逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



旅の後半になると、事前のルート検討がいい加減というか、交通状況をしっかり確認して無いというか、スペイン人スタッフから、幹線ルートを避け、北側の田舎道を提案されたが、これが正解。一部急登もあったが、下り基調なので、長く漕ぐこともなく、ポルトガル内陸の農業地帯を気持ちよく走ることができた。

エボラはリスボンから半日観光で来ることができるので、中国人、韓国人、日本人の一般観光客も見かけたが、城壁外のローマ時代の水道橋ではあまり見かけなかった。ここはお薦め。




城壁を乗り越えて、市内に水道橋は伸びる。



走行開始はエボラからN370を北上した、牧草地帯のど真ん中から。もう、牧草を刈入れている。



30分も走ると、町の上にお城が聳えるアライオロスの町が見えてきた。



一度、お城から離れるように、丘を登り、



アレンテージョ平原を背景に、15%はあろうかという急な登り坂を上り。



最後にアライオロス城の取りつきの石畳の道をよじ登り、




そして、城壁の穴から、最上部に入ると、



雲一つ無い青空のもと、アレンテージョ平原の360度の展望が広がっていた。



これから、走るリスボン方向はあちら、眼下の高速道路を避け、もう少し右側を行く予定。



お城から、石畳を慎重にくだり、



光り輝く牧草地帯の風景を楽しみながら、下っていく。

 
道の両側は牧草、野草、、、の花が咲き乱れている。


小さな町、サンペドロ・ガファニョエイラの道や公園も色とりどりの花で飾られている。
ここの公園/修道院跡の日陰ででランチをいただく。



点在する、村々、白い家、赤い屋根、緑の牧草地



EM507というマイナーな道路だが、路面は荒れておらず、走りは快調。




こんな風景の中をただ走るのは、もったいない気分なので、記念撮影。




道を確認する為、小休止した村で、ふと見上げると、古い小学校。左右対称で、ドアが2つあり、その上にはトイレの表示と似た文字が。あ、男女別学だった時代の建物だ。



緩やかな下り、心地よい風。



お~ぉと、あれは何だ?コルクの樹皮の山!コルク工場だ。あの大半がワインの蓋になるのだろうか?



平坦部に出れば、今日の目的地、ベンダッシュ・ノバも近い。



と、今日走った下ったコースはこんなコース



宿は、ベンダッシュ・ノバ駅前の100数十年前の館を改装した、小奇麗なホテル・アセス。2階に泊まった私は天井も高く、広々として、二重窓に改装された部屋は快適だったが、3階の方は斜め天井に頭がつかえて難渋したとのこと。

ホテルのレストランでは、ポルトガルの名物料理?タラの身をほぐし、周りにほうれん草を巻き、パンフライした料理がおいしかったのだが、ホテル駐車場で小事故があったことや、もうすぐこの楽しい旅も終わることからあまり皆さんの意気が上がらず。



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ベージャからのルートは大きく2つ、左ルートで、なるべく交通量の少ない道を選んで走ることにした。4バックで旅行する強者達。



金色に輝く牧草。




所々にある、集落。ポルトガルで、最も暑い地域、家はみな白色。



紫色の花はアルファルファ。



これが黄金色の正体の牧草。



樹皮が剥がされているのがコルクの木。



アレンテージョの平原を登る。

 

 登り切れば見渡す限りの牧場。

 
オリーブ絞り機。

 
コルクの木の下は牧草。

 

ヴィアナの町では、少し前にお祭りがあったようだ。

 
牧草地帯を、馬や馬車で走り抜ける祭りだ。

 

平原に続く電線を結ぶ電柱の上には、コウノトリの巣がある。停電防止の為、巣を除去するのではなく、最初から、電柱の上に営巣用のステージを設けてある。

 

珍しく、ポピーの咲いている場所があった。




色々な色の牧草が混合して咲き乱れる牧草地。

 

そして、アルファルファの大牧草地。

 
牛さんもモグモグ食べている。

 
牧草地の向こうにエボラが見えてきた。

 
さあ、もう一息、頑張ろう。

 
エボラの市内に入り、ホテルには向かわず、少し迷ったものの、直接サンフランシスコ教会へ。なんとか開場時間に間に合った。

 
聖堂の中は普通の教会なのだが、、、、

 
付属の礼拝堂。不気味なこの部屋で、修道士はどのような瞑想にふけったのだろうか?

 
続いて、大聖堂へ。

 
ここには、天正少年使節団が弾いたと伝えられるパイプオルガンがある。

 
大聖堂の裏は紀元前のローマ神殿。

 
こんなコースを走ってきた



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ウエルバからの道は、海岸沿いのリゾートを辿ると、良い道がありそうだったのだが、事前の調査では、途中の川で遮られ、大きく山側に迂回しないと走れそうもなく、どうしようか考慮中であった。スペインのスタッフが、たぶんフェリーで対岸に渡れるだろうから、自然公園の中を走るサイクリングロードがお薦めと、ルートを作ってくれた。

今日も晴天、ここ1週間良い天気に恵まれている。あの橋で対岸に渡るのだ。



橋を渡り、対岸の町アルバラケへ。




汽水域に塩田と潟が並び、その間をCRが走り抜けている。このCRはCamino VerdeともVia Verdeとも呼ばれているようで、スペイン語では情報が出ているのだが、英語での情報提供が少ないので、要注意。さらにグーグルマップには出ていなかったので、見落としていたがOSMには載っている。やるねOpen Street Map。


少し、丘の上に上がれば野草が満開。


地元の方はロードとMTBが半分位づつ、高速道路と併設されたためか?舗装も良いので、気持ち良く走れる。


やがて、Via VerdeはPunta Umbriaの方にまがるのだが、我々はA-497沿いをはなれ、右折して町中へと続く道をたどる。表示が分かりにくいがきちんとCRがある。


まだ、シーズン初めで、観光客の居ないリゾートのポルティエルの町。


一旦小高い丘の上に上ると。次の町と、長い砂洲が見えてくる。



CRはここで終わり、一般道A-5052の坂を次の保養地に向けてダウンヒル。



エル・ロンピドの町に着き、海岸沿いの道はここで遮られる。



フェリーの時間まで、生ハムのサンドイッチ、超甘スイカ、一夜漬けでランチ。


海の矢(Flecha Mar)フェリーで対岸へ。


自転車ごと乗船。サポートカーは大回りで陸上を。


長洲に囲まれた湾内は穏やかで、結構な距離を走った後、対岸のエル・テロンへ。

 

 Via Verdeが緑から赤になったが、内海と道路の間をCRが続く。

 

橋を渡り、

 
南仏でも見た、内海特有の金色の藻の海を過ぎると、

 
国境のアヤモンテに続く道はダートになり、スペイン国内での走行はここで終え、後は車でポルトガルのベージャに向かうこととした。

と、走ったのはこんなコース。自然と都会(保養地)が入り混じった楽しいコースである。



国境を越え、3時間ほど車で走り、ベージャ到着。時差が1時間あるので、今日は夕方が長い。

 

 さっそく町の散歩。この町もローマ時代からの城塞都市で、ローマの遺跡の上に中世の教会や砦がある。

 

お城から見た、ポルトガル、アレンテージョの大平原。明日はあの辺りを走るはずだ。

 
宿の近くにサンフランシスコ修道院を改装したポサダがあるので、覗いてみた。田舎のここまでは日本人はおろか、欧州人もあまり来ないのか、ロビーは閑散としていた。

 
その内泊まりたいポサダを後に、宿のホテルベジェンセに戻れば、受付の女性が温かく迎えてくれた。エレベーターも無い、古い、小さな宿であったが、部屋毎に、意匠をこらして綺麗に改装されていて、居心地は良かった。

 



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今日の出発はコリア・デル・リオのグアダルキビル川波止場に面したここ。


支倉常長の銅像前から出発。400年後に自転車に乗ったこんな日本人達が来ることは予想もしなかっただろうが。




さて、ぼちぼち行きますか。



グアダルキビル川沿いのサイクリングロードをプエブラ・デル・リオまで走り、少し内陸に入ると、景色が一変。




緩やかな起伏のSE-3302(セビリア市道?)の脇にはMTB用のダブルトラック。
周囲はローマ松の林。



こんな所を駆け降りるのは最高!!



道幅は狭いが、車の交通量は極少ない。


お花畑の中のベンチでさっそくランチ。


キャンパーや自転車乗りの為のレストランもあるみたいだ。
あ、それから、この辺りはMTB天国。公道から離れると、もっと良い所があるらしく、我々以外は100%MTB乗りだ。
このオフセットラック良いね!



馬で回るという手もあるらしく、蹄鉄の落とし物。



うーん、いい感じ。




一度、自然公園を抜け、ピラスの町に入った後、ドニャーナ国立公園の中を走る。
と言っても片側はイチゴ畑。



このイチゴをアフリカからの季節労働者が収穫しており、それで、1kg250円のイチゴが売られているわけなのだ。



町が近づいてくると、良さげな連棟の白い建物。小作人?の住居?



そして、エル・ロシオの教会。
例祭にはスペイン最大の数十万の人が集まる有名な教会とのことだ。参考→エル・ロシーオ巡礼



ご本尊のマリア様。



フラミンゴが遊ぶ干潟の向こうに浮かぶ聖マリア礼拝堂。



後は淡々と交通量の多いA-483を走って、着きました、Not地中海、But大西洋。


海は良いね。


おまけ:歩道では、キリスト教の元服とでも言おうか堅信礼の記念撮影中の可愛い少女。




今日のコースももう少し事前研究をしておけば良かったかも?で、走ったのは、

 

車でウエバまで移動して、今日は近代的なHotel Eurostars Tartessosに宿泊。夕食は近所の中華のコースで。



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今日泊まった宿、Hotel Museoはバスターミナルと博物館の間にあり、セビリアの中心街の徒歩圏内である。朝涼しいうちに市内を散歩し、大聖堂を目指す。

 
まだ、開いていなアルカサルからの大聖堂遠望。


ヒラルダの塔にも登ってみたいが、まだ開館前。



ふと、前を見ると、日本の国旗と漢字が。JALの後援で支倉の展示をやっているのだが、これもまだ開いていない。


いったん宿に戻り、今日の主目的地、コリア・デル・リオに向かう。
この町はグアダルキビル川を船で遡れる最上流。この地に支倉遣欧使節団の数人が残り、姓にハポンを持つ人の子孫を残しているのだ。

こんな看板「ハポン姓の方を探してます」を持って町を練り歩くも、30分ほどはあまり成果なし。

 
つい支倉の銅像がある方向に行ってしまったのが悪かったようで、もと来た方向に戻ったら、ああ、俺ハポン姓だよと言う男性に遭遇。

 


続いてこの方。

 

そんな、こんなしているうちに、ロシオさんと遭遇。

 

世話好きの方で、次々とハポン姓の方の家を訪ね紹介してくれる。「私もほら、ハポンよ。」


チャラい恰好しているけどさ、俺もハポンだぜ。この写真見ろよ、皇太子とのツーショットだぜ。後で、家に寄りな、いろんなもの見せてやるからさぁ。

 
とロシオさんに引き連れられ、カレトロ通りとサンタマリア通りの一帯を数軒置きにノックしていく。

 

親戚筋はこの辺りに集中して住んでいるようだ。

 

あら、私たちもハポンよ。仙台にも行ったことあるのよ。

 

で、先ほどの男性の家に招かれる。

 

日本スペイン友好協会の会長を務めた、故ビルビニオ・ハポン氏の親戚とのこと。

 
色々な資料を見せていただき、一同感激と興奮が冷めやらぬのだが、いつまでもお邪魔しているわけにもいかない。おばーちゃんに長生きしてねと言って、家を辞したのであった。


続いて、カルロス・デ・メサ公園のグアダルキビル川の波止場を望む位置にある支倉の銅像を見学。 


コリア・デル・リオから20km位北上して、エスパルティナスにある、ロレト修道院を訪ねた。

 
野草に囲まれた修道院、しかし、人影はなく、建物内部の見学は不可能であった。

 

数年前設置された説明文の通り、ちょうど400年前、支倉はここに1年以上滞在したことを思うと、いかなる苦労をしたのか、胸に迫るものがある。

 
散策したであろう、中庭が少し見える。

 

というわけで、今日のハイライト、支倉遣欧使節団の痕跡探しはおしまい。辿った地図はこんな感じ。(ロレト修道院は左上Espartinas)



さて、セビリアの観光もしなくては。コルドバのアルカサルは見られなかったので、セビリアのレアルアルカサル/王宮を是非見なくては。

 

目くるめくような、アラベスク模様の彫刻とアーチ。そして、陽の光。

 
所々に緑と水が無ければ、干上がってしまいそうな光の量だ。

 
アラブ様式のタイルが張り巡らされた、涼しい部屋。

 

庭には放し飼いのクジャクも。
広大な庭の緑陰で、渡る風に吹かれて、極上のお昼寝を楽しんだのであった。



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コルドバとエシハは400年前支倉常長一行が泊まった記録がある町である。この間の走行計画を立てた時、Camino de la Campinaという、鉄道廃線跡を利用したサイクリングロードがあることは判っていたのだが、車は走れない=グーグルストリートビューが無いので、道路状況が不明であった。砂利道らしいことは、道路との交差点から見たストリートビューでわかるのだが、どの程度の砂利なのか一抹の不安があった。ロードの23Cタイヤなら止めた方が良いが、少し太めのタイヤを穿いているなら、是非とも走るべきCRであることが判った。

砂利道ではあるものの、固く突き固めてあり、路面の凸凹も少ない。春真っ盛りということもあり、道には盛りを迎えた野草の花で溢れていた。




地平線まで続く小麦畑。



鉄道跡なので、所々開削されていたり、




トンネルもあって、急坂は全くない。




アザミはきれいなのだが、脇を走り抜ける時は、棘に注意。半パンだときつい。



見渡す限り麦、牧草、ヒマワリの畑。後2ヶ月後にくれば、ヒマワリの絨毯が見られるだろう。




遠く北側はラマンチャとの間の山脈まで見える、雲一つ無い好天。




緑の中に白い建物の集まった村が散在する。



ガキンチョ襲来。自転車の課外授業?



一般道との交差点。スペイン語の案内しか無いので、チョット分岐が分かりにくいのが難点。


続いて、牛? いやヤギの大群襲来。

いよいよ花にCRが覆われてきた。スピードは出ないけれど、最高の眺め。




A-445と交差する地点でサポートカーと合流し、ランチ。



ラマンチャでは新芽が出ていなかったブドウ畑も、ここアンダルシアではもう新緑も終わりだ。



平坦部に出ると道路は直線、畑も単調になり、ただの砂利道で楽しくなくなる。



しばらくはしると、ようやく起伏が出てきて、景色に変化が起きる。



牧草地と廃屋。




エシハ郊外のCRと一般道の交差部分。つい、一般道側に行きそうになるがCRは横にそれ、続いていた。


エシハでは、支倉が訪れたであろう大聖堂を見て、町をぶらつくも、

 

余りの暑さ(35度くらい)にアイスクリーム休憩。

 
晴天なのは良いが、日陰が恋しい、散策だった。



で、走ったCRはこんなコース。CRはエシハからさらにルイジアナの方まで続いているらしいが、今日はここから車載でセビリアへ。



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早めにサイクリングを終え、駅近くのコルドバの宿、ホテルセリャノにチェックイン。残念ながら今日は日曜日なので、アルカサルの庭園はもう公開時間が終わっている。MapsMeを頼りに迷路のようなコルドバの旧市街をメスキータに向かう。


この狭い道を消防車が駆け抜けていく。



さあ、着きました、メスキータ。



外の喧騒と暑さ、直射日光を遮断したメスキータ内部は静謐で涼しく楽園。長く続くアラブ様式のアーチ列が迎えてくれる。



でもそのアーチ下部の柱はローマ時代のものを流用したもので、この床の下には、さらに遺跡が眠っているらしい。


アラブ様式の部屋への入り口もあれば、


ゴシックの教会もあり、



色々な時代と様式が混然としている。



ステンドグラスから漏れる光がアラブの石柱に美しい影を作っていた。



メスキータを出て、ローマ橋でグアダルキビル川を渡り対岸からメスキータを望む。夕方になっても、日差しは強く、4月の夜7時だと言うのに、汗ばむ気候だ。



再び花でかざられたユダヤ人街をかすめ、ホテルに帰る。



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カスティリャ・ラマンチャ州では、強い雨には合わなかったものの、曇天と低温が続き、期待していた満開のアマポーラの平原もみることができなかった。山稜を越えたアンダルシア州に入ったとたん、肌を刺すような日光の春の好天に恵まれ、新緑と満開の野草に囲まれ走ることになった。しかも今日は500mのダウンヒル。基本的に漕がなくても着く。

ポソブランコの町を出て、A-424(A=アンダルシア州道)を東に向かう。


雲ひとつ無い青空のもと、うねうねと続く丘を一直線に貫く、A-424。



新緑が目に眩しい。



牧草地は新芽と牧草の花の混合。

 
道路わきのアマポーラも少し増えてきたか?

 
それにしても良い天気だ。

 
ビジャヌエバの町でA-421に曲がろうとするが、道が複雑なので、小休止。

 
牧草地帯は紫と黄色の花が満開。紫はアルファルファの花、黄色は雛菊に似た名前のわからない牧草。

 
牛も満腹で昼寝中。

 
下り基調とは言え、峠を越えるには、100mの登りもある。

 
のんびり風景を楽しみ登る我々の脇を、地元の日曜ライダーが急ぎ足で登っていく。

 
長い6%の坂道を登れば、そこは峠。後ろには今日まで走ってきたアンダルシア、そしてラマンチャの山と丘が遠望できる。



峠でピクニックランチ。いつも陽気に我々をサポートしてくれる、バイク・スペインのホルフェとファンの二人。


道路脇とは言え、晴天のもと、満開の野草に囲まれて食べる生ハム、チーズ、レタス、サンドイッチは極上。



ランチが終われば、ここからは500mのダウンヒル。

 

周りはお花畑。

 
A-421は並行してN-421が走っている旧道で、適宜曲がりくねっているので、車の通行量はすくない。
野生のラベンダーを見ながら下る。

 
小川脇のお花畑で、ラベンダーと雛菊を仕入れて。


♪♪ この広い野原いっぱい咲く花~を ♪♪  重大家族ポイントゲット完了。

 
至る所、野草だらけ。



空の青、森の新緑、雛菊の黄色、そしてラベンダーの紫の競演。

 
最後に、黄金の丘を少し登って。

 
今日の走行終点のアダムス郊外に到着。

 

もっと走っていたいが、今日はこれから、コルドバ観光。先を急がなくては。

走ったのはこんなコース



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ラマンチャ平原を東西に貫く低い山稜を幾つか越え、スペインの田舎を走り、アンダルシアに抜ける今日は単調な日になるのだろうか?朝時間があるので宿前の公園に行くと、古くから自噴している泉からペットボトルに水を汲むおじさん発見。

 
公園をうろついていたら、MTB乗りが集まってきた。土曜日なのでジモティーがこれからダートに行くらしい。



宿から走りだし、町中のアップダウンを抜け郊、外に出ると、かっての町の主要産業である石炭採掘の痕跡があちらこちらに見える。これは火力発電所?それとも、蒸気機関車の貯炭、貯水施設?



あ、現役の石炭火力発電所と露天掘りの炭鉱も見えてきた。




今日もどんよりとした曇りで、日照が無いが、スペインとりわけ、アンダルシアとラマンチャは日照に恵まれていることでも有名。プエルトリャノにも太陽光パネルの工場があるらしいし、大規模な太陽光設備がちらほらと広がっている。



N-420は幹線道路(N=National)で交通量も多いので、脇にそれ、村の中を走るが人通りがない。



村を離れると、旧道の上に幹線が建設されたため、また幹線道路に合流せねばならない。



道路わきに頻繁に、カナダ?の注意標識、なにこれ? Nの上に〰マーク、カニャーダ、牧場ありの標識でした。でも車は100kmで飛ばしていて、牛とか出てきたらどうするの?



居ます、居ます、この辺りの主、羊や牛さんがのんびり草を食んでいる。



単調な平坦部をしばらく走ると、行く手の左に丘に登る道路が見えてきた。今走っている道路の倍の幅、脇に登坂車線のついた道だ。あの丘を越えていかねばならないらしい。



車が100kmで登れるよう斜度はそれほどではないのだが、長い坂をエッチラオッチラ登るしかない。



高度を稼ぐに従って植生が変わってきた。名前はわからないが白いむくげのような花が咲いている。




で、丘の上、本日の最高点850m地点に到達すると、その向こうにもう一つの山稜と不気味な黒い雲。



まあ、とりあえず、丘からの下りを楽しみますか。



小雨がパラつく中、うねうねとした丘陵地帯を少し登り、少し下りして、距離を稼いでいく。もう少し温かく、日差しがあれば最高なのだろうが。



昼食は道路から少し入ったところに、ローマ時代の遺跡公園のベンチがあったので、そこで。あまり人影もないが、自転車の駐輪設備もある。これでトイレがあれば満点なのだが。



事前の調査では浮かび上がってこなかった、ドン・キホーテの道という田舎道があり、ラマンチャ地方を縦横に走り抜ける路の整備計画が進んでいるようだ。ここもその一部らしい。

 

昼食後、ローマ時代の遺跡を見学。この辺りの領主とか代官とかの屋敷跡だろうか。円柱もローマ神殿の物と形は同じだが、ずいぶん低い。とは言え2000年前の遺跡なのだが、この程度の遺跡は五万とあるとのことで、あまり整備はされていない様子だ。



昼休み後、CM-4202(カスティリャ・ラマンチャ州道)からCM-4201にそれ、交通量ががくんと減った所で長い登り路に入る。私より年上の数名の方がアタック競争を始めたので、あまり離されないよう追尾して、第二の峠、Mochuelo峠に到着、後続を待つ。



一団が纏まって、さあ、ここでカスティリャ・ラマンチャ州ともお別れ、光り輝くアンダルシア州へ、と思って、下り始めたら、本格的に降ってきた。長い、楽しい下りのはずが、景色を楽しむ余裕もなく、雨で事故を起こさぬよう、慎重に下る。



トレカンポの村の外れで、もう一度集団を纏め直すため停車して振り返れば、牧場にチラホラとアマポーラが咲いている。多くは蕾のままであるが、あと2週間もすれば、野原一面が赤で染めつくされるのだろう。



当初トレカンポに宿を取る予定だったが、村のホテルは取れず、と言うか、泊まれるホテルがあるのかの小さな村。小雨も続くので隣町のポソブランコの二つ星、ホスタル・ノリエガに車載で向かった。

ポソブランコ(≒白い井戸)は農業の町。日差しが戻ってきたし、土曜日の今日が農業祭の最終日というので、歩いて会場に向かう。小さな町だが、大きな闘牛場があり、盛んに闘牛が開催されるとのこと。



農業祭は盛況。どこからこんなに人が出てきたのかと言う位の人だかり。競りにかける為、綺麗にされた羊たち。♪ドナドナドナ、ドーナ♪ されていくのだろうか。そんなことを気にする風もなく、藁を食べるのに夢中だ。




農業祭とは言え、人が集まる所あれば、色々なものが売られるのは世の常。私のCayoちゃんの後継モデルも2千ユーロほどで売られていました。

 
農業祭の会場には人が溢れていたのに、町中には人通りがない。良い雰囲気の田舎町なのだが。



で、今日走ったのはこんな所、75km、チョット物足りなかったかな?



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走行2日目、本来ならマラゴンからシウダーレアルを経由して、一路南下すべきなのだろうが、古都アルマグロには400年前支倉常長一行が宿泊したと推定される修道院がパラドールとして再生されているというので、観光を兼ねてアルマグロまで車載で向かった。

 
アルマグロの大広場(Plaza Mayor)は劇場や昔の商店街、カフェが残っていて、ベネチアの大広場の縮小版のような良い感じ。気候の良い日にこんな広場で昼ごはんでも食べたいものだ。

広場近くのSan Agustin教会に入ってみる。 天井の損傷もあるが、綺麗な色使いだ。



午前中で寒いこともあり、外国人観光客はもとより、スペインの観光客も少ないが、街並みは良い感じ。


ただ、風致地区なので、歩道も石畳で舗装。大変ですね。


パラドールに戻り、中庭の散歩や支倉が食事をしたかも知れない部屋でコーヒー休憩後、ようやくアルマグロを後に走りだす。

 

緩やかな登りを上り切り、その後は楽しいダウンヒル。これで空が青ければ言うことはないのだが。

 

灌漑用の湖の見える脇道でピクニックランチを楽しんでいた我々の脇をボロ車で通り抜け、野草を取り始めたおじさん発見。

 
アスパラに似た葉の脇の茎を取っているので、聞いてみたら、そのまま食べてみせてくれたので、さっそく私もサンドイッチに挟んでいただく。(後に調べたら、フェンネル=ウイキョウであった。)

 
小麦畑の手前はもう耕された赤土の畑。


昼飯を食ったら、さあまた登りだ。

 
岩山が見えてくればピークも近い。



さあ、着いた、今日の2つ目の峠。


ここも標高が高く、涼しいため、ポピーはまだ、ちらほら。



登った後は、緑の平原に向けて、一直線のダウンヒル。


車はあまり通らないけど、スピード注意で下る。


シープドックを引き連れた羊飼い。あの男にはどんな時が流れているのだろうか?

 

ようやく、人家のある村に辿り着いた。

 

平坦ななんと言うことの無い道を走り抜け、平原の山裾に町が見えてきた。そこから、一気の登り。今日の宿のプエルトリャノだ。Pueruto=Port、Lliano=Plane どこが平らな港だ? 山の上の町じゃないか?と思ったら、PuertoにはPassの意味もあるらしい。そういわれれば、自転車レースにブエルタ・ア・エスパーニャというのもあったな。
スペインの新幹線もこの「平らな峠」部分を抜けてマドリード・セビリア線が引かれている。




プエルトリャノはかっては炭鉱の町、今は工業都市らしい。眼下には闘牛場が見える。



町のシンボル、炭鉱夫の像。



坂の町プエルトリャノ、山の左の突起、炭鉱夫の像から下ってきたんだ。


泊まったホテル、サンタ・ユーラリアは町の中心にあり、便利なのだが、駐輪場がなく、仕方がないので、自転車は屋上に保管。 


町の花は闘牛士。そこかしこに看板がある。

 
華(金)で中心街は家族連れでにぎわっていた。

 

走ったのはこんなコース



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 自転車組み立て、時差ボケ調整も終わり、自転車走行日となった。自転車を積み込みいざ出発。


でもその前に、タホ川=テージョ川の岸辺にある古都トレドを観光しなくては。

 
わんさか観光客の居る細い石畳の道をビンディングシューズで歩いて、

トレドの大聖堂に到着。

 
かつては修道女が副業で作ったという、餃子じゃなかった、マジパンも



今や菓子屋の大量生産、ご当地土産だ。

 
観光地に付き物のエルグレゴの住んでいたと言われる家。でもウソらしい。


ローマ時代の橋。日差しが出てきた。

 

さて、そろそろ、ドン・キホーテに倣い、コンスエグラの風車に向かって突撃しますか?



目標はあの丘の上。

 
馬でも自転車でもなく、車にて到着。幸い時間帯が少し早く、これでもまだ観光客は少ない。



しっかり集合写真を撮り。

 
緑と赤茶けた色のラマンチャの平原に広がる、これから走るあの直線道路を見ながら、ゆったりと眺望360度のピクニックランチを楽しんでいたら、十数台の大型バスでトレド観光を終えた中国人観光客来襲。即座に撤収して、走行開始。


曇り空のところどころから日差しがのぞくものの、気温は十度台で寒く、厚手のアンダーアーマーがちょうどよい。

 
少し荒れ気味の道をしばらく走って


あれまーさっそくパンクだ。

 
ラマンチャは内陸で標高が高いゆえか、まだ気温が上がらず、ブドウも新芽が出ていない。

 
一方、麦畑はもうすぐ収穫を迎えそうで、緑がまぶしい。


どこまでも続く平らな直線道路を駆け抜ける。



2年前南仏で見たのよりもすごいと言われている、ラマンチャの赤いアマポーラ/コクリコを期待していたのだが、残念ながら、麦の刈入れ後の数週間後のようで、まだ蕾が多い。




走行一日目、トレドの観光もあったので、コンスエグラからマラゴン直前までのたった 27kmを走ったのみで、今日の宿、Fuente Tarayに車で向かった。Fuente Tarayはできたばかりの畑の中の民宿/長期滞在ロッジ/パーティー会場。



広い敷地にダイニングもオープン形式だ。

 

今日の走行地図と場所リンクのグーグル地図

 

 



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今日一日は自由行動日、昨日の雨は上がったものの、曇り空でうすら寒い。
今まではGPSをもって街歩きしていたが、今回はスマホ+MapsMeで街歩き。このMapsMe、オフラインで使えるので、通信費が気になる今回のような旅行には非常に便利。さて、歩いていると政府系の建物に Refugees Welcome の旗が。いいね!



プラド美術館に到着、開館前15分から並んで、50人目くらいで入場。初めの一時間くらいは見学者もあまり多くなく、スイスイと見て回れて、朝来たのは正解。


プラドと言えばゴヤですが、それ以外にも見るべきものは多数あり時間が足りない。




駆け足、2時間で見て回り、次はメインストリートを街歩き。Westinで一休みして、




町中は、400年目の命日を3日後に控え、セルバンテスの展示がそこかしこで行われているが、見る時間なし。

 
込み合うプエルタデルソルを抜けると、スオウの街路樹と街並みがよく合う。



八重桜も満開。



マイヨール広場を抜け、今回の旅行のバックアップをしていただく、バイクスペインがあるPlaza de Villaに向かう。

 
輸送途中で空気が入ってしまった川原さんのディスクブレーキを無料で修理してくれる、イケメンのバイクスペインの社員。


社長と一緒に事務所前で写真撮影。



昼ごはんは社長の案内でマイヨール広場近くのこのレストランEl Capricho Extremeno へ。



いやぁ、おいしいですが、量が半端じゃないです。



カロリーを消費するには、歩き回らねば。で、大聖堂。





続いて王宮と歩いてきたが、ここから雨。





雨宿りを兼ねて、王宮内を歩き回ると、武具の展示室に400年前支倉常長がフェリペ3世に献上した鎧、兜と薙刀が展示されているのを発見。



次はタクシーでまたアトーチャ地区にもどり、ソフィア王妃芸術センターへ。

 

目的はこれ、ゲルニカ。



ナチスによるゲルニカ爆撃、フランコ対共和国政府の内戦、そして人民戦線内での共産党によるPOUM粛清などの背景も当時のポスターと共に説明されている。


展示を見終わって、外にでれば、これから向かう南スペインの起点のアトーチャ駅の上には一面の青空。今後の旅に期待が持てそうだ。


歩き回ったルートはこんな感じ。

 



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以前は成田に行く場合、新横浜からのリムジンバスや、横浜駅からの成田エクスプレスで出かけていたのだが、新横浜からのバス便は廃止とのこと。調べてみると、新横浜から新幹線で東京駅に出て、八重洲口から出ている1000円バスで成田空港へというのが、早くて安いこと判明。これだと自宅から2時間半、2360円のみ、4000円近く、時間も3時間はかかった今までのルートより便利だ。
予定より早く着いてしまった為、出国ゲート以前にあって、あまり使ったことのないゴールドカードの無料ラウンジで休息。ビールや飲み物、柿ピー、Wifiなどもあり、意外と充実している。


時間調整後、ABCで事前に送っておいた自転車を受領し、集合場所へ。エミレーツは手荷物30kgまでOKなのだが、念のため、自転車なしの林さんにスーツケースをお願いした。計量では28kgでOK。32kgの人も追加料金なしで搭乗手続きは順調に進んだ。



成田~ドバイ~マドリードは北回りより時間は掛かるのが難点だが、自転車を無料で携行できるのが利点。それに今回も空席が目立ち、3人掛け、4人掛けを独り占めして、ゆっくり睡眠して旅することができた。

スペイン上空にかかると、天気予報通り、厚い雲に覆われ、下界はまったく見えず。残念ながら雨模様だ。


マドリードのホテルExeに到着後、ホテルの会議室にて自転車を組み立てる。私は連れ合いの分も含め2台の組み立てなので、難儀したが、バックミラー割れ以外の損傷もなく、無事に組み立て後、夕食へ。


夕飯はバスク地方の各種のおつまみ(タパス)と最後に海鮮雑炊、うまか!!
 



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旅行先からの記事UPは面倒なので、FBに2日おきくらいにつぶやきをUP中。

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でみてね。

 



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GJに引き続いて、トレックの梱包を開始。

ハンドルバーは内側に引っ張り、サドルに固定。

 

ホイールは、5mmの軸を入れ同心になるようにし、150mm位のスペーサーを入れ、ホイールが平行かつ荷重がフレームに掛らぬようにし、さらにフレームにこていした。

 

飛び出した左ハンドルのシフターが破損しない様、緩衝材を巻き、これで2台目も梱包完了。

 

次は、持って行く荷物だ。



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