逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



年末、まだ完全に整理が終わっていなかった物置から不用品や、長年の保管でボロボロになった書籍、衣類等を運び出しを処分した。

不用品の山を片付け、その奥を見ると、漆器の御膳とお椀や皿が10セット入った箱が見つかった。

 

91歳の叔母に電話で聞いてみたら、小さい頃、お正月とか、特別の時にだけお膳を使ったとのこと。

現物は使用感も無く、傷やくすみもあまりないほぼ新品だ。90年以上前に作られた、木曽平沢の漆器、豪華な装飾はないが、本陣の屋号入りなので大事に使おう。

 



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ここ数日、気温は都会より数度低いとは言え、暖房で家の中は暖かく、屋外でも日差しがあれば、うたた寝も出来ていた。

 

少し甘く見て、普段着にカイロ一つであづみの公園のライトアップにでかけたのだが、

 

放射冷却もあり、寒い、寒い。

 

ほうほうの程で逃げ帰ってきた。

翌朝、窓を開けると、薄すらとではあるが一面銀世界、冬将軍到来だ。

 

 



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蚕糸博物館の後は、絹産業の繁栄を偲ばせる、旧林家へ。 嘗て、義父が勤めていた片倉と覇を競った起業家の家である。

 

二階の隠し座敷、何か変だ。

窓が二枚同時に上下するフランス窓だ。それによく見ると、なにやら、壁と天井に煤けた壁紙様のものが貼ってある。

復元されたのがこれ、

 

当時は、金ピカの部屋であったのだ。

他にも、幾ら金を掛けたか解らないお宝がたくさんあったのだが、私の趣味ではないので省略。

 

さて、夕飯はどうしよう?  岡谷、天竜川とくればやはり鰻か。かってマリアナ海溝からはるばるこの天竜川の簗場まで大量のウナギが遡っており、この辺りには美味しい鰻屋さんがいくつかある。

 

だが今や天然ものは皆無、養殖ですら、稚魚不足で絶滅の恐れもあるが、美味しいこれの誘惑には勝てない。

 

絶滅危惧種の減少に手を貸してしまった。



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シルクロード雑学大学で、絹の道を楽しんでいるのだが、信州に帰って来たので、近所の絹関連の場所、岡谷に出かける事にした。塩尻峠を越えれば、諏訪湖の向こうに富士山が、、、残念、雲で見えない。

 

宮坂製糸所の横に去年移転した岡谷蚕糸博物館に来てみた。

 

ここでは、実際に数個の繭から、糸を取る体験をしたり、

 

絹産業の繁栄と衰退の歴史を辿る事が出来る。

世界遺産になった富岡の官営製糸工場に導入された、手前のフランス式繰糸機は鋳鉄フレームと、銅板桶等、全金属製だったのに、

 

それを模倣した後の日本製の繰糸機はフレームはおろか弾み車まで木製、繭桶は瀬戸物、金属製は給湯管のみ。

 

技術指導にきた外国人からみたら、醜悪かつ滑稽な、模倣品、パチもんに見えたろうが、コストが安く、小柄な女工に合ったこの繰糸機を使った岡谷の製糸工場が、富岡の官営工場を圧倒していくことになる。

資本蓄積が進み、大量生産が進むと、動力も

 

天竜川の水車から、蒸気機関になり、

 

繰糸機も、女工の手先と注意力で均一な糸を作っていた時代から、次々と新型の大型自動機が導入されて行く。その究極がこれ、

 

女工哀史時代の数百倍の能力の繰糸機、糸の太さを自動制御している。銘板は、日産自動車、そう、あの日産が繰糸機をつくっていたんだ。(トヨタも自動織機だったし、繊維機械と自動車産業は、意外と関係が深い。)

でこんな機械ができてしまうと、どこでも機械があれば糸ができるようになり、岡谷の製糸業は衰退していくことになる。

と、クリスティンセンのイノベーションのジレンマや産業論も勉強できる施設になっているのであった。



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自由の身になって初めての平日サイクリング、体調不良を克服できているか確認
する為、100km超は走りたい。平地、極端なヒルクライムなし、、でとなる
と伊豆かな? 今井浜のサンシップはなくなってしまったし、伊豆高原の友人の
家の露天風呂
に押し掛けるのもなんだな。ネットを見て探し出したのが北川の
露天風呂、今日はここを目的地に走ったのだった。

暮れなずむ大島を眺めながら一人露天風呂に浸かっていたら、思いがけず、
30台のノルウェー人カップルとの混浴を楽しむことになった。



さて、天気が良さそうなのは今日だけらしいので、朝7時前に家を出る。横浜の
幹線道路は通勤途上の車が多数行きかうので危険、平日を実感させる。

境川CRに入ると、自転車は少なく快適、しかし、空には雲が多く、所々の雲の
切れ間から、弱い光が漏れてくるのみ、なんとか晴れ上がってくれないかな?



サザンCでは烏帽子岩の方から太陽が照らし、海が輝き始めた、
雲よ切れろ!



相模川までくると、くっきり晴れ上がってきて、終わりかけの紅葉に輝く
湘南平の向こうに富士山が見えてきた。



でも、晴れ上がった富士山とはここ酒匂川でお別れ。



早川漁港のかご平でアジ定食の補給。いつ来ても、ここは新鮮で
良心的料金に感謝。



さて、箱根じゃなくて、真鶴の旧道をすこし駆け上がりますか。



見下ろすと、新道の方も平日なので、交通量はあまり多そうではない。
あっちの方が楽だったか?


熱海まで来ると空は完全に晴れ上がって、風も弱く、絶好のサイク
リング日和。ただ、もう足が売り切れに近い。やはりだいぶ体力は
落ちていること実感。



そんな時は写真撮影ストップで休憩を。やはり熱海は暖かい。バラの
一種?が咲いている。



多賀、網代、宇佐美の坂を乗り越え、淡々と伊東まで走る。
100kmを越え、走る意欲が急速に減退。伊東の日帰り温泉も一瞬脳裏
を横切るが、もう少し頑張ってみよう。



川奈から向こうに見える溶岩台地、伊豆高原に登れば、後はそんなに
急な登りは無いはず。



川奈まで登ってきました。ここで土を拾えば、ノーベル賞も夢では
ないかも???な訳はないか。



赤沢温泉が夕日に輝き始めた、あともう少し、先を急がねば、
夕暮れに間に合わない。



眼前に暮れて行く大島が広がる。



そして目的地、北川(ほっかわ)温泉の海岸下の露天風呂。



平日のこの時間帯、まだ温泉客は着いたばかりで、あまり繰り出
してこないのか、露天風呂は私一人の独占状態。この為に今日は
水陸両用のカメラを持って来たので、夕日で変化する海を眺めな
がら、独占撮影会。

 

まもなくすると、30台と思われる白人カップルが登場。カメラを
仕舞い、湯に浸かっていると、大胆にも女性用の露天風呂から、素裸の
女性がこちらの男性用の方に来るではないか。話をしてみると、ノルウェー
から2週間の予定で初来日。訪問先は広島、長崎、京都、東京、伊豆
とのこと。原爆記念館も訪れた意識高めのカップルのようだった。

水着での混浴は何度もしたが、外人との裸での混浴は初めて、130km
走って、良い経験をした一日だった。
(あ、間違っても、混浴を期待して行かないこと、あくまで、この時の例外)


マップと走行記録は下記をダブルクリック。








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65才を一ヶ月後に控え、12月の契約満了をもって勤めを止めることにした。
56才の時のささやかな抵抗の後は、仕事量も減り、趣味の時間や、このブログを書く余裕が生まれた。
今になって思うと、あのささやかな抵抗を、もう少し持続的かつ、しつこくやって、周りの人間を巻き込めていれば、会社や事業の行方がもう少し良くなっていたかもしれない、という反省もあるが、起きてしまったことはもう覆しようがない、後輩達の奮闘に期待しよう。

と言うわけで、41年と9ヶ月の会社員生活とも公式には12月末でさようなら。来月からはハローワークにかよわねばならない。

休暇も余っているので、12月前半に残った仕事を片づけ、明日からは浪人生活に入ることになった。

日曜日、せめて昼ご飯くらいは作らないとバチが当たる。豊富に取れたゆずを使って、季節のゆず、ハム、ブロッコリーのスパゲッティを作ってみた。レシピも見ずにいい加減に作ったが、結構いける味、☆☆位は貰えるかな?

 



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風は強いが、天気は快晴、近所をぶらぶらしてこよう。
雲一つない、鶴見川CRから今日も富士山がよく見える。



鶴見川CRを下り、鶴見からは、適度のスピードの集団にぶら下り、第一京浜で横浜、みなとみらいへ。



プチヒルクライムに備えて、山下公園で一休み。



まず、元町から谷戸坂を登り、港の見える公園へ。でも公園内は改修工事中でほぼ立ち入り禁止、見るべきものはなし。
ブラフを一旦抜け、警戒が厳しくなった韓国公使館の先の断崖の上から、ベイブリッジを眺める。


もう一度ブラフに戻り、エリスマン邸でクリスマスの飾りつけを眺め、



ベーリングホールにも寄って見る。



山手公園脇から、一旦、ブラフを下り、再度地蔵坂でブラフに登り返す。
ここまでは100年前の異人館巡りだったが、尾根伝いに根岸方面をめざし、
現在の異人館である、米軍住宅へ。住宅の向こうには富士山が見えるのだが、残念ながら日の光の加減でうまく写らない。



中村橋に下った後、次のプチヒルクライム、滝頭の上に登る。
磯子火力の向こうに千葉の袖ケ浦火力が見える。尾根道を探すが、どの道も下に下る道ばかり。残念ながら、磯子方面には行けそうにない。



昼ご飯は本牧で。かって本牧キャンプのあった場所は今は瀟洒な住宅街に変っている。その脇の
アメリカ坂を登り、



山手経由で横浜に帰る。
横浜からは最後のヒルクライム。浅間台へと登る。



ここからは、もうヒルクライムは無し、尾根道を辿れば、家まで淡々と漕ぐだけだ。

30分ほどで、鴨居の丘の上に帰着。富士山にはまだ雲もなし。



横浜は縄文海進で出来た海岸段丘の名残の丘が入り組んでおり、標高差60m位のプチヒルクライムには事欠かない。富士山やみなとみらいの高層ビルを眺めながら、10本近いプチヒルクライムを楽しめた一日だった。
あっ、GPSの記録が一部飛んじゃってるけれど、たぶん60km位か?







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今日は雲一つない晴天、風も弱い。富士山を見に出掛けた人には素晴らし景色がひろがっているのだろう。
鴨居からも、雪の富士山が見える。


鶴見川CRを順調に下って、森永の工場に寄ってみるも、売店は週日のみ開店とのこと、先を急ぐ。



総持寺の入り口の門の脇の紅葉が美しい。



正月などは、参拝客でにぎわっているが、この季節は勤行の僧ばかり。
のんびり散歩してから鶴見で昼食を取り、帰途に就く。

水道橋を渡って左岸に遷る。



地区センターなどに寄り道して。ゆっくり帰ってくれば、富士山に夕焼け、明日も晴れそう。



今日のルートはこんな感じ。45km。



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