逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



先週から、歩き回れるようになっていたのだけれど、今日医師から治療完了宣言が出た。
足指2本を固定していた包帯が取れて、よほどのことが無い限り、もう通院の必要なしと言ってもらえた。


まだ、少し内出血は残っているが、傷口は完全に融合し、痛みもない。ただ、足指先に力を入れるとまだ指が痛むので、足を蹴って早歩きできるようになるのは、後1,2週間後とのこと。

ビンディングシューズも履けるので、自転車も復活したいのだが、どうなることやら。



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台風一過、空は晴れたものの、風が強い。足の直りもまだだし、自転車は諦めてロードスターで鎌倉でも出かけますか。先ずは車を大きな山門の前に車を停められる光明寺へ。


続けて安国論寺へ。あらま~ぁ、門が閉まっている。何々、「台風の影響もあり本日は閉門します。」か


せっかくお参りに来たのに。と脇に回ると、墓所への道は開いている。なので、お参りしていきましょう。時々、色んな思いが湧き上がった時、たまに訪れる土光さんのお墓。


昼はチョット足を延ばして葉山漁港へ。江ノ島の向こうに富士山が良く見える。



お昼は葉山漁港食堂で富士山を見ながらシラス丼、アジフライ、餃子セット。



太平洋側から、東京湾側に河岸を変えて、称名寺へ。紅葉にはチョット早かったかな。



最後に、いつもの大桟橋に寄ったのだが、風が強くて吹き飛ばされそう。


チョコチョコっと歩き回って、数枚写真を撮って帰宅。



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3週間前に足の指を骨折した時はどうなることかと心配したが、なんとか歩けるようになったので、高校の同窓会に出かけた。会場はここ。



あっ、向かって左側の有名な大隈講堂ではなく、右側の高層ビルの15階。上から見ると、大隈講堂もずいぶんと小さい。


幹事が教授なので、何とか会場をおさえられたらしいのだが、東京中見渡せて大変良い雰囲気。私学はこう言う所が良いね。



早稲田キャンパスも昔の建物はほとんど無く、新しくなっている。この建物も昔は□〇派が占拠していた悪名高き学生会館を取り潰して作られたらしい。

さて、来週は郷里に帰って、同窓会その2に出席しなくては。



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昼一番の野暮用を済ませると、空は雲一つない絶好の天気。GJもカヨちゃんもSPDペダルなので骨折包帯巻き足指の入る運動靴では乗れない。MTBは車庫の奥に仕舞ってしまったのでらくちん電チャリで出かけようと鶴見川CRへ。
しばらく走って気が付いたのは電池の残容量が少ないこと。帰りの坂道を登るためのランプ一つ分は残して置かねばならない。で平坦部分はアシストなしで走る。
青葉インター側もだいぶ工事が進んで、橋桁の上に道路が載り始めている。


逆光にススキが輝いている。


重たい電チャリをアシストなしで漕ぐと、やはりご近所とは言え辛いものがある。
ようやく、寺家ふるさと村に到着。まだ、稲刈りが済んでいないところが西日に輝いている。



残り少ない電池を気にしながら、切通を登って、鶴見川CRへもどる。後はひたすら鶴見川を下って鴨居へ。
日没と同時に、鴨池人道橋に帰ってきた。富士山山頂からは雪雲がたなびいている。



残しておいた最後の電池を使って、鴨居の丘に登り、帰宅。骨折後18日、20kgの電チャリで30km弱をアシストをほとんど無しで漕ぐのはしんどかったが良い運動になった。

 



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先週はロードスターで行ったけれど、今日は電チャリで病院へ。
抜糸した傷跡はきちんとくっついている。レントゲンを撮って、足指を触診して、痛みはほとんどないので、シーネを外してもらえることになった。シーネがあると、つま先に余裕のある安全靴とは言え、やはり少し窮屈である。無しだと、万歳!普通とあまり変わりなく歩けそうだ。

で、気分を良くして鶴見川CRへ。
東名青葉インターと第三京浜新横浜インターを結ぶ工事がだいぶ進んでいるね。


新横浜に来ると、週末の台風21号の影響で、運動公園は水浸し。テニスコートの泥を沢山の作業員が取り除いている。


普段の半分以下、20km足らずで帰宅。



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足指骨折から2週間。もう1km位なら歩いても良いのだろうけれど、慎重を期して、自宅周辺しか歩いていない。夕方、だいぶ風も収まってきた。空は青い。安全靴を履いて、電チャリで散歩しよう。キャベツがだいぶ育ってきたね。


暗くなってから、自宅の一つ向こうの丘に登り、残照の富士山を眺める。



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毎年、春と秋の季節の変わり目に、扁桃腺炎になるのだが、今回も2、3日調子が悪かったが、ハッカ水を喉にスプレーする対策で、軽症の内にクリアできた所で足指骨折。
踵歩きでは長い距離を歩けないので、読書、ビデオ鑑賞、Windows10のUpdate他を家に籠ってやっていたら、変な姿勢も相まって、また腰痛になってしまった。ブログを辿ってみると、腰痛も気温が変わる春と秋になっており、一昨年10月は歩くこともできない状態になってしまった。重症にならない内に、体操と軽い運動で直さねば。

まず、色付き始めた、庭の柚子の取入れで体を動かそう。。



良い柚子が取れたのだが、30分動いただけで、体力、特に脚力がすごく落ちた感じ。2週間ほとんど歩いていないから無理もない。やっぱり歩くことは、基本中の基本だ。


ただ、先日手に入れた指先を広げたサンダルでは、調子良くスタスタ歩くと、シーネが入っているとは言え、靴底、そして親指が曲がり、骨折箇所が痛くなる。
靴箱をひっくり返したら、10年位前、工事出張用に買ったまま使わなかった、運動靴型の安全靴が出てきた。安全靴なので足指を保護する為に、つま先に保護プレートが入っていて、足指部分は余裕のある作りになっている。靴ひもを最大限緩めて、恐る恐る足を突っ込んでみたら、ちょっと窮屈ならが、足指が痛くなく、何とか入る。


こりゃぁ良い。歩いても靴底が丈夫なので、足指に負担が掛からない。さらに、自転車なら、足先に荷重をかけることも無いので、ご近所をポタすることにしてみた。
こんな時はやっぱり電チャリの出番。ダンシングをせずに、家の周りの坂道を登り降りできるので、足指へのダメージなしで、体を動かせた。


雨が止んだら、このパターンでお出かけして、体力維持を図り、腰痛防止が正解かも。



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18日にWindows 10 Fall Creators Update が利用可能になった。PC操作中にバックグラウンドでUpdateプログラムをダウンロードされると、我家の安値ADSL回線、3Mbps位しか速度が出ないので、他の通信が超低速になってしまう。

それが嫌で、寝ている間のダウンロードでWin10の秋アップデートを試みるも、66%進んだ所でPCがスリープ。



PCのスリープ設定は外してあるのに、、、なんでやろ??   で2晩掛かってメインPCのアップデート。
続いてSSDが小さいAtomサブPCもアップデート。フリー領域不足でエラー食らうかと心配したが、こちらは一発でUpdateできた。


やっぱり10年前のCore 2 Duo ではWin10の機能を十分に利用できないから、そろそろ次を考えた方が良いかな?

 



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サンダルで歩けるようになったのは良いが今日は雨、歩いて病院には行けない。

プラスチックのリア窓が雨粒で見えにくくなるので、普通、雨の日はロードスターに乗らないのだが、しかたがないので、ロードスターで病院へ。

10日経ったので、傷口の抜糸。同時にレントゲンを撮ったのだが、当然まだ、目立った骨の癒着はない。気長に骨がくっつくのを待つしかない。

せっかくなので都築図書館へも寄って帰宅。



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長い人生の中で、靴の類でドイツ製のものなど買ったことはなかった。勤めていた頃はほとんどが日本製のリーガルシューズ。履き始めこそ固いが、ウイングチップのクローム鞣しは数日履いても型崩れせず、長持ち。柔らかなドライビングシューズはアクセルの踏み具合が良く伝わって、安心で、愛用していた。

退職してからは運動靴タイプタイプを履くことが多くなっていたのだが、先週の右足指骨折に伴い、靴に苦慮することとなってしまった。つま先を添え木固定しているので、靴が履けない。


家にあった数百円の古いC国製のサンダルの先を広げて、ららぽーとに行ったら、良く似たデザインながら、その数倍もするこ奴を発見。


履いていたC国製と似てるというか、C国製がデザインをパクったものなのだが、プラスチック成型とは言え、やはり本物の履き心地やフィット感はまったく別物。オリジナルに対する尊敬と箱にMade In Germany と書いてあるのが決め手となって、思わず買ってしまった。

家に帰ってから、右足の先だけバンド穴を増やしてから履いてみた。


上手い感じにフィットして、患部への圧迫感もあまりなく、これなら、車の運転や少しの外出ならOKそうだ。ただ、ここ数日の雨模様には頭が痛いのだが。



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丁度50年前、高校2年の1967年夏、ヴィエトナム戦争が激化して、国際情勢を気に掛けて、新聞を比較的読むようになった私も、同級生5人の登山事故死もあり、「ゲバラが殺された」というニュースに全く記憶はない。まして、その時、エルネスト・デ・メディコの偽名を持った日系人も殺されていたこと等、全く知る由もなかった。

今日、ららぽーとのシネコンで「エルネスト」を見た。


主演のオダギリジョーがすごい。日本語のセリフなし、全編の3/4に登場しながら、すべてスペイン語での登場。Cal State Fresno大学で演劇を勉強していたこともあるので、彼の英語能力の高さ(セリフのほとんどが英語だったBig Riverも昔見た記憶あり)は知っていたのだが、あのスペイン語は完璧だ。(むろんスペイン語が母国語の人間が聞けば、アクセント違い位は指摘するだろうが、、、)10kg以上体を絞り、日系ボリビア人のフレディー前村に扮したオダギリジョー、すごいね。

映画は1959年にゲバラが代表団長として訪日時、日本政府の意向を無視して、広島を訪れる場面から始まる。


そこから、舞台は一転。ボリビアの日系人フレディ前村がキューバの医科大学に留学し、、、
、、、、(ネタばれ、途中省略)、、、、、、
最後は、ボリビア軍事政権へのゲリラ戦の中で捕らえられ、フレディ前村は虐殺される。部隊内での偽名はエルネスト・デ・メディコ、医者エルネスト。そして、そのご本尊、本物のエルネスト・チェゲラバも2ヶ月後に軍に捕らえられ、CIAの許可/ボリビア大統領命の下、虐殺される。

まあ、映画だし、脚本も作られたものだろうと思っていたのだが、上映後、本屋に寄ってみたら、基本的に実話に基づいているのだそうだ。さっそくネタ本を2冊買ってしまった。

ゲバラの青春時代を描いた、モーターサイクリスト・ダイアリーズも好きだけれど、この映画も記憶に残る映画になりそうだ。しかし、自民党圧勝予測の日本で、「世界は、変えられる」なんて惹句は広がらず、こんな暗い映画もあまりヒットしないような予感がするのは残念。



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骨折から3日。再度病院に行き包帯交換。縫った親指の抜糸は一週間後となった。踵でなんとか歩けるが、遠出はまだ無理、まして自転車なんてとんでもない。


ああすれば良かった、、、、反省点は、山ほどあれど、、、、これからどうしよう?

まあ、知的活動を高めようか?との当初の意気込みはあったものの、引越しに備えて、CDや本を塩尻に運んでしまったので、読書もできない。そこで、今年のノーベル文学賞のカズオ・イシグロの本を読むのはしんどいのでレンタルDVDで「わたしを離さないで」を見る。日本語字幕、英語字幕、字幕なしと3回も見てしまったら、もうやることもない。動かないで家に居たら、体調も悪化。喉が痛く、微熱あり。年に1回くらいある、花粉症?リンパ腺腫れ?扁桃腺?

さて、どうしたものかのう?



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今朝ほどの事、布団を干していたら、エアコンのカバーの上に置いてあったブロックが足の上に落ちてきた。親指先端を3cmほど切り、血が流れだす。水で洗い流し、止血を試みるも止まる気配がない。休日でもあり、空いている病院を探すのも難しいので、急がなくてもOKと前置きして救急車を呼んで近所の外科病院へ連れて行ってもらう。

傷口以外に痛みがあまりなく、血が止まらないだけで、傷口を縫合すれば、それで終わりと思っていたのだが、レントゲンを撮ったら、これ。


親指の先端骨と、人差し指の第二骨にヒビ(骨の黒い部分がヒビ)が入ってしまった。まあ、5年前の大骨折と違い、大手術もなく、添え木固定で骨がくっつくのを待つだけなのだが、当分の間、つま先を使わず、かかとで歩かねばならない。参ったな、これで、骨がくっつくまで、1~2ヶ月運動禁止、自宅謹慎かな? 


 



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秋の晴れた日、引っ張り出された先は、早稲田周辺の文学散歩。
先ずは漱石の晩年の住居跡に、先月開館したばかりの漱石山房記念館。戦災で焼け残った、猫の墓の前に、復元した漱石の旧居を囲う形で記念館が出来ている。



以前は医院であった建物を漱石山房と号して、文士が集ったのだとか。山房の一部が写真や資料を基に再現されている。ベランダの外側にガラス戸の囲いがあり、暖かそう。(信州のサンルーム計画の参考にしよう)



その中、かって診察室だった所に、漱石の書斎があった。蔵書は戦災を逃れ東北大学に残っているのだが、それを複製して飾ってある。


色々な展示を見て回った後、図書室から本を借りて、カフェで一休みと読書。


漱石と言うと私には千駄木や西方がなじみがあるのだが、生まれたのは早稲田近くのここ、新宿区牛込馬場。生誕の地には、やよい軒が建っていた。


昼御飯はせっかくだから、やよい軒ではなく、安くてうまい早稲田周辺の食堂へ。


會津八一記念博物館、大隈講堂、坪内逍遥博物館と早稲田大学の構内を歩き回ってから、


肥後細川庭園へ。


本当のお目当ては、その敷地に隣接した丘の上にある和敬塾。かつてそこには村上春樹が住んでいて、ノルウェーの森に屋上の風景が出てくる。庭には最近話題になった前川喜平さんの祖父の前川喜作さんの銅像。この人が丘の上の細川邸の洋館を買い取り学生寮にした。


日も傾いてきたので、最後は連れ合いがかって住んでいた梅花寮へ急ぐ。今は建て替えの為閉鎖されているので、これが見納めになるだろう。



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私の10年前に買ったコア2デュオPCはラッキーなことにVista⇒Win8⇒Win10と無料で正規のアップデートできてきた。同時にメモリーやディスプレイも増強したので、10年も快調に動いている。一方、5年前に買ったNexus7(2012)はグーグル製なのでOSのアップデートができる事を喜んで、Android4から5、6とアップグレードしてきた。この間、スマホを入手したこともあり、NexusはAndroid5ではほどんど動かず半文鎮化、Android6にして、さらに、Trim可能にしたら、シングルタスクなら、何とか動き、サブマシンとして、だましだまし使ってきた。

Android端末はメモリーやストレージを増強することができず、新OSを動かすのに十分な機器構成とできないものが大多数である。その為、PCのOSと異なり、AndroidのOSはあまりアップデートしない方が良いと最近になり気づいた。しかし、Android端末はPCのように、メーカー保証が無効になるルート化しない限り、簡単にOSを前のOSに戻すことができないのが問題。

この所寝っ転がって見るのに、スマホよりタブレットの方が情報量多いので、Nexusを使うとそのモッサリ感にうんざりしていた。そこで、思い腰を上げて、Nexus7(2012)のダウングレードに挑戦することにした。

Nexus7は既にルート化されており、PCで操作できるので、Googleのサイトから、Android4.4.4のファクトリーイメージファイルとOS入れ替えのバッチファイルを、そしてAndroidのSDKキットを入手して、色々な情報を読んでから作業に取り掛かった。

特に役に立ったサイトはこれ

この記事を親として、必要な情報源やコツ、経験者のぶち当たった問題などがリンク先に事細かに記されていたので、大変助かった。

全ての準備を整え、文鎮化する可能性も頭をよぎる中、イメージファイル書込みのバッチファイルを起動。
一回目は、エラー続出、うまく行かず、文鎮化の不安が湧き上がる、、、、、、、単にSDKへのパスが通っていないだけと気が付き、

2回目で、、、

待つこと二分半で、OSの入れ替え完了。

今の所、順調に動いている。良かった良かった!!

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   追記:ファクトリーイメージを書き込んだ数ヶ月後にSSD/eMMCの動きが悪くなった。
    その後、再ルート化、Fstrimして、順調に使用中。下記リンク参照
    http://blog.goo.ne.jp/momonger1/d/20180209

    2年後の2019-12月、1年に1回くらいの頻度で初期化し、週一で
    FSTRIMすればメール、ユーチューブ、ビデオと充分実用機として
    使えてます。

 



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