ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

雪山と美しいもの

2013-11-25 20:51:55 | Weblog
 

 11月25日

 今北海道は冬の天気分布の中にあり、今後1週間の予報によれば、日本海側にあたる札幌や旭川の天気はこれからはずっと雪の日が続くようになるのだが、一方でこの十勝地方では毎日晴れていることが多くなる。(かといって今日のように、時々低気圧の通過で雨や雪の日になることもある。)

 というわけで、秋から冬にかけては、朝焼けや夕焼けの空がきれいに見えるようになるのだが、まず冬の夕方は西高東低の気圧配置で、日高山脈上にそのせき止められた雲が並んでいて、夕焼けはあまり雲に反映されることなく終わってしまうことが多い。
 それも、”冬の日はつるべ落とし”であり、4時前には日が沈んでしまう。
 一方で、朝の日の出の時間は遅くなり今では6時45分くらいになってしまったから、その朝焼けをじっくりと見られるようになってきた。特に東の空に少し雲があると、見事な朝の色彩絵巻を繰り広げてくれるのだ。(写真上)

 そんな、冬の日の快晴の空ほど私の好きなものはない。
 彼方に見える雪の山々、頭上に広がる一面の青空、ピリッとした冷たい空気。
 それが真冬でも、そのマイナス20度にもなるすべてが凍りつく気温の中でも、体も心も引き締り、ほんの少しだけの太陽の温かさを感じながら歩いて行きたくなる。
 本州ではまだ秋の今の時期でも、美しい雪山の姿を求めて、そんな冬の空気を味わいたくて、山好きな人たちは北アルプスの初冬の山に向かうのだろう。

 そして、悲劇は起きてしまった。
 北アルプスは立山連峰の真砂岳(まさごだけ、2861m)で、何と雪崩(なだれ)に巻き込まれて、一挙に7人もの死亡遭難者が出たのだ。
 それは、あの4年前のまだ記憶に新しい、夏の北海道はトムラウシ山(2141m)での、9人もの凍死者を出した事件以来の多数遭難になる。

 他人ごとではない。
 まして、それは初心者ではない冬山の心得も十分にある中高年の人たちばかりなのだ。
 私も、毎年のように(今年はぐうたらなままどこにも行かなかったが)、そんな新雪の時期の北アルプスの山々を歩くのを楽しみにしていたから、なおさらのことだ。
 
 雪の立山連峰へは、最近では6年前の10月の終わりに、混み合うだろう11月の連休の前にと、みくりが温泉の宿を拠点にして、3泊4日もの初冬の雪山歩きを楽しんできた思い出がある。
 最初の日は雲が多かったが、雄山(おやま)に登るころから次第に晴れてきて、続く二日は素晴らしい快晴の空の下での雪山歩きを楽しむことができたのだ。
 二日目は、まず今回の目的でもあった剣御前(つるぎごぜん、2777m)と別山(べっさん、2874m)から、雪の剣岳(2998m)の姿を心ゆくまで眺めて、そして三日目には浄土山(じょうどやま、2831m)、龍王岳(2872m)から立山(3015m)そして真砂岳へと縦走してきたのだ。(写真は、真砂岳の大走り分岐付近から見た立山)

 

 その間、ほとんど人にも会わずに、ただ山々を眺めながら思うままに歩き回った、まさに快心の初冬の山だった。
 もちろん、アイゼンとピッケルの冬山装備だったのだが、まだ雪が積もり始めたころであり雪崩になるほどの心配はしていなかった。

 そして、今回の雪崩の遭難事故が起きたのは、その時の三日目のコースの終わりの所、真砂岳から大走りの尾根をたどって雷鳥沢へ下るルートの、右手の大走り沢斜面で起きていて、テレビ映像で見る限りでは、その上部の、真砂岳頂上直下の(トラバース道がある)所から西側斜面にかけて崩れたようだ。
 特にこのルートでは、頂上から降りてきた道が少しだけゆるやかになり、右に曲がり始める手前のあたりで、左手には立山の三つの峰、雄山、大汝(おおなんじ)山、富士ノ折立が雄大に立ち並び、反対の北側には剣岳がのぞき、西側には大日岳三山も続いて見えている素晴らしいポイントなのだ。
 そこは、適度の傾斜もあり、尾根も丸みを帯びていて、山スキーやスノーボードで滑り降りるにはもってこいの斜面なのだ。

 これはあくまでも推測の域を出ないけれど、ただ尾根の真っただ中を通っていれば問題ないはずだが、誰かが尾根の北側に少し張り出た雪庇(せっぴ)の方に少し身を乗り出したのではないのか、映像で見るとその雪崩の破断面の所でスキーやスノーボード跡も切れているのだ。
 専門家の話では、それまで積もっていた雪がザラメ状になり、その上に前日まで降っていた大量の新雪が積もって、何かのきっかけで広範囲な表層雪崩を起こしたのではないかということだった。
 (雪崩については、私のような単独行者にはできることが限られているのだが、それでも山と渓谷社から出ている『決定版 雪崩学』と『雪崩リスクマネジメント』の2冊を読んで参考にはなった。)

 ところで、今回遭難死した人たちを、単純に注意が足りなかったと非難できるだろうか。
 それは、あの夏のトムラウシ山遭難事件のように、装備や日程における初歩的なミスではないのだから。
 今までもこのブログで書いてきた、あの元楽天監督野村氏の野球運命論(10月14日の項参照)について、それを登山についても同じような確率論として当てはめるべきでははないとは思うのだが、まして冬山では、さらなる確実な安全を図ったうえでの登山・山スキーでなければならないものなのだが、いつもどこかしら冒険的な危険が付きまとう登山には、どうしてもその時々の小さな出来事や環境の変化に左右されてしまうことがあり、結果としての命を懸けた裏表の運命の差が出てしまうとも言えるのだ。

 その場にいなかったから、だから何とでも言える経験のある登山関係者たちは、不注意に過ぎると即断して非難するかもしれない。
 しかし、今まで山で遭難死した人たち、特に数多くの著名な登山家たちに、すべて彼らの判断ミスだったと非難できるだろうか。
 難しい山々に危険を承知で挑戦し続けてきた人たちこそ、遭難にあう確率は、技術や判断を超えた運に左右されることを知っているはずだ。

 私は、技術も判断力も十分ではなく、単なる山歩きが好きなだけの、中級者的な登山者でしかないのだけれども、ほとんどの山行が一人であるだけに、冬山だけではなく、夏の沢登りにおいてさえ、何度もひやりとした経験がある。
 そしてそれは、後になって、技術や判断力を超えた、単なるその時の運の良さだけで助かったのだと知ることが多いのだ。
 もちろん山は運に頼って登ってはいけないが、そういう危機の分かれ目にもあうことがあるということだ。

 たとえば誰でも長い間、クルマを運転していれば、今まで一度や二度、いやそれ以上にひやりとした経験を持っているはずだ。
 私にも、そんな間一髪の冷や汗をかいた覚えが幾つかある。
 一つだけあげれば、数年前にこの北海道で冬を過ごした時に、今にして思えばまだ冬道には十分には慣れていなかったからだと思うのだが、夕暮れの町の道から国道に出ようとしたのだが、その手前ではクルマが一時停車するのでテラテラに凍りついていて、私はそれを知らずに冬道にはもう慣れたつもりでいて、いつもの少し手前からブレーキをかけたのだが、3年目のスタッドレス・タイヤが滑り始めてブレーキがきかないのだ。
 国道を右から、ライトを照らして走ってくるクルマが見える。

 ポンピング・ブレーキで何度かに踏み分けたのだが、クルマは止まらずに滑り続けて、国道に出て行く。 
 もうだめだ。ぶつかる。目を閉じた次の瞬間、目の前に走ってきたクルマはぎりぎりのところで通り過ぎて行き、テールランプが遠のいて行った。
 助かったのだ。
 あと数センチ、コンマ何秒の差で。

 もしあの60~70キロで走ってきたクルマにぶつけられていれば、その時の衝撃だけでなく、クルマは凍った道を回転しながら反対側車線から道の外に落ちたか、あるいは反対車線を走ってきたクルマにさらにぶつけられて大破したか・・・。
 もちろん、そんな冬道での経験だけではない。他にも普通の夏道の時にも、小さな事故ですんだが、命にかかわることになっていたかも知れないことが一つ二つは思い出されるのだ。

 それは山やクルマだけではない。日常の生活のいたるところで、実は危機一髪の事態だったということが、自分では気づかないまでも、今までに何度もあったことだろう。
 そうしたことを、すべて運命論的に考えたくはないが、ここにこうして元気でいる自分を思えば、何かしら、生かされている自分に感謝したくなるのだ。
 そうなのだ、あの子供たちの歌の歌詞ではないけれども、そうして”ボクらはみんな生きている”のだ。

 日々、自分の生きる活力に導かれながら、自分にとっての心地よいもの美しいものを求めながら生きていくこと。
 それは永遠のあこがれのままで、いつまでもたどり着けないものかもしれないし、またその求める程度を下げさえすれば容易に見つけられるものかもしれないし、幸せの青い鳥の居場所は人それぞれの思いによるのだろうが。

 高い望みを持てば、そこにたどり着くのはより困難になり、それだけに、日々努力怠りなく自分の才能を信じて行動し続け、さらに運にも恵まれたわずかな人々だけが、その目的地へと到達することができるのだろう。
 ただ大多数の人は、そこに行き着くこともなく、途中であきらめていくことになる。
 しかし、それで人生の価値が左右されるわけではない。自分の望みを改めて低く抑えて行けば、それなりのものを得ることはできるのだ。
 そこへは比較的容易に到達できるけれども、もちろん成功者としてのあの爆発的な喜びと、それに伴う大きな実利的な満足はない。、
 
 つまり初めから望みを高く持ち、あきらめることなくいつか輝かしい成果を得るためにと挑み続けていくのか、それとも早めに自分の限界を知って、小さな喜びだけでいいと、最初にあきらめることから始めるのか・・・。
 それは人それぞれであって、どちらが正しいとは言えないし、ただ自分で決めた道を歩んでいくほかはないのだ。
 私も若いころには幾つかの大きな夢を求めて、挑戦してはその幾つかにに成功しその幾つかには失敗してしまった。
 その後、自分にできることだけをと小さく範囲を狭めて、それでも自分なりに満足を得ることができると知って、そこで尾羽打ち枯らした哀れな私の心は、ようやく安住の場所を見つけることができたのだ。

 自然のたたずまいに、山の姿に、そして人間の生み出してきた幾つかの芸術の中に、自分が感興できる小さな喜びを見つけた時に、そう感じることのできる自分がいることに、今、生きているのだと感じることに・・・そうなのだ、大集団の中の一人にすぎない蟻の一匹のように、ライオンに襲われ続けるアフリカのヌーの一頭のように、運と不運の中で、それでもただ自分の満足できるものを求めて、無心に生き続けるだけのことだ。

 自分だけの心地よいもの、美しいものを求め続けて、それが生きるということにもなるのだから。


 「それが美しいということは――、見たとたんに美しいと判断でき、その判断が撤回(てっかい)されることがないのが美だ。
  ・・・言い換えれば、まず美しいという選択があり、それがなされたあとに、なぜそれを選択したのかあれこれ考えることになるが、それで選択に動揺や変化がもたらされることはない。 
 いろいろな対象――小説、音楽、建築、彫刻、絵――、などがあるなかで、なんど出会ってもつねに心から称賛できるものと、人はほめるが自分ではとても称賛する気にはなれぬものとがはっきりと分かれる。」

 (アラン 『芸術の体系』 長谷川宏訳 光文社文庫より)

 上にあげたような、彼が選んだ幾つかの芸術のジャンルの他に、私がさらに付け加えるとすれば、他に古典芸能があり、映画があり、さらに人間が作り上げた芸術という枠を取り外せば、もちろん四季の山々の姿があり、空や雲、木々や草花、川や海などの自然のたたずまいがあり、それらこそが、今の私にそれぞれの美しさを見せてくれるものたちであり、まさに私にとっての心地よいものなのだ。

 そうしたものにこだわり続けるのは、自分がそうしたものとは反対の、美しくはないものであるからなのだろうか・・・。
 そしてそれは、他者の目を意識しなくてもすむこうした山の中にいることで、自分の欠点を気にせずに、周りの美しきものたちにかこまれ、心安らかになれるからなのだろうか・・・。

 何かにつけては、仏壇の前に手を合わせて感謝していた母の思い・・・。

 (写真下 みくりが池より立山と左側に真砂岳と大走りの尾根、さらにこの眺めは夕映えに美しく染まることになるのだが。)