逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



1979~1981年に住んでいたBrisbaneの写真をひっくり返していたら、色々と懐かしい写真が出てきた。本当はすべてデジタル化して保存すれば良いのだが、、、、、、
その頃の仕事関係の写真を記録の為UPしておく。

1980年のクリスマスカード。上段の写真は、私が出張している間に日本で作られた、水車本体の組立写真。
下段の写真はオーストラリアの地で、1年半かけて作った500トンの水車ケーシングの仮組立て写真。ケーシングの上に小さく写っている人物は、正しく作られているか、日本から厳重な検査をしに来た、怖い先輩のQA/QC検査員である。それを私がクレーンの上から撮影した。


翌1981年のクリスマスカードには建設中の発電所でもう一度組み立て後に溶接されたケーシングの写真が使われた。この後、吊り上げる為の500トンクレーンが出来上れば、数十m下の据え付け場所に降ろされる。


1988年に再訪したBrisbane市街。かって事務所のあった高かったビルも万博時にできた高層ビルに囲まれ普通のビルになっている。2段目は水車ケーシング/ステイリングを作ったEvans Deakin Industriesの工場。9年前には貿易/産業保護政策により、東芝やGEからの仕事が入っていたが、自由化で注文が途絶え、廃業していた。三段目のもう一つの製缶工場はまだ操業していた。



ネットを検索したら2018年のWivenhoe発電所のオーバーホールの短い映像が出てきた。


日本から運んだ重さ150トンのランナや長さ16m?の主軸を60km/hでぶっ飛ばし、現地にまで運んだ動画がどこかに有るはずなのだが、、、探し出して、デジタル遺産としてYouTubeにUPしようか?



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昨日の記事で江戸時代には毎日数百人が宿泊し、数千人が通過するという大繁栄からはだいぶ衰退したものの、戦後まもなくから高度成長期の中山道洗馬宿には数十軒の商店や医院、郵便局、駐在所と千人以上の乗降客がいた洗馬駅がありそれなりに繁栄していた。ところが現在はそのすべての商店が消え去り、乗降客も100名程度に寂れていることを嘆いた。

ちょっと気になって、55年前住んでいたオーストラリアのうらぶれた町、イェーロングピリーの事を調べて、ビックリした。
下の写真は1979年に1年半住んでいた4 Stamford Str, Yeerongpilly, Brisbeneのアパート前にて。多分この時点でアパートは築15年ほど。


9年後の1988年に再訪した時の同じアパート。頭の上、三階の隅の2LDKの部屋に住んでいた。


アパートはYeerongpilly駅から数十mの場所。Yeerongpilly駅はBribane都心まで電車で20分ほどの所とは言え、1988年の時点でも、皆さん車で通勤するので、うらぶれた田舎の駅を通勤に使う人などほとんど居らず、一回の乗降客は数人、列車も1時間に2本程度だった。


Google Street Viewで確認すると、駅前には55年前にもあった小さな雑貨屋とポストがまだ残る、鄙びた駅だ。


所が、マップをよく見ていたら駅の反対側、かってはBrisbane川の氾濫で牧場にしか使えていなかった所に、10階建??の市役所支所、テニスコート、スポーツクラブ、そしてショッピングセンターの中心にはスーパーのWoolworthsが今年開業しているではないか。




将来的には隣の区画のYG=Yeerongpilly Greenにオフィスやコンドミニアム群が建設され、在住人口も数千人の繁華街になるらしい。


昔私が住んでいた築70年?のアパートもしっかりリノベされ、


一ヶ月なら20万円ほどの家賃になっているらしい。


さらに調べると、駅は現在改築中、隣のコンドミニアム群と連携して、モダンな駅になるのだとか。電車も一時間に数本出ており、その内の半分は市内の反対側の国際空港まで乗り入れている。
こんな姿を見ると、55年前に私もそのほんの一部をお手伝いしていた、数十km上流のWivenhoe Dam Project のおかげで、Brisbane River の氾濫の可能性が低下し、打ち捨てられていた土地が再開発され、見直された公共交通とともに町が蘇るのを見ると、感慨深いものがある。


中央線の駅があることで、何とか命脈をたもっていた町が、モータリゼーションの進展で、賑わいが無くなり、商店が一掃されてしまった洗馬宿にも、中央線の再活性化とか、高速道路網への接続とかで町が活性化する、うまい話しは無いのだろうか? 
多分無いね~ぇ。



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朝起きたらまだ雨が降っていない。
10年以上たって、太陽電池パネルから出ている電力ケーブルのプラスチックの保護管が劣化して、割れてしまっているのを先日のパネル掃除の時発見してあった。早速、先日買ってきた配線カバー(実はエアコン配管カバー)と工具を手に、屋上へ。エアコン配管カバーを取り付けてみるとうまいことピッタリ合った。手早く取り付けていると雨が降り出したので、ぎりぎり間に合った。
さらに、昨日泥だらけになったトビウオ号を洗車、昼、父の病院を回わる。
午後はこの所の病院通いで、苛立っている奥さんのご機嫌取りに、ららぽーとに映画を見に行く。アカデミー外国語映画賞のおくりびと目当ての多数の人々を横目に、見たのは「オーストラリア」、放浪を繰り返す男が結局は女の所に戻ってくる映画だ。最近、脱走/ミニ家出の多い僕には身つまされる映画であった。しかしニコールキッドマンがオーストラリア人だとは知らなかったなぁ。



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