ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

いつの日か誰かがこの道を

2013-12-16 18:00:28 | Weblog
 

 12月16日

 10日ほど前に、この九州に戻ってきた時、バスで走る道のそばの木々は、まだ紅葉の盛りにあった。
 しかし山の中にあるわが家の周辺では、もうほとんどの紅葉は終わっていて、ただドウダンツツジの赤い色だけが、ひとり鮮やかに残っていた。(写真上)
 実は、北海道の庭にも、このドウダンツツジを一本植えているのだが、もともと北の木ではないから、伸びるのが遅く、もう10数年にはなるのに、植えた時と大して変わらない大きさのままだ。
 ただ、このドウダンツツジの紅葉は、同じように葉が赤くなる他の木々と比べて、その期間がずっと長く楽しめるのだ。

 思えば、九重山のあちこちでは、特に大船山(だいせんざん、1787m)の山腹を彩るドウダンツツジの紅葉は有名であるが、残念なことに私は、その時期にはちょうど北海道や北アルプスの山々を歩き回っていて、恥ずかしながら今まで一度もその紅葉を見たことがないのだ。
 そして、そんな紅葉の九重には、年を取ってきつい山歩きができなくなってから、登ればいいと思っていたのだが。
 しかし今、いつしかそんな年齢に近づいてきているのだ。

 今年の山歩きは、前にも書いたように、去年と同じく一か月に一度行くのがやっとのところで、それまでの年20回ほどの山行からも、もっと言えば10数年前の最盛期にはひと月三回、年36回も行っていたころから比べればなおさらのこと、情けない山歩きの回数になってしまったのだ。
 そしてそれは、別に前ほどには山に執着しなくなったとか、山登りが嫌になったとかいうのではなく、ただただ年とともに、わがままになりぐうたらになったというだけのことであるが。
 もっともそれで、なるほど年寄りが嫌がられるのは、そういうわけだったのかと、自ら納得したのだった。

 とはいっても、今年の山行は、そうして数は少ないながらも、一つ一つが十分に満足できる、というよりはきわめて印象的なベストの山行が多かったということでもある。
 その中でもあえて選べば、厳冬期に近い3月の初めの大山(だいせん、3月12,19日の項)、7月中旬の木曽御嶽山(きそおんたけさん、7月16日、22日の項)、そして8月初旬の北アルプス(8月16日~26日の項、特にあの黒部五郎岳での至福のひと時はわすれられない)、ということになるだろうか。

 いずれの時ももう歳だからと自分に言い聞かせて、コースタイム通りのゆっくりしたペースで歩いたのが良かったのか、ひどい疲れを感じることもなかった。
 思えば、むしろ若き日には無理をして、疲労困憊(こんぱい)の状態になったことのほうが多かったのだ。
 
 そういえば、こうしたゆっくりしたペースで登っている時に、思わず口の中で繰り返し歌っていた歌があった。
 それは、何とも恥ずかしながらこの年になって、この一年ですっかりお気に入りになってしまった、あのAKBの歌である。
 思い返せば、確か二三年前、Eテレでやっていた登山入門講座か何かで、息を整えていくために、演歌の一節でも歌いながら登って行くのがいいとか言っていたのだ。
 かといって、「しらかばー、あおぞーら、みーなーみかぜー」とか、「うえのはつのやこうれーっしゃ、おりたときからー」などと歌いながら登る気にはならず、といって突然口をついて出たりする、コマーシャルの一フレーズがあったりしたのだが、それが、今年になってなんとAKBになってしまったのだ。

 こんなことを、このブログに書いてみようと思ったのは、少し前に放送されたテレビでの年末特番の歌番組を見たからでもある。
 それは最初から見ていたわけではなく、たまたまチャンネルを変えた時に歌番組をやっているなと思った程度のものだったのだが、しかしずっと見続けるには余りにも忍耐を要するものだった。

 それは昔のアイドルたちが、今のアイドルたちと一緒に自分のヒット曲を歌うというものなのだが、ひどかった。
 両者ともに音程を外しっぱなしで、とても聞くにたえなかった。あれならば、カラオケで歌っているそこら辺の娘たちのほうが、よっぽどうまいと思うほどだった。
 つまり、両者ともにいつも、スタジオ録音に合わせて口パクで歌っているということだろう。
 新旧のアイドルで、ヒット曲をというアイデアは面白いのだが、生放送の実演だから、逆に歌唱力のなさを露呈(ろてい)してしまっていたのだ。

 この番組の演出・プロデュサーが、自分の首をかけて、今の若い歌手たちを批評の俎上(そじょう)に乗せるつもりでやったのなら、すごいブラックな告発番組だと思えるのだが、そうでなく真剣に番組作りをしたのなら、もう何をか言わんやであるが。
 新旧の歌い手たちが、当時の歌をデュエットする場合、歌唱力が確かなクラッシックや演歌・民謡の歌手たちならば、確かに興味深く面白く聞けるのだが、下手な二人が歌えばもうそれは自分たちだけの宴会の席での歌でしかないのだ。
 確かに、この番組には”何々祭”というタイトルが付けられていたのだが。

 話は変わるが、しばらく前にNHKの『日本の民謡』で、ある若い民謡歌手が、すでに定評のある歌手の歌もあり難曲でもある、あの「道南口説(くど)き」を見事に歌いきったところを見たのだが、その時私は、しばらくの間ぼうぜんとしてしまうほどだった。
 あーあ、録画しておくべきだった。もともと民謡の番組自体が少ないし、その後あの歌手による同じ曲を聴いてはいないから、なおのことなのだが。

 話はそれてしまったが、なぜそんな歌番組のことを書いたかというと、その時はそれ以上聞くにたえずすぐに他の番組に変えて、しばらくして次にその歌番組を見た時に、ちょうど谷村新司があの名曲「昴(すばる)」を、デーモン小暮にAKBのバック・コーラスで歌っていたのだ。
 中高年のおじさんたちには、とみに人気が高いこの曲は、当然のことながら、この私の好きな曲でもある。

 歌の心は、詩にあり、曲にあり、そして歌い手にある。
 昔の歌は、ほとんどが文学的才能のあるプロの作詞家が書いていたから、その内容は心に響き不自然なところも少なかった。
 ところが今の歌手たちの歌う歌は、半数以上が十分な経験もないままに書いた、自作自演の単なる歌のための詩だから、どうしても拙(つたな)く思えてしまう。
(その一方で、今のアイドルであるAKBの歌の作詞は、あの美空ひばりの「川の流れのように」の作詞家でもある秋元康が書いているのだ。)
 
 そういうことを考えると、谷村新司が自分で書いたこの詩には、私たちおじさんたちをうならせるだけの、文学的表現力を感じ取ることができる。
 もっとも、この「昴」については、盗作だとかという非難を浴びたこともあったのだが、果たして私たちは、自分の文章や話し言葉を、今まですべて、自分のオリジナルとして作り出してきたのだろうか。
 思うに、学ぶことはすべて、赤ん坊や子供たちの成長過程を例にあげるまでもなく、まずはまねることから始まるのだ。

 彼の「昴」の詩が、あの石川啄木(1886~1912)の歌集『悲しき玩具』の冒頭の二編からきていることは疑うべきもないことだが・・・、

  「呼吸(いき)すれば、
  胸の中にて鳴る音あり。
   凩(こがらし)よりもさびしきその音!」

  「眼閉づれど、
  心にうかぶ何もなし。
   さびしくも、また、眼をあけるかな。」

 (「現代日本の文学」石川啄木より 学習研究社)

 この歌はわずか26歳で死ぬことになった啄木が、当時不治の病であった結核になったことを、はっきりと自覚し始めたころの歌であり、さらに最初は、この歌集『悲しき玩具』の中にはおさめられていなくて、死後、編者によって冒頭に掲げられることになったものである。

 その歌と、俗世界から離れ行く心の旅人を歌った谷村新司の詩とを比べれば、両者の伝えようとするところは全く別な世界であることが分かる。
 上にあげた死に向かう二首の歌の中に、彼はただ、言い知れぬ孤独な感情を読み取り共感したのだ。
 私はこの「昴」を初めて聴いた時、むしろ彼が、石川啄木までも読んでいたという、その文学的素養に感心したのだった。
 それを、盗作だと指摘する人たちの、心の貧しさを思ってしまう。

 話がまたまたそれてしまったが、山登りと歌というここでのテーマに戻れば、特にこの「昴」の中で終わりのほうで出てくる一節、
 
 「ああ、いつの日か誰かがこの道を・・・」

 というところが好きで、たとえば道のない日高山脈の山々での、誰もいないかすかな踏み跡の道や、雪の斜面にかろうじてぼんやりと残る足跡をたどって行く時には、そのフレーズが思わず口をついて出たものだった。

 そしてその歌番組での「昴」で、バック・コーラスを歌っていたAKBの曲では、あの「フォーチュン・クッキー」はテンポが早すぎて無理だけど、春先にヒットしていた「So Long(ソー・ロング)」は、登山の時に歌うといいとされた演歌のテンポに近く、あの夏の木曽御嶽山の時は、よく口の中でひとりモゴモゴと歌っていたものである。
 
 「So Long・・・ほほえんで、So Long・・・じゃまたね、・・・思い出が味方になる、明日からは強く生きようよ・・・」
 
 ”歌は世につれ、世は歌につれ”なのかもしれないけれど、そこに個々人の思いが加わり、人それぞれの歌への思いが込められることになるのだろう。
 私が歌う歌は・・・とても人様に聞かせられるものではなく、誰もいない家の中で小声で歌う程度のヘタな歌で、と言って時には自分はうまいのではと思ったりして・・・まあそれも、例えて言えば、”鬼が便所でまんじゅう食べている”様なもので、はい、他人様から見れば、ただ怖くて、臭くて、少しはうまいかなよく味はわからないけれど、といったたぐいのものにすぎないのだが。

 毎日、朝はマイナスまで下がり、日中でも5度を超えるくらいで、家が古いから余計に寒い日が続いている。
 そんな中でも、庭の日陰にあるサザンカの花が、今も次々に咲き続けている。(写真下)
 北海道の家の小菊がそうであったように(12月2日の項)、もう虫たちもいなくなっただろうに、まだ夕べに飛び回る蛾たちでもいるのだろうか。
 さえざえとした、その薄桃色の八重咲きのサザンカ、二輪・・・。