木燃人の波止場

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914 京都伏見を撮る② 誕生寺 恋塚寺

2013-04-27 08:00:00 | 京都の寺社

2013.04.08(月)、自宅を午前7時30分に出発。名阪道、新名神、名神を極めて順調に走り、9時半頃には第一の訪問先の「城南宮」に入り、ゆっくりとそこを見た後一号線を少し走り、県道222を西へ向い桂川を越えた所にあるのが次の訪問先である。11時丁度に到着。

 

「誕生寺」    正式には「誕生山 妙覚寺」

      京都市伏見区久我元町

      拝観境内自由,    駐車無料 

曹洞宗の開祖道元禅師(1200~1253年)は土御門通親と藤原基房の娘
伊子の子として生まれ、幼少の頃は宇治市木幡の木幡山荘(基房の別荘)
で過ごし、13歳の時比叡山延暦寺で得度している。
出生地には2説ある。
①信仰上の説:京都市伏見区久我の地 現在、誕生寺がある地区
②歴史上の説:宇治市木幡の木幡山荘 現在、(財)松殿山荘がある
といわれているが、詳細は不明である。

誕生寺は大正年代に建立計画が立てられ、昭和57~62年に建立された新しい寺。境内には本堂、山門、稲荷堂、庫裏、座禅堂、鐘楼、水屋等と駐車場がある。

 

少年期の道元像

古寺の積りで来たけれども、小寺と言った方がよさそうではあるが・・・。

 

 「恋塚寺」

      京都市伏見区下鳥羽城ノ越町

      拝観境内自由    駐車場2台無料

 利剣山(りけんざん)と号する浄土宗の寺院である。  寺伝によれば、平安時代の末期、北面の武士遠藤(えんどう)武者盛遠(もりとう)が、渡辺佐衛尉源渡(みなもとのわたる)の妻、袈裟(けさ)御前に横恋慕し、誤って彼女を殺してしまった。  盛遠は己の非道を深く恥じ、直ちに出家して文覚(もんがく)と名乗り、彼女の菩提を弔うため墓を設け、一宇を建立したのが、当寺の起りといわれている。  本堂には、本尊阿弥陀如来像の外、袈裟御前と源渡、文覚上人の三人の木像を安置している。  境内には、恋塚と呼ばれ、袈裟御前の墓と伝える石塔が建てられている。その傍の六字名号石は、法然上人の筆で文覚上人が建立した石板と言われ、この筆蹟は、人倫の大道を教えるものとして、古来より詩歌、謡曲などで知られている。

 

 

 激しい恋物語はよいけれど、人の妻を横恋慕してはいかんわなあ!。挙句の果ては彼女を殺してしまい、その供養にと建てた寺のようであるが、後になっていくら悔やんでもそれこそ、後の祭りの何ものでもないわなあ!。

 

この後は「御香宮神社」に向った。

 

 


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