逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



--このエントリーはようやく落ち着いた1ヶ月後に、当時の日付で書いている--

8/21(火)~8/23(木)
4人部屋やら2人部屋に移ったせいか、それともリハビリのマッサージが効いているのか、
夜半の痛みにあまり悩まされること無く、手持ちぶさたとなる。

病院内の図書館で毎日2冊づつの本が借りられるので、久しぶりに、本当に久しぶりに、
毎日2冊ペースで読書三昧となる。



長野県は佐久総合病院、とか、諏訪中央病院とか、地域で作った病院に、全共闘の残党
が流れ着き、優秀な病院に生まれ変わらせた歴史があり、今井澄さんや、鎌田實さん、
南木佳士さんの本や終末医療に関る本、人生観に関する本などもおいてある。

あ、それから、もちろん、この病院で働いていた経験を小説にした「神様のカルテ」シリーズ
も読了。 

8/24(金)
手の手術からも一週間がすぎ、経過も良いのでリハビリが本格化した。ところが、体調の方は降下の一途。夜半足が痛くて、眠れなくなる。 鎮痛剤が毎食後で、18時半の夕食時に飲む鎮痛剤が夜半に切れるのがいけないのだろうと、鎮痛剤を21時に飲んだのだが、やはり、夜中は七転八倒、結局座薬のお世話になった。

8/25(土)
事故後初めてシャワーを使わせてもらう。シャワーに入ろうとパジャマのズボンを下ろして、
気がついた。左足と比べ右足がぐんと細くなっている。触ってみると、筋肉も右足はポチャポ
チャで筋肉と言う感じが無い。たった10日足らずで、こんなに筋肉が落ちるものか。

筋力トレーニングをするべきだろうが、右足に荷重は掛けられない、しかもお尻の後ろで
筋肉を切られているので自分の思う方向に右足を動かせない。



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8/18(土)

大人数部屋では一番広い2人1部屋を一人で独占して快適に点滴を受けながら快眠。
予定通り、塩尻の家に一家であそびに来てくれていた義姉一家のお見舞いも余裕でこなすことが出来た。

 
8/19(日)

手術後は神奈川/東京エリアの病院への転院をお願いしてあったせいか?それとも比較
的元気で、少なくとも老人ではないせいなのか、4人部屋に移され、点滴も終わってしまっ
た。
鎮痛剤は飲み薬=ロキソニンのみ。ところが、夜半に鎮痛剤が切れて七転八倒、座薬
(ボルタレン)を入れたり、沈静剤を飲むも、眠れない夜を過ごす事となった。

 
8/20(月)

手や足の関節が固まらないように、手のリハビリを本格的に開始。リハビリは痛いの一語
に尽きる。
さらに、夜半になると、夕食時飲んだロキソニンが切れ、持続的痛みが襲ってきて、また眠
れない夜を過ごすことになった。4人部屋だと七転八倒している音や、車椅子で起きるた
びにトイレに行くのも迷惑なので、病院にお願いして、明日から前よりは少し狭いが二人
部屋に移してもらえることになった。

 



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さて、足の手術はおわったものの、まだ右手首、関節の手術の手術が残っている。

下のCTの3D画像で解る様に、この骨折も良く見られる骨の真ん中、細い部分での
骨折と異なり、関節に近い太い部分の骨が剪断し、しかも2つに割れ、骨片は横に
ずれている。(医学用語的には橈骨遠位端の複雑な骨折と言うらしい)

そこで、今回の手術は若い主治医ではなく、彼の上司の手の手術のスペシャリストが行う
のだそうだ。手術前、尿管を取り外されていたので、小水が出ず、まあ予定1時間半の手術
だから我慢できるだろうとトイレをスキップしたのが間違いであった。

今回は右腕のみの部分麻酔で行われ。手と顔の間はカーテンで仕切られており直接視認は
出来ないが、手術室壁のモニター画面と、耳によって手術の進行具合が逐一わかるのである。

手術前、今日の手術は手の手術の専門家がやるので、心配ないとは言われたものの、足の
時と異なり、進行具合が判るだけに、尿意もあいまってはらはらする。

しかも、手術が始まると、骨片が小さく、難しいらしく、執刀医がしきりに、「どうしようかな?」と
何回もつぶやく。工具やピンのサイズをあれこれ変えたり、螺子山を潰してしまったボルトを取り
替えたりしながら、結局予定時間の倍以上、3時間半の長丁場の手術が終わったのであった。
(病院、執刀医の名誉のために言っておくと、手術後の状況は非常に良い)

しかし、全身麻酔の足の手術の数倍ハラハラする展開で、わが身に何が行われているか、
「見るべきか、見ないべきか。」それが問題の一日であった。

で、こんなチタンプレートとネジによって、私の右手は修復された。



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大手術から一日たち、麻酔からは醒めたものの、生理食塩水、抗生物質、消炎剤、鎮痛剤
などを点滴され、尿管も繋がれているので、ベッドから離れることは出来ない。しかし、毎時
定量滴下される鎮痛剤=麻薬のおかげで、300mmを切開する大手術というのに、あまり
痛みは感じない。

事故後ずっと風呂に入って居ないので、若い看護婦さんに、全身裸にされ、体を拭って貰
う。行った経験はないが、何かソープ×ン× にでも行ったような気分だ。

さらに麻薬のおかげて、短い睡眠の間に、色々な、どちらかというと幸せな短い夢を幾つも
見られる。

これなら、入院も良いかも? なんて思ったが、先に塗炭の苦しみが待っていようとは、この
時は知る由も無かったのであった。



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あけて、8月15日、今日は終戦記念日だ。世間一般はお休みなのに、腕の良さそうな
大勢の医師、看護師に囲まれて、手術を受けることになった。

骨盤の手術は大掛かりなもので、麻酔医二人と外科医二人、研修医一人、数名の看護師
のチームが朝の9:30から16:00まで、6時間半に渡る手術であった。

後でCTと術中の写真で説明されたが、AO財団が標準化したKocher-Langenbeck
手法に従って手術したのだそうだ。

この手法はまず右足ハムストリング他の筋肉を300mm程度切開し、筋肉の中を走っている
坐骨神経を慎重に横に寄せた後、さらに筋肉を切り開き、骨盤に達する。そして骨盤大腿骨
臼蓋の割れた数片の骨の内一番大きな骨片を骨盤に螺子止めする。その次に、固定された
骨片と骨盤に跨るようにチタンのバックアッププレートを入れ、それで骨片と骨盤に螺子止め
し、さらに小さな骨片を元の位置に引き寄せる。といような手術で有ったらしい。
(詳細は注記1参照)

「有ったらしい。」と言うのは、私の覚えているのは、手術室に入って全員が挨拶してくれた
ことと、若干のブリーフィングを聞いたのみ。全身麻酔が始まり、即、昏睡し、手術が終わって
から、覚睡したので、手術は6時間半ではなく、私的にはほんの一瞬のことであった。

で、手術後のCTがこれ。骨盤から骨盤にかけて、チタンプレートが渡され、そのプレート
で、骨片を支えているのが分る。(チタン周りには影響で若干ノイズがある)

 

注記1:この文章が分りにくい、、、どんな手術であるか興味がある、、、怖い物見たい、、、
     私は気が強い方だ、、、 と思う方は、AO Foundation の日本語ビデオがある。
     さすがに、実際の手術ではなく、人体模型を使ったビデオだ
 リンク: http://www.aovideo.ch/published/player.2.aspx?id=20134jjm0198 )


ランゲンベックアプローチで修復される前の骨盤周りの様子。

 

追記: 腕の良い外科医とその後の3ヶ月間のリハビリにより、数年後の今も、健常者とほぼ同じ生活ができている。骨折にもかかわらずアラセブで100km超のサイクリングが出来ているのは良き医療チームのおかげだ。



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手術前日のインフォームドコンセプトの時は、もう痛くて、とにかく早く手術してくれ!
で、医師から説明を受けたのも上の空だったのだが、事後手に入った画像を見ると
いかに、この事故の3m落下した時の衝撃が大きかったかが分る。  

以下「衝撃の画像」

救急車で搬入直後のCT断面画像  画面左(右足)の大腿骨が脱臼で数cm離れている

それが、1時間後には、脱臼をもとに戻す操作で、位置的には元に戻っている。

 


レントゲン写真じゃ、骨折の具合は良く分らない、、、もう直ってるんじゃない?  医者じゃないからね、
でも次ぎの「衝撃の写真」というか、CTが骨だけを抜き出して、3D画像にした写真?イメージを見ると
何がどうなっているか一目瞭然!!  某T芝のマルチスライスCTはすごい!! なんて驚いている
場合じゃなかったか。

骨盤を真後ろから見た図。 大腿骨のボールを包んでいる骨盤が砕けているのが分る。


右横から見た図。大腿骨は元の位置に収まっているが、骨盤の破片は3cm位浮き上がって
いる。

あ、でも自分の骨の3Dイメージって不思議な感じだ。
普段は見たこと無いし、ヌード写真よりも、もっと薄着の写真だし、わいせつ物陳列法に
引っかからないか?

なんて感想は1ヶ月後だからできること、手術前は痛さと後悔の念で直視できなかった。


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     追記 CT画像をアニメ化した画像を一年後に作った
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事故翌朝の午前中、某T社の最新マルチスライスCTで撮られた骨盤と大腿骨の3Dイメージを見ながら、担当医師から病状の概要と、IC(インフォームドコンセプト)が行われた。私の骨折は比較的めずらしい症例で、年間1000件程度の整形外科手術をする相澤病院でも年1例位とのこと。

医師からは
 ①松本のこの病院で手術~リハビリを行う方法と、
 ②応急措置はしてあるので、神奈川に移送、自宅近くで手術を含め行う方法
があることを説明される。

夏場は山で遭難した怪我人が毎日ヘリで運ばれてきて、看病の都合から、その多くは自宅近くの病院にて手術するのだそうだ。

入院先の松本の相澤病院は、40年前、私が高校に行っていた頃は、それほど大きな病院ではなかったと思うのだが、現在では信州大学医学部付属病院を除けば、松本平で一番大きな病院になっており、最新式のCT(T,G,S,P各社の)やMRIが並んでいるばかりでなく、病室も綺麗で、看護師もきびきびと働いている。

昨年、映画「神様のカルテ」を見ていて、舞台となった、この病院に興味を引かれた(老後、塩尻に生活拠点を移した時の病院は重要)ことや、担当の青年医師のが良さそうに見えたこと、塩尻の家から看病に通うのもそれほど無理がないことから、ここで手術してもらうことに決めた。

最初は、手と足の手術を同日に行うことも検討されたようだが、複雑な手術であることから、
足の手術を先行して、明日に、そして、一日置いて、3日後に手の手術をする、、、、

と急展開で、事態は進んでいくのであった。



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十数年前に高さ4mほどの所で頭を剪定した隣家との境の杉がまた伸びで、ご迷惑を掛けていた。業者に8月のお盆周辺で伐採する見積もり依頼をしたのだが、色よい返事がなかった。

それならば、以前もやったのだし、自分でやろうと、5mほどのところにロープをつけ、それをウインチで倒す方向に牽き、4mほどの所で、チェーンソーで切ろうという算段をした。

今回は前回と違って、ヘルメットだけではなく、安全帯を締めての作業だ。

慎重に、慎重にと思っていたのだが、3本目の杉で馬脚を現してしまった。切り落としの最後の所で、安全帯を幹に掛けず作業をして、痛恨の3m転落。 右足大腿骨を支える骨盤の臼蓋を骨折、脱臼、その上、右手首も骨折してしまった。

救急車にて松本市内の総合病院に搬入。CTにて骨折の3Dイメージを撮影し、同時に脳や他の重要な箇所に、ダメージが無いこと確認した後、とりあえず脱臼を元に戻し、この日は暮れて行ったのだ。

【教訓】
① せっかくの安全帯もきちんと確保点に繋げなければ、お飾り。
② 40歳代でできたことが、60歳代にできると思うのが間違い。
③ リスクに対する感受性をもっと持たねば。

一ヶ月たった今も病院の中という、重大骨折ではあったものの、不幸中の幸い、
頭部や頚椎、神経系に関る障害は出ておらず、リハビリに励めば、運動範囲も
100%とは行かないが、90%位は復旧できそうだとのこと。



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久しぶりに扁桃腺炎になってしまった。ブログを見ると2年ぶりらしい。
多分この状態がお盆休みの間も続くので、信州に帰っての夏休みは静養モードにしなければならないのか?

先日、ラルゴさんに、サンチィアゴ・デ・コンポステラに行きたいと話していたら、さっそく「旅
好きオヤジの自転車巡礼記」なる本をを我家のポストに放り込んでくれていた。

知らない地名ばかりで、位置関係が良く判らないので、日本カミーノデサンチィアゴ協会
のガイドブックを買い込み。


さらに、神秘体験とか、神の啓示とかに興味はないのだけれど、



これらの本も買い込んできた。

夏休みにじっくり読んで、旅行計画でも練るとしよう。



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前日の土曜日、家族ポイント獲得、買い物ツアー付き添いで精力を使い果たし、帰宅後
腰痛に加え、咳、扁桃腺痛、熱、頭痛と体調不良症状が襲ってきた。

だがしかし、今日は少ないながらシルクロード雑学大学の一団をヤビツにご案内する約束
である。東京在住者が多いことを配慮して、シマダさんの集合地点とは別に淵野辺からの
出発にしてあったので、ここは体調不良だが、なんとしても、ご案内に行かねばと、自宅
から自走で淵野辺にむかう。

若干1名のDNSを除き、時間通りにY,K夫妻、Sさんが淵野辺に集合。相模川まで一旦
下り、高田橋の河岸段丘を一気に登る。


横須賀水道道のトンネルで涼んだ後、あいかわ公園周辺の近道を通って、宮ヶ瀬ダムの基部
に到達。朝早いので、周囲には観光客など居ないのだが、ここは規制通り、押し歩きで。


ダムの中に入り、エレベーターでダムの天端に一気に120m登る。


で、後は、緑に覆われた裏ヤビツの林間コースで、天国のサイクリングを楽しんでいただく。
実際は350mほど更に登るのだが、景色が良く、気温も低いので休み休みではあるものの
皆さん、楽しく登り、少し予定より遅れたものの、BBQ会場であるきまぐれ喫茶に到着。

うまい具合に丁度BBQが焼きあがったところだ。早速焼きあがりをおいしく戴く。


ヤビツしまだ組の皆さんとも懇談いただき、さらにKさんはヤビツ峠も制覇、BBQに加えて
気まぐれ喫茶の名水コーヒーもおいしく頂いた後、ノンビリと裏ヤビツを味わいながら下る。


吊橋の下では、ヤマメを釣った瞬間も見られた幸運も。


判りにくい新小倉橋をあえて右側で渡り、橋本まで皆さんを送り届けた。


涼しかった裏ヤビツから宮ヶ瀬に出た所でまた頭痛がして、どうなることかと思ったが、
何とか来た道と同じルートで自宅に帰還。初めての裏-裏ヤビツ、峠無しで今日も120km
の走行だった。

wadachiで作ったプロフィルマップと写真集

 



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つい最近の出来事のように、色々な記憶が蘇って来るのだが、同級生5名を含む11名を
失った西穂高岳独標の落雷事故からもう45年も経ってしまった。

60才を過ぎて、自分の時間を自由に出来る人が多くなったのか、今年も10名を越す同級
生が山に登っているとのことだ。

前後に色々な行事があり、その上腰痛にもなってしまったので、今回は登山はあきらめ、
学校の慰霊祭に日帰りで出席してきた。

慰霊祭には、数多くの在校生も参加してくれた。


亡くなった同級生の親御さんも数が少なくなってきた。今日出席されたTさんを囲んで、
学校に来た同級生と写真を撮らせていただいた。

また一年、精一杯生きようという思いを新たにした、一日であった。

山に登ったときの記録は
2010年 http://blog.goo.ne.jp/momonger1/e/a8ec3ed7d49e1ed59a58380c917a7b0f

2009年
http://blog.goo.ne.jp/momonger1/e/e04514933d1745a18462bbd9a0409aec



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