木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

丑寅会の旅-5リムで打ち上げ (No 2131)

2019-12-06 08:00:00 | 旅行記

  丑寅会が一年売りに、お泊まりの旅をしたが、足腰のへたりが激しいからか、観光地などはどこにも行かずに、ゆっくりのんびり心ゆくまでの、旅行になった。 そのこともあり、近鉄鳥羽駅に昼頃到着した。

  そして、鳥羽駅を12時すぎの、特急で帰ることになった。 下は帰りの特急列車は、通常の横に四人掛けとなる。

 

 往復特急電車で伊勢志摩まで行き、ホテルに宿泊のみで、観光地の一つにも行かなかったのは、始めてのことであったが、少し勿体ない感じもするが、老人ばかりの旅故に、仕方が無いかも知れない。ただし、遠くから来る人には、効率が低すぎて敬遠もあるかと思ってしまう。

 

 

 富州原駅近くでみえたが、実が赤く熟して見事であった。名前が出てこない・・・。

  

 

  いつもの「りむ」にやってきたのは、八名であった。

 

 食事(ランチ ¥800)の後、カラオケを6~7曲歌って、16時ころ解散となったので、電車で帰った。 こうして、二日間、今日も生きていて良かったと思うのであった。 みんな、ありがとう!。 またねー!。

                             完


丑寅会の旅-4タオヤ (No 2130)

2019-12-04 08:00:00 | 旅行記

 丑寅会の10名が、2019.11.21から、鳥羽市にある「たおや」という、かつては高級ホテル出会ったところを、大江戸温泉物語グループが買収したらしく、今年の4月から、格安で泊まれるようになったので、やってきたのであった。

  ホテルの概要は前回書いたので、今回はそのアクセサリーと、旅の記録とすることにした。 通常大江戸温泉物語は¥10000前後で泊まれるが、ここは少し高く、我々は¥12000ほどであった。

 

 男子4名の部屋。 ツインベッドに二つ加えたので、かなり狭いが・・・

 

 

 夕食もバイキングhポウ式であるが、食べ物の種類が非常に多く、ひと箸筒でも、全てを食べる事は、到底不可能なくらいに、種類が多い。 風呂場(BF)に設置されたビール販売機は無料である。(食道のは有料) 

 

 帰路、記念撮影に美人二人が応じてくれた。

 

                          つづく

 


丑寅会の旅-3タオヤ (No 2129)

2019-12-02 08:00:00 | 旅行記

 昭和25年3月に、四日市市羽津小学校を卒業した同級生の仲良しが、丑寅会と称して、毎月食事会をしているが、泊まりの旅は年に一度になっている。 昔から鳥羽市にあり、最近「大江戸温泉物語グループ」が買収したらしく、大変に安いのでやってきた。  

 

 「たおや」   鳥羽市浦村町1826 

 

  エントランス

 

 速く着いたので、しばし、ラウンジで休息。

 

 手前の盛り上がりは、水晶か?。

 

 ピアノの生演奏を聴くことができた。

 

 売店。

 

 外に出てみた。

 

 小さな砂浜があり、夏はここで一泳ぎできそう。

 

 海側(東側)から見た、ホテル。

 

 

                           つづく

 


丑寅会の旅-2近鉄鳥羽駅 (No 2128)

2019-11-30 08:00:00 | 旅行記

  2019.11.21(木)、丑寅会の面々10名が、四日市駅から一時間余り乗り、12時48分着の近鉄特急で鳥羽駅到着した。 思い返して見ると、私は大昔にJRで来たことはあったが、近鉄電車で来たのは始めてのことであった。

  今から、60年以上前には、近鉄線は無く、国鉄の参宮線でやってきて、鳥羽駅の近くにあった、電気機器製造の「神鋼電機」に見学に来た記憶が蘇った。勿論それを思い出す物は何も見付けられなかったが、懐かしい昔を思い出していた。

 

 「近鉄・鳥羽駅」

 

 

 我々が乗車して来た「近鉄特急・伊勢志摩ライナー」 (特急券 ¥1340)

 

 改札口 

 

 ホテルからのお迎えバスがくるまで、しばしここで休憩。

 

 

 

 懐かしい場所でもあり、周りを歩いてみるが、記憶に残る物は何も無かった。

 

 近鉄鳥羽駅、東口。

 

 

  ホテルからのお迎えの小型バスが2台、時間通りにやってきた。

 

  ホテルまでは、約30分ほどかかるらしい。

 

                         つづく

 

 


丑寅会の旅-1近鉄特急 (No 2127)

2019-11-28 08:00:00 | 旅行記

 2019.11.21(木)、今日は高齢化が進行して、年一回になった、丑寅会の旅行日である。 近鉄四日市駅に11時に集合し、同駅11時39分発、賢島行き特急「伊勢志摩ライナー」に。女子6名、男子4名が乗り込んだ。

  早速、男子はビールで乾杯し、談笑に花が咲いて、近鉄鳥羽駅までの、約1時間余り、時間の経つのを忘れたのであった。(下の写真は鳥羽駅到着時)

 

 

  ゆったり優雅な3人掛けシートにご満悦の面々。

 

 

 

 

 予定通り、12時50分ごろ、近鉄鳥羽駅に到着した。

 

                           つづく


獅子会が行く・道の駅美杉 (No 2070)

2019-09-19 08:00:00 | 旅行記

 2019.09.17(火)、三ヶ月ぶりに、食事会という名の集まり(以降「獅子会(四日市工・四人の会)と称す 」が、三重県中部の三杉町周辺で開催した。 この辺りは、私が現役時代の最後を飾った会社がある地域でもあり、懐かしい地域でもある。

 今日も、友が運転するクラウンに乗せてもらい、9時20分頃、菰野町を出発し、東名阪道、伊勢自動車道を経て、芸濃ICで降り、一般道を三杉町方面に向かった。 中には私が車で通勤したグリーンロードなどを走り、木々の緑がことさら美しい、三杉町にやってきた。

 

 「道の駅・美杉」 

 

 まずは、休憩を兼ねて道の駅に来て、この辺りの名物ともいえる、川魚の甘露煮や「いぶり焼き」などを購入した。

 

 

 

 以前なら、日曜大工のために、材木を買う場面ではあるが、今にも買いそうになるのを、無理矢理押さえ込んで、素通りしたのであった。

 

 このくらいなら、材料さえ揃えば作る事が出来るなあと思ったりしつつ・・・。

 

 

 

 

 

 今は午前11時半頃であり、そろそろ空腹感が表面化しつつあるが、この辺りはそれらしき店は全く見当たらず、カウンターで聞いてみると、次の目的地の近くにあるというので、ならば丁度よしとして、そちらに向かったのであった。

 

                             つづく

 

 


50年前を思い出して (No 2028)

2019-06-08 08:00:00 | 旅行記

   2019.05.24(金) 好天に恵まれたが、5月にしては極めて暑く、真夏なみを感じるほど。 地区の自治会の松寿会(老人会)主催の日帰りバス旅行として、大阪万博記念公園に来たので、その最終編を掲載する。 なお、過去の掲載分は・・・

 ① 阪急ホテルで昼食
 ② エキスポランド前で集合写真
 ③ 水族館ニフレルを駆け足見学
 ④ 広い公園を一直線に進む(自然文化園)
 ⑤ バラ園
 ⑥ EXPO70パビリオン 

 

 その最終編は・・・

 「夢の池」

 何故こんな名前が付けられたのかは知らないが、古い昔の事を思い出して、夢の中に展開する場所と解釈することにした。 夢に出てくるのは。1969年(昭和44年)ごろ、約半世紀前の事である。私には忘れることが出来ないことなので、ここに思い出した事と現実を合わせて書こうと思う。

 下の写真を何も知らない人が見たら池の真ん中に何故箱が?と思うに違いない。 これは実は噴水なのだと言っても、まだ頭を傾げるひとが多いと思う。 これは50年前ころ有名であった「イサム・ノグチ」という芸術家がデザインした噴水なのである。 

 

 

 半世紀前に私が撮ったフィルム写真をスキャンして見るとこうなる!。 後方にモノレールが通っており、逆方向から撮ったものであるが、まっすぐ下に向かって大量の水が噴出しているのである。池の中には、210KWの水中モーターが四台も入っており、そりゃあでっかいわ!。

 この水中モーターは、当時では作った一番大きい機種で、東京都水道局には当時でも20台くらい納められており、私は品質管理を担当していたから、再々出張した事もある。家庭や工場に水を送るモーターを噴水に使う事に違和感はあったが、そんな事を言える立場でもなかった。

 

  水が満水状態ではこうなるが・・・

 

 水の中は下のようになっており、人の何倍も大きいことが解ると思う。 このモーターの中には藻などが発生し難い薬品の入った水道水が入っており、冷却と潤滑を担っているが、このことはメリットも大きいが、重大な欠陥を助長することになり、非常に難しい機種なのであった。

 下の写真で私達の仕事は、モーターを据え付け後、池に水が入る直前に来て、先ず、トラムカンから水を注入する。冬場に向かうからモーターの中の水が凍結すると破裂するので、外周に断熱用の毛布を巻き付けるが、徐々に池に水が入るから、水上から簡単に順次取り外せるように何層かに分けて巻き付けた。

 そして、池の水の水位を常時観察しつつ、ゴムボートを持ってきて、断熱材を下から順に少しずつ取り外したのであった。 一度、途中で池の水を抜かねばならないとの情報が入った。そんな事は想定しておらず、かなり慌てたことを覚えているが、それは無くてほっとしたものであった。

 

 

 下の箱も実は噴水であり、その下のように水の芸術(?)が展開される。

 

 下の物は当時は別の場所に合ったが、ここに集められたものらしい。これも池の中に水中モーターが据え付けられている、いずれも現在の噴水とは随分違う構造なのであった。

 

 

 これも当時は据え付け場所が違っていた。

 

 結局、一台も水の出る姿を見ることはなかったが、若かりし頃、頭を絞り、苦労し、そして期間中無事水が出ることを祈った事も思い出し、懐かしさと共に、今は何も考えることもなく、ボーっと生きていることを思い、チコちゃんに叱られないかと・・・!。

 これにて初の自治会旅行記を完結とするが、私の人生の中で、重要なポイントとなる、大阪万博会場に来て、昔に夢を走らせる事が出来、とても嬉しく思っています。 会の役員さん、そして同行の皆さんありがとうございました!。

 

 

 

 


EXPO70パビリオン (No 2029)

2019-06-06 08:00:00 | 旅行記

   2019.05.24(金) 好天に恵まれたが、5月にしては極めて暑く、真夏なみを感じるほど。 地区の自治会の松寿会(老人会)主催の日帰りバス旅行として、大阪万博記念公園に来たので、その一部始終を紹介する。

 ① 阪急ホテルで昼食
 ② エキスポランド前で集合写真
 ③ 水族館ニフレルを駆け足見学
 ④ 広い公園を一直線に進む(自然文化園)
 ⑤ バラ園

  そして今回は・・・

 「EXPO70パビリオン」

  私がこの地に、思い出を残してから、もう50年になる。 実に半世紀前の事であるが、私には昨日のことのように今でも鮮やかに蘇るので、ここも二番目に来たかった所、つまりは、半世紀前の当時の面影を求めたのであった。 入場料 ¥250。

 

 余りにもここまでの時間経過が長かったのか、また、ここに来てノスタルジーを求めるのがいけないのか、ここには私の追い求めるものは何も無かった。

 

 下は、関係の無い展示物。

 

 実際に見たのは、このパビリオンが最後であったが、編集の都合上、先に掲載し、今回の旅のもう一つの目的物については、次の最終編にゆだねる。

 

                       < つづく >

 


万博記念公園・バラ園 (No 2027)

2019-06-04 08:00:00 | 旅行記

   2019.05.24(金) 好天に恵まれたが、5月にしては極めて暑く、真夏なみを感じるほど。 地区の自治会の松寿会(老人会)主催の日帰りバス旅行として、大阪万博記念公園に来たので、その一部始終を紹介する。

 ① 阪急ホテルで昼食
 ② エキスポランド前で集合写真
 ③ 水族館ニフレルを駆け足見学
 ④ 広い公園を一直線に進む(自然文化園)

 今回は、今が盛りの「バラ園」である。 

 

 

 

 ここを右(北)に進めば私の大好きな日本庭園であることは承知しているが、もう既に足腰は限界が近いと言って居るので、入れば、ついのめり込む私のこと、残念ながら日本庭園はあきらめて、私がここに来た目的のものを見るために、若干の余力を残したのであった。

                            < つづく > 


万博記念・自然文化園 (No 2026)

2019-06-02 08:00:00 | 旅行記

   2019.05.24(金) 好天に恵まれたが、5月にしては極めて暑く、真夏なみを感じるほど。 地区の自治会の松寿会(老人会)主催の日帰りバス旅行として、大阪万博記念公園に来たので、その一部始終を紹介する。

 ① 阪急ホテルで昼食
 ② エキスポランド前で集合写真
 ③ 水族館ニフレルを駆け足見学

 

 そして今回は、「自然文化園」にはいる。

 

 

 真ん中を走る、中国縦貫道を越えて・・・

 

 中央口からははいる。 ここで入場料 ¥250をはらう。

 

 ゲートを入ると、目の前にシンボルタワーがそびえる。

 

 新緑の美しい公園内を隈無く見たいが、残念ながら足腰が弱った今は無理は禁物、万が一他の人に迷惑を掛けないためには、望みを縮めて安全運転、集合時間はきっちり守りたいから、広い自然公園内を中央の通りをまっすぐに歩くのみであるのは、大変悲しいし勿体ないが、止むを得ないこてであった。

 それならば、入場料払ってまで入らねばよいと思うであろうが、私には今回この旅行に参加した目的のもうひとつが、この自然公園にあるはず(未確認)であり、それさえ見れば、 ¥250は安いものだと考えて居るからである。

 それは一体何であろうか?。 それは、池に関係があるので、大きな池だけは絶対見ようと、痛い足を引き摺りつつも一通り見て回ったのであった。

 

 メイン会場の構造物が、僅かに原型を止めるだけの展示となっていた。(下)

 

 日本民芸館

 

 太陽の塔の裏側。

 

 立体的な迷路らしい。

 

 

                       < つづく >

 

 


水族館ニフレル (No 2025)

2019-05-31 08:00:00 | 旅行記

  2019.05.24(金) 好天に恵まれたが、5月にしては極めて暑く、真夏なみを感じるほど。 地区の自治会の松寿会(老人会)主催の日帰りバス旅行として、大阪万博記念公園にやってきた。ホテルでの昼食、記念公園での記念撮影のあと、チケットを受けとって水族館に入った。 

 通常、入場券は¥2000であるが、ツアー参加者は旅行代金¥9000に含まれる。

 

  「水族館ニフレル」

 ニフレルとは「感性にあるれる」という意味があるようであるが、じっくり味わって居る暇はないので、大急ぎで駆け抜けた。

  「ヒトデ」のようだ。

 

 後の茶色のものの色を反映して、「トカゲ」の背中が同じような色になってるが、これが緑色に変ると背中も緑になった。

 

 ガラス越しながら、目の前で見る「ワニ」は流石に迫力満点だ!。 

 

 私には、この万博会場には特別の思いがあり、是非それを見たいので、先を急いだ。

                        < つづく >

 

 

 


大阪万博記念公園 (No 2024)

2019-05-29 08:00:00 | 旅行記

  2019.05.24(金) 好天に恵まれたが、5月にしては極めて暑く、真夏なみを感じるほど。 地区の自治会の松寿会(老人会)主催の日帰りバス旅行として、大阪万博記念公園に来て、ホテルで昼食を取った後の行動を記する。

  1970年に開催された、大阪万博のシンボルが中国自動車道を挟んだ北側に見えるが、そこは別になり、別途入場料を払ってはいらねばならない。しかし、今は、万博記念公園と称する所にいて、水族館に入る前に、集合写真を撮るところである。

 

 2号車の30名。 概略団地の西半分の人達。

 駅前、概ね中央道東側の人々。1号車。

 

 

 

 これが、この後入る「水族館ニフレル」。

 

  その後で入る「自然文化園」

 

                    < 続く >


自治会の旅行に初参加 (No 2023)

2019-05-27 08:00:00 | 旅行記

 当地区の自治会に松寿会(老人会)があり、その年齢になった時点から会員になって、会費は払い続けているが、その行事には一切参加していなかった。 参加しない理由は、老人と言われる仲間に入りたくはない、自分は老人と思いたくもないということからであった。

 また、自分の車で好きなところに、時間の許す限りいくらでも見て回る自由度100%の気楽さを活用していたが、 高齢者の事故例が次々と報道され、運転許可が出なく成り、しかし、行きたい気持ちに変わりは無く、かといって友の好意にばかり甘えては居られなくなってきた。

 そんな時に、老人会の旅行案内が来たし、最近は参加者が減少してきたとの情報もあり、初めての参加を試みたのであった。 体力の衰え、足腰が弱った今は、メンバーに迷惑を掛けないで済むかの心配が無いわけでは無いが、参加したいと腹を決めた。

 1000軒はある自治会ではあるが、日頃のお付き合いが無いので、知ってる人は極僅かであるが、今後の活用を求めて参加を試みたのであった。 全線バスで食事付、大阪万博記念公園の水族館入場料(¥2000)込みで¥9000であった。

 本日の参加者は61名でご夫婦が多いし、意外と男性の参加が目立ち、合計では男女半々のように見えた。 家の直ぐ近くで乗車できるのが、何よりも有り難かった。大型バス二台で、ゆったり載せて戴いた。

  我が家から5分以内で、新名神道の菰野ICに行けるようになったことも、有り難いことであった。 9時丁度に出発し、11時に到着の予定が、新名神道路の工事で片側通行区間が長く、40分ほど到着が遅れた。   2019.05.24(金)

 

 「ホテル阪急エキスポパーク」

 ここが集合場所兼食事場所である。

 

 お客は我々の他には多く無かったが、バイキングの食べ物を取る場所が、極端に狭くしばし順番待ちが必要であった。 味は悪くはなかったし、成りは一流だかた、こんなところで減点になるようなことをしなくてもと思いつつ・・・。

 

 

 我々は北側の玄関(万博会場側)に着いたが、ホテルは傾斜地のあるらしく、南側の玄関は2Fになっている。 下はそのエントランス。

 

 南玄関前のカーポート。

 

 上のエントランス右側のラウンジから見た庭。

 

 

 我々が乗ってきたバス。 

 

 万博記念公園に到着後、直ちに昼食(バイキング)を取り、13時にロビーに集合し、公園に入ることになった。

 

                          < 続く >

 


丑寅会・伊勢志摩 (No 1905)

2018-12-01 08:00:00 | 旅行記

 昨年に続き、今年も「丑寅会」の年末は伊勢志摩の「大江戸温泉」に宿泊することになった。 2018.11.26(月)四日市の近鉄「霞ヶ浦駅」に13時すぎに、迎えのマイクロバスがやってきて、総勢18名(男女各9名)が乗り込んだ。 

 13時30分頃、東名阪道を伊勢方面に向かった。 発車と同時におしゃべりとアルコールにびったり浸かったのであった。 出席者の多くが、足腰に問題をかかえているので、トイレ休憩として、伊勢自動車道の サービスエリア以外には一切寄らず、一路邁進した。 

  そして、15時40分ごろ、目的のホテルに到着した。

 

 マイクロバスは車内禁煙のため、タバコ愛好家は到着したら、まず一服・・・!。

 

 幹事さん、いつもお世話下さるから、愉しませて貰えるのです。 ご苦労様です。 そしてありがとう!。

 

 バイキング方式の夕食。 ここは安いのに、結構美味しいので、取り過ぎてしまい、残すのは勿体ないと思い、つい食べ過ぎるので、今回は少量ずつ取り、食べたら取りに行くようにしたから、食べ過ぎることはなかった!。 その代わり、イカの塩漬けばかり食べていた!。

 飲み放題と言うから、飲み過ぎないよう気を付けていたにもかかわらず、楽しさの余りに、やっぱり飲み過ぎた。 しかし、おしゃべりや歌う事で発散することが出来たので、酔いすぎることなは成らず、楽しさを堪能できた!。

 

 そのあとは、2時間たっぷりカラオケに浸かった。  

 どこで習ったのか知らないが、みんなお上手!!!。 

  カラオケ大好き人間の私も、声変わり(?)でおかしくなった喉を振り絞り、下手丸出しながら、目一杯歌わせて貰い、久々にすっきりしたが、聞いてる人には、迷惑な事だったろうなあと、反省するも最早遅いわなあ!。

 

 翌朝、太平洋を登るお日様に、カメラを向けた。 今日も天気晴朗、波はなし・・・・!!!。 

 

 10時半ごろ、ホテルを出発し、嬉野SAでトイレ休憩の後、12時40分頃出発地の霞ヶ浦駅に到着し、解散となった。

 幹事さん  今日もありがとう!。 
       来年も期待してますからね!。(生きていればね)

 


  


1696 小学同級生達と

2017-12-21 08:00:00 | 旅行記

 私は父の転勤で、四日市市の羽津小学校に、5年生の二学期から転入し、山手中学校を卒業するまで机を並べた友がいる。 上記同じ理由で小学の6年間に6の学校を転々としたが、その中でここが最も長く、幼少時代の最後であったからなのか、ここが”ふるさと”の思いがある。

 この仲間には、40年間に渡って、幹事役を担ってくれる男がいるお陰で、今でも年一度は何らかの形で集まっている。 しかし、寄る年波には勝てず、行事への参加者が減り、内容も体力格差が大きくなり、好みがひとつにまとまり難くなってきた。

 それでも、何とか集まり、おしゃべりだけでもとの、希望があり、今回が最後か?などとと言いつつ、2017.12.17~18に、泊まりがけで、伊勢志摩(浜島)に出掛けたのであった。 今回の参加者は男子8名、女子9名で、人数は5名減少し、内容は昨年と同じく、ホテルに泊まるだけであった。

 13時に近鉄霞ヶ浦駅前を、ホテルのバスにて、四日市東インターから、西名阪、伊勢自動車道を走り、嬉野PAにてトイレ休憩をして、その後、10分ほど走り玉城ICで降り、一般道を浜島に向かった。

 ホテルに着いたご一行様。

 

 出るとき、三重県北部は細かい雪がちらついていたので、車で出るのを止めて、久しぶりに近鉄電車を乗り継いでやってきたが、浜島に来てみると、さすがは南北に細長い三重県の南部は晴れて、海がとてもきれいであった。

 

食事は朝夕共に、バイキング方式、アルコールも飲み放題。

  この年になると、体に傷のないものは殆どいなく、それぞれ何らかのメス跡を体に残し、歩くことさえままならない者もいるので、この状態では、折角、風光明媚な伊勢志摩に来ても、立ち寄ることもままならず、元気で逢えた事だけを満喫する一夜であった。

 食事後、カラオケ部屋を二つ借り、これが歌う最後かもと思いつつ、喉が壊れるかもと思うほどに、大きく声を出し、私なりに心を込めて、歌いまくったのであった。帰ったら、声がかすれていると言われるほどに、久しく発散したのであった。

 このあと、部屋に入り、直ちに眠るものもいたが、おしゃべりに花が咲いて、私たち数名が床に床についたのは、12時を大きく過ぎていた。

 

翌朝、夜明け前。

日が昇り始めた!。

 

帰途につくまえに、ホテルの玄関先にて、全員集合!。

 

 12時半ごろ、霞ヶ浦駅前に到着し、再開を誓って、お開きとなった。

                         おしまい