旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

ゆっくり

2015年03月18日 09時15分07秒 | Weblog

こころと体の作用の調整がうまくいっているようだ。この2ヶ月足らずで体重が4キロ落ちた。血圧の方も連日、上<130 下<85でほぼ正常値範囲で安定している。昨日の難儀な打ち合わせで血圧が上がったのじゃないかと心配していた。意外に低い数値にとどまっていたのでほっとした。カロリーコントロールと減塩食の賜物なのだろう。
先日、本を整理していたら「『ゆっくり動く』 と人生が変わる」 といういかにもPHP文庫らしい表題の本がでてきた。埃をかぶった本の山の中にあったので、かなりの年代ものじゃないかと思いながら覗いたら、2、3年前の発行だった。「副交感神経のアップで、心と体の 『不調』 が消える!」 という副題だ。
本人がそうしてこなかったことを自覚しているから、「ゆっくり動く」「ゆっくり食べる」「ゆっくり話す」「ゆっくり歩く」 という指針が響く。
健康の維持ばかりに励むのは不健康だし、いたずらに長く生きることが人生ではないことは承知している。しかし、健康あっての心と体だ。入院体験が摂生するこころを呼び覚まし、悪い習慣に良い影響を与え始めた。
昨日は、久しぶりに街に出てビルと人の数に怖気づいた。繁華街の一室で難儀な打ち合わせを済ませる頃に日が落ちはじめ、街から車を30分ほど走らせて郊外の自宅に戻る頃、とうとう日は落ちた。明日は一か月検診がある。


東洋哲学

2015年03月15日 08時39分21秒 | Weblog

ヤフオク「デカルト著作集」全4巻(白水社)と「プラトン全集」全15巻プラス索引巻(岩波書店)に入札している。本日の8時43分現在では最高価額での入札者になっているものの相場からみて、まだかなり安いので落とせるかどうかはわからない。いづれにしても手に入れることができるかどうかは今日中に判明する。これからの入札価額は他の入札予定者が蔵書印を嫌うかどうかにかかっているとみている。
積読派(本を読むことではなくて飾っておくことを趣味とする人)は一般に、他人の蔵書印を嫌うようだ。わたしのように読むことを目的に本を買う者は、読みたい本を手元に置いておくことに意義を認めるから他人の蔵書印や少々の汚れがどちらかというと気にかからない。(本の購入は安上がりに済めばそれでいい。)

 

  鈴木大拙

 

門外漢ながら、哲学・思想に興味をもって久しい。デカルト・プラトンともに哲学の十字路をさすらう後継者たちに指針を与えてきた哲学者だからその全貌を手元に置いておきたい。うまく落とせたらプラトン・デカルト・カントに現象学のフッサールで西洋哲学を締め括る。気分は西洋から東アジアへ。「ブッダ最後の旅」(岩波文庫ワイド版)のように明快な「鈴木大拙」禅選集、続禅選集 全12巻や斎藤茂吉選集全19巻のうち、興味が湧く巻を読み始めた。

 

  斎藤茂吉


変貌する民主主義

2015年03月13日 14時05分37秒 | Weblog

この月曜から日に5キロ以上歩いている。昨日は8キロ、今日は7キロ歩いてもどーってことないから順調に体力が回復しているのだろうと思う。復帰の日までといわずに、復帰後もウォーキングは続けたい。今日は、JR最寄駅の玖村まで1キロ余り歩いて乗車、次の矢口駅で降りて往復5キロ余りの道のりをフタバ図書「メガ」まで歩いた。
メガは今週で2度目になる。古本部はまるで新本の店のようだ。清掃が行き届いた別棟の平屋には磨き上げられた古本が整然と並べられて、照明も明るい。「アカデミイ書店」、「花いち」から「ブックオフ」、「フタバ図書古本部」へと古本屋は確実に進化を遂げている。
今日は新本と紛うばかりの、朝日新聞大阪本社科学医療グループ「ips細胞とは何か」( 講談社Blue Backs )、「善と悪 倫理学への招待」(岩波新書)、佐藤卓己著「8月15日の神話 終戦記念日のメディア学 第1章 降伏記念日から終戦記念日へ 第2章 玉音放送の古層 第3章 自明な記憶から曖昧な歴史へ」(ちくま新書)、森政稔著「変貌する民主主義 第1章 自由主義と民主主義 第2章 多数と差異と民主主義 第3章 ナショナリズム、ポピュリズムと民主主義 第4章 誰による、誰のための民主主義」(ちくま新書)、生活習慣病(ちくま新書)の〆て5冊を買った。

 


灯台社

2015年03月12日 08時18分06秒 | Weblog

この数か月間気にかかり続けていて先週になってようやく読み終えた新書がある。稲垣真実著「兵役を拒否した日本人-灯台社の戦時下抵抗-」(岩波新書)だ。1972年7月30日初版だが、安部知二著「良心的兵役拒否」(岩波新書)とともに購入したのは昨年の秋口と記憶している。灯台社(ワッチタワー日本支部)と読んだだけでワッチタワー=ものみの塔、エホバの証人と連想が働いた。私の読みは当たっていた。(にもかかわらず、この新書の主役はあくまで明石順三という、1億人の日本臣民と戦った男の記録だ。)

①入隊後一週間目の夕方、明石順三の長男である明石真一は内務班長の軍曹のところに行って、「自分はキリスト者として聖書の”汝殺すなかれ”の教えを守りたいので、銃器をお返しします。」
と申し出た。真一が申し出を変えないのを知ると、連隊は処置を憲兵隊に一任した。この1939年の時点では、憲兵もまた不敬・抗命の罪状をもつ彼に対して、天皇に対して不忠などといって暴行を加えることはなく、それなりに合理的な調べ方をしていた。真人はまもなく憲兵の調書にもとづいて「不敬・抗命」の罪名で起訴され、ただ一回の軍法会議で懲役3年の刑を言い渡された。
②脱柵(脱走)後、軽営倉3日の処分を受けた村上一生は、釈放後、命じられた銃の手入れをやめて班長室に行き、「私の銃はおかえしします。」と申告した。村木の申し出を聞いた班長は恐怖に包まれたように真っ青になり、怯えた目で押し黙って村本の表情をうかがった。村本はかさねて軍事教練も今後は受けることはできないと述べた。報告を受けた小隊長も困惑しきって処置に苦しむ風で申し出を撤回させるための説得もしようとはせず、とりあえず営倉に差し戻しの処分を決めた。翌日、営倉から出された村本を連れて内務班に行き、兵士たちに「村本一等兵は銃の返納を申し出て軍務を放棄したので営倉へ送られる。」  と伝達した。それを聞かされた内務班の兵(下士官候補生)たちは一斉に電撃に打たれたように立ち上がり静まり返って硬直した表情で村本をみた。言葉を発するものはいなかった。憲兵隊に身柄を引き取られた村本は憲兵隊の取り調べを受けた。取り調べ中、憲兵がしきりに気にしたのは「ほかの兵隊に兵役拒否について話さなかったか」ということだった。「不敬・抗命罪」で起訴された村本は、明石真人と同日の1939年6月14日に軍法会議法廷で懲役2年の判決を受けた。
③日本に灯台社を創立した明石順三は懲役10年の判決を受けた。敗戦後釈放されると、ワッチタワー本部(アメリカ ニューヨーク)を、『すでに宗教本来の目的をなおざりにして、宗教を手段として組織の拡大を図る俗的営利集団の道を歩き出しているのではないか、と真っ向から批判して、「余はクリスチャンにて候。余は我らの主イエス・キリスト以外の追随者にても、これなく候。・・・また、ワッチタワーの追随者たりしことも絶無に候。而して、自己のこの歩みは今後といえども絶対不変なるものにして候。」』という文言を添えて7か条の批判書を送り、公式の弁明を要求して除名された。一人対国家というような途方もなく大きな規模をもつ相手に徒手で立ち向かい、なんの法律的保護もなく、それどころか死刑・無期の重刑を科する治安維持法の弾圧下になお兵役拒否や国家体制を批判する姿勢を維持したことによる自信にも支えられていたのであろう。 
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稲垣真美著「兵役を拒否した日本人」(岩波新書)から引用改竄

 


木村政彦

2015年03月11日 08時50分29秒 | Weblog

フタバ図書で増田俊也著「木村政彦は なぜ力道山を 殺さなかったのか」(新潮社)が目に留まった。2011年9月30日発行の22刷だから戦後格闘技ものにしては比較的に新しい著作だ。主要参考文献もほぼ網羅している。目次の第24章は、「大山倍達の虚実」とあった。そのページをめくってみて購入を決めた。ハードカバーで700ページにおよぶ大著だ。後半部についてはほぼ読み終えた。
柔道家木村政彦はともかく、元関脇プロレスラー力道山と漫画「空手バカ一代」の大山にはマスコミによってつくられた伝説と実像との間に大きな落差がある、来歴が朝鮮半島であることから生じた誤解や偏見も入り混じってその実像を掴みにくい。ところが、日本柔道選手権12連覇の木村政彦はその来歴を掴むことが比較的に容易で解り易い人物だ。著者は、力道山や大山倍達についてもその実像について詳しく実証的に解説・言及しようと試みる。

 

 木村政彦

 

     大山倍達   力道山

古流柔術が廃れていくなか、加納治五郎が明治15年に講道館柔道を立ち上げ、実験的に「当て身(打撃法)なしの乱取り」を作ってそれを試合にも採用した。講道館は実験でしかない打撃なしルールのまま競技人口を増やして隆盛を極め、国内の他の格闘技を駆逐してゆく。結果、昭和に入る頃にはすでに日本の格闘技は史上空前の「打撃技法空白時代」に陥っていた。それでも加納は沖縄空手やボクシングの技術を取り入れようと必死に模索し続けるが、理想を実現できぬまま昭和13年に逝く。柔道家たちが、格闘技には格闘技打撃法がないように思いこむ陥塀に陥っている頃、ベースにボクシングを持つ大山倍達は空手を習い、ウェイトトレーニングを取り入れて体をつくり、街中で実践を繰り返し、試行錯誤しながら自流を立ち上げた。確かにまだ原始的な空手ではあった。しかし、少なくともあの時代、大山は日本屈指のストライカーだったのではないか。』 増田俊也著「木村政彦は なぜ力道山を 殺さなかったのか」より抜粋。


2015年03月09日 21時20分43秒 | Weblog

さて、どこから始めるか・・・。世俗の垢を落としすぎて心が風邪をひく前に、従前のわたしを取り戻さなくてはならない。書斎の掃除を始めてみたら埃まみれの床、本箱・本立、机と蔵書が目についた。積もった埃の拭き取りにとりかかると、たかが8畳間の埃を払うのに昼過ぎから夕方までかかった。先週から業者が屋上の防水工事と外壁の塗装工事、玄関門扉の取り換え工事に入っている。


都会の喧騒

2015年03月06日 08時34分54秒 | Weblog

 

 

休職して1ケ月が経った。本日は久しぶりに登校して復職の時期について協議させていただいて、わたしの希望通り23日からの出勤で承認を得ることができた。場合によっては復帰がそれ以降であっても考慮していただける、既に来年度(4月1日~)の配員計画に組みこまれている由。当面は体力をつけることに専念できる。都会の喧騒が懐かしく身に沁みた。働き続けることができる勤務先への感謝の念と後遺症が残らなかったことによる幸運の兆しをかみしめながら穏やかな春の夕暮れを迎える。


3面記事的新書と短編小説

2015年03月05日 15時48分07秒 | Weblog

内省的でうつむき加減になり始めた。まさか病気のせいではあるまい。巻き返しを図るために2時間半をかけて本屋を物色した。以前は短編、評論のうち、権威・権力に批判的な色彩が濃い著作に出くわすと触手が伸びていた。ここ数か月は趣が異なっている。小説なら長編、社会科学は体系書、哲学思想なら事典という具合だ。
昨日は新書を4冊買い求めた。相も変わらず興味をそそられる3面記事的新書は「当事者の時代 日本人の集合的無意識を侵食するマイノリティ憑依」、「その一言が余計です。 日本語の正しさを問う」、「大学キャリアセンターのぶっちゃけ話 知的現場主義の就職活動」(はやと注*大学キャリアセンターが知的現場ではないことをレポートしているのに知的現場主義とはこれいかに。)、「スティーブ・ジョブズ全発言 世界を動かした全発言 世界を動かした142の言葉」(はやと注*これっぽっちの言葉で世界が動くとは思えない。)以上。

                                             

                            O・ヘンリー

                                      

頭脳のウォーミングアップを済ませてからヘミングウェイの「老人と海」と「福田恆存『老人と海』の背景」、「O・ヘンリー短編集」をじっくり読んだ。たまには3面記事的新書と短編小説の濫読も悪くない。


椅子

2015年03月04日 15時33分13秒 | Weblog

座が固いので思い切って書斎の椅子を買い替えた。居間の椅子は木製でやはり座が固い。新しい椅子はクッションが良いので座るとうたた寝をしそうだ。最近は心地よいcomfortable)家具への嗜好が増している。


               

嗜好でいうと目の前の本立も、窓の開口部(窓)を遮って心地が悪い。この本立がなんとかなると部屋からバス通りがみえて午後の書斎は光で溢れることだろう。

 


浄土

2015年03月03日 21時16分56秒 | Weblog

発症して入院2週間余り、退院してから2週間、発症から1ヶ月が経過した。恥が多かったン10年の社会人生活で積もった垢を落としてゆくような日々が続いている。リラックスが合言葉だから無為な時間を過ごすのが日課のようなものだ。おかげさまで今日も至適血圧(上≦120 下≦80)をマークした。
もともとが貧乏性なので無為徒食に弱い。ところが、悪い虫がもっとストレスを抱きこめと煽ってみても、体も心も反応しない。浄土とやらに近づいているのかもしれない、極楽とやらから遠ざかっているのかもしれない。見渡すと、時間だけが通り過ぎてゆくようだ。


摂生と節制

2015年03月02日 20時20分54秒 | Weblog

大辞林によれば、同音語の「摂生」は適度な飲食や規則正しい生活を心がけ健康に気を配ることであるが、それに対して「節制」は食欲・喫煙などの欲望をおさえて度を超さないようにすることをいう のだそうだ。
わたしは「摂生」に務めている。本日の寿司は「むらさき」(醤油)なしでいただいた。ネタに酢とワサビだけで寿司は美味しい。赤出汁やお吸い物はいらない。


光明

2015年03月02日 16時38分43秒 | Weblog

昼過ぎの計測で上が120を下が80を下回って至適血圧の範囲におさまった。何10年かぶりのことだ。体重はひと月前と比べて4キロ落ちた。塩分の摂取は退院後も日に5グラム以下に抑えて降圧剤まで飲んでいるのだから当然といえば当然だ。生きることに執着が強いので、こういう禁欲にもよく耐えることができる。それにしても、たかがこれだけの摂生で至適血圧とは・・・、高血圧が生活習慣病であったことの証みたいなものだ。これから1年ばかりかけて降圧剤なしで至適血圧を目指す。