ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

伏見岳と、やはり野に置けれんげ草

2014-05-26 22:08:53 | Weblog

 

 5月26日

 昨日の夜から霧雨が降っている。気温5度。
 久しぶりに、ストーヴの薪(まき)に火をつけた。
 おそらくは今日一日、この温度のままの寒さで推移することになるのだろう。
 もっとも、6月に入っても、たまには雪の降ることもある北海道だもの、このくらいの寒さで驚くことはない。
 ましていつも言うように、寒さよりも暑さが苦手な私にとって、この寒さは、ストーヴの薪の燃え盛る音とともに、かすかに冬の名残を感じさせて、心穏やかなひと時を与えてくれるのだ。
 
 静かに流れゆく、クープランのクラヴサン曲集・・・。
 ありがたいことだよ、こうして生きているということは。
 窓の外には、雨に濡れた木々の新緑の葉が、かすかに揺れている。

 多くを望まないこと、今あるものの中で、それでもひたむきに生きていくこと。
 年を取ることは、そう悪いことでもない。
 残りの時間が少ないことがわかるからこそ、それらの時間がきらきらと輝いて見えるのだから。
 感謝する思いが、すべて心を穏やかにしてくれる。

「・・・・
 万物は生まれ、育ち、活動するが、
 やがて元の根に帰ってゆく――
 その働きが見えてくるのだ。

 その行く先は静けさ、
 その静けさこそ自然の本性。
 水の行く先は――海
 草木の行く先は――大地
 いずれも静かなところだ。
 自分の本性に戻るとは、だから
 静けさに還(かえ)るということ。
 それを知ることが智慧(ちえ)であり
 知らずに騒ぐことが悩みや苦しみを生む。
 いずれはあの静かさに還るとなれば
 心だって広くなるじゃないか。」(第十六章)

(『伊那谷の老子』加島祥造 朝日文庫)

 
 数日前に、山に登ってきた。
 前回の登山から、もう一月近くも間が空いていたことになるが、それは昔のように、登りたい山にガツガツしなくなったからと言うべきか、あるいは、年を取りさらにぐうたらになってきたと言うべきか。
 それでも山が好きだから、細々とではあるが、やはりこうして登り続けているのだ。

 二三日前に、NHKで『グレート・トラバース』という番組が放送された。
 それは、もともと海外の鉄人レースなどにも参加している、有名なレーサーでもある若者が、動力を使わずに自分の手足だけで、一筆書きのコースをとって日本百名山すべてに登ってしまおうという、若者ならではの挑戦を描いたドキュメンタリーであった。
 その第一回目として、九州、中国、四国の山々が登られていたが、九州の屋久島から始まったその山旅は、カヌーを使って海を渡り、歩いて登山口まで行って山に登るという、過酷な行程だった。
 それは、私の山の登り方や山への思いとは全く別な、他のスポーツにしか見えなかった。

 あわせて、昨日の民放のニュース・バラエティー番組では、近頃人気の”トレイル・ラン(山道走り)”の問題点を取り上げていた。
 それも、あの年間250万人もの登山観光客が押し寄せる高尾山に、そのコースが設定されていて、そこを駆け下りてくるランナーとゆっくり登り下りしている登山者との、異常接近の危うさが指摘されていた。

 本来、競技者としてのランナーは競技場内のトラック・コースを走るか、指定警備された公道を走るかだったのだが、トレイル・ランの競技会では、一般登山者が歩いている山道が併用され使われている。
 たとえそれが、単独のランナーであったとしても、最近では登山者の誰でもが経験しているように、思わず危ないと感じたこともあるはずだ。

 競い合い記録のために走るトレイル・ランと、誰とも競わない、逍遥(しょうよう)のハイキング・登山との差異・・・。

 私が思う静かな山歩きのためには、あまり人の行かない山に、それも平日を選んで、さらに雪のある時に行けば、そうした韋駄天(いだてん)ランナーとは会わなくてすむということだ。
 そういう意味でも、山に雪のある冬から春にかけては、その残雪の織り成す景観とともに、安心して山歩きを楽しめる季節であると言えるだろう。
 もっとも、私がよく登っている日高山脈の山々は、もとより人が少ないし、トレイル・ランで走るには勾配が急すぎて、競技用の山域にはならないだろう。(ただし、あまり言いたくはないが、北端の佐幌岳やオダッシュ山などは標高も低くおあつらえ向きだが。) 

 私が今回登ったのは、北日高の伏見岳(1792m)である。(写真上、妙敷山と伏見岳、雄馬別付近より)
 この山は、日高山脈としては高い方の1700m級の山であり、主峰群を眺める絶好の展望台となっていて、さらに同じように展望が素晴らしい十勝幌尻岳とともに、私のよく登っている山でもある。
 ただし、それは厳冬期と真夏を除く、残雪期と初夏、秋、さらに初冬の季節に限られてはいるのだが。
 今回もまた、まだ雪に覆われた日高山脈の峰々を眺めるためにと、登りに来たのである。

 前回、この時期にこの山域に入ったのは、4年前のことになる。
 その時は、登山口に向かう林道が雪で途中までしか入れず、仕方なく手前の尾根に取りついて、妙敷山(おしきやま、1731m)を往復したのだが、天気も良くて雪もきれいで、なかなかにいい山行だった。(’10.5.16の項参照)
 今回は最近の暖かさからもわかるように、林道には残雪すらなくて登山口の駐車場に着いた。

 手前の伏見小屋にあった一台と合わせて、計三台の車が停まっていた。
 入林者ノートを見ると、日の出すぐの4時過ぎに出た一人の他にも、単独行の人たち二人がいて、それぞれに1時間ほど前には出発していた。

 先行者がいれば、ヒグマ対策上は、少しは安心できる。つまり、ストックを石などにぶつけて音を出しながら歩いて行けば、クマよけ用の鈴は鳴らさなくてもいいと思えるからだ。(’08.11.14の項参照)
 それにしても、雪が少なく、山腹のジグザグ道をかなり登ったところから、ようやく雪面に出た。
 残雪期でまだ雪があるからと、プラスティック・ブーツをはいてきたのだが、それだと普通の夏道は歩きにくく、ようやく本領発揮の領域に来たのだ。
  
 登ってきた雪の山腹斜面の、すぐ下の沢を隔てて正面には、大雪山系のトムラウシ山(2141m〕と同名の、トムラウシ山(1477m)がまだ高く見えていて、その山稜の間からは芽室岳(1754m)の姿がのぞいていた。
 雪面に腰を下ろして一休みした後、歩き出すと、右側には尾根になった夏道が見えているが、そのままずっと続く雪堤の上を歩いて行くことにする。

 前回は、スパッツを忘れて、靴の中に雪が入り、冷たいじゃぶじゃぶ状態で歩くというひどい目にあったのだが、今回はちゃんとスパッツをつけているうえに、あれから1か月もたっていて、雪面はおおむね固く締まっていて歩きやすく、はまり込んだのは、行き帰りを含めても数度ほどだけだった。
 あらためて思うのは、時期を考えて雪の状態を考えて、山スキー、ワカン、スノーシュー、つぼ足と使い分けるべきだということ。
 もう何十シーズンもの雪山登山をしてきているのに、前回のような失敗登山もあって、学習しないし、懲りないというべきか、情けないというべきか。

 それはともかく、今はこのすっきりと明るい雪堤の道を楽しもう。
 左手に、小さく二つに分かれた妙敷山が見え、雪堤はダケカンバの木々を境にしてずっと上まで続いている。
 青空と、残雪の白と、ダケカンバの白い幹と・・・それは、私の好きな山の配色の一つでもある。 


 

 空には、ぽつぽつと小さな雲が流れてきていた。
 山の天気予報については、前回書いたように十分に調べて、朝5時の予報を確認して家を出てきたのだが、今回は高気圧の位置が少しずれているのが気になっていて、やはり今回も終日快晴の空というわけにはいかなかった。
 まあそれでも、頂上に雲がかかるほどにはならなかっただけでも、よしとするべきだろう。

 誰かが、右側の木々の間の夏道を登っているのだろう、鈴の音がしていた。
 その先で、北西尾根の雪堤が終わり、いよいよ西側に向かっての山頂山腹斜面の登りになる。
 すると、さらに左手奥の方から別の鈴の音が聞こえてきた。
 山腹をトラバースしてきたらしい登山者がやって来た。
 私と同年代らしいが、妙敷山へと回ってきたとのことでしばらく立ち話をする。元気なものだ。

 そこで、再びそのまま急な山腹を登り続けて行くと、再び後ろから鈴の音がして、ダブルストックの男の人が私を抜いて行った。
 登り続けるスピードが、まるで違っていた。私にも、あんな時代があったのに。

 その上に悪いことには、もう今ではすっかりクセになってしまった、あの脚がつりはじめてきたのだ。
 痛てててと、つぶやきながら足を伸ばしたり叩いたりして登って行くと、右側が少し尾根らしくなってきてすっきりと開けて、芽室岳がきれいに見えてきた。

 ようやく山頂下の肩に着くと、そこから後はハイマツだけの森林限界となって、すっきりとした雪の斜面の向こうに、カール跡もくっきりとエサオマントッタベツ岳(1902m)と札内岳(1896m)が並んでいた。

  

 この伏見岳から見える山々の中でも、私の好きな二つの山だ。
 つまりは、この山々の姿を見たいがために、伏見岳に登ろうと思ったのだ。
 それは、あのカムイエク三山 (ピラミッド峰、カムイエク、1903m峰あるいは1917m峰)を見るために、十勝幌尻岳(1846m)に登るのと同じ理由だ。
 
 この雪の斜面で何枚もの写真を撮り、そして一登りするとハイマツ台地に上がり、その先にある岩が露出した頂上に着いた。
 誰もいなかった。少なくとも、私より前に、あるいは追い抜いて行った人も含めて、4人の人が先行しているはずなのだが、皆それぞれに妙敷山などへのルートに向かったのだろう。
 ただし、この日高山脈の盟主でもあるあの日高幌尻岳(2053m)を見るには、この三角点の置かれた頂上よりは、50mほど西に離れた高みにある、西の肩というべきもう一つの頂きからの方が適している。

 途中の尾根の雪道には足跡はついていなかった。やはりみんな妙敷の方に回ったのだ。
 この西の肩からは、さらに西へと尾根は伸びていて、日帰りでは強行軍となるピパイロ岳(1917m)に至り、さらには日高幌尻岳へのロング・コースと続いている。
 そしてもう一つ、この西の肩から雪の北尾根をたどれば、あの登りはじめに大きく見えていた、トムラウシ山へと回っての周遊コースとなるが、なんと言っても、この北尾根途中から振り返り見た伏見岳の姿が素晴らしいのだ。

 (ただし、トムラウシ山からはあまり利用できる残雪がなくて、古い伐採林道跡などを利用して下るしかなく、沢を渡り、伏見岳の登山口に戻るまでも少しヤブコギになってしまうが、それほどひどくはない。)

 そうした昔たどったコースの思い出にふけるよりは、今はただ、この日高山脈核心部の眺めにじっくりとひたることにしよう。
 中央にひときわ高く大きく、日高幌尻岳(2053m)があり、その手前にはカール跡がはっきりと分かる戸蔦別岳(とったべつ、1959m)の三角錐のピークがひときわ目立ち、さらに主稜線は北に、その先の北戸蔦別岳(1912m)へと続いていく。


 

 さらに北戸蔦別からは、日高第三位の1967m峰へと続き(頂がほんの少し見えるだけ)、目の前に大きく広がるピパイロ岳へと連なっている。
 その先は、北端の1700m級峰である芽室岳との間に、チロロ岳東西峰(1880m)、ペンケヌーシ山(1750m)、ルベシベ山(1740m)、1725m峰などのそれぞれに思い出のある山々が見えている。

 一方の日高幌尻岳から左側には 、戸蔦別からの主稜線は、私がまだ登っていない1803m峰から、あの日高幌尻岳への絶好の展望台である1780m峰(’09.5.17~21の項参照)とカムイ岳(1756m)へと続き、その間の後ろには、日高山脈で一番遠い所にあり、ふもとからは見えない唯一の山でもあり、私も登っていないナメワッカ岳(1800m)が見えている。
 カムイ岳からはエサオマントッタベツ岳に札内岳と続き、その間に遠くカムイエクウチカウシ山(1979m)の頂がほんの少し見えていて、あと札内岳から派生した尾根は、最後の高みとなって十勝幌尻岳(1846m)へと続いている。
 さらに天気が良ければ、南側はるか遠くに楽古岳(1472m)方面を見る事ができるし、北側には芽室岳の後ろに、十勝岳連峰からトムラウシ、大雪、ニペソツ、ウペペサンケまでの大展望に恵まれることもあるのだ。
 
 ただこれだけの雲が出てきていても、いまだにどの山頂にかかることもなくよく見えているから、十分に満足できる展望だった。 
 私はそよ風の吹く山頂にただ一人、1時間ほどもいた。それでも山々を一つ一つ眺めては写真を撮っていると、あっという間の時間だった。
 
 さすがに下りは楽だった。雪がショックを受け止めてくれるから、ひざに来ないし、足先も痛くならない。
 しかし、ずんずんと下って行くのがもったいないくらいで、何度も立ち止まっては、この雪の道とダケカンバと青空を眺めていた。
 見上げる空には、明らかに雲が増えてきていて、所々日が陰ってきた。

 最後の夏道に出る雪の斜面の所で、後ろの方から鈴の音が聞こえてきた。頂上への斜面で、私を追い抜いて行ったダブル・ストックの彼だった。
 立ち止まって、しばらく立ち話をする。
 彼も、あのトラバースしたところで出会った人と同じように、妙敷まで行ってきたそうだ。
 私より1時間以上も後に出て、先の妙敷まで行ってきて、さらに下りの私に追いついたのだ。
 まあそれが元気なころの、普通の人のペースなのかもしれないが、私も年を取ったものだ。
 彼は仕事の関係上、土日休めなくて、平日が休みだが、人が少なくていいと言っていた。

 (後で登山口に戻ってきて、入林者ノートを見たのだが、今日の登山者は8人もいて、私が会ったのは3人だけだが、8人すべてが一人だけの単独行者たちばかりだった。
 本当に山が好きで一人でも登りたい人たちと・・・前回のあのペケレベツ岳で出会った4人パーティーと。) 

 彼は先に降りて行ってしまった。
 私は雪の斜面に腰を下ろして、ゆっくりと休んだ。まだ山の中にいたかった。
 ここには雪があっても、対岸に見えるトムラウシ山の、山肌の下の方には春が来ていて、新緑の木々に彩られていた。
 重い腰を上げ、夏道に出ると、プラスティック・ブーツの足先が痛い。
 道端には、わずかにエゾイチゲ、ヒメイチゲの白い小さな花が見えるだけだった。
 沢音が聞こえる下まで降りてくると、日を透かして映える新緑の木々の葉がきれいだった。それは、何度も何度も振り返り見たくなるほどのやさしい光景だった。

 駐車場には、他に車が一台あるだけだった。 
 登りに4時間余り(普通のコースタイム3時間)、頂上に1時間 、下りは3時間足らず(ふつうのコースタイム2時間)と、それでも年寄りの遅い足で何とか歩き、8時間も山の中にいたのだが、それほどのひどい疲れではなかった。
 周りの山腹には、今を盛りにオオサクラソウの花が咲いていた。この花は、日高山脈の山すそのあちらこちらで見られるのだが、ただ悲しいことに、その群落の中に幾つもの盗掘の跡が残っていた。

 悲しい気持で、”やはり、野に置けれんげ草” という言葉が思い浮かんだ。
 野の花は、その花が咲いている自然の中にあることこそが、彼女がそこで生きることこそが最もふさわしいのに。

 今年もまた、家の林のふちに、クロユリの花が咲いている。
 私が植えたわけでもないのに、鳥か獣たちかが運んできた種が、長年かかって大きくなって・・・ありがたいことだ。

 私のごひいきである、AKBの二人に・・・うちの娘たちに、何ということをしてくれたんだ。
 せっかく、新曲『ラブラドール』での、彼女たちの明るい歌声を楽しんでいたというのに・・・。