来ていて、私は少し下った雪の溶けていた岩の上で休んだ。
もう昼を過ぎて1時に近かったが、空には薄い筋雲がいくつか出ているだけで、遠くまで見通しのきく青空が広がっていた。
南にたおやかに広がる稲星山(1774m)の上に、森林におおわれた濃紺の祖母山ー傾山連峰が並び、噴煙を上げる阿蘇山との間遠くには、市房山(1721m)が見え、さらに右手遠くには霧島山(1700m)が見えるはずなのだが。(家に戻って写真をモニター画面で見てみると、高千穂峰の姿があるような。)
風も弱く、青空が広がる、雪山の景観。私が思い描いていた通りの、冬の山歩きになって、私は幸せな気持ちになった。
後は下っていくだけだが、凍結した御池の上は十数人の登山者でにぎわっていた。
そして帰り道になって、行きには気づかなかった、風紋の雪面の彼方に並び立つ星生崎(1720m)と星生山の姿が見事だった。右下には硫黄山噴気孔。(写真)
ただし、午後になって尾根筋の雪が溶けてあらわになってきているし、何より午後の順光で陰影に乏しいのが残念だが、できるならこの場所で朝の光に赤く照らし出された斜面として写してみたいとも思うが、山陰になるだろうし、それ以前にそんな早朝から出かけていくような、あるいは避難小屋泊まりをするような元気がもう私にはないということだ。
西千里浜から続くゆるやかな長い下り道の途中から見ると、もう星生山の南や西斜面が、行きに見た白雪に覆われた姿ではなく、黄金色の枯れ草色の山肌をあらわにした春山の姿に変わっていた。
そして沓掛山の登り返しでは、南面にあたるせいか雪解けが進み、ぬかるみと化していた。
それが九重の冬山の終わりを告げていた。
往復6時間半、年寄りの私には、まさに適度ないい雪山ハイキングだった。
もうすっかり雪の溶けた道路を通って、まだまだ続く青空の下、いい気分になってクルマを走らせた。
もちろん、AKBの歌を口ずさみながら・・・「君は君で愛すればいい。相手のことは考えなくていい。チャーンチャン、チャンチャン」と、これらのフレーズの間に入る短い間奏音がいい。
やはり「UZA(うざ)」はいい歌だと思う。 先日の、AKBの歌だけのリクエスト・アワー・ランキングでは、100位にも入っていないし、メンバーたちからも好きだというのは聞いたことはないのだが、それでも私は好き、”八丈島のきょん”(『こまわりくん』の意味のないかけことば)。
そういえば、先日たまたま見た民放のバラエティー番組で、東大の名物先生たちを集めての短い授業をやっていて、その時ひな壇に並んでいた出演者タレントの中には、AKBの高城亜樹(たかじょうあき)がいて、何と講義する教授の一人が彼女の大ファンであり、そのメロメロぶりが面白く、”同病相哀れむ”仲間の一人に見えてしまった。
というのも、彼が彼女を公認のニックネーム”あきちゃ”と呼んでいたから、その”おしメン(推しメンバー)”ぶりもわかるというもの。
私は、彼女のファンというわけではないのだが、AKBファン歴2年にもなれば、彼女のことについてもいくらかは知っているのだ。
いつも書いているように私は、AKBグループのみんながそれぞれに可愛いと思っているのであり、それは私が北アルプスや南アルプスそして日高山脈などの数十もの峰々を集める山域の中から、たった一つだけを選ぶことができないのと同じことなのだ。
確かに、北アルプスでは剣(2999m)、穂高(3190m)の二つを筆頭にあげたいけれど、あの黒部五郎岳(2840m)や鹿島槍ヶ岳(2889m)は言うに及ばず、赤牛岳(2864m)や唐沢岳(2632m)も除外するには忍びないし、日高山脈で言えば、日高幌尻岳(2052m)とカムイエクウチカウシ山(1979m)の二つは絶対かもしれないが、他にも1967峰や1839峰はもちろんのこと、ニシュオマナイ岳(1493m)やピロロ岳(1269m)さえも、私の好きな山のリストからは外したくはないのだ。
つまり、その山域全体の山々の一つ一つが好きなのだ。”神が作りたもうた自然景観に無駄なものとてあるはずもない”からだ。
そうしたことを踏まえて、”あきちゃ”の話に戻れば、今の古いAKBのメンバーに対しての、いわゆる”肩叩き”などはないのだろうが、それでも”あきちゃ”のように”古参メンバー”と言われる子たちの去就(きょしゅう)が、いろいろと取りざたされるようになってきているのだ。
中学生や高校生でAKBに加入してきた子が、アイドルとして舞台に立ち脚光を浴びていても、数年から10年くらいでアイドルとしての短い活躍の時を終えて、次なる人生のステップへと踏み出さなければならなくなる。
それが若い娘たちの、”アイドル”としての当然のさだめなのだ。
そこで、それまでにいわゆる”神セブン”などとして名前の売れた子たちならば、AKBから卒業して芸能界へ、タレントや歌手や女優として新たなチャンスをつかめるかもしれないが(それも成功するかどうかは分からないが)。
あるいは前にも書いた(’14.12.29の項参照)JKTの仲川遙香やHKTの多田愛佳のように、思い切ってほかのグループへと移籍すれば、そこで自分の活躍の場を見つけることができれるかもしれないが、前にも「キタリエの涙」で書いたように(’14.11.10の項参照)、少し前までは選抜にいても、今ではもう若くはないし、その選にももれるようになった彼女らは、下から上がってくる若いメンバーたちの勢いを感じていて、それだけによりつらい思いになるだろう。
しかし、AKBがアイドル・グループである限り、内部での競争は当然のことであり、常に若いメンバーへと変容循環が続いていくことが、目移りしやすいファンのためには必要なのだ。
それだから、メンバーとしては、20歳を幾つか過ぎて大人になった彼女たちは、当然のこととして、次なる人生の行く手を自らで決めなければならなくなる。
同じ世代の若者たちが、上の学校を卒業して、就職活動に向かう時のように。
もっとも、私みたいなじじいから見れば、まだ若い盛りの20代半ばくらいで、「キタリエの涙」のように、そんなことで悩み悲しむなんてと思ってしまうのだ。
”人生は、これからじゃん”。体も心も、脂がのってきて思慮あるいい大人の女になっていくのは、これからだよ。
AKBにいたことは、選ばれた君たちだけの青春の思い出の勲章であり、それだけでも十分すぎるほどだよ、他の人たちと比べても。
いいなあ君たちは。これから自分の人生のドラマを作り、ある時は楽しみある時は悲しみいろいろ味わうための時間が、たっぷりと残されているんだもの・・・と、じいさんはついつい説教をしたくなるのであります。
いつもあげる例えだが、あのベルナルド・ベルトリッチ(1941~)監督の映画『1900年』(1976年)で、年寄りの地主が、盗みをした小作人の若者のせがれを捕まえて、思わず吐いた言葉だ。
「このクソタレのガキめが。
ただくやしいのは、今の俺には何でもあるが、ただ一つないものがある。未来だ。
おまえには、それなのにうんざりするほどの未来があるのだ。」
そういえば、ネットでAKBの所を見ていたら、新しいニュースが三つ。
”まゆゆ”渡辺麻友が、4月からゴールデン帯のドラマに主演するのが決まったとか。さすがAKBトップの顔の進む道。
次に、何とあの明治座で、HKTの”さっしー”指原莉乃が座長になって、一か月公演をやるとのこと。総選挙2位でタレント性抜群の彼女ならではの企画。
そして総選挙3位の”ゆきりん”柏木由紀は、今度の新曲で、卒業間近とされる”こじはる”小嶋陽菜と二人での、初めてのセンターに。論功行賞。
以上、AKBグループすべての歌の作詞家としてだけでなく、プロデューサーとしての秋元康(とスタッフ)の、面目躍如(めんもくやくじょ)たる力。
AKB”萌(も)えー”のじいさんとしては、はい、可愛い孫娘たちの行く末が気がかりで、まだまだ目が離せないのです・・・はい。
(今回は、他にも書くことがいろいろとあったのだが、山の話からいつものAKBの話で終わってしまった。自分に都合のいい、簡単なことしか書かなくなってきた年寄りのわがままからだ。
さらには、ニュースで言っていたが、ひとりで暮らしている年寄りは、同居している人がいる場合と比べて、認知症にかかる割合が3割も高くなるとか・・・てやんでー、ということは、残りの7割の人は、認知症にもかからずに元気に暮らしていることになるんじゃねえのかい。計算の仕方がおかしいが。
もっとも、ひとり暮らしだから、自分が認知症にかかっていても、誰も気づかなかったりして・・・ああ、ちょうちょうが飛んでいる、あか、しろ、きいろ。
AKBの”かわえい”と”ゆりあ”が言えない、七の段の掛け算・・・7x6=42,7x7=49,7x8=56,7x9=63・・・あーよかった。まだポンにはなっていない。)