ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

見おさめの秋と23歳の涙

2014-11-10 21:19:42 | Weblog

11月10日

 数日前、私はその前の日から、久しぶりに山に行く準備をしていたのだが、結局は行かなかった。
 それはつまり、目が覚めて起きたのが、もう日の出後の6時過ぎと遅かったことと、午後に一時雲が増えるという天気予報が少し気がかりだったからである。山に行く時には、いつもベストの条件の時に行きたいという、年寄りのわがままからではあるが。
 しかし、その日はまさに山日和(やまびより)と言うにふさわしい、終日雲一つなく晴れ渡った、穏やかな秋の一日になったのだ。
 後になって、地だんだ踏んで悔しがっても、もう”あとの祭り”、”後悔先に立たず” ということなのだ。

 しかし、良く考えてみれば、前にも少し触れたことのあるあの”アドラー心理学”的な分析をすれば、それは”行けなかった”のではなく、自分の心の中のどこかに”行きたくない”という思いもあったからではないのか、つまるところ、周りの状況にかこつけて行かなかっただけの話である。(9月29日の項参照)
 だけれども、「わかりました、確かに私が悪うございました」と、心の中で自分に詫(わ)びてみたところで、この快晴の空の下、むなしく過ごす一日を思えば、その心のうさが晴れるわけでもない。

 そこで、いつもの家の近くの野山歩きをする時の身支度をととのえて、と言っても作業着を着て帽子をかぶり、長靴をはいて、手には杖兼用の長い刈り払い鎌を持ってという姿で、家を出た。
 収穫の終わった畑のそばを通り、カラマツの植林地を抜け、枯れ草色の牧草地を通って、この丘陵地の境になる急斜面の林の所まで行ってきた。
 広大に広がる秋空の下、ゆるやかにうねる牧草地と植林地、遠くに日高山脈の山なみが続いている。(写真上)

 聞こえてくるのは、私が枯葉や枯草を踏み分ける音だけで、鳥の声さえ聞こえない。
 ふと空を見上げて立ち止まると、誰もいない静けさの中にいるだけ・・・。
 何も考えてはいない。今、自分が歩くその周りのことを見て、感じているだけのことだ。
 この空の下の木々や草ぐさ、小さな虫たち、林の中に隠れ潜む鳥や獣たちと同じように、今私は生きているということだけ。

 それは、山に登る時と同じだ。
 何も考えないで、目の前に続く坂道を、ただあえぎながらひたすらに登って行く。
 時々目を上げては、周りの景観を楽しむ。
 私は、他の生き物たちと同じように、永劫(えいごう)を廻(めぐ)る世界の中の、小さな一つの命にすぎないし、ただその中で本能のひたむきさのままに生きているだけなのだが、一つの生き物としてそれでいいのだと思う。

 そして、ふと最近読んだ本の中に書かれていた、ある言葉を思い出した。
 ”草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)”・・・。
 それは、この世の中の人間や動物が成仏するのは当たり前であり、草木でさえ成仏するし、国土のすべても、”生きとし生けるもの”に含まれ、皆ことごとく成仏できるという、比叡山天台密教による天台本覚(ほんかく)思想の言葉なのだが・・・。
 (『人類哲学序説』梅原猛 岩波新書より この本についてはまた別の機会に改めて考えてみたい。) 

 その次の日も、快晴の天気が続いたが、やはり天気の変わり目に近づいてきたのだろうか、午後になって少しずつ雲が出てきた。
 家のカラマツ林の最後の黄葉の上に、一本の筋雲が、西から東へとゆっくりと流れて行った。
 今年の秋の、見おさめの景色だと伝えるかのように ・・・。(写真)



 話は変わるけれども、私はこの年で恥ずかしながら、あのアイドル・グループ、AKBのファンの一人でもあり、ただ特にひいきのオシメン(推しメンバー)がいるわけではなく、グループとしての彼女たちみんなが可愛いと思っているだけだが、その彼女たちの歌などについては、今まで何度もここで触れてきている(10月20日の項参照)。
 そして、そんなAKBグループの歌や踊りを知るには、テレビの歌番組やバラエティー番組で見るしかないのだ。

 その中でも、毎週土曜日の深夜にNHK・BSで放送される「AKB48SHOW」は、まさにファンにとっては見逃すことのできない番組であり、私もこの番組が始まった1年前から、ほぼ欠かさずに録画して(年寄りは寝ている時間だから)後で見ているのだけれども、その中でも先週の放送は、いろいろと考えさせられたところが多かった。
 以下は、あくまでも私個人としての感想ではあるが・・・。
 
 今回の番組では、まずは大阪NMBの二人によるかけ合いコントがあり、(このコント場面では、あの”横山―川栄”の名コンビや、”美少女戦士くいだおれタコ美”の回なんぞは、下手な若手芸人のコントよりはよほど面白かったほどである)、次に同じNMBの新曲が明るく歌われ、そして今回話にあげたい”たかみな総監督のお説教部屋”のコーナーへと続いて行くのだが。
 それは、”お説教部屋”と名前がつけられてはいるが、AKBグループの”総監督”の地位にある高橋みなみ(たかみな)が、グループのメンバーの一人を呼んで、その話を聞くという趣向であり、もちろん簡単な打ち合わせはあるにせよ、かなり自由に話させては、それぞれのメンバーたちの本音を聞き出していて、ファンならずともなかなかに面白いエピソードなどを聞くことができるのだ。

 そして、今回の相手は北原里英、通称”きたりえ”なのだが、指原”さっしー”などと同じAKBの5期生であり、年齢は1期生である”たかみな”などと同じ23歳になるが、まだ小学校を卒業したばかりの13歳の子からいるAKBグループ・メンバーの中では、明らかに年長組に入り、今までにはもうその年齢に差しかかるくらいから、多くのメンバーたちがAKBからの卒業を考え、実際にも卒業していっているのだ。

 ”きたりえ”はかつて、テレビなどに出演して歌う機会も多い、いわゆる16人からなる”選抜メンバー”にも選ばれていたのだが、今年の総選挙では、その枠から落ちてしまったし、さらに新曲ごとに選抜メンバーが入れ替わる、今回の拡大32人メンバーからも外されてしまったのだ。
 彼女は最初は、今回選ばれなかった他の人気ある若手メンバーたちの不憫(ふびん)さを代弁していたのだが、やがてそれは自分への口惜しさに代わって、昔を懐かしみ、卒業していったそうそうたるメンバーたちと一緒に、その後列で一緒に舞台に立てたことが良い思い出だと、涙をこぼしながら話した。
 彼女は、自分の目立たない後列での立ち位置を分かっているし、決して前列に出て歌いたいとまでは思わないが、出来るならずっと舞台に立って歌と踊りは続けたいと、あふれる涙のままひと思いに話続けた。

 思うに、AKBを目指してオーディションを受けたすべての娘たちは、大勢の観客たちが見ている前で、舞台に立って歌い踊っている自分の姿だけをイメージしているのだ。
 だからこそ、こうしてAKBのメンバーに選ばれたからには、自分の限界が分かり納得して身を引くことのできる、その日が来るまでは歌い踊り続けていたいのだ。
 競走馬が走るように、マグロが泳ぎ続けるように・・・止められない思いなのだ。

 そうして、一緒にもらい泣きの涙を流しながら、”きたりえ”の話を聞いていた”たかみな”の心は、察するに余りある。
 今日あるAKBを、ここまでの人気グループに押し上げたのは、当然のこと、作詞家兼プロデューサーの秋元康をはじめとする運営サイドの力によるものだろうが、それでも誰しもが認める通りに、”たかみな”の優れた統率力がその一つであったことに間違いはないし、そんな彼女の役割は、それぞれのメンバーたちを、叱咤激励(しったげきれい)する厳しい父親であり、またメンバーそれぞれのつらい気持ちを理解するやさしい母親でもあったからだ。 
 ただ彼女には、メンバーの選択権があるわけではなく、話を聞いてやることしかできず、また今回の”きたりえ”の思いを聞いて、自分の行く末さえも重なって見えた上での涙だったのだろうが。

 この二人の対談が終わった後の歌は、最近公演されたAKBのミニ・ミュージカルに主役として出演した若手の二人、17歳の小嶋眞子と15歳の大和田南那による、いつの日かAKBの舞台に立って歌うことを夢見る少女の歌、「ミニスカートの妖精」だった。
 歌も踊りも、まだ芸とは言えないほどの、たどたどしさの残るものではあったが、そこにはそれなりの少女たちが歌う初々しさがあった。誰もがそんな時があったような、おそるおそるの恥じらいと、期待いっぱいの思いに溢れて・・・。

 この若い二人と、”きたりえ”とを比べようというのではない。
 それぞれに、年相応の立ち位置があり、場所があり、経験として活かせる場所があるはずだということだ。
 中学では成績やスポーツなどで最上位にあった子が、そんな優秀な生徒たちが集まる高校では、他に自分より上の子がいっぱいいることに気づかされて、一度目の大きな挫折を味わうように、それは大学や、社会に出てからも、最後までつきまとうことになる、競争社会の定めでもあるのだ。
 誰もが、一番を争える上位グループにいるわけではないし、多くの人たちは、その下の地位で満足するしかないのだが、それをいやいや受け入れるのか、十分に満足して受け入れるのかは、あくまでも個人としての価値観の問題なのだ。
 いつ、競(きそ)い合うことをやめるのか、どこで、自分にふさわしい場所を見つけ、とどまるのか。

 (そこで思い出したのが、今年の第6回AKB総選挙の時に、今まで一度も64位までの順位に入ったことがなく、今回80位までにその枠が広げられたこともあって、初めて71位で名前を呼ばれた時の、田名部生来(たなべみく)の、”まさか自分が”と驚きあわてふためき涙する姿だ。
 彼女は”きたりえ”などよりも古い、3期生の今年で22歳だが、もちろん選抜メンバーなどに選ばれたこともなく、それでも自分の立ち位置を理解して、地道にAKB劇場での定期公演などを続けていたのだが、それをファンは知っていて、そうした熱心なファンたちが、彼女の長年の裏方的な努力勤勉さに対して与えた、”夏の叙勲・AKB紫綬褒章”だったのかもしれない。
 同じ涙でもこちらは、ええ話や。)

 ところで話を戻せば、人気ある若手メンバーを選び、次の世代へとつなげていこうとする、AKB全体の運営サイドの考え方は、芸能界で生きるアイドル・グループの経営を成り立たせていくための当然の方策であり、実力はあっても変わり映えのしないメンバーたちだけの舞台では、新しいもの好きのアイドル・ファンの心をつかめないことを十分に知っているからだ。
 そのやり方が非情な切り捨てだ使い捨てだと、非難することはできない。アイドル・グループとして存続させるためには、その人気を継続させ、何としてもまず十分に採算の合う経営状態にしなければならないからだ。

 芸の蓄積がものをいう、能や歌舞伎や人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)といった、伝統的古典芸能の世界などとは比べものにもならないが、同じ大きなくくりで言う芸能界でも、このAKBの”きたりえ”の涙を見て、ほんの十年足らずの短い活躍期間でしかない、こうした若さと見てくれが売り物の、アイドル業界の厳しい一面をかいま見たような気がした。
 そういえば、私はまだ読んではいないが、愛人の子供を誘拐(ゆうかい)するというテーマを描いてベスト・セラー本になった、あの『八日目の蝉(せみ)』という題名を思い出したのだが、もちろんここでの”きたりえ”の話とは全く関係のないことなのだが、地上に出て一週間しか生きられない蝉の命を思いながら・・・。 
 
 しかし、今回のこの”きたりえ”の話で言えば、彼女はこれから年を重ねるごとに、あの時の涙は、自分がまだ若かったころの思い出の一つでしかなかったことに気づくだろう。
 何しろ、彼女はまだ23歳の若さなのだ。
 これから、自分の心の持ちようを変えていくこともできるし、また新たな道に進むこともできるし、私たち年寄りから見れば、うらやましいばかりの迷い悩むことのできる、その若さの盛りにいるわけだから。

 で、その私たち年寄りと言えば、そうした争いや競い合うことを、長年にわたってさんざん繰り返したあげくに、それはつまり、生まれてこの方以来のあきらめることを憶えていく人生でもあったのだから、それだからこそここまで生き延びてきたのだと、自らに言い聞かせ納得しているのだ。
 もう十分過ぎるくらいに、自分の人生を過ごしてきたのだから、これ以上のことは望まないし、今の穏やかさの中にいれば十分なのだと思い、前回にも書いたあの年寄りたちの言う”多幸感”に満たされていくようになるのだろうか。(10月27日の項参照)
 
 あきらめを知ることで得られる、静かで穏やかな世界の心地よさ・・・あー極楽、極楽・・・「お前は温泉につかった年寄りか」と言われそうだが・・・はい、それが何か・・・ベツに、とでも言えば、どこかの女優さんみたいに反感をかいそうだが。
 
 冬場にかけて天気の日が続く、この十勝地方では、それだけにこれから毎日のように、決して同じ光景にはならない夕焼けの空を見ることができるようになる。

 何という、輝かしき天の啓示(けいじ)のひと時だろう。
 その姿を、目の当たりにすることのできる幸せ。
 去りゆくものの描き出す、一瞬の極彩色の光景と、また次なる時に新たに生まれ出(いず)るために、ひと時の間、闇の中へと包みこまれていく輝かしき光と・・・。