9月24日
先週の半ばまでは、まだ夏が続いていた。しかし、その次の日から最高気温は一気に10度ほども下がった。
そのまま、二日三日と日が過ぎていき、日差しはまだ熱いけれども、日陰の空気はすっかり涼しくなっていた。今まで見えなかった日高山脈の山なみがくっきりと見えるようになり、そして、見上げる空の雲の流れが速くなっていた。
今日は、曇り時々小雨の肌寒い一日で、朝の気温は12度で、日中も17度までしか上がらなかった。
前回書いたハマナスの花は、今はもう咲いていない。これから咲いたとしても、あと一つ二つだろうか。その代りに、ハマナスの生け垣のあちこちには、赤い実が目立つようになってきた(写真上)。ようやく 秋が来たのだ。
今までの気だるい夏の熱気に代わって、冷ややかな空気が張り詰めてくると、私の体もそれに呼応するかのように、じっとしてはいられなくなる。自然が私を呼ぶのだ。
それは、昔習った英語の慣用句 ”Nature calls me(トイレに行きたい)"という意味ではない。今まで、ぐうたらに寝ころがっていた体が、急にしゃんとしてきて、何かが外に出ることを促すのだ。動きなさい、働きなさいと。
そこで私は、外に出て、まずは畑仕事に取りかかったのだ。収穫の神、”デーメーテールの授けたもう大地のみのり”(ヘーシオドス『仕事と日』より)を得るために。
全く手入れをせずに、荒れ放題の小さな畑は、雑草が生い茂っていて、まずはその雑草を抜いていくことから始めなければならない。やっと畑の畝(うね)の列が現れてきて、そこをスコップで掘り下げていくと、ジャガイモが幾つか出てくる。
それを全部を寄せ集めても、段ボール箱いっぱいにもならないけれど、私一人分としては十分な量だ。
しかし、種イモ代を計算すれば、何も自分で作らなくても買った方が安上がりなのだが、そこはそれ、ぜいたくな私だけの農業の愉(たの)しみを味わいたいのだ。
春先に畑を耕し、自分の家の生ごみやトイレにたまったもので作った堆肥(たいひ)を、その土の中に入れ、他は何も使わずに、ほったらかしにしてでき上がった作物なのだが、今年はジャガイモの他にもキャベツとトマトも収穫したし、まだ冷蔵庫の中には、春先に冷凍した山菜も残っている。
さて、畑の次には、庭の手入れをしなければならない。ここもまた1カ月近くも放っておいたままになっていて、まずは雑草の草取りからだ。
この土地は、もともとが酸性の火山灰土だから、いつまでたってもスイバ(すかんぽ)が生えてくるし、最近ではカタバミが広がり大量に増えてきて、それをつまみ引き抜き続けていると、指先が痛くなってくるほどである。
その草取りがすむと、やっと芝刈りにかかるが、その芝たけはもう10㎝程にも伸びているから、電動芝刈り機では長すぎてすぐに草がからみついてしまい、使えない。
そこで、両ひざをついて草刈り鎌で刈り払っていくしかないのだが、いくら涼しくなったとはいえ、汗が流れ落ちるし、そこに暑い時から比べれば数は少なくなったが、まだまだ蚊がうるさくつきまとってくるのだ。
他にも、駐車用の空地に茂る草もそのままにはしておけない。まずはタンポポなどの草を取った後、ここもまた草刈り鎌で刈り払っていく。
以上の仕事だけで、三日間もかかってしまった。その毎日の仕事の後には、もうゴエモン風呂を沸かす元気もなく、沸かしたお湯を行水で使い、汗だらけの体を洗い流した。
そこで考えたのだが、いくらグウタラな生活が年寄りの特権だとしても、もう少しましな生活を送れないものかと。
つまり特に暑い時期の対策としては、クーラーを買ってきて、家の中にいてもしっかりと勉学に励むことができるようにすること。そして、エンジン式あるいは電気式の草刈り機を買ってきて、手早く草刈り作業をすませるようにすること。
さらにできるなら、今の井戸に代わってちゃんと水道を引き、浄化槽を設置して、水洗トイレにして、風呂も家の中で入れるようにして、洗濯も心おきなくできるようにすること。
しかし、そのためには莫大なお金がかかる。そんなことに金を使うくらいなら、むしろいろいろな山に行くために使った方がいいのではと考えてしまう・・・。
この家を建てた時には、それらのことが、むしろ野趣あふれることだからと喜び、苦にもならなかったのだけれども、年を取ってきた今では、はっきりと重荷になってきたのだ。
物事には、その時その時の判断ですむものと、長い先まで考えて判断しなければならないことがあるのだ。当たり前のことなのだけれども、人はいつも後になって、そのことに気がつくのだ。
もっとも、それはしておくべきだったなどという後悔ではなく、その時その時に応じて、年相応に生きていくべきだということなのだろうが。
そうした私の、場当たり的で勝手気ままな、かといって半隠居的で消極的的な生き方と比べれば、それとは逆に、社会の中で皆と一緒になって楽しく生きている人たちもいるのだ。
例外的な私の生き方とは違い、大多数の人々は、他人との関係に気を配りながらも自ら楽しみ、社交的であり積極的に生きているのだ。
その違いを目の当たりに見せつけられた時には、私も今更ながらのように考えさせられるのだ。そういう世界もあるのにと・・・。
ただ言えることは、そんな私の思いも、昔の歌のセリフではないけれども、”古いやつだとお思いでしょうが、古いやつほど新しいものをほしがるものでございます”という、ただの一時的な感傷なのかもしれないが。
(確かに深く考えないで、テレビであのAKB48の若い娘たちが歌い踊るのを見ているのは、そうした気持ちからなのかもしれない。)
さて、もう長い間、オペラの話を書かなかったのだが、それは何も興味がなくなったわけではなく、ただ他にも書くことがあり、つい後回しになって、そのまま触れる機会がなくなったというだけのことなのだが。
何かにつけ思うのは、物事が起きて何かを感じた時には、すぐに自分の今の思いを書き留めておくべきだということ。それをちゃんとした形でまとめ考えるのは後でするにしても。
私が最後にオペラの実演を見たのは、もうずいぶん前のことになる。
東京で働いていた時はもとより、あの4カ月ものヨーロッパ旅行の間には、それなりの数のオペラを見てきたのだが、その後こうして田舎に引っこんでからは、すっかりオペラの実演を見る機会もなくなってしまっていたのだ。
それでも、最近の鮮やかなハイビジョン技術のテレビのおかげで、今では家にいて実演さながらにオペラを楽しめるようになってきたから、映画を見る時と同じように、わざわざ出かけて行かなくっても、テレビで見るだけで十分だと思うようになってきたのだ。
(もちろんそれは、生の歌手たちの声やオーケストラの響きなど、劇場の雰囲気そのものを味わえるわけではないのだが。)
それというのも、今では私がすっかり面倒くさがり屋の年寄りになってしまい、オペラを見るために数万円もするチケットを買って、わざわざ東京への往復一二泊の旅をしてまでという気にはならなくなったからでもあるのだが。
山に登る時は、自分の足で現地に出かけて行くしかないから、映像などで間に合わせることはできないし、絵画展などは入場料も安いし、何かのついでに見ることもできるのだが、オペラや映画の場合は気軽に行くわけにもいかないし、これからも、私にとってはテレビ鑑賞ということになってしまうのだろう。
だから、テレビで見るだけの私のオペラの評価は、まともなオペラ・マニアのハイレベルな論評などとは比較にならないほど軽いものだし、それは芝居小屋の外からの、流しの客の冷やかし言葉程度のものにすぎないのだ。
さて今回のオペラは、ウィーン・フォルクスオーパーによって5月下旬に東京で公演されたものであり、7月下旬にNHK・BSで放映されていて、その録画したものを今頃になってようやく見たのだが、思った以上に素晴らしかった。
上でも少しふれたように、こんな生活をしているからこそ余計に、対極にある生活の楽しさが伝わってきて、私も思わず若いころのように憧れる気持ちになったのだ。
人は誰でも、幸せに笑っている人の顔を見るのが好きである。あの『新婚さんいらっしゃい』に出てくる若夫婦たちや『人生の楽園』で紹介される中高年夫婦たちが、幸せそうにしているのを見るのが好きなのだ。
それは、ハンガリー生まれで戦前のドイツ・オーストリアで活躍したフランツ・レハール(1870~1948)が作曲した、オペレッタ(喜歌劇)の『メリー・ウィドウ』である。
本来はドイツ語の原題で言うべきなのだろうが、今ではその英訳(陽気な未亡人)の題名の方でよく知られているのだ。
オペレッタは、喜歌劇あるいは軽歌劇とも呼ばれ、ドラマティックな歌唱が主体の他ののオペラとは多少異なっていて、それは一般庶民にも親しみやすい歌芝居であって、いわゆるベタなロマンスと上品なお笑いがあり、それだけに芸術的な価値は低く見られがちだが、よく見れば人生の機微(きび)がちりばめられた、なかなかに見ごたえ聞き応えのある作品も多いのだ。
そんなオペレッタの代表作としては、この『メリー・ウィドウ』をはじめとして、ヨハン・シュトラウス二世(1825~1899)の『こうもり』、オッフェンバック(1819~1880)の『天国と地獄』などがある。
話は、ある中欧の国のパリ公使館での話で、莫大な遺産を亡き夫から遺されて未亡人になり、パリにやってきたハンナが、それを知ったパリの男たちから求愛されてしまい、公使をはじめとする面々は、国の屋台骨を揺るがせかねないほどの遺産の額が失われて祖国の一大事になるからと、何とか同じ国の男と結婚させようと画策(かくさく)し、そこで白羽の矢を立てたのが、公使館に勤める元騎兵少尉で男爵のダニロであった。
しかし、この二人は、何と昔の恋人同士だったのだ。当時、平民の娘だったハンナと貴族のダニロとの仲は、身分の差を理由に周りの人によって引き裂かれていたのだ。
そこで再会したその二人の、恋の行方はどうなるのか。他にも公使夫人とパリの伊達男(だておとこ)の恋などともからんで、行きつ戻りつ繰り広げられていく、というだけのことなのだが、そこでは過去の思い出や、恋の駆け引き、男と女の思い込みなど様々なできごとがからみ、やがてはハッピーエンドを迎えることになるのだ。
その中でのパーティー・シーンでは、皆がワルツを踊り、中欧ふうな民族ダンスがあり、あのスカートを広げてのフレンチ・カンカンの踊りもあって、観客を楽しませるし、セリフの多い芝居シーンでは、道化役を含めて多くのユーモアが仕組まれていて観客を笑わせ、そして聞きどころの場面では、有名な「ヴィリアの歌」や「唇は黙し」などのアリアが朗々(ろうろう)と歌われるのだ。
私はその昔に、カラヤンが指揮するこの『メリー・ウィドウ』のレコードを聴いた憶えがあるのだが、通して舞台を見たのはこれが初めてだった。ベタな歌芝居の楽しさは、たとえて言えば歌舞伎十八番の愉しみにも似ているのだ。
この記事を書くにあたって、ネットで検索した関連記事の中には、この東京公演の舞台の演奏や歌手たちを悪く批評する人たちもいたが、余り知識のない私には、このテレビ映像だけでも十二分に楽しむことができた。
つまりこれは、あのモーツァルトのジングシュピール以来の楽しい歌芝居なのだから、その舞台を一緒になって楽しめばいいのだ。他のオペラのように、オーケストラや歌手たちが超一流である必要も、またその出来で左右されるべきでもないのだ。
とはいえ、ここでは出演者たちが良くなかったわけではない。まずは、このオペレッタのプリマドンナで、ハンナ役のアンネッタ・ダッシュだけれども、彼女の多少ふくよかな、しかし見栄えのする顔と舞台映えのするその立ち姿は、この舞台にこそふさわしく思えた。
一方のダニロ役のダニエル・シュムッツハルトは、相手役としてはやや重みに欠けるけれど、二人でワルツを踊るシーンや、昔の思い出を語るラブシーンなどでは、息がぴったりと合ってなかなかに絵になっていた。
(ところで余計なことかもしれないが、なんとこの二人は夫婦だとのことで、なるほどそれでと納得したのだが、もっともこのオペラ界では歌手同士が結婚した例は多く、後になって別れた例もまた多いのだ。)
さらにもう一つ、余分な話だが、久しぶりに聞いたドイツ語だが、アンネッタの話す言葉の発音のきれいなこと、あのフランス語のR音とはまた違うドイツ語のR音の心地よい響き。たまりません。
ともかくこの主演の二人がちゃんとしていて(写真下)、もうあとは伝統的な舞台で楽しい音楽と踊りが展開していけば、もうそれだけで十分にオペレッタを楽しむことができるという見本のような公演だった。
というのも、その時の録画番組の後半で放映されたのが、何とあのロシアの作曲家ショスタコーヴィチ(1906~1975)による『モスクワ、チェリョームシキ地区』というオペレッタだったからだ。
それは、ロシアのその時代のものとしての、皮肉を含んだ歌芝居としてはなるほどとうなずけるものだったし、歌手たちは見事な声の歌い手たちばかりだし、フランス・リヨン歌劇場のオーケストラも素晴らしかったのだが、歌がロシア語でセリフがフランス語、そして似たような旋律が多いショスタコーヴィチの音楽そのものに、私は多少退屈さを感じてしまったのだ。
さらにさかのぼれば、これも8月半ばにNHK・BSで放映された二本だが、一つは今年のエクサン・プロバンス音楽祭でのモーツァルト(1756~1791)のオペラ『フィガロの結婚』だが、話題のプティボンをはじめとする歌手陣に古楽オーケストラという演奏はともかく、例の現代劇としての舞台が気になって、私は十分には楽しめなかった。
もう一つは、今年のザルツブルグ音楽祭でのダニエレ・ガッティ指揮によるウィーン・フィルと、ネトレプコとベチャワ他の豪華歌手陣という組み合わせによる、プッチーニ(1858~1924)の『ボエーム』である。
それは何といっても歌手陣が素晴らしく聞き応えがあったのだが、しかし全体的に見れば、期待ほどではなかったのだ。
つまり、それはベタベタの現代若者風の舞台劇(それも一昔前の若者姿)の演出であり、さらに肺病で死ぬミミ役のネトレプコが、いかにその歌声が素晴らしかったにせよ、あんな豊満な体では、(さらに周りの若者たちも生活に貧窮しているふうではなかったし)、とてもミミの最後を憐れむ気にはならない舞台だった。
ただそうだとしても、やはりあげるべきはさすがに天下のウィーン・フィルの響きだ、ラストのプッチーニの音楽が私の胸にも迫ってきた。
ということで、テレビで見るオペラ・ファンとしては、いささか残念な舞台が多かったのだが、実は5月の終わりに、これまた別の意味で見事な一本のオペラが放映されていたのだ。(ミャオの死からまだ日がたっていなくて、ついここに書く機会を逃していた。)
そのオペラで特筆すべきは、いつも私が批判の矛先(ほこさき)を向けるオペラの現代舞台劇化の演出にあったのだ。つまり、それは現代劇化を超えて前衛的でありながら、普遍的なスタイルへと連なる見事な舞台になっていたからだ。
その舞台は、あのアメリカ人の前衛舞台演出家、ロバート・ウィルソンによるものである。
実は彼の舞台演出に関しては、前にも書いたことがあり(詳しくは1月9日の項参照)、それと同じスタイルでドビュッシー(1862~1918)のオペラ、『ペレアスとメリザンド』が演出されていたのだ。
青白いライトに照らし出されたモノトーンの舞台、象徴化されたわずかの舞台背景、歌手たちのパントマイムふうな優雅な動き、それらのすべてが、あの『青い鳥』で有名なメーテルリンク原作の、中世の昔話としての『ペレアスとメリザンド』の悲劇の世界を描き出すのには、ふさわしいものだったのだ。
このパリ・オペラ座のバスティーユ公演で、パリ国立歌劇場オーケストラを指揮していたのはフィリップ・ジョルダンであり、舞台に添うような音の流れが見事だった。
歌手たちもそれぞれに聞き応えがあったのだが、中でもメリザンド役のエレナ・ツァラコヴァの、役柄にふさわしい声と清楚(せいそ)な容姿は、彼女一人だけのアリアの舞台としても、見ることができるほどだった。
他にもペレアスの母親役を、何とあのアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが歌っていたのだ。
この舞台についてはまだまだ書きたいことがいろいろとあったのだが、長くなったしこれ以上の蛇足にならないようにこのあたりで終わりにしたい。
ただこのオペラは、(同じウィルソン演出の『オルフェオ』とも併せて)今年テレビで見た中では、上にあげた『メリー・ウィドウ』とともに、それぞれに演出意図は異なるけれども、今後とも私の印象に強く残るものになるだろう。
つまり、私は自分にないものに憧れて、『メリー・ウィドウ』の明るさに酔い、それとは別に、情念を抑えた静けさの世界を『ペレアスとメリザンド』に見ていたのかもしれない。
人はどうしても、自分の体験だけでつながっている、自分の人生からは離れられないのものなのだ。そして、その自分の筆で描いていく先にあるのは・・・。