逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



連休前半は雨の予報なので、4/28は大急ぎで農作業。
トウモロコシの第三弾は苗からではなく、マルチに直植えで。
畑その2に葉物野菜をチマチマと種まき。



記録用に種袋の写真を撮ったのに、光って見えないや。左下から小松菜、水菜、ミックスレタス、ホウレン草。上は左から松本冬菜、春菊、二十日大根。

4/6に播いたサルビアが大きくなってきたので、大部分をポットに植え替え。もう少しサンルームの育苗棚で大きくなるまで加温して育てる予定。


凍傷害でやられたインゲンの補充用とか、千日紅の第二弾などもセルトレーに4/28に種まき。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




電動アシスト化されたグレートジャーニー改のヒルクライム性能を確かめるべく、4回目の試乗サイクリングは高ボッチから鉢伏山へ。
今日はあの右側の高ボッチと中央の鉢伏山に登るんだ。


塩尻で昼食を仕入れて、いつもなら避ける塩尻宿の直線登りをアシストレベル1/4で登っていく。


ほどなく塩尻PA脇まで登って来る。


ここからはアシストレベルを2/4にして淡々と高ボッチへの林道を登る。いままでだと休み休み登る為の口実で写真撮影休憩が入るのだが、給水/チョコ休憩のみで頂上付近の展望点まで登ってきてしまった。電動アシストは偉大だ。
諏訪湖の向こうに左から八ヶ岳、富士山、甲斐駒ヶ岳、北岳。


高ボッチ頂上展望台到着! 標高1640m。穂高も槍も常念も良く見える。



正面の槍、穂高以外では、北西方向には後立山の連山と松本市街。


南東に目を転ずれば、乗鞍岳。


そして、御嶽山。



ここまでアシストレベル2/4で940m登ってバッテリーは3/6消費。塩尻PAからだと、標高差800mを1時間ジャストで登ったことになる。以前の高ボッチ登攀の記録を見ると、同じ区間で2時間弱なので、アシストレベル2/4でヒルクラの時間はほぼ半減できそうだ。



この分なら、鉢伏山へも登るだけの電池は十分ありそうなので、走り出そうとすると、ロードが一台到着。SRKのKさんとバッタリ。久しぶりの自転車活動とか言いながら、若い人は平気でここまで登って来られるのがうらやましいが、私も魔法の絨毯/GJ改を手に入れたので、今後は一緒に走れるかも?


しばしお話して、鉢伏へと走りだした。電池が持つかチョット心配だが、だいぶ疲れてきたので、こんな十数%坂はアシスト3/4で登らせてもらう。(背景は木曽駒ケ岳)


急坂が終わり、視界が開けてきた。もうちょっとだ。


鉢伏山荘到着。北側の斜面にまだ雪が残っている。


標高1820m、ほぼアシストレベル2/4、時々3/4で1120m登って、バッテリー残量は2/6。これなら、標高差1250m級の美ヶ原とか乗鞍のヒルクライムは何とか成りそうな感触だ。せっかくだから歩いて次の目標、美ヶ原も眺めて行きましょう。


さて、グレートジャーニー改のヒルクライム性能も分かったので、360度の展望を楽しみながら、お昼にしましょう。



穂高連峰、槍ヶ岳、常念岳を正面に見て、日向ぼっこしながらお昼ごはん。


アシストレベルを0/4にして国道20号まで下る。電池は少し回復して3/6を示しているので、勝弦に回ってみることにする。畑の中にヤギ?綿羊? あっカモシカだ。こんな所にまで出てこられたら、農作物が食い荒らされるのだろうね。


いこいの森公園に鯉のぼりが連ねられていると市民タイムズに書いてあったので、寄ってみると、散り始めた枝垂れ桜の向こうに鯉のぼり。


公園で大休止の後、小野、善知鳥峠経由で帰宅。
結局、走行距離62km、獲得標高1541mで電池残は1/6。残電圧は34.1Vだった。
走ったのはこんなコース。地図クリックで詳細データーへ。

 



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




ずーと暖かく、乾燥した日が続くと思っていたら、急に寒くなった。
庭のタラの芽は今年は不作?これで終わりか?



代わりにコゴミが大量に出てきたので、一雨降れば、食べきれなくなりそう。湿度が20~40%の日が続いているので、椎茸も固いものしか取れない。早く一雨降ってほしい。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




この所のサイクリング、電動アシストのグレートジャーニー改の麻薬に浸っていたのだが、ロードのカヨちゃんも乗ってあげないとね。
華やかさはないけれど、果樹園ではリンゴや梨の花が満開。


乗った直後はかなりの違和感、同じドロップハンドルでもポジションが大分違う。慣れてきたら、平らな所ならやっぱりロードは気持ち良いね。軽くて、体の動きに率直に自転車が従ってくれる。チョット山の方向に登り、来たことの無い山形村の鷹の窪自然公園。自然の渓流、滝のある景観の良い小公園。昔は豪族かお寺の庭園だったのかもしれない。ただし、訪れる人も少なく、草ぼうぼうなのが惜しい。


所々青空がのぞいてはいるものの、雨もパラつく変な天気。青空の方向に向かって気ままに走る。梓川右岸用水路にぶち当たったので辿ってみる。


しばらく梓川右岸段丘の上を緩やかに登っていく。上波田の田村堂辺りで傾斜が急になるので、引き返し下る。かっては数千の僧が居たと言う若澤寺の門前の道路。150年前、廃仏毀釈で寺が無くなった後も、門前に人々は住み続けた。


松本に向けて、漕がずになだらかな傾斜を下る。所々の田には水が引き入れられ、田植えの準備。



取り入れられた牧草の向こうに、光り輝く爺ヶ岳。種まき爺さんの雪形が見える。


お腹も空いてきたので、バブル期末に山形村にできた、井上百貨店がコア店舗の村の巨大ショッピングセンター、アイシティーへ。


頂いたのは、例によって500円でどうずらで、昔ながらのワンタンメン500円。


近くのスカイパークに寄れば、今日は山雅の試合があるので、凄い人出だ。会場に向かう人をよけながら、最後に残った山桜を鑑賞。昨日山には雪が降ったようだ。


そして、今日の目的の一つ、芝桜の丘へ。


穂高連峰をわずかに望む。


北アルプス、常念岳方面は雲の中。


菜の花と芝桜のコラボ。


スカイパークでは青空が覗いてくれて気分良くブラブラすることができた。追い風を受けながら、家まで帰える。
走ったのはこんなコース、48km。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




この所の20℃以上の天候とソメイヨシノはとうに散り、山桜が満開になったので、例年、連休後半に定植している苗類を一昨日の4/24に定植した。



所が、昨日ご近所をポタして回っていたら、自家菜園や庭に苗を植えた家を殆ど見かけられなかった。悪い予感がしたので、帰宅後に4/24に定植した野菜苗の周りにビニール保護をしておいた。


保護をしておいた苗は今朝の最低気温マイナス1℃でも大丈夫だったので、一安心。



もっと寒さに弱いだろうズッキーニの苗も無事だった。



所が、風通しの良いベランダ上に置いたマリーゴールドのプランターを取り込むのを忘れたら、凍傷害にやられてしまった。


一株幾らで買った苗なら失望も大きいのだろうが、幸い自家栽培の苗はまだ山ほどサンルーム内にある。


他の地植えしたマリーゴールドやペチュニアは90%大丈夫だったので、気を取り直してまた植え替えることにしよう。
一方、発芽、育苗箱では次の苗が順調に発芽、成長している。去年数本しか咲かせることができなかった千日紅、4/22に播いた種が発芽。4/6に播種したサルビアももう少ししたらポットに移植できそうなサイズに育ってきた。



寒暖の差が激しい、信州の標高750mの気候は侮れない。来年からはサンルームでしっかり育て、植物の定植は人々が浮かれて外出する連休にすることにしよう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




例年なら連休はじめに満開となる我家の山桜、一昨日に開花と思っていたら、この2,3日の暖かさで、あっという間に満開になった。


例年より季節が1週間は早そうなので、花苗の定植も一気に進める。プランターにペチュニア。


先日つるバラを植えた花壇にはペチュニアとマリーゴールド、カモミールを追加。


ホームセンターで茄子6本、キューリ4本、ミニトマト6本、ピーマン2本、シシトウ2本、パプリカ1本を仕入れて、


畑その1とその2に作った畝に半分づつ定植する。



庭を見回ると、コゴミが大分、顔を出してきた。


椎茸もひょこひょこ顔を出してきた。


タラの芽も出そろったので、収穫し、今晩の晩御飯は天ぷら。


そして、コゴミのお浸し。


信州にも遅い春が一挙に到来で、やること山積み、大忙し。自転車遊びに出かけられない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




お天気は自転車日和だけど、やるべき事もやっておかねば、収穫は無い。
4/6にセルトレーに種蒔きしたが、半数しか発芽してくれなかったトウモロコシをマルチングした畝に定植する。収穫時期をずらす為、その前の列には同じトウモロコシの種を数粒播いておく。


3/24に実験的に植え付けて、一夜でやられてしまったインゲンとモロッコ、3/29に播きなおした別の苗が育ったので植え付けした。今回は使い古したマルチを周りに巻き、霜対策としてみたが、うまく行くか?だめだったら、そろそろ地植えの時期なので、種をまた播き直すことになる。



これも、3/29に種まきし苗を育てていたズッキーニ。苗が育苗棚からはみ出しそうなので、時期は早いが植え付け。


適当にビニール掛けをして、霜対策としたが、これもダメなら、種は沢山余っているので、播き直せば良いや。


我家の山桜もようやく開花したことだし、遅霜が来ないことを祈ろう。


育った苗を植え付けたのは、次の種まきの為に、育苗棚を空けるなければならない為。4/6に播いたサルビアが大分育ってきた。今日4/22には千日紅と朝顔を播いてみた。発芽温度が25℃以上必要な種なので、しっかり加温して発芽させなくては。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




-----------------------------------------------------------------------------------------
10年前の旧ユーゴスラビア自転車旅行記、走りつかれた夕食後、しかも
不安定なネット環境下で毎日記事UPしたので、手抜きの暫定版のままであった。
コロナで旅行もままならぬ10年後の2021年に、キチンと書き直してみた。
------------------------------------------------------------------------------------------
  2011-06/08 モクラゴーラからビシェグラード経由ガッコへ
------------------------------------------------------------------------------------------

今日のハイライトは世界遺産のビシェグラードの橋、メフメットパシャソコロビッチ橋を観光することと、ストジェスカ自然公園内の山岳、峠越えのコースを走ることだ。そして、私的には、ヴィシェグラード発電所を訪問すること。

今回ビシェグラードを訪問するに当たっては、下記の本を読んだり、買ったりしてきた。


ノーベル文学賞を受賞した、アンドリッチの「ドリナの橋(The bridge on the Drina)」は、オスマントルコの時代から第二次大戦までの歴史をつづった長編文学らしい。らしいと言うのは、日本語訳を図書館で借りる元気がなく、まだ読んでないからだ。そこで、今回ベオグラードで英訳本を買った訳だ。

何時読めるかは、かなり疑問だが、まあ宿題としておこう。

一方の、「兵士はどうやってグラモフォンを修理するか」は、アンドリッチの小説に対するオマージュとして、最近ドイツで出版された小説で、12歳だった作者、セルビア人とボスニア人のハーフであるスタニシチのボスニア戦争前、戦争中、そしてドイツ亡命の事を書いた小説だ。

この小説には、日本人を描写した場面が出てくる。2人はボスニア戦争の勃発直前に昨日見たバイナバシュタ発電所の上流、ビシェグラード水力発電所建設で2年ほど町に住んでいたとの設定なので、多分これは私の先輩のTさんとIさんだろう。

ビシェグラード発電所の水車製造では、重さ百トンを超えるランナのステンレス鋳鋼素材の鋳込み立ち合いから、工場完成まで、生産技術課長として関わったので、私としても発電所を見ておきたかったのだ。(据付中の11万kWランナー)

--------------------------------------------------------------------------
今日泊まったのは、有名な映画監督クリストリッツァの監修した、ロッジ。二階のダブルベットを使わせていただいたが、天井が低くて往生した。


今日はセルビアから国境を越えてボスニアに入国するので、自転車は車載のまま国境の検問所へ。国境前の鉄道路線は”Life is miracle"のトロッコシーンに使われたと思われる狭軌の鉄路だ。



レンタル自転車が新品なので、自転車の輸入/輸出に当たるとかで、書類手続きに1時間かかる。かっては同じ国だったのに、内戦の結果の国境である。
国境通過待ちの旅行客からたっぷりえさを貰い、太ったワンコ。でも車に引かれたのか、後ろ足が不自由だ。

 

この渓谷に沿って走る鉄道は、渓谷美もあってSL観光列車が走るらしい。鉄チャンのTさんはうらやましそう。


本当は自転車で下りたかったが、交通量も多いし、今日の走行距離を考え、この部分は車載でパス。20年前、先輩のTさん、Iさんが2年間住んでいた、ヴィシェグラードの町に入る。小さな町だが、15年前の戦争で、住民の過半は入れ替わっているらしい。

 

着きました、世界遺産ヴィシェグラードの橋。ヨーロッパとアジアの接点、キリスト教とイスラム教がせめぎ合った場所、そして15年前の内戦であやうく破壊されそうになった橋。


ドライバーはランチ調達に出かけているので、我々は観光タイムへ。


橋を背景に。


橋の上からヴィシェグラードの町を背景に。



橋を渡る観光客にも日本人のサイクリスト集団は珍しいらしく、呼び止められる。

 

ドライバーが昼食を買出しに行ってくれたのだが、なかなか車が戻ってこない。
ドリナ川を眺めぼんやりとする一行。


ようやく昼食調達、車載で走り出したが、発電所で10秒で良いから停車してと頼んではいたものの、GPSがトンネルで電波を失い、ヴィシェグラード発電所を通り過ぎられてしまった。
残念ながら私も製造に多いに関ったヴィシェグラード発電所は遠くから眺められたのみ。

 

小さな町の公園で昼食後、少し歩くとTさんが、あれ!弾痕では?と指差す。
確かに、弾痕だ。


美しいバラが咲き誇っているが、15年前はここで戦争があったのだ。


走り抜けただけなので、良くは判らないが、多くの家の壁面に銃撃跡を修復したと思われる模様が残っている。ゴラジュデもまた、あの戦争で激戦地であった場所だ。

 

これも弾痕だろう。

 

ドリナ川を渡り、いよいよ山に入っていく。道路標識は2ヶ国語で書かれている。サライエボと反対のトレビニエの方向へ。

 

今日は朝ご飯1時間遅れ、国境通過1時間遅れ、ヴィシェグラード橋30分遅れと、スケジュールが押したため、3時を過ぎてPrijedel峠からようやく走行開始。眼下にこれから下る道、そして登らねばならない山が見える。

 

路面はそれほど良くないがMTBならどうってことない楽しいダウンヒル。車があまり通らず、ストレス無しに走れる道だ。但し事故っては元も子もないので35km/hキープを旨とする。

 

ダウンヒルが終わると、行く手に雪の残る山が見える。モンテネグロの山だそうだ。


渓谷を一旦抜け出して平原に入ると、強烈な逆風が吹いてきた。先頭を引かされている私には辛い。
ユーゴー時代に築かれ、今も国民的には人気があるらしい、パルチザン戦争を記念する巨大なオブジェ。でもこれって個人崇拝ぽい。ユーゴー時代の遺物にはスターリンと対立しながらも、みずからも国民統合の象徴となったチトーの事大主義が感じられ、幻滅。

 

あれほど激しかった風も収まり、周りは半高原の牧草地帯、ここを一直線に貫く道路を快調に登る。

 

平原を抜け、渓谷の中に入ってきた。ふと見上げると、岩峰の上に1本松が。


多分氷食地形と思われる岩山、ストジェスカ国立公園。
雰囲気がヨセミテの入口あたりと良く似ている。


両側を断崖が囲み、その中をドリナ川が流れている。
車も少なく、楽しく走れる道だ。

 

少し傾斜がきつくなってきたが、まだこの頃は景色を眺め、雑談しながら登る余裕があった。

 

いよいよ急坂となり岩峰が目前に迫ってきたのでたまらず休憩。


しかし、道が荒れてきて、傾斜も急になると、皆無口で、集団がばらけて来る。

 

だいぶ道が細くなってきて、車も通らなくなった上に、空模様も怪しい。

 

残念ながら時間も18時近くなり、その上降雨と雷鳴が始まったので、この辺で走行中止の判断をする。
向こうにはまたモンテネグロの山が見えている。この後強烈な雨が降ってきて、早く撤収判断をしてよかった。でもあのダウンヒルはもったいなかった。

 

車で山を越え、見渡す限り大草原の高原のホテルにようやく到着、ここもロッジ風。嵐をもたらした前線が東に去り、わずかな青空に日が暮れていく。


内戦被害の傷も生々しい街中の大部分は車で走ったが、車の少ない自然公園をサイクリングした一日。こんな場所を走った。(地図ダブルクリックで詳細へ)




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




庭の草花、初春の福寿草、アズマイチゲ、カタクリが終わり、二輪草が優勢になってきた。


この所の暖かい気候で、3/10に播いた小松菜、春菊、二十日大根、冬菜は収穫の時期を迎えた。


3/20に種蒔きしたホウレン草他もビニールトンネルの中で大きく育ってきた。


4/2に種イモを植え付けたジャガイモ、保温シートの下で半分以上が芽を出している。


しかし、明日の最低気温の予想は2℃と、遅霜も可能性があるので、保温シートを掛け直しておいた。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




電動アシスト化されたグレートジャーニー改の性能を確かめるべく、3回目の試乗サイクリングは白沢洞門/嶺方峠へ出かけることにした。
親亀の上に子亀を載せて、やってきました、美麻村、新行を通過。


ぽかぽかランド美麻にロードスターをデポして、美麻から小川村、鬼無里、白馬を周回する定番コースを目指す。まだ走ったことが無いコースなのでウキウキしながら、土尻川を下り、小川村へ。
左に折れ、36号線、通称小川アルプスラインを登っていく。今回も数%の坂をアシストレベル1/4のエコモードで200mほど淡々と登ると、見えてきました、今日のお楽しみ、北アルプス大展望。


アシストのおかげでさらに100m登り、標高800mの展望広場へ。桜に雪の北アルプスを期待していたのだが、もうほぼ散ってしまっていた、残念。


と、のんびり写真撮影をしていたら、先日安曇野のお花見を主催していただいた「松ぽた」のYさんと鉢合わせ、安曇野の自宅から自走で白沢洞門を目指すのだとか。私より数歳若いとは言え、健脚ですねぇ!


未知のコースを一人旅より、先導者がいれば、サイクリングは最高。今日は足手まといにはならないはずの電動アシストGJ改で来ているので、これ幸いと後に付かせていただく事にする。
鄙には稀な?三重塔がある高山寺にお寄りして、


交通安全を祈願した後、


小川村アルプスラインの絶景点、展望デッキへ。


空に雲一つないのだが、春の霞のせいか?今ひとつ空が青くない。しかも、桜は満開ではなく、ちょっと残念。



北アルプスの展望を楽しんだ後は、鬼無里に向けて300mのダウンヒル。
ピークを越え、順調に下って行くと、鬼無里の里の向こうに戸隠山のゴツゴツした山塊が目に飛び込む。北信の山にはまだ慣れていないので、その向こうの山は???


昼食は鬼無里では定番のいろは堂ではなく、Yさんの知っている民宿のうどんを目指す。但しネットを見ても、営業しているか不明との事。案内も無い細い道を辿って入った先は民宿「燕」(えん)さん。本当は今日はお休みで、夫婦で今シーズンに向けての準備中であったのを、折角来てくれたのだから、急遽営業しますとのことで、うどんを作っていただく。


中信とちがい、北信にはうどん文化があり、美味しいうどんでした。さらに野沢菜のお焼きもおまけに付いてきたので、いろは堂に行かなくてもよかった。

昼食のあとはいよいよ白沢洞門/峰方峠への登り。淡々と良いテンポで登っていくYさんの後を、時々アシストレベルを1/4から2/4に上げて、休み無し、1時間で400m弱を一気に登り白沢洞門へ。


若干雲がかかり、霞んでいるけれど、いつ来ても良いですね、ここは。



白馬へ向けて、ダウンヒル。神城方面へ下るYさんと、途中でお別れして、私は白馬の大出のつり橋へ。


桜は?八分咲きか? 満開ではないものの、こんなタイミングで桜の白馬三山を眺められる幸せ。気温も20℃以上あるサイクリング日和。ノンビリと景色を堪能する。

電池はまだ半分以上残っているけれど、もう絶景には満腹、白馬にはまだまだ桜の名所が幾つかあるのだが、それは次の機会に取っておいて、この辺りから帰還モードに入りましょう。
道すがら、道路標識に誘われて、寄ってみた、四十九院のこぶし。逆光で山を背景に良い写真が撮れないので、山なしで。


姫川沿いのサイクリングコースに植えられたまだ若い桜。数年後には綺麗に咲きそろうのだろう。


美麻に向けて、長い登り坂と逆風も、電池余りのGJ改のアシストを2/4にして、20km/hで登り、帰ってきました、美麻ぽかぽかランド。


隣の車の方も小田原から車載で来られた方だとか。お互い、今日の晴れに感謝してお別れ、私はお風呂で汗を流し、GJ改を積み込んだロードスターで、フルオープンの春のドライブを楽しんで帰ってきた。
走ったのはこんなコース、62km、獲得標高1100m、電池消費約1/2、残電圧36.4V。


去年、白馬側から白沢洞門に登った時は、疲れ果てて、両足が攣ってしまい悶絶したが、今回のGJ改試乗サイクリングは、健脚のYさんを追いかけて白沢洞門にヒルクラしても、アシストのおかげで余力充分、しかも電池残は十分あり、今後距離100km、獲得標高1500m超の集団ライドなら、若い方と肩を並べて走れることが確認できたライドだった。



コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )




家の前庭を少し整備しようと、苗木を買ってきた。
まずはガレージ西側面に整備した花壇にバラ用の土を追加して、


ピンクのツルバラ、コンパッションと白の木香薔薇を植え付ける。壁面一杯に枝を拡げてくれれば、ガレージへの西日を避けられ、かつ道路からの景観が向上する予定。


南西側の前庭、雑草が生えるばかりで放置してあったのだが、2つ穴を掘って、土を篩い、落葉を詰め込み、


篩った土を入れ戻し、


プルーンのバーバンクとシュガーの2本を植えた。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




Great Jouney改で大町に到着したら、今まさに満開の桜が散る所。


山岳博物館前の庭には多くの花見客が桜見物中。私もその一員になって、お花見を楽しむ。


少し下って、塩の道を北に辿れば、桜並木がある。


桜の向こうに爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬三山



桜の窓の向こうには、白く輝く山々。


いつまで見ていても飽きが来ない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




組み上がったグレートジャーニー改の第二回走行テストとして、アシスト度が一番低いecoモードで、あまり坂の無い安曇野でどれだけの距離を走れるかをテストしてみた。
結果は、740m登り、120km走って、電池残量は2/6目盛(走行中は2の目盛点滅なので1.5/6か?)だった。
つまり平地を走っている分には、100kmは安心して走れるし、無理をしてアシスト無しを混ぜれば150kmも可能と言う事だ。ベンチマークにしているヤマハのYPJ-ERが13.3Ahの電池に対し、GJ改は10Ahの電池なので、ほぼYPJ-ERの0.7~0.6倍の距離という所か?
尚、36V-10Ahの電池は、出発時/充電完6/6の時に42V、120km走行後電池残2/6の時に35.1Vだった。


----- 以下、テスト走行の詳細。 -----

信州新町で通行止めの影響で国道19号の交通量は少ない。まだアシスト設定は日本モードではなく、デフォルトの欧州モードにしたままなので、僅か下りの道を25~30km/hで巡行していく。(この欧州モードは電池を消費するが、17~25km/hのアシスト減少が無いので巡行維持に最高)


やがて国道19号を離れ、池田町方面に緩やかな道を登っていく。何時もなら僅かの登りでも速度ががくんと落ちるのに、アシストのおかげで、25km/h巡行を維持できる。あっ、段丘の上に桜色、早速ちょっと登ってみる。残念ながらもう散りつつある桜の向こうに今日の目的地、大町が見える。


池田町の田園地帯に復帰して、爺ヶ岳、鹿島槍、唐松岳、白馬三山を望む。


ずっとエコモードで走ってきたけれど、山岳博物館前の10%超坂はさすがにtourモードで登らせてもらう。ここまで35.9km走ったが、電池容量目盛は減らず、6/6のまま。これは結構走れそうだ。


山に雲一つなく、散りゆく桜に、テスト走行を忘れ、雪山/お花見モードなってしまったが、その辺りの写真はまた明日UPするとして、テスト走行を続けましょう。


今日の最北端、木崎湖へ。走行44km、電池目盛はまだ5/6、このまま白馬まで行けそうな気もするが、、、、今日はどの程度距離が出るかを確かめるライドなのでここで引き返し。


木崎湖を周回して、大町のカイザーへ。



食事後、マスターに19kgの超重量級のGJ改を見せてから、帰宅へ。観音橋で爺ヶ岳、鹿島槍ともお別れ。


ちひろ美術館で小休止。


60km以上走ったのに、アラセブでも25km/h巡行を維持できる。やはり電動アシストの力は偉大だ。


丁度切れの良い距離100km走行で、電池残量は停止時で3/6、実際の走行時は2.5/6とまだ電池に余裕がある。



あまり休みも取らず岩垂原に着く頃には曇ってきたが、穂高連峰はまだ見えている。



家に着くまで、電池残量がありそうなので、回り道をして小曽部へ。


いつも出発点にしている奈良井川大彎曲点上の段丘に登る道は花桃が満開。


120km走り終えて、自宅についた時の疲労度はアシスト無しのロードの時と比べると、70%位かな? 疲れ果てては居ない、まだ走れる感じではあるものの、脚はそれなりに疲れている。電動アシストだと巡航速度を維持でき、体に風を感じられて気持ちが良く、しかも、25km/hを越えるとアシストが切れるので、運動量はそれなりにある。

平地以外の数%越えの坂に直面してもアシストモードをTourやSportsにすることすれば心拍を150以下に抑えることが可能で、体にも優しい。とは言え、重量が19kgの自転車を転がすので、運動量が半減というわけではない。

耐久性、電池の持ち、、、、、色々と心配点はあるが、今の所、今回のグレートジャーニーのe-bike改造は成功だった気がする。

走ったのはこんなコース120km。 地図クリックで各区間の詳細データーを見たり走行速度再生などができます。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




-----------------------------------------------------------------------------------------
10年前の旧ユーゴスラビア自転車旅行記、走りつかれた夕食後、しかも
不安定なネット環境下で毎日記事UPしたので、手抜きの暫定版のままであった。
コロナで旅行もままならぬ10年後の2021年に、キチンと書き直してみた。
------------------------------------------------------------------------------------------
  2011-06/07 ズボルニックからモクラゴラへ
------------------------------------------------------------------------------------------
今日はドリナ川を100km遡って、そこから最後に標高差1000mの峠を超える総走行距離160kmという超野心的走行計画である。まあ、この位の計画になると、誰も全てを自走でとは考えていない。1000m/斜度10%超の峠越えを事前に宣伝して、皆さんの車載走行への早期移行をお願いした。

と言うのは会社に入った1974年、当時2台目を作っていたBajina Basta発電所をしっかりと見たかったからだ。会社に入って初めて見る30万kW級の水車、それも当時の落差世界記録を更新した水車と発電機が納まっているこの揚水式発電所を背景に記念写真を撮り、自転車でこの発電所までたどり着いたと言うことを先輩方に吹聴したかったからだ。
(現在の世界記録は葛野川発電所、松姫峠と日川峠の間にあり、ここを一日で回ったのがこの記事)


朝、昨日泊まったNovakホテルの前で。やけに新しいホテルでかつペラペラの内装。多分内戦の後に、急遽建てられたホテルだろうと思われる。



宿を出ると、ズボルニックの町外れの教会が見える。ふと見上げると、丘の上まで墓地が続いている。良く見えた訳ではないが、(内戦の犠牲者?の)新しいお墓が多そうだ。


銃を持った警備兵に守られた国境でパスポートに押印してもらい、ドリナ川をもう一度渡り、セルビアに戻る。ふ~ぅ、緊張した。


ドリナ川右岸に沿って、セルビア側の道路を走行する。川向こうにはボスニアの町が見え隠れする。町の中心は教会ではなく、ミナレットのあるイスラム寺院だ。


ドリナ川が削った河岸段丘の端に多くの湧き水があり、休憩場所には事欠かない。


川岸に面白い恰好の家発見。童話に出てくるキノコの家のようだ。


一方、古い農家も多い。正倉院?のような高床、校倉作り風の穀物倉庫?も目立つ。


川沿いの上り下りのそれほど無い道を快適に?走行する。車は少ないし、景色は良いし。ただ、路面は良くない。MTBでもデコボコを拾うし、走行抵抗が大きい。


内陸性気候の為、朝は寒かったが、気温が急上昇。教会前=村の中心=店屋がある=アイスで一休み。


気温が30度超えとなるも、隊列も乱れずに一団で走行。


ドリナ川の河岸段丘上の平坦地は穀物畑でそこに村が点在している。


今日の目的地の1つであるBajina Bastaの標識時々が時々現れるようになる。
あそこまで行けるか?


ここまで64km。残りの距離と登り、気温を考慮して、少し早めであるが、昼食後全員車載に切り替える。


ドリナの清流で顔を洗う。冷たくて気持ちがいい。しかし、流速が早く、落ちればおぼれる可能性大。


Bajina Bastaの町。40年前、先輩の何人かはここに数年住んでいたのだ。


今日、無理を言ってここに寄ってもらう事にしていた。私が入社した時、2台目の製造の最後で、1個10数KgもあるM120の馬鹿でかいナットのペンキ塗り実習をしたBajina Basta発電所に到着。揚水発電所として、当時世界最高落差の600数十mを誇り。この記録はブルガリアのチャイラ発電所を造るまで、20年近く破られなかった発電所だ。40年前の諸先輩の苦労が偲ばれる。


先ほど見た発電所は下池の発電所。揚水式なので、ドリナ川の下池から600m上の池に一秒当たり50トンの水を揚水する。本当は自転車で上池に登りたかったのだが、日程、体力からそれは無理。車で一気に500m登り、展望ポイントに着く。眼下には満々と水を湛えたバイナバシュタ発電所が見える。
この風景を眺める為、ヤビツ峠を走っている集団のYSGジャージを着て今日走ってきたのだ。


発電所脇にはドリナ川が1000mを削り取った崖があり、そこを上ダムを作る為に作った道路が登っている。下流の方を眺めると、ドリナ川が大地を潤し、流れていくのが判る。しかし、こちら側がセルビアで、向こう側がボスニアと、国と人を隔てる川でもあるのだ。(視界の先、丘の向こうが激戦地、スレプレニツァの辺り)

 


標高が1000mを超えると、周りの景色はいわゆるアルパインメドウになってくる。


家は山荘風になり、牧場には高山植物が咲いている。


私のGPSに無い道を登り始めたので心配していたら、やはり自転車を載せたトレーラーを引くFiatが森林中のWet路面で滑ってこれ以上先に行けなくなる。また来た道を引き返す。


山中にある宿は、Life is miracleなどを製作した映画監督のプロデュースで、彼が数分前まで居たとのこと。セルビアに来るに当たって、この映画を見てきたTさんが悔しがること。各建物はセルビアの高地の家風で、それぞれ設計が異なっており、意匠は面白いのだが、使い勝手は今ひとつ。私はこの後の2階で、天井の低い部屋だった。


夕食時、ビールの飲めない私は革命ラズベリージュースで乾杯。

 

ボスニアとセルビアの国境地帯を走った今日は、実に収穫の多い一日であった。下記に Mapと写真レポートのリンク地図。ダブルクリックして各地点の写真を見てください。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




念の為、ネットを1時間ほどチェックしてみたが、今回購入した水筒型バッテリーの発火事故の例は発見できなかった。発火事故の実例で出てくる写真は殆どが角型のバッテリーパックであった。


最近話題になった、ダイソン互換バッテリーや工具互換バッテリーの発火事故ですら、家が全焼している例がある。増してや、エネルギー総量が掃除機や工具より一桁大きい、36V-10Ahは巨大である。もしも充電中に発火したらとんでもないことになる。今回購入の水筒型電池を2回充電してみた結果は、バッテリーの発熱は観察されず、充電器が30数度近くなることの方が心配な位だが、電池が劣化した場合やBMSが故障した場合も考えなければいけない。

充電の度に電池を外して、屋外で、金属缶に入れて充電することも考えたのだが、捩じ込みコネクターで繋がった電池を取り外すのがチョイ面倒である。そこで、自転車に取り付けた状態で、電池に被せるカバーを作ってみた。


蓋を電池下部に入れて、


その上に金属缶を被せる。


この状態でタイマーを咬ませて、自転車小屋で充電をしようと考えているのだが、


爆発、電池の飛び散りは防止できそうだが、電池の下1/3は露出しているので悩ましい所。

パナやサムソンの電池ですら発火事故はある、ましてPL(製造物、製品責任)などと言う概念の乏しいPRC製の電池パックだけに、やはり家から1m離して、タイマーを咬ませ、金属缶の中で充電が正しいのだろうか? 

⇒ 結局、色々なことを考えて、バッテリーは都度取り外し、金属缶の中で充電することにしている。一応電池の残電圧とfull充電時の電圧も測定しているので、取り外し自体はあまり面倒ではない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ