ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

秋の日は 暮れずともよし

2014-10-06 20:23:53 | Weblog



10月6日
 
 「秋の日のヴィオロンのためいき ひたぶるに 身にしみてうら悲し」

 (上田敏訳 『海潮音』より 「秋の歌」 ポール・ヴェルレーヌ。他にも新潮文庫の堀口大学訳の『月下の一群』もある。)

 秋になると、いつも思い出す詩の一編であり、ここでも何度も取り上げてはいるのだが、どうしても口に出して見たくなる。
 私の頭の中に流れてくるのは、あの有名なフランクのヴァイオリン・ソナタの出だしのメロディーだ。他には、フォーレの幾つかのヴァイオリン曲も悪くはない。
 あたりにたゆとう秋の気配と、もの悲しさと気だるさが入り混じって・・・。
 私は、紅葉シーズン真っただ中にある山にも行かず、毎日何事もなく静かに、同じに様な日々を送っている。これでいいのだと思いながら・・・・。

 家の外に出て、ふと見ると、庭の片隅にある遅咲きのオオハンゴンソウの花の上に、一匹のチョウがとまっていた。
 今の時期、こうした日差しの暖かい日には、まだまだ何匹かのチョウが飛んでいるのを見かけるから、それほど足を止めて見るまでのことはないのだが、次の瞬間、私は立ちすくんでしまった。

 それは、ここまで羽がボロボロになったチョウを、今までに見たことがなかったからだ。
 それぞれのチョウたちの活動期の終わりのころには、確かに羽の一部が欠けたものを見ることはあったのだが、これほどまでにすり切れた羽を見ていると、このチョウは飛べるのだろうかとさえ思ってしまったのだ。
 これは、おそらくサトキマダラヒカゲかと思われるのだが、私が静かに近寄って見ていても、逃げようともせずにしきりに花のミツを吸っていた。
 生きること・・・こうした体になっても、命の脈動がある限り生き続けること、誰からの助けを借りることもなく、自らの意志の力だけで、本能である生を全(まっと)うすること・・・。

 私は静かにその場を離れ、家に入ってカメラを手にして戻り、そのチョウの写真を何枚も撮った。
 手の届くほどの距離で、私は最後にそっと手を伸ばして見た。
 チョウは、その花の上から逃げて、早くはないがヒラヒラと飛んで行った。
 
 今は、秋から、もう冬の季節に近づいている。
 小さな白い雪虫が舞い、朝の気温は3度にまで下がっていた。昨日、この秋初めてストーヴの薪(まき)に火をつけた。

 そんな季節の中で、何でもないようなほんのひと時の光景に、私が胸打たれたのは、とりもなおさず老い行く我が身に置き換えたからでもある。
 あの悲惨な御嶽山噴火事件と、その遭難者たち、家族友人たちとのドラマの数々に胸ふさがる思いがして、ここしばらくは、山に行く気もうすれてというわけではないのだが。
 この秋、実は紅葉の東北の山々を巡る計画を立てていたのに、行くことができなかったのだ。

 それは一つに、前回の登山である大雪山・黒岳の時にも書いたように、この秋は北海道だけではなくて、東北でも紅葉のシーズンがいつもよりずっと早く来ていて、予定していた10月初旬ではもう遅すぎたからでもある。
 これから行くにしても、さらに台風が来れば、せっかくの紅葉も散ってしまうだろうからと、早々にあきらめたのだ。

 それならば、もっと早く9月の終わりに出かければよかったのだが、せめて3日は続く天気の日がほしいからと欲張っていたために、行くタイミングを失ってしまったのだ。
 いやいや、それらは後から考えた自分への言い訳であり、前回にも書いたあの心理学者アドラーの言葉を借りて言えば、”本当に、どうしても山に行こうという気がなかったから、行かなかっただけのことだ”。

 ただでさえ、人ごみの中を歩くのがいやな出不精(でぶしょう)であり、それが年を取ってきてさらに輪をかけて、大した用事でもないのに外に出かける気にはならないから、なおさらのことだ。
 そういえば、ちらりと見た民放のバラエティー番組で、イベント(催し物やお祭りなど)などが好きな人とそうでない人に分かれて、その訳を話していたが、その理由はともかく、家に(部屋に)いた方がいいという人がこれほどいるのだと、私だけではないのだと納得してしまった。
 ちなみに、ここで言う”出不精”とは、どこにも行かずに家にいて、”食っちゃ寝”を繰り返しているから、いわゆる”デブ症”になるのだと、私自身が実感しているのだが・・・今は、若いころと比べて10㎏も太ってしまったのだ。

 しかし、そうして家にいることは、悪くないというより、むしろ今の自分にとっては心穏やかに過ごせることで、またある意味での”黄金の日々”なのだとも思っているのだ。
 私は、後になってそういえばと考えたのではなくて、若いころからその時その時で、今が”黄金の日々”だと思える瞬間が何度もあったからだ。
 そこには、ある時には自分への、ある時には愛する人への、またある時は大好きな山々への、あふれる思いに満たされたひと時があったからだ。

 今、こうした穏やかな秋の日に家にいて、それは大きな思い出にはならないのかもしれないが、やるべき仕事を少しずつやり終えていくことに、あるいは周りの何かを見つけることによって得た、その小さな達成感と満足感もまた、”黄金の日々”とまではいかなくても、ある種の小さく光り輝く”銀の日々”になるのかもしれないのだ。

 人は、生まれながらにして”銀の匙(さじ)”を口にくわえているのではなく、ただ毎日、自分の口に運べるステンレスのスプーンがあるだけでも、感謝すべきだし、それが自分にとっての”銀の匙”だと気づくべきなのだ。
 エル・ドラド”黄金郷”とは、探しに行くべきどこかにあるのではなく、その気になれば、いつも自分の心の中に見つけられるものなのだ。 

 そうして、秋の日の青空の下で、私は小さな仕事を少しずつやっている。
 公道の道路拡幅の際に伐採された大きな木を、薪(まき)用にと十数本もらいうけ(2年分はある)、その何本かを運べる長さに切り分けて、とりあえずは並べて置いておくことにした。

 今まで、家のストーヴには、自分の林のカラマツを切り倒して薪にしていたのだが、このたびもらったものは、ミズナラやカシワの落葉広葉樹であり、カラマツほどにはヤニや油を出さないし、薪としてのもちもよくてありがたいのだが、今年はともかく切り分けるだけにして、一年放置して水分が抜けるのを待って、来年は、そこから家の傍まで一本一本抱えて運ばなければならない。
 他にも林の中には、切り分けて1,2年おいたままのカラマツ丸太があり、それはストーヴに入る数十センチに切って運び、裏庭で薪割をして、薪を作っていく。
 重たい丸太を運ぶのは、年寄りには重労働だから、少しずつしかできないが、それでも腰が痛くなるし、ヒザにも負担がかかり、今も痛みが残っているほどなのだ。

 さらに庭の手入れがある。シバザクラの中に周りの芝生の草が入り込んでいて、今ではもうシバザクラが半分くらい見えなくなるほどになっている。
 そこで、蚊がいなくなってきた今の時期に、その草を一本ごと根こそぎ抜いて行くのだが、その数は無数にあり、取っても取ってもまた来年には出てくるから、無駄な仕事にも思えるのだが。

 その時、葉を落とし始めたリンゴの木に、カラの混群(こんぐん)がやってきた。シジュウカラとヒガラたちが、小さく鳴きながら枝葉の間を行きかっていた。
 そういえば前日のこと、甲高(かんだか)いキョーンという声がして家の林の中を、黒い大きな鳥が飛んで行った。
 声に聞き覚えはあるし、黒い姿の上の赤い頭の色までは確認できなかったが、クマゲラであることは明らかだった。
 もうずいぶん前のことになるが、クマゲラがこの同じ林に来て、木の幹に止まって動き回っていたのを見たことがあるが、それ以来のことであって、こうした鳥たちとの思いがけない出会いが私を幸せな気分にさせるのだ。
 
 さらに汗をかいた体を洗うために、五右衛門風呂の薪に火をつける。
 ただし目を離さないように、薪の燃え具合を時々見ておかなければならない。スイッチを入れれば、あとはブザーが湧き上がりを教えてくれるだけというわけにはいかないのだ。 
 今の時期だと、1時間余りで湧き上がるので早くていいけれど、これから寒くなると次第に時間がかかり、真冬に一度沸かした時には、何とか入れる温度になるまでには、5時間余りもかかってしまった。
 もっともそれは、途中で何度か火が消えて、さらには井戸水が枯れるのを心配していることもあって、半分ほどは雪を入れて溶かしたからでもあるのだが、さらには、家の外に作ったすき間だらけの風呂小屋だから、真冬の北海道では寒すぎて、お湯から出て体を洗うことさえできなかったほどで、以後冬の五右衛門風呂はあきらめている。

 ともかく、林の間からあかね空に暮れなずんでいく日高山脈の山々を見ながら、この狭い五右衛門風呂につかっているときほど、幸せな気分になることはない。
 ふとあの良寛和尚(りょうかんおしょう)の、有名な和歌の一つが口をついて出た。それとは、場面も意味も違うけれども。 

 「この里に 手まりつきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし」

 もちろんここには子供たちの声もないし、春の夕暮れの雰囲気もないが、私がこの時ふと思いついたのは、最後の”暮れずともよし”という、子供たちをやさしく眺めながら、静かに満ち足りた思いの中にあった良寛和尚の姿である。
(良寛については、このブログでも折に触れて何度も取り上げてきたが、’10.11.14、’11.3.31の項参照。)

 ささやかな一日の仕事をして、ゆったりとした気分でお湯につかり、大好きな山々の姿を眺めているということ・・・このあかね色の景色が暮れずに、ずっと続いてくれればいいのにと思う心・・・。
 しかし現実は、それほど美しい抒情的な光景であるはずもなく、外見内部ともにすすけて汚い掘立小屋(ほったてごや)の五右衛門風呂から、何日も風呂に入らずヒゲだらけになったむさくるしいジジイがひとり、ただ切り開けただけの風呂場の窓から、顔をのぞかせているだけのあまり見たくもない姿だ。
 まあそれでもいいと、本人が思っているのなら、他人の知ったことではないのだが。 

 生きることとは、あのサトキマダラヒカゲのように、ボロボロの羽になっても、自分だけで生き続けること・・・。
 最期の時を迎えようとしていたミャオは、雨の降る中ふらつく足で何度も外に出て行こうとしたのだ。自分の弱った体を治すために、ひとりだけの静かな場所で横になって。
 病院に運ばれた母は、やがて目を閉じて意識がなくなっていたのに、私の握る手をしっかりと握り返してきたのだ・・・もうこれ以上書くことはできない・・・。

 私は、あのサトキマダラヒカゲのことを思う。
 私は、ミャオのことを思う。
 私は、母のことを思う。
 私は、山で亡くなった人々のことを思う。
 私は、山のことを思う。
 私は、天国の広さを思う。
 私は、私のことを思う。

 (堀口大学訳 『ジャム詩集』新潮文庫より 「サマンに送る哀歌」にちなんで。) 

 今日は、昼前から台風の余波を受けて、雨が降り続いていた。
 朝5度の気温は、とうとう10度を超えることはなかった。
 高い山では雪になっているのかもしれない。
 私はいつ山に登るのだろうか。