逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



骨折顛末記も、病院で書いている本人は勿論の事、読んでいる人も厭きただろう。

シルクロード雑学大学の第二陣が今週初めから、ザグレブ~ローマを自転車で走っている。

入院中のヒマに任せて、サイクリングマップの作成を請け負った。予定表を見ると、全ルー
トを走ろうと計画した第一陣と趣きを変え、第二陣はおいしい所だけをつまみ食いして走ろ
うという、実にすばらしい下図のような計画だ。

( 下図のダブルクリックで、ルートの載ったグーグルマップへリンク )



予定では今日辺りは、山からアドリア海に出て、海岸沿いを走っているはずだ。

ストリートビューでルートをなぞってみると、真鶴道路の旧道をヨーロッパに持っていって、
風景を明るくし、左にアドリア海の青を眺めながら走るようなコースみたいだ。




しかも、ストリートビューに結構な数の自転車が映っている。
海を見ながら、こんな道路を走ったら、「自転車最高!」だろうな。 あ~ぁ、うらやましい。






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9/24(月)~9/28(金)
中毒になるのがいやで4週目辺りで、毎日3回飲んでいる鎮痛薬ロキソニンと胃腸薬タケ
プロンを止めて見た。しかし、痛みが我慢できず、ロキソニン/タケプロンを飲み続けてい
たのだが、先週からあまり丈夫でない私の胃が、ロキソニンに負けて、ボロボロになり、食
事を1/3残す事態となってしまった。

6週目ともなり、痛みが何とか我慢できるレベルとなったので、ロキソニン依存から脱却し
たら、胃もなんとか状態が良くなってきた。

これで、ようやくリハビリに集中できるようになった。リハビリ途中で窓を覗くと、裏ヤビツの向こうに富士山が見える。あそこを走れるのは、いったい、いつになるだろう。


手術から6週目ということで、もうそろそろ右足20kg荷重の制限を拡大し、松葉杖歩行を
許可していただけないか?主治医にお願いした所、「CTとX線の結果を見てから」という
ことになり、9/27にCTを撮影、その結果に期待が高まった。

だがしかし、所見はやはり、「骨の位置ズレ、異常は見つからず、順調。されど、骨の一体
化はまだ不完全で、荷重の増加は時期尚早。」となってしまった。



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9/9(日)~9/23(日)

手術をした病院でリハビリを受けるのが理想的ではあるのだが、横浜での生活もあり、術後
3週間で帰京/転院することとした。

当初、怪我の種類(自宅とは言え、剪定作業中の梯子からの落下だから、擬似労災ジャン)
や怪我の重大さから、自宅近くの新横浜の労災病院辺りに転院できるのではと、楽観視し
ていたが、「当院は急性期対応の病院であり、自分の所で手術しなかった患者のお世話
はできません。」との冷たいお返事。

近所を調べると、大きなリハビリ専門病院が2年前に開業しているのだが、推測するに、多
分リハビリ専門病院≒病後老人の機能回復訓練病院のような気もして、触手が動かない。

いろいろ考えた末、東芝病院に連絡を取ってみた。最初の反応はやはり急性期対応の病院
で、、、、、であったが、従業員であることと、こちらの窮状を話したところ、受け入れてくれる
ことになった。

入院してみてから判ったのだが、従業員関連の入院はほんの数分の一、基本的に地域の
中核病院だ。一方、整形外科部門は会社がラグビー、野球、バスケ、、、の実業団を抱え
ているので、スポーツ整形専門ドクターがおり、スポーツで手足を受傷した若い男女が色
んな所から集まってくる。私の病室でも看護婦に人気の現役ラグビー選手、筑波大の柔道
選手、某Canonのバトミントン愛好家、近所のご老人、それに私と整形外科にしては平均年
齢が若いのだ。

また、担当のセラピストが固定されており回復度と体力を考慮して、リハビリに当たってく
れるので安心できる。私の場合、手のセラピストが1時間、足のセラピストが1時間、みっ
ちりと運動指導をしてくれる。

ただ、スポーツ外傷系の若者が、急速に回復していくのに、こちらのリハビリの進歩が遅々
としているのにはまいってしまう。 まあ、60台後半以降の転んで骨折系の方よりは進歩
しているとは思うのだが、、、、

さて、病室の直ぐ下に見える、京浜東北線で通勤できるようになるのは、いったい何時の
のことになるやら。



数年後のコメント: 結果としてここでの痛い、痛いリハビリが大正解であった。1年後こそ右手の方が握力が低かったが、手の中のチタンプレートを外した後の2年後には、右手の機能は完全復活、痛みなども全くない。足のほうも、さすがに自転車で150km走ると、少し鈍い痛みが出たり、季節の変わり目に痛みは出るが、日常生活、スポーツにまったく不自由を感じていない。感謝感激である。



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9/2(日)
入眠剤を9時に、痛み止めの座薬を1時に使って、昨晩は久しぶりに充分眠ることが出
来た。この為、昼間もあまり痛みに悩まされること無く、リハビリに励むことができた。た
だ、坐骨神経の上の梨状筋が張っているのは相変わらずで、時折、ピッリとくる電気
ショックのような痛みを感ずることがあるが、鎮痛剤が効いているせいか、平穏に過ご
せる。

手、足とも、かなりの時間のリハビリを行い、少し汗をかいた。この調子で今日も眠れる
と良いのだが。 

9/3(月)
痛みも大分弱まり?寝ている時以外はあまり意識に上ってこなくなった。

右足20kg負荷での練習、両足で立ち、体重の半分近くを右足と右手に掛ける練習を1時
間近く練習しただろうか?だが、まだ右足は自由にならない、特に前後左右に足を振った
り、足を曲げるのは可能だが、足を足軸に沿って回転する(外転、内転)動作が自由にで
きない。骨盤の手術に伴い、この辺りの筋肉を切開しているせいだろうか?

転院先の東芝病院および職場に電話連絡し、9/5の転院を確認した。 
転院が確定したので、映画「神様のカルテ」で印象的だった、病院の屋上からの北アルプス
の展望を見ようと幾つもの段差を乗り越えて、屋上にでてみた。

残念ながら、北アルプスの展望は他のビルとヘリポートに阻まれ、全く見えない。実は映画
のあのシーンのロケは別の病院なのだそうだ。

しかしながら、僅かに開けた東側の視界に美ヶ原が横たわっている。これもなつかしい故郷
の風景だ。

 

9/5(水)
朝3時半、携帯の目覚ましで目覚め、相澤病院を4時少し前にタクシーで出発。ところが、
4階病棟から車椅子で運ばれる時、ズボンのポケットから携帯電話が零れ落ちていた。
幸い、2kmも走らない内に気がつき、病院にUターン。時間はかかったものの、無事洗馬
の家で待つ、義母と奥さんに合流。奥さんの運転で予定通り5時少し前に家を出発した。

甲府昭和、談合坂SAで車椅子を借り、トイレ、食事休憩。その後、高尾口で高速を降り、
16号を走ったのだが、やはり昼間は渋滞が激しい。予想通り、横浜の自宅には10時にし
か着けなかった。義母を降ろし、食事の体制などを整え、45分休憩、再びタクシーで東芝
病院に予定通りの12時前に到着したのであった。

病院では今までの経過を聞かれ、簡単に診察を受けて、この日の診療は終了、長い一日
はようやく終えたのであった。

 
9/6(木)
昨日の転院後、血液検査、手足の可動範囲の確認、X線、、、、と検査を行い一日が過ぎ
ていった。この間、あまり手足を動かさなかったせいか、夜分に臀部と足が痛み七転八倒、
ずっとこの痛みが続くのではという不安が頭から離れない、眠れぬ夜を過ごすことになる。

 
9/7(金)
リハビリのセラピストの指導でしっかり、2時間半のリハビリを行う。体が楽になった感じ。


9/8(土)
東芝病院は土日は休み、隔週で土曜日も開ける体制なので、今日はリハビリなし。

 



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--このエントリーはようやく落ち着いた1ヶ月後に、当時の日付で書いている--

8/26(日)
睡眠薬で無理やり眠るも、夜半の激痛で目が覚め、眠れぬ夜を過ごす。
早朝、痛みを紛らわす為にあてもなく病棟を車椅子でぶらついていたら、西方に常念岳と
その左に槍ヶ岳の穂先が覗いている。

早朝の西山(北アルプス)を見るのは多分そう、40数年振り。

松本で育ったものの、信州の帰省先、塩尻の妻の実家の辺りは、もう木曾谷の入口で、
北アルプスは見えない。こうして雄大な常念岳と、実はそれよりもっと高い槍ヶ岳を見ると、

「あ~ぁ、故郷の風景だ。」と思うのだ

8/27(月)
色々と調整することはあったが、9/5に相澤病院から東芝病院に転院することが決まった。
これで一安心。
 

8/28(火)
体調コントロール失敗。夜半よりずっと、足が痛い。

 
8/29(水)
相変わらず、右足の痛みが酷く、鎮痛剤が切れた時間が辛い。

看護士は、もう手術跡は融合しており、手術の痛みは無いはず。リハビリのやり過ぎの筋
肉痛か、もみ返しの痛みのはずと言うのだが、、、、、

2日ぶりに、シャワーを浴び、リフレッシュ。手術後2週間経ったので、レントゲンの再撮影、
そして、右足に20kgの負荷を掛ける練習をした。20kg負荷では足に痛み無し。でも
20kgって、片足そのものの重量程度なので、単にポジションコントロールができるだけ
で、歩くことは無論出来ないばかりか、松葉杖での歩行も恐怖感があり出来ない。
(松葉杖は脇の下で体重を支えるのでなく、手で体重を支える、したがって私の場合、
右手では使えない。)


8/30(木)
レントゲン撮影の結果、順調に回復しつつあるとの朗報にも関らず最悪の一日になった。
朝から右足が痛み、しかも攣る感じだ。妻が10時に身の回りの世話をしに来てくれている
のだが、会話が成り立たない。ただひたすら痛く、七転八倒、臀部を揉んでもらう。リハビリ
の治療師からは、坐骨神経が臀部の凝っている梨状筋などと干渉して、炎症を起こしてい
るのでは?ということで、臀部の凝っている筋肉を中心に揉み解してもらった。マッサージ
後はしばらく調子がよかったものの、夜半から激痛となり、痛み止め座薬、催眠導入剤と
試したが眠れず、最終的に睡眠剤を筋肉注射して、夜半に昏睡するように眠りにつき、
翌朝6時に目が覚めたのであった。

 

8/31(金)
昨日の続きとなるのを恐れ、ベッドの上でひたすら謹慎し、リハビリと時々のコーヒーブレ
イクのみにとどめた。午後より痛みもほぼ止まり、以前の状態、つまり微痛はあるものの、
我慢できる程度であり、本も読めるようになった。

思うに、ここ2~3日、足の痛みを紛らわすため、逆療法で右足のストレッチをしすぎたの
が激痛の原因であったかもしれない。主治医の鈴木医師の説明では、右足の攣るような
感覚は実際に攣るのではなく、坐骨神経の圧迫によってよく起こるようだ。右足をストレッ
チする→坐骨神経が引き伸ばされる→炎症の可能性がありそう。

骨折入院→肺栓塞→死亡という実例があると友人から知らされ、昨日脱いだ、エコノミー
症候群防止の圧縮ストッキングを今日は履いて寝ることにする。

 
9/1(土)
昨日昼間、運動などを自粛していたにも関らず、夜半過ぎにやはり痛みはやってきた。
入眠剤をお願いするも、夜12時以降は明朝への影響を考慮して、入眠剤は出せないと
のおおせ。そうなら、早くナースコールをしたのに、との後悔もむなしく、眠れない夜を過
ごしたのであった。昼は昨日の続きで、痛みレベル1~2/5と、まあ何とか意識を集中
できるレベル。午後レベル1に落ち着いたので、読書ができた。今日は座薬と入眠剤を
事前入手したので、何とか眠れるだろう。



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