逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



2/27㈫、風が強いが、家にばかり籠っているとノイローゼになるので、道路の乾き具合を偵察しに散歩へ。道端に雪は残って居るけれど、道路は乾き、明日は走れそうだ。
奈良井川の大変曲点にて、田畑は当分雪に覆われたままかな?


道路以外は白一色だが、まもなく春はやって来る。雪の中で忙しくブドウの枝を剪定する農家の方々、ご苦労様です。


今日歩いたのは6.6km、9100歩、146m登り。



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1979~1981年に住んでいたBrisbaneの写真をひっくり返していたら、色々と懐かしい写真が出てきた。本当はすべてデジタル化して保存すれば良いのだが、、、、、、
その頃の仕事関係の写真を記録の為UPしておく。

1980年のクリスマスカード。上段の写真は、私が出張している間に日本で作られた、水車本体の組立写真。
下段の写真はオーストラリアの地で、1年半かけて作った500トンの水車ケーシングの仮組立て写真。ケーシングの上に小さく写っている人物は、正しく作られているか、日本から厳重な検査をしに来た、怖い先輩のQA/QC検査員である。それを私がクレーンの上から撮影した。


翌1981年のクリスマスカードには建設中の発電所でもう一度組み立て後に溶接されたケーシングの写真が使われた。この後、吊り上げる為の500トンクレーンが出来上れば、数十m下の据え付け場所に降ろされる。


1988年に再訪したBrisbane市街。かって事務所のあった高かったビルも万博時にできた高層ビルに囲まれ普通のビルになっている。2段目は水車ケーシング/ステイリングを作ったEvans Deakin Industriesの工場。9年前には貿易/産業保護政策により、東芝やGEからの仕事が入っていたが、自由化で注文が途絶え、廃業していた。三段目のもう一つの製缶工場はまだ操業していた。



ネットを検索したら2018年のWivenhoe発電所のオーバーホールの短い映像が出てきた。


日本から運んだ重さ150トンのランナや長さ16m?の主軸を60km/hでぶっ飛ばし、現地にまで運んだ動画がどこかに有るはずなのだが、、、探し出して、デジタル遺産としてYouTubeにUPしようか?



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昨日の記事で江戸時代には毎日数百人が宿泊し、数千人が通過するという大繁栄からはだいぶ衰退したものの、戦後まもなくから高度成長期の中山道洗馬宿には数十軒の商店や医院、郵便局、駐在所と千人以上の乗降客がいた洗馬駅がありそれなりに繁栄していた。ところが現在はそのすべての商店が消え去り、乗降客も100名程度に寂れていることを嘆いた。

ちょっと気になって、55年前住んでいたオーストラリアのうらぶれた町、イェーロングピリーの事を調べて、ビックリした。
下の写真は1979年に1年半住んでいた4 Stamford Str, Yeerongpilly, Brisbeneのアパート前にて。多分この時点でアパートは築15年ほど。


9年後の1988年に再訪した時の同じアパート。頭の上、三階の隅の2LDKの部屋に住んでいた。


アパートはYeerongpilly駅から数十mの場所。Yeerongpilly駅はBribane都心まで電車で20分ほどの所とは言え、1988年の時点でも、皆さん車で通勤するので、うらぶれた田舎の駅を通勤に使う人などほとんど居らず、一回の乗降客は数人、列車も1時間に2本程度だった。


Google Street Viewで確認すると、駅前には55年前にもあった小さな雑貨屋とポストがまだ残る、鄙びた駅だ。


所が、マップをよく見ていたら駅の反対側、かってはBrisbane川の氾濫で牧場にしか使えていなかった所に、10階建??の市役所支所、テニスコート、スポーツクラブ、そしてショッピングセンターの中心にはスーパーのWoolworthsが今年開業しているではないか。




将来的には隣の区画のYG=Yeerongpilly Greenにオフィスやコンドミニアム群が建設され、在住人口も数千人の繁華街になるらしい。


昔私が住んでいた築70年?のアパートもしっかりリノベされ、


一ヶ月なら20万円ほどの家賃になっているらしい。


さらに調べると、駅は現在改築中、隣のコンドミニアム群と連携して、モダンな駅になるのだとか。電車も一時間に数本出ており、その内の半分は市内の反対側の国際空港まで乗り入れている。
こんな姿を見ると、55年前に私もそのほんの一部をお手伝いしていた、数十km上流のWivenhoe Dam Project のおかげで、Brisbane River の氾濫の可能性が低下し、打ち捨てられていた土地が再開発され、見直された公共交通とともに町が蘇るのを見ると、感慨深いものがある。


中央線の駅があることで、何とか命脈をたもっていた町が、モータリゼーションの進展で、賑わいが無くなり、商店が一掃されてしまった洗馬宿にも、中央線の再活性化とか、高速道路網への接続とかで町が活性化する、うまい話しは無いのだろうか? 
多分無いね~ぇ。



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洗馬宿の歴史DB/リポジトリとして、戦後~高度成長期の商工業地図を掲載しておく。
中心部、現在からは想像できないが、数多くの商店があった。


全体図



半世紀前、中山道沿いおよび中央線洗馬駅周辺に駐在所、郵便局、日本通運支店、農協、医院(2軒)、美容院、理髪店、飲食店、各種の商品を取り扱う商店が数十軒と、この町の中でほぼすべての生活関連の用件が完結する町であったことが解かる。
現在、街はずれに移転した郵便局を除き、これら50軒近くの店が消え去り、この図の範囲内に店や飲食店は皆無である。僅かに、19号線沿いに、飲食店とガソリンスタンド、コンビニがあるがあるのみ。中山道沿いは商業地から住宅街に姿を変えている。



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だいぶ目が上がってきたので、少し薄暗い所で作業する際に便利に使っていた面発光のCOB-LEDライト、確か数年前に秋葉原のパチモン屋で200円で買ったもの。今ならダイソーで似たような値段で買えるが、数年前に面発光のCOBライトは貴重だった。
この間、床の上に落としたら、ご臨終、点灯しなくなってしまった。


裏蓋を開け、基板を取り出してみたら、やはり半田割れ、マイナス側の端子が外れている。


保持治具で端子と基板をうまく固定して、半田付け、


無事に、直った!


これで、また後数年は使えるだろう。



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3年前に布が破れて2回目の修理をしたサマーベッド、厚い布に苦労しながらミシンで滅茶苦茶に縫い合わせてあったのだが、


ウッドデッキの上で燦燦と紫外線を浴びてきたので、縫い合わせてカバーしていた木綿布もついに破れ始めた。


オリジナルの強化布やその後の木綿布を諦め、今度はポリエステルポリエチレン混紡ロープでネットを編むことにする。


大きな玉にしたロープ巻をほどけないように取り扱うのに苦労したが、何とか編み上がった。ネット上に局部的に全体重を掛けても、あまりネットが偏らないので、これで、直った!


買った時、一回バラシて、鋼管の中まで赤ペンとジンクリッチペイントで防錆をしてあるのでフレームは何ともない。これで後数年は使えるようになってほしい。



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数日前石灰窒素を播いておいた畑その1、2/20㈫隣の建物の陰で例年だと土が凍り付いているのだが、今年の暖冬で耕耘可能であったので、まだ半熟の落葉堆肥1㎥ほどと米糠を畑にぶちまけ、


1時間、耕運機のラーニー君で数回往復して畑その1を耕耘。


多分もう数回寒波が来ると思うので、十分寒起こしになると思う。
続いてビニール温室内に追加で二十日大根と野沢菜を播く。


今年は秋の野沢菜は不作だったので、少しは浅漬けで食べられると嬉しい。



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1/17に播いて育苗箱で育てていたスナップエンドウ、25cmほどの高さになったので、ビニールハウスの中に定植する。また、切らしていた小松菜の種を買ってきたので、2/19㈪に種まき。


2/9に播いたレタスミックス、冬菜、春菊、からし菜、チンゲン菜、白カブすべて発芽して、双葉が出てきた。


この所の高温でビニールハウスの内部温度が高く成り過ぎるのを心配して、換気ファンの電源を入れたが、また明日からは寒くなる予報。どうなることか??



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2/18㈰、松ぽたのIさんが企画した井川城跡から牛伏寺への安全祈願ぽたに参加。


今日の最初の目的地は田川、薄川が合流する地点に近い井川城跡。その存在は知っていても訪れたことの無かった井川城である。松本城が建てられる前に小笠原氏が松本平を治める為構築された平城である。



田川と薄川の扇状地の終端にあり、湧水が豊富であったことから、南松本駅付近の湧水に端を発する頭無川を掘割として利用して城が築かれた。


戦国時代初期の城なので、大きな石垣の上にお城があるのではなく、屋敷に毛の生えた程度の砦だったのかもしれない。


続いて案内されたのは、松本村役場跡。松本村?? 松本には旧市街を中心とした松本町⇒松本市と郊外の幾つかの農村が集まった松本村というのが並立し、その松本村の役場がここに有ったとのこと。知らんかった!


これも、脇を通ったことがありながら気が付いていなかった、多田加助の処刑地。


企画したIさんの発案で、かなり長い激坂を登る。壁に立てかけた自転車がずり落ちる。


着いた先は平成30年に閉鎖された、クレー射撃場。緑の小屋からクレーが射出される。


無駄に一度下ってから、もう一度登り直して米澤神社へ。


何のシンボルだろうか?見ざる聞かざる言わざるの像。


さらに、牛伏川脇の長い坂を登って、


昼食後、また牛伏寺下の急坂を登って、


300m登って、牛伏寺下のダムへ。ここはまだ全面結氷している。


無事に牛伏寺で今年の安全祈願をして、流れ解散。


最初は9人いたはずのポタ参加者が最後は5人になる、上り下りの多い過酷なポタだったが、電動アシストのグレートジャーニー改のおかげで、無事に最後まで走れた一日、走ったのはこんなコース45km、獲得標高600m、電池残レベル3/6、残電圧35.9V。





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大江戸温泉物語の鹿教湯温泉に泊まった後は、ゆっくり朝食、そしてもう一度お風呂に入り、11時にチェックアウト。何となく温泉街を散歩してみる。美ヶ原の向こう側にある我が生まれ故郷の温泉街の数倍の規模ではあるが、ご多聞に漏れず、ここも旅館、ホテルの半分以上は廃業している。そんな温泉街の中心、共同浴場の脇を、内村川が穿った渓谷に降りていくと、日本には珍しい屋根付きの橋が見えてきた。


橋を渡り、対岸の温泉街に付き物の薬師堂に登り、さらにその横の文殊堂に参拝する。
江戸時代、鹿教湯温泉がにぎわっていた頃建てられた文殊堂。


よく見ると、その豪華絢爛ぶりがしのばれる。天井絵の龍。


切妻屋根の端には鬼瓦ではなく、鬼の面が飾られている。


さらに温泉街をぶらついてから、三才山トンネルをくぐって、松本平に帰ってきた。出かける前は只、安さに惹かれて出かけた鹿教湯温泉だったが、歴史と湯治の伝統を感じさせる温泉地であった。また、オフシーズンの平日に出かけてみよう。



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道の雪も大分溶けてきたので、山を越えてドライブがてら、温泉旅行へ。
上田市塩田平の生島足島神社へ。

 

神社に参拝に来たはずなのに、隣の長福寺へ迷い込む。


えぇ?禅宗なのに、夢殿? ここは法隆寺? 形はソックリだけれど、寸法は1/2。歴史も数十年。(中には天平期?の仏像あり)


昼食後、まだチェックインには早いので、横道に逸れて、山間の鄙びた霊泉寺温泉の見物へ。半数の旅館が廃業していたが、4軒の旅館が頑張っている。


源泉、かけ流しの共同浴場の入場料はたったの200円。その内、一度入りに来ようか?


今日向かったのは、そんな鄙びた温泉ではなく、鹿教湯温泉(かけゆ)にある、廃業したホテルを買い取ってリノベ、再生した大規模資本の低価格温泉、大江戸温泉物語だ。


ここの売りの大きな露天風呂。残念ながら源泉かけ流しではなく、循環温泉だが、それなりに楽しむことができた。


料理もバイキングなので、それほど期待していなかったのだが、B級のズワイガニ食べ放題がアタリ。最初は少ない肉をほじくり出すのに手こずったが、3皿目からはコツを会得。ハサミや蟹串を使わず、しっかり消毒した手で、バンバン蟹肉をゲット。


冬の閑散期の平日とは言え、この設備、食事の内容で、一万円札を出して、お札が一枚と数百円が戻ってきて、お得感満点の一泊旅行であった。だがしかし、このお値段は一日違いで倍のお値段を払っている週末のお客や、夏のお客さんのおかげ。それからこのお値段を提示されれば、鄙びた霊泉寺温泉に泊まる人は少ないだろうなぁ。



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朝日新聞の2面全部を使った村上春樹による小澤征爾の追悼文に影響されて、本棚から引っ張り出して、左側の本を再読中。


一方、中村哲医師の映画を見て、「中村哲医師の絶対非暴力、やられてもやり返さないなんて姿勢は、まだ血の気の多い私には到底無理だが、色々と考えさせられることの多い映画であった。」と書いたら、ブログ友がコメントしてきて、ジーン・シャープを読みなさいと言われ、塩尻図書館から右の本を借りた。何しろ塩尻図書館には筑摩書房の出版物はすべて!揃っているのが嬉しい。この本にも古田家寄贈図書のハンコが押されていた。



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先日の大雪の後、一週間程度は暖かい日が続くとの事なので、2/9㈮先日耕しておいたビニールハウスの南西部分に今年初めての種まきをする。
レタスミックス、冬菜、春菊


からし菜、チンゲン菜、白カブ


さらに、石灰水でアルカリ性にした部分にはホウレン草。

庭はまだ一面雪に覆われているが、寒さ除けのビニールシートを外し、各種の冬越し苗のプランターに潅水して置く。



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タダの催し物に弱い私、高遠美術館が無料の展覧会をやっていて、中村不折がみられると言うので出かけた。



中村不折は6年前、書道博物館でしっかり見たのだが、高遠に縁があり、絵や書が高遠に沢山残されているようだ。有名な佐久間象山の絵。



中村以外にも、小坂芝田とか池上秀畝とかも良かった。
作品は撮影不可なのだが、美術館の建物も高遠、伊那を見下ろす城跡公園の一角にあり、素晴らしい眺め。


つららも光り輝いている。


ただ、入館者は少なく、経費節減の為?作品保護の為?か館内の暖房は超控えめ。
カフェで休もうかとも思ったが、さほど気温が変らない館外へ。
高遠城跡公園を少し歩いて、


日帰り温泉のさくらの湯で温まってから、帰途についた。



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もう20年近く使っている除雪用のプラスコップ、先端部分が取れたのを直して使っていたのだが、積年の酷使で割れてしまった。普段使いのプラスコはもう一本あるのでこれは廃棄して、アルミの角スコップを別に買おうかとの考えも頭をよぎるが、修理の虫が疼く。


先日入手したルーター用のΦ1mmドリルで割れ目の両側に穴を開け、焼けてしまったモーターから取ったエナメル線でクロスステッチで縫い付けてゆく。


割れ目が綺麗に合わさったら、まずアロンアルファで割れ目を接着してから、割れ目とクロスステッチ部分をホットメルトでカバーしていく。


エナメル線で縫い上げられて、さらに接着剤、ホットメルトで強化されているので、次に割れるのは多分別の場所からになってくれると思う。


早速、融けて少し重くなった雪を除雪してみたが、あと数年は使えそうな感触。


直った!



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