今から一年近く前に、友達から「悲しみは星影と共に」という昔の映画のテーマ曲を探してくれと頼まれた。 当時は情けないがその検索方法が分からず、単にYahoo検索で探したが見つからない。 止む無くCDなどを売っている店3軒に行きレンタルも含めて探したが見付けることは出来なかった。
この映画は1965年のイタリア映画で、ナチスによるユダヤ人迫害のストーリーで、目の不自由な小さな弟を目の治療にと嘘を言って、姉が連れ出す(収容所に貨物車で送られる)という大変悲しい物語の主題歌であった。 映画の検索は簡単にできたが、音楽のダウンロード方法にその時点では全く無知であり、彼に断ったのであった。
それから数ヶ月、家内のカラオケ練習用にと懸命に音楽のダウンロード方法を模索した結果、曲がりなりにも音楽のダウンロードが出来るようになった。 それで、「悲しみは星影と共に」を検索したら簡単にダウンロードできることが判明し、彼に早速伝えたのであった。
丁度このころは、ブログの“取材“としての行きたいと思う先が無くなってきたのと、老齢化が進み体調も思わしくなく、内に籠もることが多くなってきたのであるが、何かをしなければと思い始めたのが、音楽の検索、ダウンロードであり、暫くはこれに没頭したのであった。
また、老齢化で手術を予定していたので、病院での時間つぶしにと最初はパソコンがあればいいわ!、と思って居たところ、キーボードが故障し修理は内部のボードの取り替えを要し、高価になると聞いたので、修理を止め、ノートパソコンはキーボードの購入で使えるが、病院に持ち込むのは荷物が多くなり苦しいと感じた。
そこで、入院中は音楽で持て余す時間つぶしにと考えたのであるが、この考えはかなり甘かった。 老化してはいるが健康な体への手術だから、暇を持て余すだろうと考えていたがこれが大間違い、結果は過去最大の痛みで、パソコンやるどころではなく、ひたすら痛みに耐えるだけの毎日であった。
痛い下半身、横向きしか寝られない、襲ってくる激しい痛みと続く出血で、最初の夜は一睡もすること無く、暗闇の中ひたすら痛みに耐え、ただ聞こえてくる好きな軽音楽に耳を仮すことで痛みを懸命に忘れようとしたのであった。 もしあの時、音楽がなかったら、医者や看護師に噛みついていたかも知れない。
音楽ってこんなにもありがたく、また、癒やされるものかと思ったのはこれが最初で最後かもしれないと、いまでもしみじみと感じるのである。 この過去最大の難儀を受けている時に、僅かな光明を見いだした音楽に心から感謝したので、これが今回開き始めた最大の動機なのである。
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