ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ハマナスとレンブラント

2012-09-17 17:43:47 | Weblog
 
 
 9月17日

 もうここに書くのもイヤだけれど、言わずにはいられない。暑い。
 いつも言っているように、暑さに弱い私は、そのために東京を逃れて北海道に移り住んだぐらいなのに、つい、こぼしてしまうほどなのだ。9月も半ばだというのに、毎日なんという暑さだと。

 帯広の最高気温は、昨日までの三日間、平年ならば20度台前半くらいなのに、毎日30度を超え、最低気温は平年ならば15度を下回るくらいなのに、20度を超えていて、さらにこの1週間の湿度は99%から85%という、内地とかわらないほどの蒸し暑さなのだ。
 もっとも、ここよりはさらに暑くて猛暑日になっている内地の人から言わせれば、まだましなのだろうが、涼しい夏に慣れている北海道の人たちにとって、さらに私の家のように小さな扇風機くらいしかない人たちにとっては、もう限界に近い暑さなのだ。
 北海道でもっと涼しいところにと言えば、稚内(わっかない)などの道北地方に行くか、標高の高い山の上に行くかしかないのだ。

 前にも書いたように、家は丸太づくりだから断熱効果が効いていて、窓を閉めきっておけば、室内は何とか24度くらいで持ちこたえていたのだが、とうとう26度にまでなってしまった。
 昔からクマおやじと呼ばれていた私は、外観だけでなく、暑さに弱いところもヒグマと同じなのだ。
 昼間は家の中であっちでごろごろ、こっちでごろごろしていて、かといって食料は冷蔵庫にため込んであるから、涼しい夜間になって、ヒグマのようにえさを求めて歩き回る必要もない。
 つまりは一日中グウタラしていて、”これじゃ体にいいわけないよ、分かっちゃいるけどやめられない”状態なのだ。

 そして。年寄りの習慣で早寝早起きだから、何かできるのは、日差しが熱くなる前の朝のうちのほんの2,3時間だけ。それをパソコンをいじって時間をつぶしてしまい、後はまたごろごろするだけ。
 あーいやだいやだ。そんな自分に、この何もする気がしない暑さにも。

 しかし、あの『男はつらいよ』の寅さんのセリフではないけれど、日本の労働者諸君は、この暑さにもかかわらず、毎日勤め先に出かけては働いているのだ。
 ましてこの酷暑の中、照りつける太陽の下で、汗を流して働き続けている建設現場、道路工事現場の人々の苦労たるや、その昔学生アルバイトで同じような仕事を経験したこともある私にとっては、想像するに余りある。
 あの『お日さまと北風』の話ではないけれど、寒さには着込むことでなんとか耐えられるとしても、暑さにはお手上げで、前に書いたあのクリバーンのネコのように(’08.7.8の項)毛皮を脱ぐわけにもいかず、もうただ舌を出して荒い呼吸をする犬のようなもので、じっと日陰で寝ている他はないのだ。

 窓の外を見ると、この暑さで草取りもできずに荒れたままの庭があるが、その境の生け垣にはハマナスの花がただひとり元気に空に向かって咲いている。(写真)
 そこは十数株と連なった垣根になっているのだが、そのハマナスの灌木は、決していっせいに花を咲かせるというわけではなくて、どこかの株で一輪二輪と咲いては、すぐに花びらを落としながら、夏から秋にかけての間、ずっと花を咲かせ続けているのだ。そして花の咲いた所は、あの美しい緋色の実になる。
 ただし、このハマナスはとげの多い枝をあちこちに伸ばしていて、手入れするには手間がかかるのだが、思えば、この家を建てた時に十勝の海岸にあったその実を採ってきて種から育てたものが、今もなおこうして毎年変わることなく花を咲かせ続けているのだ。
 それにひきかえ、この私の何の進歩もない歳月は、とため息まじりになってしまう。

 そんな老年の哀愁を漂わせた、二人の男の顔が思い浮かんでくる・・・あのオランダの画家、レンブラントが描いた二つの肖像画である。

 私は、前回までに書いたように、富士登山を終えた後、九州の家に戻り、10日ほどいて幾つかの用事をすませた後、北海道に帰って来る途中で東京に寄り、評判の2つの絵画展を見に行ってきた。
 それは、いずれも上野公園内にあり、それぞれ歩いて数分とかからない距離にある国立西洋美術館と東京都美術館で開催されていた、オランダの画家フェルメール(1632~1675)にまつわる二つの絵画展である。

 その開催日は、6月の中下旬から始まり奇しくも同じ9月17日までであり、もうあと1週間しかないという期日の中で、混雑するであろうことは分かっていたのだが、行ってみるとそれにしてもすさまじい人の数だった。
 まさに、今更ながらに知らされた”フェルメール熱”であり、その人々が群がり集まり動くさまは、前回に書いた、夏の最盛期の富士山頂上と何ら変わることはなかったのだ。
 そして恥ずかしながら、かくいう私もその群衆の中の一人だったのだ。

 若き日にひとりで歩き回ったヨーロッパ。その旅の目的の一つでもあったのが、アムステルダム国立美術館のフェルメールの絵だった。
 今でも思い出す『牛乳を注ぐ女』の絵の前で過ごした数時間・・・それほど長い間を、私は彼女と向き合って過ごすことができたのだ。その時に、その絵を見て通り過ぎたのはわずか二十人くらいだけだった・・・。

 今回の、国立西洋美術館で開かれている『ベルリン国立美術館展』の『真珠の首飾りの少女』と、もう一つの東京都美術館で開かれている『マウリッツハイス美術館展』の『真珠の耳飾りの少女』、その二つの絵画展のそれぞれの目玉でもあるこの二つの絵との対面は、群衆の列の動きに合わせて小刻みに移動しながらの数十秒間と、後ろに下がって満員電車さながらの群衆の中で見た数分間だけだった。
 
 今や、あの『モナ・リザ』に次ぐほどの絶大な人気を集めることになった『真珠の耳飾りの少女』は、これで二度目の対面だったが、その展示室に入って、人々が群がっていた間から見えたその姿には、やはり一瞬胸打たれるものがあった。
 他にも、彼の初期の作品とされる『ディアナとニンフたち』もあったのだが。
 
 そしてもう一つの、『真珠の首飾りの少女』の方は初めて見る作品であり、評論家の中には、フェルメールの最高傑作の一枚だとする人もいるほどであるが、ただ私には、他の幾つかのフェルメールの名作ほどには引き込まれなかった。じっくりと見ることができた時間が少なかったとはいえ。

 この絵は、左側の窓に向かって立つ女の姿と、テーブルに置かれた物や椅子などの配置や陰影などが、まさにフェルメールならではの作品ではあるのだが、気になる点が一つ・・・それは背景の白い壁の広がり方だ。
 それは、あの『牛乳を注ぐ女』ほどには、人物像を浮き立たせる効果を上げていないように思えるし、その彼女の顔も壁の白さに埋もれてやや陰影に乏しい気がするのだ。
 とはいえ、ここで彼が描きたかったのは、何らかの寓意(ぐうい)を含めたうえでの、首飾りを手にした少女の至福のひと時の思いだったとすれば、それを表現するために十分な明るい広がりが必要だったのかもしれないが。
(このフェルメールの他の絵については、’08.11.08と’11.10.12の項を参照。)

 私は、いつも幾らかの予備知識と、独断と偏見に満ちた自分自身の考え方で、こうした絵画などの美術作品や、文芸、音楽、映画作品を見てしまうのだが、それも本来、芸術作品とは、作者以外の何人もその作品の背景や真意を完全に理解することなどできないのだから、後の世の人はただ自分の人生経験に照らし合わせて、作品を鑑賞し理解する他はないと思っているからだ。
 誤解を恐れずに言えば、その時に大切なことは、まず初見の時に、他人の意見のままに見るのではなく、まずはあくまでも自分の感性のままに見ることが必要なのではないかということである。エライ先生方の評論を読むのは、その後で十分だ。

 だから私は、絵画展の時に、有料で用意されているイヤホーンで、その評論家の説明を聞きながら作品を見て回る気にはならないのだ。せっかくの自分の判断力や感性が、他人の影響を受けてしまうからだ。
 必要なのは、拙(つたな)いながらも自分なりの意見を持つことであり、もしそれが後になって間違いだったと気づいたとしても、私たちはその時にこそ学び取るのであり、次なる判断の選択の時に役に立つのではないのだろうか。

 前にも書いたことだが、思い出すのは、あの映画評論家、故淀川長治氏の話である。
 まだ彼が幼い子供時代のこと、裕福で新しい物好きの両親に連れられて、当時評判だったロシアのバレリーナ、アンナ・パブロバの踊る”瀕死(ひんし)の白鳥”を見に行って、その時に彼は子供心に非常な感銘を受けたそうである。芸術というものがいかに素晴らしいものであるかと。

 だから私は、これからの時代の子供たちの無垢(むく)な感性に期待しているし(一方で誤って教え込まれれば、と危惧もするのだが)、例えば前回の富士登山の時に、山小屋で出会った父娘との話でも出てきたことだが、宗教における無垢の信仰も、結果的な良し悪しはともかくとして幾らかは理解できるのだ。

 いつもの私の悪いクセで、また話がそれてしまった、絵画展の話に戻ろう。

 私は、その日の昼過ぎに東京に着いて、しばらくして空いている時間を見計らって上野に行った。まだ多くの人々が行きかっていた。案の定、『耳飾りの少女』がある東京都美術館の方は、1時間待ちとのことだった。
 ただでさえ行列に並ぶことが嫌いな私は、この暑い時に1時間待ちだなんてとても耐えられない。すぐにもう一つの、西洋美術館の方に行った。
 そこでは、並ばずにすぐに入れたのだが、例の『首飾りの少女』の前は黒山の人だかりだった。しかし、私にはもう一つぜひとも見たい絵があった。

 それは、レンブラントの『黄金の兜(かぶと)の男』である。
 この絵は昔から見ていた画集などではレンブラント作とされていたが、今では、彼の絵画工房による、つまり弟子たちの筆が加わった作品とされているのだ。
 しかしそんなことはどうでもよいことだ。私にとって、これがレンブラントの名作の一つであることに変わりはないのだから。
 そして何よりも実物を目の当たりにして、驚いたのは、画集などでは決して出せない、光の輝きと陰影である。暗い展示室の中の絵に軽いスポットライトが当てられていて、そこで初めて、まるで当時の室内にいるように絵を見ることができたのだ、

 男の顔は浅い塗り重ねで描かれているのに対して、盛り上がるような絵具で立体的に塗られた兜は、まさに実物を思わせるように一際鮮やかに照り輝いているのだ。
 昔の栄光と、老いたる勇者の見事な対比。なんという人生の凝縮された一瞬だろうか。
 それは過去と現在だけでなく、生と死の予感さえも漂わせていて・・・彼、レンブラントは、自分の人生を振り返ったのだ。

 レンブラント・ファン・レイン(1606~1669)はオランダのバロック期絵画の第一にあげられる巨匠であるが、その名声と有為転変の彼の人生もまた、波乱にとんだものであった。
 若いころから、天才的な肖像画家として認められ、その後名門一家の娘と結婚して、今回の絵画展で見ることのできる『ミネルヴァ』や、有名な『デュルプ博士の解剖学講義』や大作『夜警』などでさらなる名声を高めたが、自分の工房拡張や投機などでまたたく間に財産を減らし、妻は若くして死に子供たちも亡くして、さらに女性関係なども含めての裁判沙汰になり、1652年の破産に近い状態から、やがては自分の邸宅を差し押さえられて貧民街に移り住み、さらに家政婦あがりの二番目の妻にも先立たれて、彼は失意のままこの世を去ることになるのだ。

 この『黄金の兜の男』は、1650年~55年ころの作品とされていて、ちょうど彼の画風がそれまでの光と影の織り成す緻密な描写から、荒い筆づかいで的確な人物の表情感情を表わす表現方法へと変わってきたころの作品である。

 そしてもう一つのレンブラントの絵は、昨日入ることができなかった東京都美術館にあって、翌日の朝早くから並んで(待ち時間はほんの少しだけだった)見ることができた。
 やはりここでも、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』の前は、早々と黒山の人だかりになっていた。ところがその先にあった、レンブラントの6点もの作品を集めた一角は、ゆっくりと見ることができるほどに空いていた。
 その中で、私が見たかった一点は、1669年、つまり彼の死の年に描かれた『自画像』である(写真下)。彼ほど、生涯にわたって自分の姿を描き続けた画家はいないだろう。

 


 このレンブラントのコーナーには、他にも若き日(1629年ころ)の『自画像』があり、良い対比になっているのだが、この最晩年の『自画像』には、その少し前までの『自画像』に描かれていた、自虐(じぎゃく)的な老いの姿や空虚な死の影の表情を見つけることはできない。
 ただあるのは、それらを越えた彼方にある、静謐(せいひつ)な感情をたたえた老人の姿である。

 この二つの絵画展で、レンブラントの絵をじっくりと見ることができたのは、何よりの収穫であり喜びであった。それは何も、今回の目玉作品であったフェルメールの作品と比べて言っているのではない。
 ただ繰り返すことになるが、あの雑踏では、とてもフェルメールの絵画を鑑賞するという雰囲気にはならなかったということだ。
 ただし、わずかな間でも見たそれらの絵からは、他の画家たちの作品からは遠く隔たった高みにある、まぎれもないフェルメール絵画の真実が表現されていたのだ。
 時間と空間の中に、その一瞬を閉じ込めた現実の輝き。それこそが永遠と呼ばれるものだろう。

 私は、フェルメールの全作品にこだわるつもりはない。あの『牛乳を注ぐ女』を頂点とする、私のフェルメール絵画の評価が変わることもないだろう。ただ一点、見てみたい絵を言えば、メトロポリタン美術館にある『少女』である。
 あの『モナ・リザ』に匹敵するほどの魅力的な女性像を描いた『真珠の耳飾りの少女』と比べて、それは余りにもむしろ奇異な感じのする『少女』像なのに、彼はなぜに描いたのか。
 彼の絵に出てくる女たちはすべてが、『真珠の耳飾りの少女』や『取り持ち女』『窓辺で手紙を読む女』『青衣の女』『天秤を持つ女』のような美女たちばかりではない。
 『牛乳を注ぐ女』はいかにも田舎出の下女の顔だし、『レースを編む女』も美人とは言えないし、まして同じモデルのような『赤い帽子の女』と『フルートを持つ女』は、むしろ異質な感じさえする女たちなのだ。
 それなのに、どうして彼女たちをモデルにして絵を描いたのか。答えは単純なことだと思うのだが。

 それが何かはおおよそ分かってはいても、私のその最終判断として、あの『少女』を見てみたいのだ。
 この絵があるニューヨークのメトロポリタン美術館には、他にも見たい絵がいろいろとあるのだが、私はアメリカに行きたいとは思わないのだ。
 
 ともかく、今回のこの二つの絵画展はそれぞれになかなかに見ごたえがあった。他にも、クラーナハ、デューラー、ヴァン・ダイク、ハルスなどなどの興味深い絵がいろいろとあって、レンブラントにしろ、フェルメールにしろ、彼らがそれら多くの画家たちからこれまた多くのことを学んであろうことは、想像に難(かた)くない。

 絵画は素晴らしい。絵を見ることは、豊かな感性の人を知ることであり、その人の人生から学ぶことでもあるのだ。
 この二つの絵画展に、これほど多くの人々が詰めかけるということは、実に歓迎すべきことであり、ただ確かに絵画鑑賞には厳しい環境であったのだが、それは将来にも通じる人々の芸術意識の高さであり意欲であると思いたい。
 そして、単なるフェルメール・ブームに終わらないことを祈るばかりだ。


 今日は一日中、霧雨模様になり、気温は一気に10度近くも下がって、最高気温がやっと20度に届くくらいだった。この涼しさこそが今の時期の北海道なのだ。
 その涼しい空気の中、おかげでこのブログ記事も順調にに書き上げることができた。
 遅れていた大雪山の紅葉も、これで一気に進むことだろう。

 毎年繰り返す、季節の彩(いろどり)。
 毎年飽きることなく、同じ時期に同じ山に向かう私。それが生きているということなのだろう。


 (参考文献:『マウリッツハイス美術館展』展覧会図録、『フェルメール全点踏破の旅』朽木ゆり子 集英社新書、『世界名画の旅』5 朝日文庫、Wikipedia他)