昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

スクーリング・Ⅲ・・・大学で

2005-07-20 17:28:47 | じゃこしか爺さんの想い出話
 Ⅲ・大学で
入学式の日には小躍りする思いで下宿屋を出た。山手線を新宿から田町まで行き、勝手知った仲間の後に従いて、店とか住宅の小路を抜けて校門に辿り着いた。やや緩い坂を上ると、其処に所謂「幻の門」と呼ばれている門があった。
 
           友と「幻の門」を出る
      
           福沢諭吉翁の胸像の前で友と
        

門の中に入って、建物の大きさと敷地の広さに度肝を抜かれた。何しろ大きな学校で知っている処と云えば、現在自分が住んでいる市の高校が関の山であったから、見るのも聞くのも全てが初めて目にするものばかりであった。その驚きは教室でも同じだった。大きな黒板が上下に二枚あって、教授が次々と書き入れて説明を加えて行く。それをノートに書き取る作業だけでも大変で、説明の方は到底間の合わず頭の上を素通り状態だった。
一番期待していた音楽の授業は、当時NHKの日曜日朝の音楽番組「音楽の泉」の解説者の村田武雄教授だった。期待通りで皆がグチルような眠気は少しも感じず、毎回楽しくて仕方がなかった。

(1)塾歌の練習

 簡単な昼食を食堂(学食)で済ませた後は自由に過ごせたが、私たち仲間は職
の呼び掛けに応じて、塾歌・応援歌の練習に参加した。
場所は敷地内の一画にあって、芝生に覆われた小高い丘で行われた。
歌の練習は雨で無ければ毎日のように行われ、常に五十人ほどが参加した。

※・塾歌「見よ風に鳴る」
   
    見よ風に鳴るわが旗を新潮寄するあかつきの
     嵐の中にはためきて文化の護りたからかに
     貫き樹てし誇りあり樹てんかな この旗を
     強く雄々しく樹てんかな
     あゝ わが義塾慶應 慶應 慶應


 ※・応援歌「若き血」

    若き血に燃ゆる者光輝みてる我等
     希望の明星仰ぎて此処に勝利に進む我が力常に新し
     見よ 精鋭の集う処烈日の意気高らかに
     遮る雲なきを慶應 慶應陸の王者 慶應


これまでに大学野球の放送でうろ覚えに知っていたこの応援歌は、この場で完全に覚えた。更に「塾歌」と「丘の上」などもこの丘で覚えた。


 ※・勝利の歌「丘の上」
       
    丘の上には空が青いよ
      ぎんなんに鳥は歌うよ歌うよ
      ああ美しい我等の庭に
      知識の花を摘みとろう

 
 以後気落ちの時も昂揚の場合にも、皆で声高らかに歌って励みとした。

(2)慶大グッズの店

まぼろしの門を出て坂を下りきった道路向かいに、慶応大学のグッズ専門店があった。登校にも少し慣れた頃、一人でその店に入ってみた。面食らうほどの品数の中から、角帽ならぬ慶大特有の丸帽子とバックル・手拭い・ペナントを買った。バックルはその場で取替えた。また丸帽は学内などでは流石に照れくさいので、大学以外の外出時に被るようにした。更に手拭いは常時腰に提げて汗拭きなどに使い、ペナントは帰省してから家の壁に貼って置いた。


(3)北海道弁「冷房病」

暑さから逃れる為に良く移用したのが、田町駅前に開店した「ペコちゃんのフジヤ」の喫茶店である。午後からの授業の時には登校前と下校時に仲間と駄弁っていた。それが度重なった所為か、私だけが冷房病にやられた。とにかく熱っぽくて頭が重い、その上身体がだるかった。
授業中に特に酷くなって我慢がならず、仲間のすすめで医務室へ出向いた。応対に出たまだ若い職員「どうかしましたか・・・?」との問い「身体がコワクテコワクテ」と返した私の言葉が通じなかった。私には普通の言葉だと信じていた「コワイ」とは実は北海道弁で、「怖い」のことでは無くいわゆる身体などが「だるい又はかったるい」時に使う言葉だった。それを東京人の事務職員を相手に使ったのだから、通じなくて当り前、また何のことか解らなくて当然だったのである。
その時傍らにいた初老の女医さんが笑いながら近寄って来て「あんた北海道からの学生さんでしょう。こちらへおいでなさい」と私を診察室へ連れて行き、聴音器で診察を始めた。「やはりクーラーのあたり過ぎよ、このところ多いのよ」と注射を係りの看護婦に言いつけ、更に下校時刻まで医務室で休んで行くよう告げて部屋を出て行った。
注射が効いたのか、夕方近くまでグッスリと眠ってしまった。身体のだるさなどはまるで嘘のように消え去っていた。
医務室を出る時に先ほどの職員が近寄り「先ほどは済みません、それにしても北海道弁って面白いですね」と笑みを浮かべて話しかけてきた。聞くところによると私が寝て入間に、先ほどの女医さんが詳しく教えたとのことだった。 私はその若い女子職員と言葉を交す余裕などは全く無く、無言で頭を下げて医務室を後にした。

※・続く・・・