木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

916 京都伏見を撮る④ 月桂冠大倉記念館

2013-04-30 08:00:00 | 資料館

 月桂冠や寶酒造など左利きには堪えられない酒の本場にやってきた。ここに来れば酒の試飲が出来ると書いてあったが、それだけが目的と思われないように、じっくり見て歩こうと決めてはいったのであった。 

 「月桂冠大倉記念館」

         京都市伏見区南浜町247

         入場料¥300   駐車無料(7~8台分)    

月桂冠のホームページより

伏見城の外堀・濠川(ほりかわ)沿いの柳並木。白壁土蔵の酒蔵。酒造りの最盛期、蔵の近くを通ると、米を蒸したり、もろみが発酵する香りが漂い、酒の街ならではの趣をたたえています。
月桂冠大倉記念館は、貴重な酒造用具類を保存し、伏見の酒造りと日本酒の歴史をわかりやすく紹介しています。

 

この辺りは水質のよい水が多量に湧き出るととから、酒作りが盛んになったようである。

ここでも桜に間に合ったようだ。

 

下のポスターは、”昭和8年に描かれたものであるが、図柄が当局の忌避にふれ、日の目を見なかったもの”との記述があった。今ならなんちゅう事もないのに・・・・・!。

すぐ近くを流れ、柳並木が美しい伏見城の外堀・濠川(ほりかわ)を使って「五石船」などで運んだようである。この川は宇治川であるが、その先は淀川になっているから、酒の出荷に大いに使われた模様。

 

 

 記念館見学後、三種類の酒の試食があり、喉の渇きもあってか、大変美味く感じたので、辛口の清酒(720ml)と果実酒(500ml)を買ってきた。

 

この後はここから歩いて数分の「寺田屋」と「坂本竜馬碑」に向った。

 

 


915 京都伏見を撮る③ 御香宮神社

2013-04-29 08:00:00 | 京都の寺社

2013.04.08(月)、今日はお釈迦様の日、昨年同日に京都知恩院に参って、偶然”甘茶”を御馳走になったのが非常に嬉しかったのか、夢よもう一度と出掛けたが、今時金にならない事をする寺は少ないのか、諦めて神社でもよしとして、予定表の通りに進むことにしている。

 

 「御香宮神社」  (ごこうのみやじんじゃ、ごこんさん)

       京都市伏見区御香宮門前町

       拝観境内自由   社務所石庭¥200  駐車無料(拝観の場合に限る)

神社としては珍しく、鳥居の前に立派な「表門」がある。

初めは「御諸神社」と称した。創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によると、この年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったというが、実際には菟芸泥赴によれば、「筑前国糟谷郡の香椎宮から神功皇后を勧請し、神功皇后御廟香椎宮を略し、御香の宮と申す「とあり筑紫香椎宮をこの地に分霊し勧請した説の方が有力である。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されている。全国にある「香」の名前のつく神社は、古来、筑紫の香椎宮との関連性が強く神功皇后を祭神とする当社は最も顕著な例である。

豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした(現在でも古御香宮として残っており、また伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている)。

後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。

明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍薩摩藩)の本営となったが、本殿等は無事であった。

 

「割り拝殿」

神徳”安産”を示す石標

名水「御香水}

 

「本殿」

赤い花は「キクモモ」。

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/22ki/kikumomo.html

 

この後御一行様は、「月桂冠大倉記念館」に向ったが、記事は後日掲載とする。

 

 


926 木工細工H25-7 額縁型小プランターカバー 他 

2013-04-28 08:00:00 | 木工細工

 下の写真は現役の「額縁型小プランターカバー」という名前を付けたもので、これは当工房(?)オリジナル品である。写真はブロック塀に金具で引っ掛けているが、足を付けて自立させるものも作っているが、今回は壁掛けもよし、床に置くもよしとしたものを、2個作成した。 

 

最近の方針は、”所持している材木を死ぬまでに使い切る”なので、今回も持てる材木に合わせた設計としたので、額の部分が異なる2個になった。

 

「額縁型小プランターカバー」     作品No 13-10a

パイン材(ベーマツ)  15*90*2000   *2本

(2×4(ツーバイフォー)材)  19*135 など在り合わせの材料を使った。

 

パーツ切断状態

プランターは100均で求めた「プラスチック製・深さ140、幅190、長さ350(外寸)」を基準にしたので、これが入る部分の内寸は、深さ140、奥行き210、長さ370mmとした。

額の外寸は幅602、高さ496mmとした。

また、屋外設置を前提に考えているし、朝夕の水やりは欠かせない用途であるために、水はけ風通し優先の構造としている。

組み立て完了状態(塗装前)

 

塗装(水性塗料)後の状態、

 

背面

 

寄せ植えをプラスチック製の小型のプランターに植えて飾る。このように置いてもよし、金具を付けてブロック塀に掛けて使う事も出来る。

 

 

「額縁型小プランターカバー」     作品No 13-10b

額になる部分には、2*4(ツーバイフォー)材の38*89*1800を使用、他は上記Aと同。

プランターが入る部分は上記Aと同じであるが、額の部分は素材の厚み(38mm)をそのまま生かした設計なので、極めて単純な形になった。

額の表面に余りやった事が無い、模様を彫ってみたが、様にならない。

塗装は上と同じく、白色水性塗装とした。

 

「背面」

 

寄せ植えを飾ってみる。

 

「壁掛け型トイレットペーパーストッカー」   作品No 13-11

 

以前に作ったものであるが、注文主(ワイフ)から不評で、放置されていたが、檜の板など結構高い材料を使っているので、押し付け先を探していた所、娘が使ってくれると言うので、塗装をしたもの。

ロール巻きのトイレットペーパーが最大7個収納出来る。

 機能的には不足は無いと思うが、木工製品としての価値が無い典型的失敗作であった。

 


914 京都伏見を撮る② 誕生寺 恋塚寺

2013-04-27 08:00:00 | 京都の寺社

2013.04.08(月)、自宅を午前7時30分に出発。名阪道、新名神、名神を極めて順調に走り、9時半頃には第一の訪問先の「城南宮」に入り、ゆっくりとそこを見た後一号線を少し走り、県道222を西へ向い桂川を越えた所にあるのが次の訪問先である。11時丁度に到着。

 

「誕生寺」    正式には「誕生山 妙覚寺」

      京都市伏見区久我元町

      拝観境内自由,    駐車無料 

曹洞宗の開祖道元禅師(1200~1253年)は土御門通親と藤原基房の娘
伊子の子として生まれ、幼少の頃は宇治市木幡の木幡山荘(基房の別荘)
で過ごし、13歳の時比叡山延暦寺で得度している。
出生地には2説ある。
①信仰上の説:京都市伏見区久我の地 現在、誕生寺がある地区
②歴史上の説:宇治市木幡の木幡山荘 現在、(財)松殿山荘がある
といわれているが、詳細は不明である。

誕生寺は大正年代に建立計画が立てられ、昭和57~62年に建立された新しい寺。境内には本堂、山門、稲荷堂、庫裏、座禅堂、鐘楼、水屋等と駐車場がある。

 

少年期の道元像

古寺の積りで来たけれども、小寺と言った方がよさそうではあるが・・・。

 

 「恋塚寺」

      京都市伏見区下鳥羽城ノ越町

      拝観境内自由    駐車場2台無料

 利剣山(りけんざん)と号する浄土宗の寺院である。  寺伝によれば、平安時代の末期、北面の武士遠藤(えんどう)武者盛遠(もりとう)が、渡辺佐衛尉源渡(みなもとのわたる)の妻、袈裟(けさ)御前に横恋慕し、誤って彼女を殺してしまった。  盛遠は己の非道を深く恥じ、直ちに出家して文覚(もんがく)と名乗り、彼女の菩提を弔うため墓を設け、一宇を建立したのが、当寺の起りといわれている。  本堂には、本尊阿弥陀如来像の外、袈裟御前と源渡、文覚上人の三人の木像を安置している。  境内には、恋塚と呼ばれ、袈裟御前の墓と伝える石塔が建てられている。その傍の六字名号石は、法然上人の筆で文覚上人が建立した石板と言われ、この筆蹟は、人倫の大道を教えるものとして、古来より詩歌、謡曲などで知られている。

 

 

 激しい恋物語はよいけれど、人の妻を横恋慕してはいかんわなあ!。挙句の果ては彼女を殺してしまい、その供養にと建てた寺のようであるが、後になっていくら悔やんでもそれこそ、後の祭りの何ものでもないわなあ!。

 

この後は「御香宮神社」に向った。

 

 


913 京都伏見を撮る① 城南宮

2013-04-26 08:00:00 | 京都の寺社

昨年の今日、たまたま「知恩院」を尋ねた所、桜も美しかったがお釈迦様の日に当たり、「甘茶」が無料で振る舞われた事が余程嬉しかったのか、2013.04.08(月)、 それを思い出して、京都に行こうと言う。こんな事は余りないが、ならばと、予てから計画していたコースに出掛けたのであった。

私の計画表にある寺社などは、まだ尋ねてない小さい古寺社ばかりであり、妻には面白くないと言うので、桜がぎりぎり間に合う事を祈りつつ、特別に入れたのが、最初に組入れた「城南宮」なのだ。ここは私は過去少なくとも3回はきているが、桜の時期は初めてであった。

前回は2008.06.06に日帰りバスツアーで来ているが、記録は下記・・・・。

      http://mokunenblog.jugem.jp/?day=20080611

 

 「城南宮」   (じょうなんぐう)

     京都市伏見区中島鳥羽離宮町7

     拝観境内自由、庭園¥500   駐車料:無料

創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。平安遷都の際に国常立尊が併祀され、城(平安京)の南にあることから「城南神」と呼ばれた。白河天皇鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあった。また後代になると京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになった。

応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代になって復興された。幕末の文久3年(1863年)には孝明天皇の攘夷祈願の行幸があった。新政府軍の掲げる錦の御旗の前に旧幕府軍が総崩れとなった慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となったものこの地である。

 

「曲水の宴」が行われる「平安の庭」

 

「ワビスケ」   「胡蝶侘助」と書かれていた。

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/96wa/wabisuke.html

 

「ツバキ」   「玉の浦」と書かれた札が・・・

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/43tu/tubaki.html

 

「春風」 ¥1050の札が・・・

 

「金華茶」との表示があった。 そう言えば葉はかなり大きいがお茶だ。

  「花写真館」には未登録。

 

「桃山の庭」「城南離宮の庭」

 

枝垂れ桜に間に合って大変良かったと思う。

 

この後は、「誕生寺」に向った。


924 庭の花 H25-7(33~42) 

2013-04-25 08:00:00 | 我が庭の花

4月も半ばに入り、漸く我が庭も賑わいが出て来た、今年7回目の紹介をしたいと思う。 (2013.04.16 撮影)  なお、原則として各花には「花写真鑑」の該当ページに直行できるようにしてあります。花の名前から探したい時は。ホームページ表紙の「花写真館」からお進み下さい。

最初は、先日「赤塚植物園」と言う名の園芸店で買って来たもの2点(各¥800)。 

 「シャクナゲ」

   「花写真館」  http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/32si/syakunage.html

下は、この時な薄いピンクが掛かっていたが、この数日後には全体が殆ど”白”に変身してしまった。

33

 

「フジ」

昨年は大きな一房が咲いたのみであったが、今年は少し小さめながら、沢山の房を付けてくれたので、ご近所の皆さんからも”見事”と言ってもらえそうだ。  (この写真のみ2013.04.19撮影)

 「花写真館」へはこちらから  http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/63hu/huji.html

 34

 

「クンシラン」

長い間同じ株を育てているが、昨年は3房だったが、今年はひと房増えて、嬉しい事が重なっている。

  「花写真館」  http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/23ku/kunsiran.html

(14)

 

「スノーフレーク」

 昨年から我が家の仲間になったが、もう一人前の顔をしているが、”きれいだよ”と褒めてやりたい。

   「花写真館」  http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/33su/suno-hure-ku.html

(30)

 

「レイウシア」

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/91ra-o/reiusia.html

35

 

「ドウダンツツジ」

少し元気がないが、どうしたのかな?。

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/45to/doudantutuji.html

36

 

「ヒメフーロー」

常に二人で仲良く咲く、我が家のおなじみさん。

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/62hi/himehuuro.html

37

 

「マーガレットコスモス」

  「花写真館」  未登録  忙しくて後回しにされてしまったんだ!。

38

 

「セキチク」

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/34se-o/sekitiku.html

39

 

「スカビオサエコシリーズ」

今年我が家に仲間入りした、ニューフェース。

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/33su/sukabiosaekosiri-zu.html

40

 

「マーガレット」

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/71ma/ma-garetto.html

41

 

「キンレンカ」

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/22ki/kinrenka.html

42

 

「ノースポール」

  「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/53nu-o/no-supo-ru.html

(15)

 

庭の花はやっと咲き始めたばかり、これからも次々と紹介して行きたいと思っている。

 

 

 { お知らせ }

ホームページ表紙のアドレスを変更しましたので、皆さまには大変お手数ですが変更の手続きをお願い致します。(メールについては個別に連絡してますが、もし必要な方はブログのコメント欄などで意思表示して戴けば連絡させて戴きます)

ホームページ表紙 アドレス  http://mokunen.c.ooco.jp

なお、ブログへはこの”表紙”からも行けますが、変更はありません。

また、花図鑑は「花写真鑑」として、リニューアルしましたので、多少は見やすくなったと(自己満足)思ってますので、機会があれば見て戴きたく思います。

 


900 貨物鉄道博物館

2013-04-24 08:00:00 | 資料館

私がまだ小学5年生になる以前の頃、今のいなべ市の北部に住んでいたことがあり、ここに圧倒的存在感で私を魅了し続けた蒸気機関車が走る鉄道があった。 戦前に三重県から岐阜県に抜ける鉄道として作られ、「三岐鉄道」と名付けられた。しかし、三重県最北部の「西藤原駅」まで開通した状態で現在にいたっている。

鉄道は現在は電車が走っているが、全国的にも珍しいという「貨物専用の博物館」となっている。なお、当日は開館日でなかっために、中は見ることは出来なかった。(ボランティアによる運営のため、日曜日のみの開館なのである)   撮影:2013.03.29(金)

 

「貨物鉄道博物館」

      三重県いなべ市大安町丹生川中  三岐鉄道三岐線丹生川駅に隣接

日本で唯一、鉄道貨物輸送を対象としている博物館である。貨車をはじめとして、機関車コンテナが屋外展示されるほか、貨物関係の資料、貨車の部品等を収蔵している。各車両は静態保存によって博物館展示線と丹生川駅側線のほか、東藤原駅前でも展示されている。当博物館の建物の一部は、丹生川駅の旧貨物ホームが流用されている。

運営は鉄道事業者行政ではなくボランティアによって行われており、費用は寄付によって賄われている。基本的に三岐鉄道は博物館建設のための基盤を整備・提供したにすぎず、中心的作業の車両搬入・展示・運営などの実務はボランティアにゆだねている。

日本で貨物鉄道が営業を開始した1873年(明治6年)9月15日にあわせ、2003年(平成15年)9月15日に開館した

 

「貨物鉄道博物館」のホームページ

      http://frm.kans.jp/

「三岐鉄道」のホームページ      

      http://www.sangirail.co.jp/

1898年(明治31年)イギリス製の機関車で、B4形39号として、東武鉄道で貨物列車牽引に使われていた。1966年(昭和41年)に現役引退し、昭和鉄道高校で保管されていたとある。

下の貨物車は、明治39年に新潟鉄工所で作られ、北越鉄道(現新潟本線)で使われていた。その後近江鉄道に移り、10トン積みに改造された。台枠から上は鋼製の柱に木製板張りで、引戸も木製であるとの事。

 

現在は電化され、下のような電車が走っている。

私がこの線路に耳を付けて、次第に大きくなり機関車が近づく迫力を感じていたのは、小学一年生の二学期から二年生の三学期一杯までであった。父が巡査駐在所勤務であったので、当時員弁郡と称したこの地を転々としていた時のことである。終戦もこの地で迎えている。

それはこの丹生川駅ではなく、ひとつ山に近い「石博駅(いしぐれ)」であった、その時一緒に機関車の響きを聞いた、近所で転校生の私と越して来たその日から仲良くしてくれた、2年先輩の伊藤さんはどうされているのだろうと、久々に思いだす。もう、六十数年も前の事だが明瞭に残っている・・・・・・・・・!。

 

「ヒマラヤユキノシタ」

    「花写真館」はこちら http://mokunen.c.ooco.jp/h-p-syuu/01index/012frame.html

・・・・・と言っても、トップページしか出ないので、「ヒ」をクリック、次いで「ヒマラヤユキノシタ」をクリックいないと出ないのです。はい、・・・・・・・今の所・・・・?。

 

いなべ市の猪名部神社で行われる上馬神事を撮るための下見に出かけた際、時間があったので思い付きで寄ってみたのであったが、日曜日以外は休館日とは知らなかった。事前調査を怠った失敗であった。

 

追伸 

ホームページ(表紙)のアドレスを変更しましたので、皆さまには大変お手数ですが変更の手続きをお願い致します。(メールについては個別に連絡してますが、もし必要な方はブログのコメント欄などで意思表示して戴けば連絡させて戴きます)

ホームページ表紙 アドレス  http://mokunen.c.ooco.jp

なお、ブログへはこの”表紙”からも行けますが、変更はありません。

また、花図鑑は「花写真鑑」としてリニューアルしましたので、多少は見やすくなりましたので、機会がありましたら、見てやって下さい。

 


925 アドレス変更のご連絡と顛末記

2013-04-23 08:00:00 | その他

ホームページ(表紙)のアドレスを変更しましたので、皆さまには大変お手数ですが変更の手続きをお願い致します。(メールについては個別に連絡してますが、もし必要な方はブログのコメント欄などで意思表示して戴けば連絡させて戴きます)

ホームページ表紙 アドレス  http://mokunen.c.ooco.jp

なお、ブログへはこの”表紙”からも行けますが、変更はありません。

 

変更までの顛末(参考)

従来、電話回線はNTT、インターネット、プロバイダー、ホームページはYahoo、TVはCTYを使っていた。これを、電話、インターネット、TVをCommufa に、プロバイダー、ホームページをNifty に変える事により、容量が増やせる上に、月額¥1500程安くなると聞いて変える決心をしたのは、昨年の9月であった。

両社への支払い方法なども含め全ての変更手続きを9月末には完了したし、11月中には工事が完了すると言うので、それに合わせるために、精力的に準備をして待っていた。しかし、待てど暮らせどCommufa から何の音沙汰もない。正月前は何かと忙しいだろうと、自身を宥めていたが、心棒堪らず、1月に入って電話をしたのである。

そうしたら、何と「電柱が無いから遅れている」と言う返事、その上いつ開通するか目途は立っていないと言う。そう言えば、最近はCommufaのTVのCMも無いので会社が傾いたのかとも思った。予定も立たないものを待つことも馬鹿らしいので、Yahoo なども安くできそうなので、変えるのを止める検討をしていた。

そうして、忘れかけた頃に何の前ぶれも無く、突然Commufa の工事会社から、工事日はいつがよろしいかと言って来た。この変化の激しい時代に契約から半年以上も経ち、その間完全に放置しておいて、何を寝ぼけているのだと言って、こちらはいまは”白紙”の状態に戻ったのだと言ってやった。

全体を合理化する目的で始めたもの、Yahoo での再構築はまだ道半ばであるから、この先かなりの時間を要する。一方、Commufa はすでに出来ているし、幸にして捨ててはいなかった。この合理化はメリットがあってやるもの、早くしたいが為に、”癪に障る”所は我慢して、利を取るべしとした。

 

従来の問題点

① 何故か電話番号が二つあり、使いもしないのに相手先に表示されるので、先方は誰から掛かったか解らないのである。

② キャッチホンをキャンセルしたがいまだに発信音が出るので再々中止を依頼するも消えない。先方には”話中”の表示が行かず、いつまでも呼び出しが続くことになるので、話しの途中で切らねばならないのである。何時間も長話をしたい者には極めて不都合らしいのだ。

③ ホームページの内容が増えて容量が無料の範囲を越えそうになってきた。Yahooの有料は私には容量は大きすぎるし、当然それなりに高い費用(¥500/月以上)がかかる。

④ 長い間同じメールアドレスを使ってると、いつの間にか”ゴキブリ野郎”に知られて、余計なメールが日に何通も来るようになってきた。

⑤ 「花図鑑」をFC2のブログを使って作っているが、途中で新規書き込みも、変更も出来なくなる事がしばしばあり、悩んでいた。花の種類が増えて、容量が大きくなったせいもあるように思うが、動きが遅い、フォントが変わらないなどなど、やり難くて仕方がなかった。

⑥ 契約の使用期間義務はあるものの、使用料を安くするパッケージが各社から出て来て、今の現実はかなり高い料金をは払っている事になる。

 

変更後のメリット

まだ、よく解らない部分があり、使ってみると不具合も無くはなさそう(友の話)であるが、バスはもう発車したのである。

① 上記問題点の②は解消するが、①は未確認。

② ホームページはNifty の”ライト”というクラスを使えば、1GBまでだが、年間¥1200なのだ。私のは「花図鑑」を全面的にホームページ内での運用にしたので、容量が増えて合計300MB程度になったが、当分余裕の運用が出来る。

③ 「花図鑑」をかなり手間がかかったが、全面的に書き換えて、新機構も加えたリしたニューアル版として「花写真館」を公開出来た。 

④ 最初の計算では、月あたり¥1500程コストダウン出来るはずである。

 

行程

2013.04.19(金)  工事完了

2013.04.20(土)  高校時代の友に来てもらって、インターネット接続から初めての設定を業者に頼らずに始めたが、どうにもならくなり、友の勧めで、Commufa に電話した所、Commufaが設置したルーターのセッチングが不正とのこと、遠隔操作をしてもらって、一瞬に解決した。所が、メールについてはOutlookの設定が出来ず、富士通にメールで質問する一方、暫定的にNiftyのウエブメールの設定を終えた。

2013.04.21(日)  ホームページのFFFTPによる、ファイル一括転送を始めたが2時間経っても終わらない、これは異常と判断し中止して、今度はホルダー毎に手動で始めたら、一時間も経たずに終了した。

2013.04.22(月)  ホームページが正しく表示される事を確認し、主な関係各位に新アドレス通知を実施した。その中で、旧システムは4/25まで運用とした。

 

終りに

 パソコンなし、インターネットなしでは一日たりとも生きられない私には、今回の”移行”は万一上手く行かず、停止とか、使えなくなる事は絶対避ける事が、至上命題でした。その上、いい加減に業者に頼らず、自前で設定などを進めたいという欲まで現れました。

そのために、わざわざ別に新しくパソコンを買って、旧パソコンで旧システムを運用したままに、新パソコンで新システムを動かそうと、万全の体制(?)を企んだのでありました。この3日半の間、七転八倒、四苦八苦、散々苦労をしましたが、漸くここまでたどり着いたのであります。

友も一日中当家に来てもらい、色々と教えられたし、新しい発見もあって、苦しかったが有意義な時間を過ごす事が出来たと、友に感謝するものです。まだ、メールなど未完成など部分もありますが、ここに”移行の顛末記”として書き残したいと思ったのでありました。

 

 

 


923 シャクナゲ

2013-04-22 08:00:00 | 植物園の花

 2013.04.13(土)、今日は病院行き、定期ボランティア運転手を務める日だ。客待ちの時間は多くの場合喫茶店に本を持ち込んで、モーニングを取ることにしているが、今は春、天気もよし、ならばと近くにある「四日市南部丘陵公園」に来て見た。

ここは広いが椿、梅それに桜が終われば、バラが咲くまでは花は少ない。公園のご近所の庭も含めて、稀に咲いてる花に出会うが、最近は殆ど撮りつくしていて、目新しいものはなく、さりとて撮影装備を待たないので、”芸術写真”は撮る腕も被写体もない。

ひと通り歩いたが、徒労に終わり、重い足をひきずり結局はモーニングサービスのお世話にならざるを得なかった。しかし落ち着かない、花が私を呼んでいるような気分で、早々とここを出て、中央緑地公園に来て見たがここは運動場、花は何も見当たらなかった。

もうこうなると歯止めが効かない、前日の新聞で津市の園芸店で「シャクナゲ」が見ごろとの記事があった事を思い出し、これを見に行くしか術はなかった。更についでに、水子供養にもと急に話が纏まり、カーナビをセットしたのであった。

 

 「赤塚植物園」

      津市高野尾町1868-3

      入城無料、  駐車無料

ここは”植物園”としているが、少し規模が大きい”園芸店”なのである。我々がこれから入る所は、「シャクナゲ」を専門的に植え、商品見本として陳列すると共に、育成栽培をしている場所である。他の植物を種類豊富に販売しているのは隣。

殆どは「セイヨウシャクナゲ」と思われるが、多種多様に改良され、新種が作りだされたことを伺い知る。

 

真紅の石楠花、買おうと思い探してみたが、この種は売られていなかった。石楠花は”挿し木””接木”で増やすらしいが、この真紅は増やすのが難しいのかも知れない。

 

苗木を見ると、買わずに通り過ぎることが不可能な二人、結局ひとり一株を限度に、それぞれの思いで買った。私のは縁が濃いピンクで中が白いのを一番小さい木で¥800であった。

 

 この園芸店にはまだ私の「花図鑑」に載せてない植物が多くあると思われるが、見ればまた買う事になり、例え鉢植えにしても置く場所に困る現状があり、またの機会とせざるを得なかったのである。

この後、車は伊勢方面に走り、「幸福寺」にて今回は”ついで”であったが、毎年恒例の”水子供養”をして、伊勢自動車道を帰路に着いた。

 


898 奈良北西部の古寺 吉田寺

2013-04-21 08:00:00 | 奈良の寺社

2013.03.30(土)、今日は少し雲はあったが、暖かい春が始まったばかりの、奈良県北西部にある古寺をめぐっている。もう17時を過ぎてやや日が傾いているが、本日最後の寺にはいった。

 

 「吉田寺」   (きちでんじ)  別名:「ぽっくり寺」

     浄土宗   清水山

     奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23

     境内参拝自由、  駐車場無料(20台)

     ぽっくり往生の寺として知られる。

吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。
浄土教の先駆者として知られる恵心僧都源信はお念仏のみ教えを早くから世に広められ、その著書の「往生要集」では、お念仏による衆生救済の功徳を理論付けられた。浄土宗の法然上人や浄土真宗の親鸞上人にも多大な影響を与えられた。

 

「本堂」

 

「梵鐘」

 

「多宝塔」   重文  室町時代の創建

 

花は「サンシュユ」

この時は桜が咲き始めたばかりであった。

 

「チンチョウゲ」

 

「ヤブツバキ」

 

 本ブログは掲載日がかなり遅くなったので、花はその時期の様子である事を、書き添えておきたい。

癌封じのお礼参りに奈良に来たついでにと、合計7寺を見て来た。癌封じの祈祷は先客があったので、待たされたりして、時間が掛かり早朝に出た割には、数が少なかったが、過去と違って数を稼ぐ事は止めて、ゆっくりじっくり見ることにしたからである。

以上で「奈良北西部の古寺めぐり」は完結とする。

 

 


891 花ざんまい⑥見慣れない花(2/2)

2013-04-20 08:00:00 | 公園の花

 2013.03.21(木)、なばなの里の温室(ベゴニア館)に、カメラ、マクロレンズ、リングフラッシュ、に三脚まで持ち込み、じっくり腰を据えての、咲いてる花をひとつも残さずに撮影をと意気込んでいる。

温室内は回りがガラスで明るいから”逆光”になり易いのである。普通はその場合、露出を幾分増やすことで」解消出来ることもあるが、そうすると背景が明る過ぎて不都合な場合がある。そんな時に有効なのがフラッシュ(又はスピードライト)を光らすことである。

しかし、マクロ(近接)撮影の場合は光がきちんと主役の花に当たらないし”てかる”原因にもなりやすいので、私は「リングフラッシュ」と言って、レンズの周りから光を発するフラッシュがあるので、これを使っているのだ。

レンズの周りから、完全に均等に光が発せられると影のない写真、つまり”立体感”のない写真になってしまう事があるが、それは左右のライトの明るさを調節出来るようになっているので、おおむね避ける事が出来る。 

 

「サンブリテニア」  ゴマノハグサ科

 

「セントポーレア」  イワタバコ科

 

「ジャガランダ」  

 

「コエビソウ」  別名:「ベロベロネ」  キツネノマゴ科

 

「テコマ」  ノウゼンカズラ科

 

「ベンケイガズラ」  クマツヅラ科

 

「シンニンギア」  別名:「断崖の女王」  

この半は、私の「花図鑑」での名前を「イワタバコ」としているが誤りのようである。

 

「グロキシア」  イワタバコ科

 

「ジャスティキア」  キツネノマゴ科

 

「メディニラマグニカ」  ノボタン科

 

 

「レイウシア」

この花は我が家の庭でも咲くので珍しい花ではないが、今まで花がピンク色しか見た事がなかったので、見慣れない花のひとつに加えた次第。

 

今日は花の種類が多い上に、人通りが少ないので、三脚を構えてじっくりファインダーとディスプレー(撮った写真の表示)に時間が掛けられたので、一味違った写真も中には見る事が出来て、大満足な一日であった。

多くのカメラマンは、一枚の写真に拘り、時間を掛けて良い写真を撮ろうと努力するから、質の向上が図られるが、私の場合は”数”を撮ることに終始してるので、いつまで経っても素人の域を出る事が出来ないでいる。

そんな私でも、文明の利器を使えば、多少は向上する事が確認できたので、持つ重さの制約はあるものの、以降は出来る限り”リングフラッシュ”を持って出る決意を新たにした。(カメラ+レンズ=1.6kg、リングフラッシュ:0.8kg、三脚1.0kg)

その為にと改良した”カメラキャリヤー”を、少し格好が悪い事を我慢すれば、今日の実用テストの結果も悪く無かったので、実用に踏み切ることにした。(キャリヤー込みの総重量=8.5kg、それに弁当と水筒が加わることもある)

 

以上でなばなの里からの「花ずくし」は完結とする。

 

 

 


897 奈良北西部の古寺 松尾寺

2013-04-19 08:00:00 | 奈良の寺社

 2013.03.30(土)、奈良市にある大安寺に”巖封じ”のお礼参りに来たついでに、奈良県の北西部の日頃音是れル事の少ない地域にある古寺を北から順に回っている。

最初が「長弓寺」そして、「宝山寺」「霊山寺」「東明寺」と見て回り、6番目の寺にやってきた。

 

「松尾寺」   (まつおでら)

      真言宗  補陀洛山(ほだらくさん)

      大和郡山市山田町683

      参拝境内自由、  駐車料無料

      日本最古の”厄除け寺”  また、バラの名所としても知られる。

矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する山寺である。慶長11年(1606年)成立の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、当寺は天武天皇の皇子・舎人親王養老2年(718年)に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完成を祈願して建立したと伝わる。なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する東明寺(大和郡山市矢田町)も舎人親王の開基を伝える。

続日本紀』延暦元年(782年)7月21日条には、「松尾山寺」の尊鏡という当時101歳の僧についての言及がある。また、松尾山の山頂近くに位置する鎮守社の松尾山神社境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であることは間違いないと思われる。

 

「本堂」  重要文化財

日本三大黒のひとつ、重文の「木造大黒天立像」が祀られているが、時間も過ぎており、見る事は叶わなかった。

 

「梵鐘」

 

「三重塔」  明治21年の再建。一部は古材を使用しているとか。

 

 

 ここを出た時にはすでに、17時を過ぎていたが、気候もよいせいか、珍しく同行の妻がまだ行くと言う。ならばと「法隆寺」の中にある「中宮寺」に来て見たが、ここらは時間厳守が厳しく、すでに門は固く閉ざされていたので、次の「吉田寺」にカーナビをセットした。

 


890 花ざんまい⑤見慣れない花(1/2)

2013-04-18 08:00:00 | 公園の花

春3月と言えども、まだ野には花が無く、ブログネタにも困って、なばなの里にある温室(ベゴニア館)に入ってみたら、ここには沢山の花が咲いており、「花図鑑」への追加収録のためにもと、片っぱしから撮ったのである。

名前の解るものだけを数えて見たら、なんと45種類もの花が咲いていた。それで、今日のブログでは、あまり見かけない花を中心に、二回に分けて公開したいと思っている。

 

「カリアンドラ」  別名:「ヒネム」   マメ科

飢えと同じかと思ったら、「カリアンドラ・ハエマトケファラ」と言う名前が付いていた。なお、私の「花図鑑」では上も下も「カリアンドラ」として扱っている。

 

「キリタ」  イワタバコ科

 

「カルセオラリア」  別名:キンチャクソウ  ゴマノハグサ科

 

「ウイットフィルディア」  キツネノマゴ科

 

「プルンバーゴ・インディカ」  

 

「コンロンカ」  アカネ科

 

「カッシア」  別名:ハナセンナ  マメ科

 

「ネコノヒゲ」

 

「マレーシアシャクナゲ」  ツツジ科

 

「バーベナ」  クマツヅラ科

 

「パキスタキス」  キツネノマゴ科

 

 以前のブログで書いたが「花図鑑」を、FC2の”ブログ”を使って公開していたが、不都合が起きたので、全面的に書き換えの上、別途公開すべく準備は出来ているのである。

しかし、これは電話、テレビ、インターネットをまとめて「コミファ」に変えることで、コストダウンと共に、合理化を図ろうと進めて来たのであった。

これを決意し、コミファとニフティと契約をしたのが、昨年の9月、工事は11月には終わると言うので、それに合わせるべく、必死で「花図鑑」の書き換えなどを行って来た。

それから、早くも半年になろうとするのに、何の音沙汰もないのである。それで痺れを切らして、電話をしたら、電柱を立てねばならないので、何時になるか解らんと言う。

そう言えば、あれほどやかましくTVコマーシャルが流れていたのが、さっぱり無くなり、とうとうコミファは倒産したのではないかと思ったりしている。

そんな訳で、まだ見通し立たずの状態であるが、いつまでもこのままの状態では無く、きちんとリニューアルオープンするので、今しばらくご容赦願いたいのである。

なおその節には、ホームページ、メールアドレスが変わりますので、ご迷惑ですが、よろしくお願い致します。なお、ブログと掲示板のアドレスは変わりません。

 


896 奈良北西部の古寺 東明寺

2013-04-17 08:00:00 | 奈良の寺社

 2013.03.23(土)、奈良県の北西部の古寺を尋ねているが、今日5番目の寺は、紫陽花で名高い「矢田寺」の近くにひっそりとたたずむ古寺だ。 

「東明寺」  (とうみょうじ)

      真言宗   鍋蔵山

       大和郡山市矢田町2230

       境内自由、駐車無料

矢田寺(金剛山寺)の北方、矢田丘陵の中腹に位置する。当寺は、持統天皇7年(693年)、舎人親王により開基されたと伝わっている。

矢田村の惣鎮守であった矢田坐久志玉比古神社の神役を江戸時代には勤めていた。

 

「本堂」

歴史はかなり古く、かつては栄えたであろう寺ながら、今は訪れる人も見当たらない。

 

「ツバキ」

 

「バイモユリ」

 

記事は写真のみで、ストーリーも何もないが、尋ねたと言う記録、どんな寺であったかの記録を残したいので、敢えて掲載させて戴いたもの。読み飛ばし歓迎。

 

この後御一行様は、更に南下して「松尾寺」に向った。 

 

ここを訪れたのは随分前のことであるが、題材によっては公開時期が遅れるとその価値が一段と下がると思うので、季節感の少ない記事は、公開を先延ばしさせて戴いたからなのであり、ご理解を賜りたいのである。

 

 


889 花ざんまい④ フクシア

2013-04-16 08:00:00 | 公園の花

 今は野に花の無い時期、今日はなばなの里にある温室(ベゴニア館=入場料¥1000)に入り込み、人出が少ない事をいいことに、木工で自作の車輪付きの”カメラキャリヤー”なる物を持ち込み、三脚を立てカメラにはマクロ撮影専用の「リングフラッシュ」まで付けて撮影をしている。

 ここは温室なるが故に、葉の隙間などに背景のガラスなどが写り込む。その為に撮影は逆光状態となり、花には影が入り込む事が多い。この場合普通は「露出」を増やして、陰で暗くなった部分を明るくするが、そうすると他の部分まで明るくなり”露出過度”状態になってしまう。

そんな場面に「リングフラッシュ」と言う、レンズの外周から光を発する特殊なフラッシュを使うと、その影は無くなり、適正露出が得られる。つまり、花の部分を重点的に”より明るくする”事で、背景との明るさの差を大きく出来るのである。

マクロないしは超マクロ撮影では、極端に被写体(花)に近づくから、被写体と 背景との距離が相対的には遠くなり、且つ明暗差が大きくなる事で”真っ黒な背景の写真”になるのであるが、ここでは逆光状態であることと、花と葉が接近しているために、真っ黒とはならないが、逆にこの方が不自然に黒くならないメリットもあり。

しかし、フラッシュの明かりは花に重点的に当ててるとは言うものの、葉にも当たるし、幾分”絞り”込んでいる関係で、背景をボカすどころか、かなり邪魔な存在となってしまったのは残念なことであった。この辺りは更に検討し改善しなければと思うのである。

 

「フクシア」

「フクシア」を”ホクシア”と呼ぶ人もいるが、これは一部の園芸店で目新しさを付けるために、あえて付けたのか、又は、訛って読んだと言う説があるようだ、なお、スペルは Fuchusiaである。

 

なばなの里での”花ざんまい”はまだ終わらない、次は”あまり見かけない花”をお届けする。