逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



当てもなく走り出した一日。家を出ても、北アルプスは雲の中。ならばまだ行ったことのない有賀峠を目指してみよう。
若いローディーにサクッと抜かれても、気にせず?いや、付いてていけないので、ノンビリ登って塩尻峠。


後はトラックを気にしながら、岡谷から諏訪湖南岸に下る。八ヶ岳も半分霞の中。


有賀峠にアタック開始。でもすぐに写真休憩ね。


九十九折れの道を登ったかと思えば、萎える直線の急登もあり。


40分もかかって諏訪湖から有賀峠へ。


後は田舎の谷を楽しく長い下り。



辰野に着いて、さてどちらに? そうだ、伊那のB級グルメ、ローメンを食べに伊那市まで行って見よう。
天竜川の左岸を独り占め。


あれ? 河岸段丘の上に、南アルプスが見え隠れする。


中央アルプス方面は霞と逆光でシルエットのみ。


丁度お昼時に伊那の田村食堂でローメン700円なり。


食堂のおねーさんに、伊那で行くべきお薦め処は?と聞くも、思い当たるような場所は無しとのこと。
仕方が無いので、帰ることにしますか。帰り道は天竜川右岸の段丘上へ。

あ、南アルプスがはっきりと見えた。千丈岳と間ノ岳ですかね? 松本平とまた違った山が見えて、新鮮な感覚だ。


帰り道は40km。無心に漕いで、善知鳥峠。


少し早いので、図書館に寄ってから帰宅。走ったのは95km、こんなルート。



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今日の農学校は2時間たっぷり収穫作業。
まず、唐辛子を引っこ抜く。



続いてサツマイモの収穫。まず弦と葉っぱ、マルチを取り除いて、、



収穫が遅かったので、でかい芋が多い。



畝の中ほどを掘っていたら、ネズミが一匹飛び出してくる。ネズミにかじられて、ゴミ箱行きのサツマイモ。


それでも、コンテナ8個にいっぱいとれた。焼き芋、干し芋、次の授業が楽しみだ。


つづいて、先日収穫して乾かしてあった蕎麦を唐箕(とうみ)で分別。超時代物のとうみでもなんとか役に立つ。ゴミ、茎、葉などの雑物をとうみのファンで吹き飛ばし、


一次選別の蕎麦の実はこちら一番出口へ。


まだ、少し雑物の混ざった蕎麦の実はこちら2番口へ。



こちらはもう一回とうみに掛けて、雑物を吹き飛ばす。
この後、製粉を経て、12月には美味しい蕎麦を食べられるはず。



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6年前に設置した玄関脇の最初のウッドデッキ


メインテナンスフリーの人工木/プラウッドデッキとは言うものの、雨ざらしの中で、さすがに汚れが目立ってきた。お客さんが来る前に、綺麗にしなくてはと、高圧洗浄機を取り出した。


旋回ジェットにして丁寧に汚れを落としていく。



左側が洗浄済み、右側がこれから。



15分ほどで、新品同様に綺麗になった。風合いは本物の木のデッキには劣るが、このメンテナンス性の良さ、腐らないことが人工木の良いところ。


折角高圧洗浄機を出したので、リビング前の大きなデッキも掃除したが、一生懸命やったので、写真は無し。



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美ヶ原に行こうかとも思ったのだが、完全には雲が切れそうにない。池田町の七色カエデも良い時期だと聞いたので、池田町まで車載でお出かけ。
池田の東山山麓線に登ると、残念ながら安曇野の向こうの北アルプスはまだほとんど雲の中。


見上げると、さらに丘の上に、ぽつんと黄色い大銀杏がみえる。せっかくだから登って行きましょう。長福寺の大銀杏、今が黄葉の最盛期。


では、山の中に入っていきましょう。林道花岡山線は殆ど車が通ったあとの無い道。杉林の中は湿って暗い。



大分登ったら、林間から鹿島槍ヶ岳がチラッと見える。


標高が900mを越えた辺りから、明るくなり、道の両側が紅葉に包まれる。


角を曲がったら、着きました、今日のメインメニュー。大峰高原の七色カエデ(大)。


引揚者?が開墾した牧場に切り倒され残ったカエデがまだ緑の牧草地の中に点在している。


信号機の3色、赤、青、黄色、それ以外に後4色あるかどうかは知らないが、7色あると言われれば、そのような気もする。


JDLのすごく大きな研修所。大都会からこんな山の中に研修になんて来るのかしら?


もう少し走って、中カエデへ。でもこちらはまだ紅葉が始まったばかり。


見る人も居ないが、脇のオーク?と白樺が綺麗だ。


ビューンと下って、相川峠のトンネルに寄って行きましょう。あちゃ~ぁ。期待した爺ヶ岳、鹿島槍は雲の中だよ。


仕方がない、少し戻って、唐花見湿原に向かいます。
湿原の中に広い木道が整備されている。誰も歩いていないのを良いことに、乗車。でも落ちたら一巻の終わり。


葦、菅の向こうの赤いのは、落葉し赤い実のみが残ったウメモドキの木。



標高1000mの湿原、花の頃にまた来てみると良いかもしれない。

さらに光り輝く紅葉の道を喘ぎながら登れば、



絶景のご褒美。


初冠雪は溶けてしまったが、鹿島槍ヶ岳も見えてきた。


雲の間に覗いているのは、スキー場の向こうだから、五竜岳か?


さらに鷹狩山の展望台に登れば、大町の市街の向こうに広がる北アルプスが広がる。


半月前に登った鹿島槍スキー場/小熊山のパラグライダー発進場所も鹿島槍の右下に見える。


さて、雪は無いとはいえ、鹿島槍も見られたので大町に下りましょう。
下り道の途中には大町山岳博物館があり、今春から雷鳥の繁殖に取り組んでいるので寄って行きましょう。
あ、羽根が抜け替わって、白になりつつある。もうすぐ冬だ。


後は淡々と大町ー明科線を走って、車のデポ地へ。
と言う訳で、走った距離はたったの40kmと短かったが、訪問場所盛りだくさんの一日で、大満足だった。




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既に3回移設された周波数変換機の説明に続いて、桃山発電所の説明。桃介は合理主義者ではあったが、発電所の外観にも気を使って、そこここにアールヌーボー調の装飾がある、、、、の説明の後、いよいよ見学。

先ずは寝覚発電所のすぐ下流にある取水口から。発電所建屋左下の石積みの構造物が取水ゲート。今日は雨の後なので、かなりの量の水があふれ、本流に放流されている。


取水口から数km下流に下り、いよいよ桃山発電所へ。対岸から発電所を眺める。



で、いよいよ普通は入れない発電所内へ。まず水圧鉄管の脇を数十m登る。約100年前の水圧鉄管は溶接ではなくリベット接続。太さも太く、近くからだと存在感がある。


調圧水槽には勢いよく水が流れ込んでいる。ここから毎秒19トン✖2台の水が80mの落差を流れ下り、水車を回す。



発電所内に降り、1万3千kWのFull出力で運転中の発電機を眺める。私だけ特別に発電機風洞の中を覗かせてもらった。



水車室は思ったりょり狭く、全景は撮影できない。


電動化された入口弁なども眺めてから、屋外へ。
アールヌーボー調の発電所建屋の横に、雨で激しく流れる木曽川本流。



関電では上松町と共同で地域住民の理解を深める為、毎年幾つかの発電所見学を行っているとのこと。機会があればまた来てみようと思わせる企画であった。



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ローカル紙に上松町主催で福沢桃介の名前から一文字取って約100年前に建設された桃山発電所の見学会の案内が載っていたので、申し込んであった。



木曽川水系の発電所は日立や三菱の機械が多いので、他社の機械を見る良い機会と出かけたら、関電さんから、桃山発電所の意外な技術遺産、100年近く前の芝浦製作所の先輩達が作った、日本で初めての大規模周波数変換機の数奇な運命を教えていただいた。


商才にたけた福沢桃介は桃山発電所の完成後すぐに、西日本向けに作り出された60Hzの電気を50Hzに換えて、東日本に売ることを考えた。今では半導体の進歩でインバーター/コンバーターを使えば周波数変換ができるのだが、100年前は24極の同期電動機で20極の発電機を回すことで、60Hzを50Hzに変換していた。で、桃介は1923年に発電所の横に、日本で初めての大規模(と言っても1万5千kVA)の周波数変換機を設置したのだという。
この機械は戦争中、50Hzと60Hzの発電機が混在し、電力不足の著しかった九州に移設されたのだが、戦後は九州の発電機も60Hzに統一され、不要の設備として打ち捨てられていたのだそうだ。

所が、1964年のオリンピックに合わせ新幹線を建設することが決まったのだが、神奈川の新幹線の実験線で新幹線を走らせるのに、大きな問題があった。実験線に来ている電気は50Hz、でも新幹線は60Hzの交流で走らせることで設計が進んでいた。60Hzの電源をどうしようと考えた時、桃山から九州に移設され、打ち捨てられていた周波数変換機の登場となったのだそうだ。


製造後40年経った所で60Hz→50Hzの変換機だったのを、50Hz→60Hzの変換機に大改造するという困難を乗り越え周波数変換機は突貫工事で完成、その結果もあり、新幹線の試運転も大成功、オリンピックの10日前に開業できた陰には、この桃山発電所の周波数変換機があったのだそうだ。

しかも、物語はここでは終わらない。この変換機はまだ4度目のお勤めをしている。国立の鉄道技術研究所で周波数変換/短絡発電機としてまだ現役で働いているのだそうだ。

4回も生まれ変わって、使われている100年近い前の機械。こんな機械を設計/製作できれば技術者冥利に尽きるだろう。



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雨が激しいので、外遊びや畑の整理ができない。
返却期限の来ている本もあるので、図書館へ。2時間ほど本を見繕ったり、雑誌を眺めて、返した以上の本を借りてしまった。頑張って2週間以内に読まなくては。

図書館に引き続いて、ふれあいセンター広丘で筋トレ。殿筋、梨状筋の動かし方に注意して、ウォーク20分、エアロバイク30分、筋トレマシン30分、ストレッチ20分をこなす。ウォークは6km/h、エアロバイクの負荷は120~140Wで、脈拍120~140BPSの間で汗をかいた。

一昨日の高ボッチが効いたのか?体重は1.5kg減の68kg。あと2~3kgは落としたいのだが。



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以前履いていたオールシーズンタイヤの溝が浅いので、冬の来るずっと前だが、去年買ったスタッドレス、アイスエスポルテに取り換え、空気圧チェックを行う。
こんな時、超小型/可搬式の私のコンプレッサは長いエアホースを引き回す必要が無いので、便利。



エアーチェックガンもバックライト付きデジタル表示のものを買ったので、老眼の私にも圧がすぐ分かり、圧力チェックも超簡単。



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爺チャリのスプロケを老人向けの32T→最終ギア比0.94に換えたので、ヒルクラの検証をしてこよう。となれば、病み上がりの身には少し辛いかもしれないが、初冠雪の北アルプスを見に、高ボッチだね。
塩尻峠に向けて登り始めると、塩尻市の向こうの北アルプスには一面の雲。テンション下がる。


国道20号まで登ってきたら、白く輝く、北穂高岳がチラッと見えるよ! テンション上がる!


さらに高ボッチ線を登って振り返ると、御嶽や中央アルプス。


雲よ切れろ! の声が届いたか、林間から、松本市街の上に穂高や常念岳がチラチラとみえる。


期待を胸に、紅葉の高ボッチ線をひたすら登る。さすが32Tは足に優しい。でも、私の心肺能力が追い付かないので、紅葉を楽しむ振りをして、写真休憩を一杯入れる。


いよいよ高ボッチの山頂付近の平坦部へ。でも、松本側からガスが登ってきている。穂高は見えるか?


ダメだ! 西側は完全にガス/雲の中で視界は100mも無い。

が、その代わり、諏訪側はまったく雲が無い。北アルプスを期待したが、諏訪湖の向こうに初冠雪の富士山と南アルプスがバッチリだよ。


初冠雪の八ヶ岳も当然間近にみえる。


何時までも富士山を眺めている訳にも行かないので、さらに山頂を目指しましょう。


で、北アルプス一望の展望台に辿り着いたが、完全に何も見えず。


日差しはあるので、雲がいつか切れるのではないかと期待して、ベンチで待つ。
と私と同年代と思われる方が話しかけてくる。「グレートジャーニーに乗っているということは、Against Windのブログの方ですか?」こんな所でビックリ。記念撮影をさせてもらう。



大分待ったのだが、次から次から雲が登ってきて、北アルプス方面は全く見えず。またのリベンジを誓って、今日は引き揚げましょう。



途中の牧場で羊さんを眺めて、



サンサンワイナリーまで下ってくれば、穂高連峰に雲は無し。高ボッチにだけ雲がある。


高ボッチからの穂高連峰、槍ヶ岳は見られなかったが、富士山は良く見えたし、グレート爺チャリの32Tカセットは足に優しいことも分かった一日。45km、総獲得標高1000mのヒルクライムだった。




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安曇野ミュージアム ギャラリートークリレーと題された催事:安曇野のアート展を梯子するイベントがあったので、出かけてみた。安曇野と言えば、碌山と臼井吉見だが、この2つは既に何回も訪問しているので、パス。
スタートは豊科近代美術館から。


スペイン風の図書館と併設の美術館に高田博厚の彫刻が多く収蔵されている。館内は残念ながら撮影禁止だが、中庭のコリドーは撮影OK。


2時間ほどじっくり見学させていただき、外に出れば、朝方の豪雨がウソのよう。曇ってはいるが北アルプスが姿を見せ始めた。


昼食後向かったのは、ワサビ田の上に浮かぶ山岳写真家の田淵行男記念館



山の写真と高山蝶のスケッチを沢山見た後、外に出れば、さらに、雲が切れ、有明山の左肩の向こうに、初冠雪した燕岳。


そして、次の高橋節郎記念美術館を目指して北上すれば、田んぼの向こうに、初冠雪した鹿島槍から白馬3山。やはり、雪のある北アルプスは良いね。


漆芸の高橋節郎美術館も内部は撮影禁止。



ただ、脇の築150年の生家の庭も作品と同様、心の休まる風景である。



最後はアートではなく、ヒコーキ野郎の記念館、飯沼飛行士記念館へ



日中戦争に飛び込んでいく直前、三菱重工名航で作られた純国産機で欧州まで100時間を切る世界記録で飛んだ24歳の飯沼正明の記念館と生家だ。この家も随分立派な家。


普段自転車で安曇野のアートラインとかスケッチロードとかを走ってはいるものの、数多くあるギャラリーにはご無沙汰であった。一度に多くのギャラリーを訪れて、学芸員の詳細な説明を聞ける今回の催しは私には最適のものであった。



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今日は東京から90歳半ばの義母と子、孫一家が我家を経由して上田にお墓詣りする予定であった。
所が台風19号の影響で、我家に来るには中央線は不通、そして帰りの信越道も不通のままだった。長野新幹線と中央道は何とか開通したのだが、車でのみとか、電車でのみの移動を考えると、首都圏からの信州周遊コースはまだ寸断されたままと言う訳だ。
そこで、折角計画したのだから、我家だけで、お墓参りに行くことにした。
所がお墓に着いて見ると、、、


お墓の上に、折れた大きな枝が被さり、さらに、いくつかの石塔も倒している。


刈り払い機など掃除用具を持ち、作業可能な服装はしてきたが、ここまでヒドイとは想定していなかった。仕方がないので、近所に住む親戚を訪ね、事情をお話して、ノコギリをお借りする。
幸いにして、お借りした枝落としノコが抜群の切れ味。この10数cmの枝も無事に切断できた。



で、まだ大きな枝が木に引っかかったままだが、墓石に掛かった枝はすべて取り除くことができた。


倒された石塔をもとに戻し、周りを掃除して、メインのお墓に焼香。

これも、ある種の台風災害ボランティアかと自己満足して、お墓詣りを終えることができた。

帰り道、観光地の上田城に寄ってみると、観光客は極めて少ない。



紅葉はまだだが、真田の作った城跡を眺めて、往時を偲んだのであった。



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塩尻市で一番の観光地、奈良井宿は洗馬宿から3宿先。今日は和宮下向の行列があるので、出かけた。



朝方には雨も残っていたが、昼前には晴れ上がり、観光日和。とは言え、交通途絶の影響で関東地方からの人の入りが少ないのか、いつもより観光客の姿が多くない。



11時からの和宮下向を模擬した行列が始まる頃には観光客も増えてきた。



今年の和宮は小学生?とか



行列が一息ついた所で、今日のお楽しみは、塩尻のフレンチレストラン、グルマンディーズの友森シェフが作る12品のフレンチ+和食の2000円ランチ。
去年は直前に尋ねたら、予約満席だったので、今年は一ヶ月前から予約しておいたのだ。




メインのフレンチ小皿は塩尻の野菜と肉を主たる素材とした12品。それに、松茸の豚汁と松茸、サーモン、トロや蕎麦の寿司がついていた。今年は松茸不作であまり味わってないだけに貴重。



デザートに付いた下向行列記念の和菓子も美味であったので、追加でお買い上げ。


食後の散歩で奈良井宿脇の旧中山道の雰囲気を残す古道に行けば、人気は全くなし。



明治初期に中央線を敷いたり、車道を作る為、街道筋から一ヶ所に集められた地蔵さんが200余体、森の中で静かに佇んでいた。



紅葉もこの辺りまでもう降りてきているようで、やはり秋晴れは良いね。



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グレート爺チャリのリア、スプロケットを脚に優しい32Tにしたのに引き続き、2年前に倒木を乗り越える際に破損し、接着で誤魔化してきていたフロントのチェーンガードを交換するとともに、その時変形させてしまったままのフロントリングを修正することにした。
2年間もUV接着で誤魔化してきた、チェーンガードがついにバラバラになってしまった。一部のみギアむき出しでは、いくら何でもみっともない。



グレート爺チャリは普段着で乗ることもあるので、ロードには付いていない、チェーンガードが欲しいのだ。ネットを彷徨ったら、2000円で入手できた新しいチェーンガード。



チェーンガードを交換する前に、取り付けられるフロントアウターギアの平坦度を治しておかねばならない。ガードを割ったのは、倒木を乗り越えた時にチェーンリングをぶつけてしまったから。チェーンリングも1mm近く歪んでいる。ダイアルゲージで曲がっている部分を確定し、振れが無いよう曲げ修正する。


取り換えたら、やはりすっきりするね。


10年前のグレート爺チャリ、部品が入手できるか心配したが、綺麗に直って、嬉しい。



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台風で首都圏方面との交通網が寸断され、観光に影響が出ていると言うニュースを聞き、少しは盛り上げよう/観光客の数を下支えしよう? 多分人出が少ないので、楽しめるはずだと、普段なら人混みを考えて避けるはずの上高地に紅葉を観に出かけた。

昨日だったら、ピンカーの晴天だったのだが、残念ながら、今日は標高2800m位の所に雲が掛かり、河童橋の向こうの前穂高、奥穂高岳の山頂は見えず。


この時期、上高地はまるで都会の様になるが、今日は人出も少なく、しかも日本人観光客の数は半数ほど。残り1/4はアジア系、1/4は欧州系の観光客がパラパラ。
しかし、日差しが無いのと、肝心の紅葉があまり進んでおらず、写真になる風景が少ない。



梓川左岸の遊歩道を上流に向けて遡る。途中で3000m付近まで雲が上がり、明神岳の脇に西穂高岳や独標がみえるのだが、日差しがあまりなく寒い。



淡々と数kmを徳沢まで歩くと、ようやく秋らしい紅葉と黄葉が見えてきた。



持ってきた昼食を食べた後に、徳沢園の中へ。徳沢と言えば、井上靖の「氷壁」。



梓川の河原に出て、奥又白の方向を眺める。主要登山道を外れた奥又白の池のほとりのテントで、台風の雨で3日ほど身動きが取れずにいたのは40数年前のこと。

 

本当は涸沢まで行けば、もっときれいな紅葉が見られるのかもしれないが、右脚リハビリ中の私には無理な道。徳沢からおとなしく引き返しましょう。でも今年の紅葉は少し残念。例えばこの紅葉。葉の先端だけ赤と言うより枯れていて、でも葉の根元は薄緑色。そして、他の枝の葉はまだ緑。


明神橋で梓川右岸に移り、穂高神社の奥宮にお参り、休憩後、右岸を散歩。
梓川に写る紅葉。



林の中の黄葉。



20km弱を歩ききり、河童橋にもどっても、やはり奥穂高岳は雲の中。今回は姿を拝むことはできなかった。
歩いたのはこんなコース。




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昨日に続き残りの収穫した蕎麦の束を脱穀する。
1時間余りの作業で大まかに篩を掛けた蕎麦の実を温室内に運ぶ。


荒い篩を通しただけの蕎麦の実の方には、まだ茎や葉の一部と共に、雑多な虫が混ざっている。自然乾燥で放っておけば、その内に居なくなるだろう。



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