ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(133)

2011-05-02 21:24:48 | Weblog

5月2日

 ミャオは元気でいるだろうか。いつもは静かな山の中の家だけれど、この春の連休の間は、さすがにクルマも人も多くなったことだろう。
 聞きなれない物音にはいつも敏感なオマエは、恐らくはベランダの隅にいて、目を見開いて周りの様子をうかがっていることだろう。
 エサをやりに来てくれるあのおじさん以外は、誰も来ないと分かっていても、臆病なオマエが、日ごろの警戒を怠ることははないのだ。
 オマエに余計な気苦労をかけてすまないとは思うが、もうすっかり暖かい春になって、何とか家の外でも過ごせるようになったことだろうから、そうしてしばらくの間は、ひとりでがんばっておくれ。


 ところで、こちらに戻ってきてからは、三四日ごとにしっかりとした雨が降り、もう井戸水の水量の心配はしなくてよいようになったのだが、一方では、晴れた日でも、風が強かったり雲が多かったりで、なかなか山登りに行くほどの天気にはなっていない。

 まあそれでも、やるべき仕事はいろいろとある。まずは、ささやかな畑や庭から裏の林までの手入れ作業がある。そこでは、傾いていたカラマツの木を二本、チェーソーで切り倒し、さらに友達に頼まれていた木を切りに行ったりもした。
 家の中では、あちこち片付けをして、さらに少し雨漏りしていた天窓を修理した。
 有名メーカーの木製の天窓サッシは、恐ろしく値段が高く、仕方なく自分で作ったものだが、この厳しい北国の天気の中で、何とか今まで持ちこたえてくれていた。しかし、ポリカーボネイト製の窓の数ヵ所にひびが入り、そこから水が滴(したた)り落ちてくるようになった。
 接着剤でその割れ目をふさぎ、セロテープでしばらく固定し、さらに雨水が良く流れ落ちるようにと、シリコン・スプレーで厚塗りした。
 昨日は一日中雨が降っていたが、もう水漏れすることはなかった。しかし、雪の季節のためには、何か次の手を考えておかなければならない。

 晴れた日に外に出れば、さすがに春らしくて、その暖かさが心地よい。エゾムラサキツツジの花が咲き始め、樹々の梢の芽もふくらんできた。
 芝生の緑とともに、周りの広い牧草地も、見る間に緑へと変わっていく。そんな今の時期に、私には、行かなければならない所がある。近くの丘陵地帯の中にある湿原だ。
 
 雪の少なかった今年は、やはりいつもより早く、ミズバショウが点々と咲いていた。さらに小川の流れに沿っては、エゾリュウキンカ(ヤチブキ)の緑の葉と鮮やかな黄色い花が連なっている。まさしく春の色だ。
 そして私のお目当ての、アイヌネギ(ギョウジャニンニク)も、いつものように群生している。(写真)
 一つの球根から二つ三つ伸び出たものの中から、一本だけをその茎の根元からナイフやハサミで切り取る。こうしておけば、また来年、その球根から新たな芽が出てくるだろう。そして、私の他には誰も来ないから、毎年増えることはあっても、決して減ることはないのだ。
 ヤチブキも、その大きな株の中から、少しだけを切り採る。ありがたい山野の春の恵みだ。

 私ひとりが食べるに十分な量だけを採って、家に帰る。いずれも、さっとゆでておひたしにして、かつをぶしに醤油(しょうゆ)をたらし、たきたての熱いごはんの上にのせていただく。
 なんという、春の息吹(いぶき)の味だろう。私は、都会のミシュランの星のついた店にも、B級グルメで有名な店にも行ったことはない。それでも、季節の山菜を、そのたびごとに近くの山に採りに行っては、すぐに食べることができることを、なによりもの幸せだと思っている。
 さらにこの後も、山菜はタラノメ、ウド、コゴミ、ワラビ、フキと夏の初めまで続き、秋には、ハスカップ、コクワ、ヤマブドウ、コケモモなどの果実と、そしてラクヨウタケにボリボリ(ナラタケ)などのキノコを採りに行くことができる。

 こうして私は、田舎にいることに、つまり都会に住んでいないことに、お金持ちでないことに、しかし時間だけは十分にあることに感謝して、毎日を送っている。
 あることの幸せと、ないことの幸せ。貧者であるからこその恵みと、その配分の妙を、日々のささやかな暮らしの中で、感じていくこと・・・。
 よく例に挙げることだが、あの『徒然草(つれづれぐさ)』の一節を繰り返し思うのだ。

 「 思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食う物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢えず、寒からず、風雨に侵(おか)されずして、閑(しず)かに過ごすを楽しびとす。」(第百二十三段)

 この思いは、その昔、東京を離れて北海道へと向かう頃から、すでに私の頭にあったことで、その後の田舎暮らしでの、度重なる困苦の体験の中で、さらに強い思いとなっていったのだ。さらに一つ付け加えれば、「何があっても、自分の望む所に住んでいるのだから、最低限、生きていければそれでいいじゃないか」と。
 それはまた、時々九州に戻って、ミャオと一緒に住むことで、改めてミャオの生き方から教えられることでもあったのだ。
 自分が生きていく上での、衣食住さえこと足りていれば、他に余分なもので自分を飾り立てる必要もないし、余分なものを手に入れてまで満足を得ようとは思はないのだと。

 だから、ゼイタクなものは買わないこと、ローンを含めて借金をしないこと、余分な財産は持たないこと・・・決して金持ちにはならないこと、いやとても金持ちにはなれないのだが。
 私は、6年間走った中古車を買って、もう7年間乗っている。まだこれからも、走れるまで車検を取るつもりだ。
 私はともかく、何とか暮らしていくだけのものがあれば、それで十分だと思っている。さらに、同じ『徒然草』から。

  「 身死して財(たから)残る事は、知者のせざる処(ところ)なり。よからぬ物蓄(たくわ)え置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。『我こそは得め』など言う者どもありて、跡(あと)に争いたる、様(さま)あし。
 朝夕なくて叶(かな)はざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞあらまほしき。』(第百四十段)

 このようなことを書いてきたのは、私もまた、いくばくかの恵まれたる貧者の一人だからなのかもしれないが、少なくとも恵まれたる富者でなかったことを嬉しく思う。

 聖書の中の、『ルカによる福音書』第16章に書いてある、『富める人とラザロ』の話のように、死後の世界でのことまでを意識しているわけではないし、私はラザロほどに貧しくはなく、さらには貧富のどちらが正しいのかといった問題でもないのだが、確かなことは、今でさえ、私と彼らの間には深き淵(ふち)が横たわっているということだ。
 この聖書からの話は、イギリスのヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)によって管弦楽曲として作曲されていて、私が今まで聴いた中では、マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団によるもの(Decca)が素晴らしく、そのCDには、他に『グリーンスリーヴス』や『揚げひばり』などの名曲も収められている。
 
 夕焼けの空が、雲を赤く染めていた。明日は晴れてくれるだろうか。