逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



この球体は私の事務所の机の上にもう30年余り鎮座している。
鉄の塊なので、それなりに重いが、文鎮ではない。


私が入社した頃作られた、当時世界最大級の某揚水発電所の150トンの回転体が、10年の時を経て、バラバラに壊れてしまった残骸のほんの一部だ。その時の失敗を時々思い返し、反省するために、この鉄の塊はいつも机の上に置いてあるのである。

事故が起きたのが、結婚1ヶ月前、事故復旧にはその後1年以上かかり、公私ともども、大忙しの新婚スタートだった。

さて、そこで、去年の骨折大事故から一年、右腕から外されたチタンプレートとチタンネジを額に入れて、飾れるようにした。


これで、あの辛く、痛かった3ヶ月を、時々反省するよすがとしよう。

Never Again !!



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




ブログ、臨時休業しておりました。

涼しい信州から横浜に帰ってきて、疲れが出たのか、数えで100歳になる義母が、急に旅立ちました。

月曜日に車で一緒に帰ってきた時はそれなりに元気だったものの、やはり調子が悪そうなので、水曜の夕食後に血圧を測ったところ、脈拍は高いが、血圧は許容範囲内なので私は安心して寝てしまいました。(実は心臓の機能が弱っていて、高血圧が普通の血圧になっていたのでした)

2時間後の木曜早朝、付き添っていた連れ合いの見ている横で、母は急性心不全でいってしまいました。

奇しくも4年前の父と同じ8月22日。 仲の良い夫婦でした。




というわけで、本日無事に葬儀も終わり、一段落。 

老いたりとは言え、自分のことは全部でき、2階のリビングまで食事に来れていましたので、4ヶ月後の満100歳のお祝いをしなければと思っていたのですが、、、、

さびしくなります。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




術後の痛みもあまりなく目覚めた朝には麻酔も完全に切れて、無事指も動くしどこにも支障は無さそうだ。

プレートはこんな風に入っていたわけで、意外と大きいね。

 

抗生剤の点滴と簡単な検査の後、退院できたので、昔の第一勧銀を改装したホテルで、お祝いのランチとすることに。

 

前菜

 

続いて、スープ、主菜をいただいた後、ラウンジに移って、デザートも頂く。

 

内部は天井が高く、シックで、

 

さらには、トイレの入口は大金庫、

これぞ金隠し。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨年の大手術からちょうど一年たった終戦記念日の今日、右手首のチタンプレートを取り外すことになっていた。

家人にたいしては、泰然と振る舞ってみせたものの、術前にリスクを色々と説明されると手術で神経や筋が傷つき、右手が自由に動かなくなったらどうしようと、内心不安だったのだ。

麻酔がまだ完全に切れていないので確言はできないが、手術は上手くいったようだ。

で、右手の中から1年ぶりに出てきたのがこれ。 

 

チタンさん1年間ありがとう。

これで、変速機のシフターを動かす時の鈍痛が無くなるとうれしいな。



コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )




頑張ってはみたものの、5日間ではデッキは完成できず。

もう基礎は出来たので、手抜きをすればほぼ完成に持ち込めたのだが、今後20年間位はメンテ無しで行きたいので、気になる点は処置しておきたいのだ。

 

先ずは雑草防止シートを全面に敷込む。

 

続いて、アルミ大束の弱点、強度はあるも、剛性がなく、デッキに乗った時ゆらゆらするのを防ぐ為、大束を家の基礎に固定する。

明日は手術なので、右手を酷使せず、ここで組み立ては中断としよう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




去年の骨折事故から丁度一年後の今日、相澤病院で診察を受けると同時に、右手首からのチタンプレートの取り外し手術の相談をする。

右手首の撓骨も完全にくっついたので、大変お世話になったが、こやつを外していただくのだ。



手術は今度も去年の手術日と同じ8月15日、終戦記念日に施術してもらうことに決定。
世の中皆が休んでいるお盆休みの最中にありがたいことだ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




基礎下の捨てドライコン打ちの後、デッキのフレームを正規据付位置に降ろし、基礎の最終確認。デッキの水平水準器で360度チェックし、必要なら微調整する。


最終位置チェックの後、さらにドライコンクリを重量ブロックの周りに数センチ入れ、そこにジョーロで水を撒き、基礎周りを固める。

 
さあ、これでデッキ据付の最難関工程、基礎作りの山場が終わった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夏休みが始まったので、作りかけのウッドデッキの据付を続行する。 

アルミの大引フレームを自動車のジャッキで高い位置に持ち上げ、その後、両ネジジャッキで正規位置より12mm高い位置に固定する。


不凍深度よりも深い基礎にするため、強度があり、軽く扱いやすく、しかも値段が安い重量ブロックを基礎に使う。今回の「上部構造が下部構造を決めるのだ!」工法なら、実物に合わせて位置決めできるので、巾のそれほど広くない重量ブロックでもOKなのだ。


しかし、この28箇所の穴掘り、炎天下ではきついものがある。早朝と夕方のみの作業としたのだが、石が多く、ツルハシで石を取り外してからスコップで穴を掘るのに、2日間掛かってしまった。

下の写真は、ほぼ穴が掘れて、ブロックも収まりがついたところ。


さて、掘った穴には、ドライ生コンを作って底に敷く。


再度、重量ブロックを据付位置に配置し、位置とレベルを出し、さらに高さを決める。束柱は正規位置より12mm=ベニアの板厚分高い位置にあるので、束柱の下にベニアがギリギリ入るように調整する。




基礎のブロックと束柱との間に12mmの間隔が空き、重量ブロックの位置もほぼ決まった。




さあ、もう少しで難しい作業は終わる、もうひと頑張り。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




仕事に疲れて窓に外を眺めれば、伊豆諸島から帰ってきたジェットボートがレインボウブリッジをくぐって入港してくる。このボートで夏休みに向かう人も居るのだろう。

もう数ヶ月すれば、この事務所から引っ越すので、この風景で息抜きもできなくなる。

暑い日が続くが、もう一日頑張れば夏休み。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今回、帰郷した折の第二の目的は、先日設置したデッキに引き続き、デッキ第二弾、3m×9mの大きなデッキの荷受と据付を開始することであった。


さすが、20畳弱のデッキ、床板だけで、これだけの物量がある。これ以外に、アルミの大引、束柱があり、ハンパではない資材の量だ。前回のように宅急便で配送できずに、チャーター便で我家に届けられ、運転手、助手、私の3人で荷卸した


今回は水平な基礎を作って、その上に束柱、大引を組み立てるという、普通の工法とは反対に、まず、束柱と大引を最終形状に組み立ててしまい、それに合わせて基礎を後から作ろうという作戦。

名付けて、「上部構造が下部構造を決めるのだ!作戦」でいくことにした。


最終据付より20mmほど高い位置で、ほぼ骨組みは組立完了。
夏休みに、基礎の穴を不凍深度の20cmくらいまで掘り下げ、そこに重量ブロックを埋めて基礎にする予定である。


これであると、前回はたった4個だけでも四苦八苦した基礎の位置やレベルを心配せずに施工することができるはずだ。

さて、右手の手術前に完成できるか?



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




遭難事故と言えば、私は右手の手術の為、出席できないが、シルクロード雑学大学では、来週の日曜日、8月11日に、小林さんの案内で、メコン河とイラワジ河の上流、中国の瀾滄江にある梅里雪山の慰霊の旅の講演会が予定されている。京大隊18人が亡くなった梅里雪山の周辺も、色々な論議は有ろうが、水力開発が進んでおり、20年後には、原発20台分程度のダムが出来、麓の風景は一変してしまうだろう。

 



8月11日の講演会は
「小林尚礼とゆく梅里雪山」の説明会と同志社大学に留学中のチベット人女性ペマツォモさんによる現地の暮らしぶり

を話していただきます。

詳しくは、下記を見てください。転送大歓迎。http://www.geocities.jp/silkroad_tanken/tp08_teireikai_annai.htm




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




同級生が独標で雷に打たれて亡くなってから46年がたった。

天気もよくないし、体力にもまだ一抹の不安が有ったので、今年は山に登らず、学校の慰霊祭に出席した。 

 

同期が20人位、そして、在校生が100人以上と随分大勢の人たちが参加してくれた。

 

不覚にも私は知らなかったのだが、二度とこの様な事故を起こさないようにと、最近学校では図書館の一角に事故の遺品を展示しているのだそうだ。

 

ザックの中にあった食器には雷撃の通ったあとが生々しい。

 

追悼文集を読み直せば判るのだろうが、確か私が遺体を運んだO君?の登山靴か?

 

夜、松本在住の同窓生中心に懇談会をすると言うので、翌日も休みを取っている私も参加。

1.  休みも取りやすく成ってきたので、毎年、慰霊祭の後ここ「しずか」で懇談会やろう。

2. 展示ケースや遺品の保管性の向上対策等、同窓生で募金して何とかしたいな。

等々色んな意見が出た。

 (公開ブログなので、美人も顔が同定出来ない解像度の写真、にしました、悪しからず。)

その後、天候不純の中、山に登った仲間も加わり、大いに盛り上がった宴会だった。

来年は金曜日らしいので、何とか日帰り登山、その後宴会に参加したいな。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )