ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(199)

2011-09-03 17:20:37 | Weblog


9月3日

 飼い主は、買い物などで家を離れる時以外は、一日中家にいてくれる。ワタシは寝ている時はともかく、いつも飼い主のそばにいて、サカナをねだったり、体をなでて可愛がってほしくて鳴きかけたりするのだが、時には飼い主はそんなワタシをわざと遠ざけたりもする。

 まあ、それも分からぬ訳ではない。というのも、一つには、数日前、ワタシは寝ていたブトンの上におもらしをしてしまったからだ。
 しかし、それを見つけた飼い主は怒らなかった。ただ、黙ってその濡れた座布団を私の鼻先に突きつけた。ワタシは小走りにベランダへと逃げ出した。悪いのは分かっている。飼い主が戻ってきてから、もう一週間余りの間、ワタシはちゃんと外で用を足していたのに・・・。
 その時は、座布団の上で寝ていて、目覚めてふとそこにもらしてしまったのだ。そして、この前に大けがを負った時、小さくおもらしをしたのが始まりで、飼い主との関係が険悪(けんあく)になって、それに対する反抗の気持ちから、何度も部屋の中でシッコをした時のことが、ふと頭をよぎった。(6月14日~7月21日の項参照)
 ワタシの頭の中で、角を生やした邪悪な顔のワタシと、背中に白い羽を生やしたやさしい顔のワタシが、交互に現れてささやくのだ。
 「このまま、座布団の上でしちゃいなさい。気持ちがよくてすっきりするから。ほうーら、ほらほら。」
 「いや、してはいけません。部屋が汚くなるし、せっかく戻ってきた飼い主とも仲良くしていたいでしょう。」
 する、しない、する、しない・・・。ワタシは、どうしようかと迷っているうちに、少しだけ出して、残りを止めたのだ。足元を見ると、座布団には、大きなシミができている。あちゃー。

 ベランダに干された洗濯物の日陰で、ワタシは横になっていた。それまで家の中で音を立てていた洗濯機がピーと鳴って、飼い主が私の目の前で、洗ったばかりの座布団カバーを干していた。ワタシは薄目を開けて、ニャーと鳴いた。飼い主は、寝ているワタシを見下ろして、「このバカタレが」と言った。
 その後は、ワタシは反省して、ちゃんと外に出てしっこをしている。


 「ミャオのおもらしを見た時、私は悲しくなった。あの2か月前の悪夢がよみがえってきたからだ。毎日、毎日、ミャオがどこかにシッコをしたのではないのかと、家の中を臭いをかいで探し回らなければならなかった。
 見つければ、私が怒鳴るから、ミャオはおびえて反抗し、またシッコをしてしまう。その悪循環に気がついて、私は反省した。
 怒るのはやめよう。できるかぎりそばにいて、やさしく体をなでていてあげよう。ただし、シッコした時は、黙って鼻先にそれを見せるだけにしよう。それより先に、いつもころ合いを見計らって外に連れ出し、そこで自分からシッコするように見守っていてやろうと。
 前回そうして、うまくいったことを思い出して、今回もそうしてみた。それ以降、ミャオはおもらしをすることはなくなった。

 そんなある日、NHKの『ためしてガッテン』のマッサージ特集を途中から何気なく見ていたら、何と簡単なマッサージによって、認知症の症状がおさまってきたという実体験者の映像が流れていたのだ。それまで、身近な家族に攻撃的な態度をとったり、徘徊(はいかい)を繰り返していたのに、そのマッサージのおかげで徐々に治ってきて、それまで通りの日常生活ができるまでになったというのだ。
 それは、相手の手足をやさしく包み込むように、マッサージしてやるだけのことなのだが、それにもやり方があって、1秒間に5cmほどのゆっくりとしたスピードで、というのだ。そして、それはまた、私が、いつもミャオの体をなでてやっている時のやり方だったのだ。
 つまり、いずれの場合も、介護する相手の気持ち次第だということだろう。相手のことをやさしく思いやってあげながら。

 やがて、私もいつしかクソじじいになり、手足がきかずに介護のお世話になるのかもしれない。そんな時、いくら美人の若いねえちゃんが来てくれたとしても、冷たくめんどくさげに扱われたのではたまらない、物言えない年寄りの哀しさで、余計に病状が悪化してしまうだろう。
 つまり、わがままな私のことを、やさしく思いやって世話をしてくれる人なら、外見、年齢、男女を問わず、誰でもありがたいのだが。
 それでも、できることなら、ミニスカートの若い美人のねえちゃんに介護してもらえれば言うことはないのだが・・・あさましきは、じじいになってからもなくならない男心よ。

 さらに、これも先日、途中からふと見たNHKのドキュメンタリー番組なのだが、舞台は、大阪と奈良との県境にある金剛山(1125m)という山である。
 それは、あの謎の行者、役小角(えんのおづね、634?~701?)によって、修行の場として開山されたという由緒(ゆいしょ)ある山なのだが、そのゆかりからか、頂上にある神社では、毎日、登頂参拝の記録を受け付けており、大記録を残した人々の名前が立札に顕彰表示されている。その山に、二人合わせて一万回登ることを目的にして、毎日山道を登り続ける70代の夫婦がいた。
 妻は、認知症になっていて徘徊を繰り返し、夫以外の人が分からないほどになっていた。夫は、その妻の病状を改善すべく一緒に山に登ることにしたのだが、そこには、彼がサラリーマン時代から、さらには事業を興して失敗するなど、仕事にかまけて3人の子供がいる家庭を妻にまかせっきりだったことを、申し訳なく思い、その罪滅ぼしの思いもあって、日々、妻の介護にあたり、妻の手をつないでの登山を続けているのだった。

 私は、ひとり身ながら、余りにも考えさせられることが多かった。そこには、さまざまな言葉が浮かび上がってくる・・・夫婦愛、優(やさ)しさ、献身、継続、贖罪(しょくざい)・・・まるで、聖書に書かれた言葉のように。
 私には、できない言葉ばかりだった。過去に私を愛してくれた女たちに、そして亡き母に、私は何をしてやれただろうか。ただ、今私のそばにいるミャオに、そのうちのほんの少しのことを、ミャオを守ってあげられるわずかばかりのことを、してやれるだけだ。

 前にも引用したことのある、あの『ささやかながら、徳について』の、”15章 優しさについて”からの一節。
 
 『優しさが女性的な徳であるとすれば、あるいはそう思われるとすれば、それは、優しさが暴力なき勇気であり、厳しさなき力であり、怒りなき愛だからだ。』


 晴れて暑い日が続いた後、昨日今日と、台風の影響で雨が降り続き風が吹き荒れている。気温は20度を少し超えるくらいで、肌寒く、長そでのシャツを着こむほどだ。台風一過によって、もう秋が来ているのだ。 
 しかしその前に、数日前のことだが、私は山に登ってきた。前回の登山(8月7日、12日の項参照)からは、また間が空いてしまった。北海道に戻って、秋の大雪山の紅葉を見に行くまでには、このままだと一カ月以上も空くことになる。
 そこでそんな時のために、いつでもできるお手軽登山を、例のごとく家からそのまま歩いて2時間ほどで登れる山に行ってきたのだ。

 ほとんど人の通らない山道は、両側から背丈を越すササが倒れかかっていて、かき分けもぐりこんで登るうちに、朝露のために全身ずぶ濡れになってしまった。
 しかし、その上の樹林帯から、見晴らしのきく草尾根に上がるころには、いつしか衣服も乾き、ススキの穂が出始めた尾根から見上げる空には、もう秋の雲が出ていた。(写真上)
 花は、わずかにノコンギクやアザミを見たくらいだったが、なにより、青空の下、誰もいない尾根道をひとり歩いて行くのはいい気分だった。
 帰りは、もう一つの別な道をとって降りて行った。途中の斜面から見下ろす広葉樹林帯の方から、あるはずもない大きな川の流れの音が聞こえてきたが、降りるにつれて分かってきた。それはセミの声、大集団のツクツクボウシの鳴く声だったのだ。
 山裾の林の中を行く道で・・・(写真下)。日陰になった道の上には、こもれ日の模様があり、振り仰ぐと、木の梢(こずえ)がわずかに揺れていた。私は、大きな優しさに包まれて、山道を下って行った。」


 参照文献;『ささやかながら、徳について』(アンドレ・コント=スポンヴィル著、中村昇他訳 紀伊国屋書店)