ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

初雪のころ

2014-11-17 22:40:23 | Weblog



11月17日

 数日前、初雪が降った。
 その日は、発達した低気圧が通り、夜になってさらに風が強くなり、林の木々がうなり声を上げるほどで、私は外に出て雨戸を閉めて回った。暗闇の中、風に混じった雪が吹きつけてきた。
 しばらくはその風が吹き荒れ、ようやくおさまったころに外に出てみると、夜目にもはっきりと、辺りが一変して白くなっていた。
 そこには、うっすらとではあったが、今年の初雪が積もっていたのだ。

 次の日の朝は、昨日の嵐がうそのように晴れていて、家の前の砂利道から、牧草地、畑にかけて白くなっていた。(写真上)
 冬の始まりだった。
 その先に見えるはずの日高山脈は、そこで見事にせき止められて連なった雪雲の中に隠れていた。
 風が冷たく、-3度という気温よりもさらに寒く感じられた。

 その日の最高気温は4度までしか上がらなかった。
 それでも家の中にいれば、ストーヴの燃えさかる部屋は暖かく、さらに二重ガラス窓越しの日の光を受けながら、揺り椅子に座って、日がな一日、本を読み音楽を聞きながら、時々居眠りをして、ゆらゆらと過ごすのも悪くはない。
 というよりも、こうした冬の季節こそが、私の大好きな時なのだ。
 さらに寒くなり、外が一面の雪に覆われたころならばもっといい。

 私は、思い出すのもいやだが、あの真夏のころの、内地の不快な暑さには耐えられないのだ。
 それと比べれば、寒さがキライな人には同じように耐えられないだろう、あの真冬の北海道の寒さが、私の性には合っているのだ。
 つまり、そこには”ムチと雪の女王”の美しさと厳しさがあり、それが私の心と体には心地よく感じられるからだ。

 つまり、真冬に戸外に出て歩き回ることが苦にはならないのだ。雪はね(雪かき)作業は大変だけれども、寒くても汗をかいていい運動になるし、その後で暖かい部屋に戻って一息つくのが楽しみにもなる。
 そして、朝日が昇るころ、夕日が沈むころ、身支度して外に出ると、雪原が赤く映えて、彼方には白い山々が赤く染まり連なっている・・・なんという至福のひと時だろう。
 しかし、特に日の出前のころには、マイナス20度にもなるほどに厳しく冷え込んでいる時もあるが、それは十分に厚着すれば何とかしのげるし、歩いている時の体は意外に寒くはなく、運動によって温まっているのだ。
 他にも、確かにスキー場に行ってスキーを滑る楽しみもあるのだが、私にはどのスキー場からも聞こえてくる、あのパチンコ屋みたいなうるさい若者音楽にがまんができないのだ。
 ”もっと静かに、滑らせてくれ”と言いたいのだが。 

 こうした冬が大好きな私の体質は、もちろん生来のものもあるだろうが、一番大きいのは、山が好きになったまだ十代のころから、ずっと続けてきた雪山登山の経験によるものだろう。
 風雪吹きすさぶ山中での、心身ともに不安な状況の経験はもとより、だからこそ一方では、穏やかな雪山での、さまざまに変化した自然の造化の美しさが、忘れられない思い出になるのだ。
 それらの、長年積み重ねられてきた記憶は、毎年、冬になると、私を美しい雪景色へと誘(いざな)うかのように、いつもの期待をふくらませてくれるのだ。

 思えば、あの晴れ渡った空のもとでの雪原歩きは、天国へと続く雪の回廊(かいろう)なのかもしれない。
 何度も書くことになるのだが、私の思いはやはり、あの西行法師の歌の中にある。
 
 「願わくば 花の下にて春死なむ その望月(もちづき)の如月(きさらぎ)のころ」

 ”願わくば 雪の中にて冬死なむ その青空の睦月(むつき)のころ” 

 こうして、かいなき無益な思いにふけりながら、残り少ない人生の時を、毎日何事もなく、穏やかに過ごしているのだが、それでいいのだと思う。
 修行僧のごとくに、無明を知り己の修練に励むほどの強い意志はないし、かといって巷間(こうかん)の享楽に身をゆだねる刹那(せつな)への思いもない。
 ただ今、在(あ)ることが大切なことであり、たとえて言えば、自分の周りにあるものだけを探しては食べて生きていく、そんな一匹の虫であればいいと思うし、その虫は虫なりに、そして私は私なりに、雨露をしのぐ四方、六尺の身を横たえるに十分なだけの、一軒のあばらやがあればいいのだと、わが身を諭(さと)してはみるのだが・・・。
 しかし、私は今を生きる人間の身であり、スーパーで食べ物を買い、ストーヴのある家でぬくぬくと過ごし、本を読みテレビを見ては、わが身をかえりみて一喜一憂し、しぶとく生きるがゆえの雑念にとらわれ、それゆえに虫けらの一念にさえ及ばずに、あれこれと考えてしまうのだ。

 たとえば、この大相撲九州場所で、いつもの楽しみの一つでもある、あの東の花道脇に座っているネットでも有名なスナックのママがいなくて・・・、どうしたのかと探せば、今場所はより見つけやすい裏正面の検査役の後ろ、砂かぶり席に座っていて、これはいい席に代わってくれたと思っていたのに、三日目から姿が見えなくなり、そこで”ウォーリー”を探せ状態の和服美人があちこちにいる中、昨日になって、何とテレビに映りにくい西の花道の端に、洋服姿で座っているのを見つけたのだが、また今日はどこにいるか分からなくなった。
 周りが、その”たにまち”筋らしい中高年のおじさんおばさんたちが多いこともあって、彼女は確かに”掃き溜めの鶴”状態にあり、楽しみにしているのに。

 私はテレビ・ドラマにはほとんど関心はないのだが、例の朝ドラ『マッサン』は、北海道が舞台になるというので時々は見ていたのだが、いつの間にかマッサンの妻役の、あの金髪の”エリー”のひたむきさに胸打たれて、それが演技であることも忘れて引き込まれ、応援したくなってしまうのだ。
 カナダ生まれの彼女、シャーロット・ケイト・フォックスという名前は、まさかあの名作『ジャッカルの日』(1973)などで有名なエドワード・フォックスとは、関係ないよね・・・。
 それにつけても、”エリー”のたどたどしい日本語と必死な演技は、あのAKBの”たかみな”が総選挙時にいつもの締めくくりとして言っている、”努力は必ず報われる”という言葉を思い出させるのだ。

 さらにAKBがらみで言えば、前回”きたえり”の涙についての話では、その追加記事として、田名部未来(たなべみく、たなみん)のことも書き加えたのだが、今回の「AKB48SHOW」の”たかみなの説教部屋”のコーナーでは、何とその”たなみん”がタイミングよく話し相手に選ばれていて(それは前回の”きたりえ”と対比させるための制作サイドの選考なのかもしれないが)、ともかく苦節8年悩んだあげくに、ようやくAKB内での自分の立ち位置を見つけて、自らを”お酒好きのアイドル”とまで言えるようになった彼女が、初めて71位に選ばれ名前を呼ばれた時の驚きと喜び・・・その映像が流れ・・・その時のことなどを”たかみな”と明るく話す今の彼女の笑顔は、テレビを見ている側の私たちとしてもうれしくなるのだ。
 他人の幸せは、蜜の味。(決して”他人の不幸は、蜜の味”などではありません。)

 土曜日から日曜日にかけて、幾つかのクラッシック音楽演奏会の放送があり、最初の一つはズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルによるマーラーの交響曲第5番であるが(あのヴィスコンティの映画『ベニスに死す』(1971年)でこの5番の有名な”アダージョ”が流されていた)・・・それは、まだ若き日のメータがあの名門ウィーン・フィルを指揮して、DECCAレーベルにレコード録音したのが同じマーラーの2番であり、ウィーン・フィルの品格あふれる響きと若々しいメータの指揮ぶりが忘れられない名盤だったのだが(5番はロスアンジェルス・フィルで録音)、なんという歳月の流れだろう・・・これは今年の”NHK音楽祭”の時の演奏であり、メータはもう78歳になっていて、巨匠然とした風格も漂い、テンポはよりゆるやかに穏やかになり、そこからは重厚な音の響き繰り出されてくるのだ・・・歳月が、人を変えるのではなく、人は、歳月で変わるのだ。

 次には、今年4月のベルリンでの演奏会から、あのマルタ・アルゲリッチとダニエル・バレンボイムのピアノ・デュオ。
 若き日の”ショパン・コンクール第1位”の実力そのままに、男性並みの力強い打鍵(だけん)と、ほとばしる女性の情熱で、数多くの名演奏名盤を残してきた、アルゼンチン生まれのマルタ・アルゲリッチは、今年でもう73歳になるというけれど、常に今の時代の名ピアニストであり続け、近年はソロよりも、こうしたデュオや室内楽に力を入れていて、いまだに彼女の新録音が話題になるほどである。

 一方の、若き日のバレンボイムは、何といってもあの弾き振りによる「モーツアルト・ピアノ協奏曲全集」が素晴らしく、当時の定番レコードになっていたといっても過言ではないが、それ以上に、妻でもあった名チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレとの共演に名盤が多い。
 その後、デュ・プレは難病にかかってこの世を去り、彼は指揮者の方へとスタンスを広げて、今ではオペラなどでも実績を残す名指揮者の一人になりつつあるのだ。
 加えて言えば、彼はロシア系ユダヤ人としてアルゼンチンに生まれ、子供のころ家族とともににイスラエルに移住してきたという経歴を持っているのだが、後年、指揮者となってドイツのオーケストラを率いて、イスラエルで、あのユダヤ人を虐殺したナチスと関係の深いワーグナーの曲を演奏しようとして、物議をかもして演奏会場でのひと騒動になってしまったというが・・・彼はただ、音楽に国境はないという思いだけだったのだろうが。

 そうした今では老年になった同郷出身で年齢の近い二人が、肩を組んで舞台に立ち、ピアノを並べて演奏するさまは、まさに青春の光と影の時代を思わせるものだった。
 モーツアルトのデュオのきらめきとやさしさ、シューベルトの四手のからみ合い、そして私は初めて聞いた、あのストラヴィンスキーの『春の祭典』の二台のピアノ版の演奏、スリリングな雰囲気と二人の熱気あふれる勢いは、若き日の情熱の名残りを超える素晴らしさだった・・・ここでの今があるからこその、昔への思い。

 そして最後に、2年ほど前の演奏会の録画であるが、五嶋みどりのヴァイオリンにズービン・メータ指揮ミュンヘン・フィルの演奏で「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」。
 天才少女ヴァイオリニストと言われた五嶋みどりも、もうこの演奏の時には40歳を過ぎていて、ブラームスの心の内に包みこまれた思いが、そのまま彼女のヴァイオリンの音として、しのび泣くようにあふれて広がっていく・・・生きていくということとは・・・。
 
 というように、私は相変わらず、日々耳に入り目に映る浮世のことどもに、心わずらわされているしだいであり、悟り会得(えとく)するなどという心境からはほど遠く、ただのテレビうわさ話が好きなおじさんの一人でしかないのだ。
 自分がひとりでいるだけに、そうしてテレビなどで目にする人々の動向が、あれこれと気になるものなのだ。
 差しさわりのある周りの人のうわさ話ではなく、公に知られている人たちの見内話を聞いては、心配し同感し哀れに思い、一方では冷めた目で見ているのかもしれないが・・・それは、やはり私が、”遥か群衆を離れて”(1964年の映画)いるからなのだろうか。

 毎日の夕焼けが、それぞれに違った光景になる初冬の風景。
 すっかり、黄葉が落ちてしまったカラマツ林の上に、離れ雲が少し、夕日に染まっていた。