畑のつぶやき

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食、農への思い

映画会

2011-08-09 20:19:04 | 暮らし

8月9日(火) 

夏空。気温も高く、待っていた天気だ。三日目の「サボり」一日目は、子供の相手をよいことに。昨日は、胃カメラ。三日目は、映画の上映会。

「原発切抜帳」。30年ほど前に作られた映画だが、見る機会はなかった。今回の福島原発の事故で、DVDが発売される。そのDVDでの上映会だ。房総半島南部で、地域医療や、終末期医療に取り組んでいる、クリニックの企画によるものだった。同時上映が、「病気は回復過程である/ナイチンゲール看護覚書より」だったが、時間の都合上、こちらは途中からだったが、よい映画のようだった。

「原発切抜帳」は、チェルノブイリの事故の前に作られた映画だ。私たちが、移住する頃の時代で、移住前なら、見ていただろうが、という頃の映画だ。しかし、主催の医師が、いみじくも語っていたように、今でなお、というより、今でこそ新鮮に感じられる、そんな映画になっている。それほどにも、映画監督や、詩人や、きかくしゃはとびぬけた感覚を持っているのだろうか。そんな、感想をもって、会場を後にした。

この作品が公開された後に、チェルノブイリの事故があり、はるかロシアの地から、放射性物質は飛来した。春、植物が、旺盛に生育を始めるまさにその時に、生まれた我が家の子ヤギ。母ヤギに与えた若草が汚染され、その乳を飲まざるを得なかった子ヤギ。私たちは、それ以降の追跡はしていない。だから、影響があったのかどうかは知らない。しかし、かくじつに、汚染があったのは事実だ。

しかし、それから、25年、原発は、停止するどころか、増えて行った。そしてこの何年かは、地球温暖化の防止をスローガンに、原発こそ救世主と、持ち上げられた。脱原発、原発離れをしていた、西洋の国々も、再び、原発を再開しようと、舵を切り始めていた。

そんな矢先の、最悪の原発事故を、東電が、日本が、起こしてしまった。

さあ、どうするかは、私たち一人一人が、決めて行かなくてはならない。

午後は、大豆畑。ひどく伸びた大豆の畝間の、中耕徐草。全部終わらなかった。

草に埋もれそうな大豆

管理機で中耕してやると