逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



我家のある洗馬宿は中山道第31宿なのだが、同時に善行寺街道の出発点となる宿場でもある。今日は思い立って、善光寺街道をナンチャッテスタイルで走ってみようと考えた。
ナンチャッテと言うのは、善光寺街道の旧道のかなりの部分は忘れ去られ、特に峠は道も荒れ、MTBですら走行困難な所があるし、第一、私の体力では一日で走り抜けられるわけもない。そこで、今日はとにかく松本から長野に行く。困難な場所は近くの舗装された良い道を走るという方針で、ナンチャッテでサイクリングすることにした。
便乗車載で松本に向かい、走り出したら、岡田宿を通り抜けたのに証拠写真撮り忘れ。いつも四賀に抜ける時使う刈谷原トンネルへ。



本当の善光寺街道は谷筋が一つ違う本物の刈谷原峠を通っているのだが、非舗装の山道なのでこちらで代用。おかげで刈谷原宿を通り過ぎ、四賀まで下ってしまった。


会田宿に向かう途中で立派な山門を持つお寺。浄雲寺。


善光寺街道一の難所、立峠に向かう前、市役所支所や学校があるのだから四賀の中心だろうと携行食を調達すべく、会田宿をうろつくも、商店が無い!百年前は人であふれていただろうに、地方の疲弊はこんな所にも表れている。


手持ちの飴/チョコのみで標高差400mの山越えをしましょう。真っ直ぐに山に向かって直登していくと、会田宿の立派な常夜灯。


登ってきた急坂を振り返れば四賀の谷。


会田宿の上部にある松沢家の茅葺長屋門。


10%越えの急坂をゆっくり登る。現れたのは立峠への登り口。あと六百メーターなんだけど、急坂が雑草に覆われ、人が歩いた跡があまりない。


私は右側に逸れ、舗装道路をテレテレ登る。着きました鞍点の石マンボウの切り通し。左に小道があり、唐鳥屋城跡経由立峠に出るようだ。


さぁ、ここからダウンヒルとビューンと下っていたら、善光寺街道の石畳の道に出た。まあ、石が滑らかになって居ないから、後日再建したものだろうが、それでも江戸時代の雰囲気は出ている。


次の宿、乱橋宿。あまり面影がのこっていないかな?


西条宿は駅を見たのみ。鄙には稀な、有人駅であったのには驚き。


携行食もなかったので、そろそろお昼をと青柳宿近くの坂北みちの駅に寄るも、木曜定休!お腹が空いているので、見物は諦め、麻績へと走る。とありました、開いている食堂「あかり」


食事のついでに、善光寺街道に沿って、聖高原、聖湖経由で長野に向かうべきか、もっと簡単に山を越えられるルートは無いか、お聞きすると、戸倉上山田に抜ける県道55号はトンネルまで少し登るがそちらの方が楽とのアドバイス。まずは麻績宿をちょっと見て。



県道55号に向かいましょう。そんでもって現れたのがこの13%斜度の洞門。冬の雪で車が登れなくなるのを避ける為でしょうか?


延々と10%越えの坂を登って、ようやく着きました、峠のトンネル。その名も坂の上のトンネルだよ。



長~い(1.6km)トンネルだが、幸い追い越していく車は無し。でもトンネルから出たら、温度湿度差で、メガネが曇って見えない!
標高差450mの長~い、でも交通量極小の道を楽しく下る。そしてついに出ました、千曲川CR。


ここまで来れば、長野は近い。千曲川にそって整備されたサイクリングロードを快調に飛ばす。


で、長野市内突入。篠ノ井を長野市と言うのも言い過ぎかもしれないが、長野市中心部までサイクリングする気が急速に失せたので、篠ノ井駅にチェックインして、自転車を分解。特急しなので塩尻まで帰りましたとさ。


と、ナンチャッテ善光寺街道サイクリングは68km+5km=73km、走ったのはこんなコース。




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