昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

知床国立公園(四)

2004-07-14 08:17:36 | 日々の雑記
その4(オシンコシンの滝)

 ウトロ温泉街の手前の隋道の横に壮大な滝が姿を見せた。はえ松と熊笹が生い茂る山の頂から轟音を立てながら落下するその規模の大きさに唯々魅せられ見入るばかりであった。

知床国立公園(参)

2004-07-13 23:47:51 | 日々の雑記
 其の3(痩せた北きつね)

 野上峠の頂上付近の駐車場で一休みしようと思い車を寄せたところ、道路横の熊笹から北きつねが突然姿を見せた。全然人間を恐れる風も無くむしろ親しげに近付いて来る。何のことは無い餌をねだりに来たのである。これほど人に馴れた野生動物も珍しい。それにしても何でこんなに薄汚れ毛並み悪くその上ガリガリ痩せているのだろうか。殆ど哀れにさえ思えた。後から来た人の話では、人間から餌を貰う事を覚えすっかり野性味を失い、又人間から貰うのは甘い菓子類が多いために栄養のバランスを無くした結果だと云う。
 まさにその一語に尽きる可哀想な姿であった。

知床国立公園(壱)

2004-07-13 23:14:05 | 日々の雑記
11・12日にかけて妹夫婦と知床半島を廻って来た。妹達が来てからそれまでの好天が一変して今日で3日連続の霧雨である。とんだ「雨女」お出ましである。
 朝からの霧雨は一向に晴れる気配もなく、むしろ時を追うごとに濃くなって行くようである。普通の雨と違い霧の中での運転はそれなりに気苦労は多いものである。それでも最近出来上がった新道を過ぎて隣町に差し掛かった頃には、その霧も次第に薄くなり空も幾分明るくなった。海岸から離れ内陸に入ったためだろう思う。

   其の1(霧の摩周湖)
 
最初の目的地の「摩周湖」は初めの予想通り乳白色一色の世界だった。青空を映して光輝く湖面を思い描いて来た筈なのに・・「でもこの霧も乙なものと、霧の摩周湖って云う歌も有るじゃない」などと強がりを云いながら記念の写真を取り捲っていた。私も妻の写真を幾枚か撮り土産品の売店に入った。


空港にて

2004-07-08 20:21:17 | 日々の雑記
今日の午後今北海道観光中の妹夫婦を出迎えに空港に行って来た。考えて見れば空港も久し振りである。
昨年九月の十勝沖地震で天井落下の後の補修ですっかり変わったようで、とにかく立派になってびっくりした。それに以前の過疎的な雰囲気は全く無く、待っている間に五機ものの飛行機が離発着するほどの賑やかさで驚いてしまった。

 離発着する飛行機を見ていると旅心をそそられる始末で、昨年の春に行って来た沖縄旅行を思い出して居た。それにしても飛行機を見る時は何時も少年時代に戻って仕舞い、この年になっても戦時中の少年の誰もが夢見た「予科練=特攻隊」思い出されるから不思議な現象である。

 やはり子どもの頃に夢見たことは一生心から消えないものなのだろう。大空を羽ばたく「ゼロ戦」を操縦する己の姿を、今目の前にある飛行機に重ね合わせている始末である。

七夕さま

2004-07-07 19:38:07 | じゃこしか爺さんの想い出話
       
♪ 笹の葉さらさら軒端にゆれる
         お星さまキラキラ金銀砂子・・                 

 今夜は七夕なのだが、北海道では新暦で行うところは少なく、大抵旧暦の八月七日にやります。それも最近では昔のように華やかにやることも無いようで、七夕祭りの飾りも余り見かけません。
 
 私の生まれ育った樺太(今はロシア領サハリン)でも旧暦の八月七日にやっておりました。
北海道もそうですから当然より北国の樺太では竹などは有りませんから、柳の木を使いました。柳の木でしたら無尽蔵に有りましたから、子ども等が勝手に切り出して来て飾り付けをしたものです。

 その飾り付けも物資不足の戦時中のことで、今のように七夕グッツが特別に売っているわけでも無くみんな全部子どもたちの手造りです。親達の造るのを見よう見真似でこしらえ何とか格好付けてたものです。

 そして夜になると提灯を手にして、気の合った者同士がグループになって囃し文句を一斉に張り上げて、各一軒ごと近所の家々を廻り歩くのです。

※ ローソク出せ!出せよ!出さなきゃ引っ掻くぞ・・おまけ     に噛み付くぞ!


各家では菓子類を沢山用意して置き、廻って来る子ども達にローソクと一緒に分けて呉れます。それが楽しみでまた一軒でも多くの家を廻ろうと競争して走り廻ります。
 
 その提灯も戦争が激しくなるとなかなか手に入らなくなり、缶詰の空き缶を提灯代わりにしたものです。

 今では家々の七夕飾りはもとよりそんな子ども達の光景殆ど見られなくなりました。何だかこうした昔の心温まる良い習慣(地域の大人と子供達との交流など)がどんどん忘れられて仕舞い誠に寂びしい限りです。

 こんな事を嘆き悲しむのは、単なる老人の感傷でしょうか・・?

2004-07-06 20:40:39 | 日々の雑記
この度本州の妹夫婦が北海道観光で来ており、道内をあちこち廻り最後に我が家に一週間ほど逗留する事になった。道内でも屈指の漁港として知られているから食の接待は勿論新鮮な海の幸であり、その方は心配ないのだが、普段から家の周り事については構わないから、近所の家の見事に飾り付けた玄関前に比べると、市の木として指定されている「ハシドイ」の大木一本だけでは、如何にも貧弱で殺風景である。

 猫の額ほどの裏庭にはそれなりの花木は有るにはあるのだが、鈴蘭とか黒百合それにあやめなどの草花はもう既に終わり、それにつつじの類もかなり前に咲き終わり今は葉ばかりで、全く彩りが無くて淋しい限りである。

 これでは隣近所の手前格好が付かないだろうと妻と相談、夕方になってから市内で一、二を争う園芸店に出かけ色々と仕入れてきた。これでどうやら我が家の玄関前も見られるようになった。
 
 しかし悲しいかな・・現役公務員の隣と年金暮らしの差は歴然である。
    

裕ちゃんの歌

2004-07-05 19:33:07 | 日々の雑記
 今朝三時すぎトイレに起きた後直ぐに眠られぬままに、枕もとのラジオを点けイヤホーンを当てると、いきなり石原裕次郎の歌「夕日の丘」が聞こえて来た。思いも依らない時刻に思いがけない歌でその後ずうっと聞き入っていた。

 NHKラジオ番組の「深夜便」の中の一つ「にっぽんの歌・こころの歌」で、何がなく点けたのだがたまたま今日が裕ちゃんの日に当たり誠に幸いであった。番組の途中だったからその後「恋の街札幌・港町涙街別れ町・夜霧よ今夜も有難う・ブランデーグラス・逢えるじゃないかまた明日」等であった。どれも大好きな歌ばか
りである。これら歌だけでなく映画も大好きで大抵の作品は観ているが、今ではその殆どの内容は忘れて仕舞ったが、今なお印象深いのは「陽の当たる坂道」のカレーライスを食べる場面である。ご飯とカレーをスプーンで全部混ぜ合わせてから食べるシーンは、未だに私がカレーを食べる場合そっくりそのまま真似て食
べている。

 裕ちゃんは我々の世代の青春の象徴であり、それは永遠に消える事なくまた忘れられない存在である。
今にして思えば、長身痩躯でとにかくスマートで格好良い裕ちゃんとは似ても似つかぬ、160センチそこそこの短足の身で有りながら、臆面もなく何かと真似て得意になっていた事をいた事などを、郷愁にも似た思いに駆られ懐かしく思い出していた。   

書く事の無いままに・・

2004-07-04 19:29:48 | 日々の雑記
特別に書く事が無いままに・・。

 今日本でお隣の国の俳優が持ちきりの様で、若い娘ばかりかおばタリアンからおバーまでが無我夢中。

 ヨン様と云ったって・・たががハリポタの主役の子を老けさせただけの、如何って事の無い男なのに・・



 日本の若者よ!  しっかりせい!


好きな散歩道

2004-07-03 20:19:01 | 日々の雑記
私の好きで良く歩きに出かける散歩道は大きく分けて二ヶ所有り、夏時分の陽射しの強い日には、木立が多くある上に東屋などのある運河公園に行きますが、それ以外は大抵家に近い自転車道路を利用します。
 昨日と異なり青空が広がり見るからに暑そうな今日でしたが、風が幾分強くあってそれが暑さを和らげて呉れていた。

 私の場合のウォーキングは早足とか大股での歩行は到底無理な健康状態だから、何時も五百メートルほど歩いては一休みこの繰り返しのぶらぶらだらだらの至って暢気な散歩に尽きる。今日の風は歩くのには少しも邪魔にならず、むしろ汗止めにも成り好都合であった。それに一キロほども歩けば郊外になりそろそろ湿原の入り口付近に差し掛かり、住宅街の喧騒や行き交う車の騒音は一切聞こえて来ない。

 今日は珍しくやや離れた「ハンの木」の木立の辺りから、カッコウの鳴き声が風に乗って聞こえて来る。また道路添いの木々からも辺りの葭原からも、コヨシキリ、エナガ、シジュガラなどの囀りが聞かれ飛ぶ姿も見られた。幸い天気にも恵まれ遥か遠くに阿寒連山を眺めながら幾度も深呼吸、自然を思う存分に満喫して帰宅した。