逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



週末の色んな行事で、1ヶ月ぶりの自転車。
曇り空だが、雨にはなりそうもないので、どこと言う当てもなく、
昼過ぎ飛び出した。


鶴見川CRを下り、産業道路を走って、神奈川市場の川島食堂さんに飛び込み、
中落ち定食を頂く。これで780円!  市場の食堂はどこも外れが無い。


さてどこへ行こう? 海沿いに、、




港には双胴のデッキが広く、抵抗の凄い小さい「かいよう」が。半没水型双胴船SWATH(スワス)型と呼ばれる半没水型双胴船とのこと。


象の鼻前では、シーカヤックが楽しそう。


山下公園で一休みしてから、本牧へ。


平らな道ばかりで負荷がかからないとまずいと思い直し、ブラフに登る。


今日はブラフ、港の見える丘、山手から、昔の横浜の中心地の坂を登り降りする
ポタとすることにした。


本牧や山手に住んでいた人の話によく出てくる、ワシン坂病院。


一旦本牧に下ってから、再度山手の稜線を目指す。
本牧のごちゃごちゃした家を抜け、本牧山頂公園へ。昔の米軍住宅、今の本牧
イオンの裏の山だが、いつ頃こんな綺麗な公園に整備されたのだろう。


アメリカ坂を下らずに、さらに稜線を伝い。


公園内の道をぶらついて。




最後は山手の駅に下ってきた。


山手駅から、本牧に向かう道。 丘の上に教会の尖塔。
電線と日本語の看板がなければ、イタリアの風景???


あ、そろそろ、時間切れだ。何時もの横浜駅~浅間~羽沢の稜線上の鎌倉道を辿って
鴨居原へ帰還。


本牧周辺の丘の上、まだ良く解らないところがあるので、またぶらついて見よう。

今日のコースは55km、1ヶ月ぶりで、疲れた。



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帰省する途中、諏訪で高速を降り、林家に寄る。
二色重を注文、普通の鰻の蒲焼きと白焼きのコンビだ。
白焼きには山葵とネギを掛けていただく。
このワサビで食べる鰻は最高、美味しゅうございました。




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スマホに変えてから1ヶ月が過ぎ、新しいおもちゃが欲しくなって、手に入れたの
がこれ、ちょっと見には、少し大きなUSBメモリーのように見えるし、お値段も
一昔前の大容量USBメモリーだが、CPU,GPU内臓の小さなアンドロイド端末で
ある、クロームキャスト。こりゃ楽しい。


TVのHDMI端末に突っ込んでおいて、スマホ側でU-Tubeを再生した後に、クロー
ムキャスト連動アイコンをタップすると、TVの大画面にU-Tubeが再生される。

コンテンツのストリームデーターはスマホからではなく、家のWiFiルーターから
直接クロームキャストに届き、スマホはリモコンとしてのみ働くので、他のタスク
に切り替えて、U-Tubeの内容とか歌詞とかを調べながらTVをみられる。

今の所、ストリームキャストと連動するアプリが限られていて、ブラウザのクローム
もPC版のみがTVにキャストできるだけで、スマホのクロームブラウザはクローム
キャストに投影できないのはちょっと不満だが、PCのアプリからなら、NASに保管
してある写真とか映画をPCで操作しながら、TVの大画面で見られるのはうれしい。

とにかく、スマホでチョコチョコと操作すれば、懐かしいロック、ポップスの
ビデオなどを、流しっぱなしで、ながらTVできるので、今まであまり見なかった
TVを点けることが多くなった。

この2,3日流したのは、Seekers, Crowded Houseのオーストラリア、ニュージーランド勢、
Jefferson Airplain, Grateful Dead, Janis, Doorsの西海岸勢、Neil Young,
Dylan, Bruce Springsteen,,,,,

やっぱりミュージックビデオはPCやスマホでなく大画面で見るに限る。



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豊富な運動量のおかげで、骨折後2年には、右手は100%完治した。右足も、
日常生活上は完治しているのだが、時々の鈍痛としびれ、そして、歩行中に時々右
足が引っ掛かることがある。慎重を期して、今年も独標には登らず、学校の慰霊祭
に参加することにした。

慰霊碑とその周囲は、卒業45周年事業の一環で、綺麗に再整備されていた。


去年の慰霊祭の後の飲み会で、図書館に保管されていた遺品を何とかしたいという話が
出ていた。

卒業45年の記念行事として、松本在住の同級生が実行委員会を作り、遺品や記録の
整理してくれた。松本民芸調の遺品展示ケースの制作、報道記事、写真やメモの整理
とアルバム化、同じような事故を繰り返さず、記憶を永続させるための遺品展示の学校
側へのお願い等を行っていただいた。その結果、学校の本館に当たる、第一棟に遺品
が展示されていた。


昼の慰霊祭の数時間後、同窓会館にて、山に登った20数名を加え、80名余りで卒業
45周年の集会に参加した。天気予報と異なり、山は久しぶりに晴れ、多くの同級生が
西穂高岳まで、登ったとのこと。

記録整理の一環として作られたスライドショー中では47年目にして初めて見る写真も
多くあり、実行委員の労苦がうかがえる作品であった。


中でも、私のクラスで西穂高岳に登った6人が写っていた写真は、撮影者を含む7人が
我々と共に卒業していないだけに、記憶に残る一枚となった。



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