ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

寒菊と上ホロカメットク山

2013-12-02 17:20:55 | Weblog
 

 12月2日


 雪の残る庭の片隅に、赤紫色の小さな寒菊の花が咲いている。(写真上)
 ここは、北海道でも雪の少ない地方だとはいえ、それだけに寒さは厳しいのだが、そんな中、この花は毎年11月半ばからの今の時期に咲いているのだ。
 もう外には蝶や虫たちもいないのに、毎日続くマイナスの気温(一昨日は-7度)に耐えて咲いている。
 それぞれにいくつかの小さな花と葉をつけて、数十本の集団となって、もうずっと前からそこに咲いているのだ。

 人間の手によって耐寒性を持つように改良された、栽培種の小菊の花。
 この菊の花は、もうずいぶん前のことだが、今はもう亡くなってしまった近くの農家のおばあさんにもらったものであり、その時に植え付けたほんの一束の小菊の株が、年ごとに少しずつ増えてきたのだ。
 
 何度かこの北海道の家にやってきた母が、この小菊を気に入って、その数本を持ち帰って九州の家の庭に植え付けたのだが、しかし北海道の庭の花ほどには元気がない。やはり、その土地だけに合う花もあるのだろう。
 そして今、もう他に花がなくなったこの時期に、ただ一かたまりになって咲いているこの寒菊は、見て楽しむだけでなく、いつも母の仏壇にと花瓶に入れて供えることにしているのだ。

 ただ残念なことには、この花は日持ちがせずにすぐに枯れてしまう。
 そこで、茎を切るときに水切りをしたり、葉をむしり取り減らしたり、あるいは咲き始めのものだけにしてみたのだが、どうしても3日ともたずにすぐに枯れてしまうのだ。
 だいたいは、花屋で売っている切り花の中でも、菊の花はよくもつ方であり、それも小菊ではなく大きな菊の花の場合は、一二週間どころかうまくいけば三週間もったことさえあるくらいなのに。

 なぜなのかと考えてみたのだが、今の時期、外の気温は日中でも5度に満たないくらいであり、まして最低気温は-5度前後まで下がるというのに、家の中の気温は、朝冷え切った時でも10度位はあり、それからストーヴに火をつけて時間がたてば、部屋の温度は20度近くまで上がることになる。
 つまり、わざわざ、虫たちもいない冷え切って霜の降りる時期、雪の降る時期に咲くこの寒菊にとって、今の寒さこそが、居心地の良い気温なのではないのだろうか。20度の部屋の中では、暑すぎるのだ。

 ”やはり野に置け、れんげ草”のたとえ通りなのだろうか。

 植物にとっても、虫たちにとっても、その他の生き物たちにとっても、それぞれに人間世界とは全く別の、人間たちの考え方ではわからない、それぞれに住みやすい環境世界があるということだ。

 そこで思い出すのは、今までもこのブログで何度かあげてきた、あの言葉だ。

 「少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいて貰(もら)いたい。」

 これは尾崎一雄(1899~1983)の『虫も樹も』の中の一節であり、思い返せば、私が東京を離れてこの北海道に移ってきた理由も、それからの生活も、まさにこの言葉通りであったような気がする。
 もっとも、そうしたことで自分にとっては、結果的に良くないこともあったのだが、良くも悪くも自分で決めた結果だし、それはプラスとマイナスの半々であり、悪くはなかったのだとそう思えばいいことなのだ。

 他にも、彼はこの短編の中で、こうも書いている。

 「しかし、私の今考えているのは、なんでも発見し、何でも発明し、何でもやってやろうという人間の――根性についてである。止め度のない人間の根性。もういい加減にしてもらえないだろうか。・・・。

 私は月旅行なんかしたくない。火星かどこかに土地を持とうなどとは思わない。一発の爆弾で十何万人の人間を殺して何が面白いのか。」 

(以上、今手元に講談社文庫版の尾崎一雄の『虫も樹も』がないので、中野孝次『人生の実りの言葉』文春文庫より転載)


 思えば、この地球上に生きている生き物たちは、すべてそれぞれに生きる世界があり、この世に生きている人たちもまた、それぞれに生きていく道があるのだ。

 想像できないほどに寒くて、疲れるばかりの冬山に登るなんて、とても考えられないという人のほうが圧倒的に多いのだろうが、それでも一部の山好きな人たちは、そんな寒さや困難を承知の上で、冬の山に向かうのだ。
 そして、あの長いアイスバーンの急斜面が続く冬の富士山で、数人の滑落(かつらく)遭難事故があったとのニュース。
 それも初心者などではない、ちゃんと冬山装備でアップ・ザイレンした(ザイルでつなぎあった)ベテランの山岳会所属のメンバーたちだというのだ。

 前回取り上げた、7人もの死者が出た立山での雪崩遭難事故も含めて、冬山については考えさせられることが多いのだが。
 体感温度-20度にもなるような烈風(れっぷう)が吹きすさび、降り積もった雪で雪崩の危険もあり、また吹きさらしの凍結斜面ではいつでも滑落の恐れがあるのに、なぜにそんな危険を承知の上で、冬山に向かうのか。
 今回の富士山の場合は、遭難者救助の訓練だったというのだが、そのもとにあるのは、冬の厳しく美しい山の姿を見るためにあったはずだ。
 つまり、山好きな人にとっては言うまでもないことだが、彼らが冬山を目指すのは、それは何にもまして、純白の雪に覆われた山々の景観を見たいがためなのだ。

 あの立山での雪崩遭難事故と同じころに、北海道は十勝岳連峰にある上ホロカメットク山(1920m)でも遭難が起きていた。
 これもある山岳会の数人のメンバーの遭難なのだが、悪天候の吹雪の中、退避中に一人が低体温症のために亡くなっている。

 冬山では、それにふさわしい装備や技術の他に、雪崩の危険を察知する能力とそのための学習、天候状況の判断(晴れていてもブリザードが吹き荒れることがある)、など夏山とは比べ物にならない配慮と注意が求められるのだ。
 いつでも単独行の私は、それでも冬山に登りたいから、その中でも第一条件となる天気の日を選んで行くことにしている。
 つまり、高気圧の中心が登る山の真上に来るような日、一冬にそう何日もはない絶好の日和(ひより)の日を選んで、雪山に登ることにしているのだ。

 だから、悪天候の危険や氷壁登攀(とうはん)などの経験のない私は、いつまでたっても冬山の初心者でしかない。
 しかしそれは、私が山というものに、踏破や征服さらに技術訓練などといった、冒険、スポーツ的な要素を求めていないからでもあり、いつでもただ山登りだけの楽しみや、山岳景観の楽しみなどしか求めていないからでもある。
 したがって、いつまでたっても登山上級者にはなれないし、またそうしてまで技術向上のための訓練を受けたいとも思わない、つまりぐうたらで楽をしていい眺めを見たいというだけの、山好きおやじにすぎないのだ。

 ひとりでゆっくりと山に登り、誰にもじゃまされずに周囲の眺めを楽しんでは、写真に撮り、家に戻ってひとりニヒニヒと笑みを浮かべながら、山々の写真を見る・・・それは、究極のぐうたら山オタクの姿なのかもしれない。
 そんな私が今までに撮りだめてきた、上記上ホロカメットク山の写真のうちの一枚である。

 


 数年前の11月上旬。、圧雪アイスバーンの曲がりくねった山道を十勝岳温泉まで上がり、そこから雪道を三段山(1748m)に登って、快晴の空の下でただひとり、十勝岳(2077m)や上ホロカメットク山や富良野岳(1912m)の眺めを心ゆくまで楽しんだのだ。
 それは高気圧に覆われた穏やかな日で、風も強くはなく、雪も稜線で10㎝吹き溜まりで50㎝程であり、それほどラッセルで苦労することもなかった。

 今は、この富良野岳温泉から三段山に登る道は雪崩の危険のために禁止されてはいるが、同じように夏道通りに行く上ホロカメットク山へと向かうルートとともに、初冬のころまでは何とかトラヴァース道を通ることができて、手軽に雪山を楽しめるし、さらに北側の望岳台からのコースになる十勝岳(’09.11.9の項参照)や美瑛岳(2052m、’10.10.12の項参照)とともに私のお気に入りの山域になっている。
 
 しかし今年は、すっかり怠けぐせがついて一向に出かける気にはならず、十勝地方を取り囲む山々の峠越えも、いつしかほとんどが圧雪アイスバーンになってしまい、とうとう行く機会を失ってしまった。
 となれば、残すは机上(きじょう)登山ならぬパソコン画面登山だ。
 スキャナーからのフィルム時代のデジタル画像と、デジカメ時代になってからの画像を繰り返し見ては、あの日の山々のことを思い出しニタニタとほくそ笑むのだ。

 三段山に登ったこの日は、確かその三段山の南面のジグザグ道では雪が多く、覆いかぶさる木の枝の雪を振り払いながらで少し苦労したが、稜線に上がると、雪は吹き飛ばされて地面が見えるところもあり、眺めを楽しみながら歩いて行くことができたし、何より上にあげた写真のように、主稜線の山々の素晴らしさに圧倒されたのだった。

 そしてさらに、三段山の頂から東にたどり、急降下の岩稜帯になる手前まで行ってみた。
 ここから下って登り返せば、大砲岩を経て十勝岳と上ホロカメットク山との間の主稜線に出るのだが、夏道の時でさえ少し注意が必要ルートであり、まして雪山だからそれ以上行く気にはならなかった。
 しかし、そこまでで十分だった。圧倒されるような上ホロカメットク山の北西壁と、振り返ってみれば三段山への対照的になだらかな尾根道が続いていた。(写真下)

 こうして、私でも登ることができるような冬山だけにとランクを下げても、十分に雪山の美しい景観を目にすることはできるのだ。
 ずいぶん昔のフィルム会社のCMではないけれど、”それなり”に自分が楽しめればそれでよいのだ。
 私はもう若くはないし、これからのために学ぶよりは今までの経験だけで、それでも慎重にじっくりと山を楽しみたいのだ。

 私は、寒さに震えながらもひとり身を引き締めている、あの庭の寒菊のことを思う・・・。