奈良西部の古寺めぐり(3)
「朝護孫子寺」の法堂や塔頭、仏さんなどは前回紹介したので、今回はその他のものに限定して紹介したい。
「朝護孫子寺」 (ちょうごそんしじ) 別名:「信貴山寺」「信貴山の毘沙門さん」
信貴山真言宗総本山 信貴山
奈良県生駒郡平群町
拝観無料 駐車料¥500(終日)
今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。(寺のホームページ(http://www.sigisan.or.jp/about.html)より、原文のまま、以下同文)
上記のいわれにより、この寺には"寅"の飾り物が多く見られる。下は正門前の駐車場にある"白虎”だ。
白虎とは、中国の伝説上の神獣で、東西南北の守護のうち西方を守護する神獣です。細長い体の白い虎の形をしていて、また四神の中では最も高齢の存在であるとも言われています(逆に最も若いという説もあります)。遷都1300年祭で信貴山が白虎の位置づけとされました。
「大寅」
信貴山をそのインパクトで知らしめることになった「世界一福寅」です
ウイキペディアによれば・・・・
寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた命蓮(みょうれん)という聖(ひじり)の奇跡譚が中心主題となっている。絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴山寺の草創に関する説話が収録されている。(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今昔物語』には「明練」とある。)
平安時代末期に成立した歴史書『扶桑略記』の延長8年(930年)8月19日条には、「河内国志貴山寺住」の「沙弥命蓮」が醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったことが見える。なお、当時醍醐天皇の病気は相当進んでいたようで、1か月後の9月29日に死去しており、この点は説話と異なっている。なお、信貴山は大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境に位置し、朝護孫子寺の住所は奈良県であるが、『宇治拾遺物語』『扶桑略記』には「河内の信貴(志貴)」と表現されている。
以上のことから、醍醐天皇の時代、平安時代中期の10世紀頃には信貴山に毘沙門天を祀る庵があり、修行僧が住んでいたことは首肯される。当寺の創建について、聖徳太子を開基とする伝承もあるが、これは太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をした際に、自ら四天王の像を刻んだという伝承に因んだ後世の付託と思われる。伝承では、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したことから、594年(推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に虎の張り子が置かれているのは、その逸話に由来している。その後、902年(延喜2年)に醍醐天皇が、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺としたことから、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。
戦国時代には木沢長政が信貴山頂に信貴山城を築いた。1577年(天正5年)に同城の城主・松永久秀と織田信長の間で信貴山攻防戦が行われて久秀は滅亡し、寺も消失するが、豊臣秀頼によって再建された。現在、山頂には同寺の「空鉢堂」があり、本堂付近から参道で連絡している。
「聖徳太子像」
日本を代表する彫刻家、北村西望作の馬に乗る聖徳太子像です。またこの近くには、日本最初多聞天出現霊地の石碑があります。 (寺のホームページより)
商魂たくましく(?)色々なアイデア商品が売られていて、信心深い人はつい買ってしまいそう。我が撮影助手もお守りを買うはめに・・・・。
随所に売店があり、思い付けばいつでも直ぐに買えるよう、便利(?)にしてある。
この寺には一体幾つの賽銭箱があるだろうか?、相当なものである。ついに小銭がなくなり、私の財布まで当てにされる程に何度も何度もお祈りをしたのであった。
以上二回にわたり寺や付属品を紹介して来たが、ここで写真にしたのはほんの一部に過ぎない、恐らくこの倍以上はあるので、ゆっくり見学すれば、一日を過ごすことが出来る所である。
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奈良北部の古寺めぐり(2)
2012.06.22(金)、梅雨の間の貴重な晴れ間を大阪との県境に近い、奈良の西部「平群(へぐり)町」あたりに来て、「達磨寺」を見た後は、霊験あらたかな山「信貴山」の中腹にある寺に向った。「生駒山」とも近く一度は訪れたいと思っていた所である。
「朝護孫子寺」 (ちょうごそんしじ) 別名:「信貴山寺」「信貴山の毘沙門さん」
信貴山真言宗総本山 信貴山
奈良県生駒郡平群町
拝観無料 駐車料¥500(終日)
お寺ながら、駐車場前の入口は「鳥居」が立つ。
「朝護孫子寺」について
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。 (寺のホームページ(http://www.sigisan.or.jp/)より原文のまま、以下同文)
この山が「貴信山」標高437m、この西(左)を超えて「信貴生駒スカイライン」をまたげばそこは大阪府八尾市だ。山の中腹にあるのが「本堂」だ。
信貴山
今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。
「本堂」の入口
本堂は文禄年中(1592)豊臣秀吉の再建、または慶長7年(1602)秀頼の再建とする説があり、定かではありません。後に修復を加え、延享3年(1746)に完成しました。然るに、昭和26年(1951)不慮の火災で焼失し、同33年(1958)に再建、現在に至っております。
「本堂」南側の舞台。ここも本堂内は撮影禁止であった。
「成福院」
成福院は信貴山真言宗の大本山であり、信貴山内の中心に位置し、歴史伝統ある信貴山において近代的センスを兼ね備えた宿坊寺院です。成福院融通殿には、後嵯峨天皇が御念持佛とされていました、諸々の願いを意のままに叶えて頂ける「如意宝珠(如意融通宝生尊)」をお祀りしており、また左脇侍に厄難消除の不動明王、右脇侍には立身出世の弘法大師をお祀りしております。
「玉蔵院」
信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「玉蔵院」。浴油堂、玉蔵院融通堂、三重塔阿閦如来、日本一大地蔵等が祀られています。その他、約250人までの宿泊ができる玉蔵院富貴閣や、茶室古厘庵があります。
「多宝塔」
祭壇に大日如来を安置されています。坐像丈三尺、説に恵心僧都作とすることから、古くは天台宗との関わりがうかがえます。元禄2年(1689)に建立、明治15年(1882)に修復しました。
ここは「信貴山」の南側急斜面に造られた寺であり、平らな所は少ないようであるが、そこを殆ど隙間無く多数のお堂や塔頭、仏像や各種お祈りの場、記念碑などなどびっしりと隙間無く配置されている。また色々な角度からの嗜好(?)に満ちた商品(?)をあちこちで販売する場所があり、かなり商売熱心なお寺と感じた。
そのためにか、写真はこれでもかなり厳選した積りではあるが、とても一度では紹介しきれないので、今日の所は「寺」そのものをお見せし、次回にはちょっと面白い”アイデア商品(?)”などを紹介したいと思っている。
<< 続く >>
昨年は花に対する、執着心も愛情も何処かに飛んでいたが、今年はその反動が来て、週に何回も園芸店に出掛けて、そのたびに買い続けている。ただでも狭い庭はもう足の踏み場もない始末。昨年はどんどん空になる植木鉢が山をなしていたが、今年は用土と共に買わねば足らならなくなって来た。
その結果、花図鑑も640種を超え、中身も若干ながら充実してきたが、それがまた励みとなって、更に買い求めるという、悪(?)循環をまねいているのだ。花を植え育てる方に頭も体も向いているために、疎かになって、マンネリ化のブログを見て戴く方々を減らしているが、一向に改善出来てないのである。
「マイクロアスター (店頭表示のまま)」 我が庭、我がブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-650.html
切り花用として、母が昔よく植えていたが、その”マイクロ版”が出現したので、飛び付いた。
「ハナショウブ」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-268.html
本来なら花後に植えかえして、来年に備えるのであるが、昨年はそれどころでは無く、そのままにしていたので、ご覧の通り、見事にダイエットに成功(?)スリムな花となったしだい。
「ペティ・ダブルピンク(店頭表示のまま)」 我が庭、我がブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-649.html
「サルビア」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-58.html
夏の花の常連であるが、今年も狭い花壇の片隅を飾るために購入したもの。
「ダーベルグ・デージー」 我が庭、我がブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-648.html
「ブルーサルビア」 我が庭、我がブログ初登場
園芸種には違いなさそうであるが、サルビアの仲間にこんな色があるとは知らなかった。
「セイロンライティア」 我が庭、我がブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-651.html
「ガウラ」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-621.html
過去は植物園でしか見られないと思っていた花であるが、最近は園芸店に並び高く無いので、初めて買ったものである。珍しさあるのみであるから、来年は保証されないのは少し可哀想なのだが・・・・。
「ジニアリネアリス」 我が庭、我がブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-647.html
「ルーズラルシウス」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-315.html
「トキソウ」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-139.html
この花もたったの一輪しか咲かなかった。これも昨年植え替えをさぼったための犠牲者なのだ!。
「コウホネ」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-119.html
今春、がっちり植え替えたし、メダカ達がしっかり守備をしてくれているから、どんどん咲くだろうから、これからが楽しみである。
このブログ、何とか活性化を図りたいが、どうすればよいのか、その糸口さえも見出せず、今日もワンパターンで終わってしまったが、ご勘弁を戴きたい。
<< 続く >>
奈良西部の古寺めぐり(1)
奈良には一体幾つの寺があるのかは全く解らないが、いつもの私の独断と偏見で選んだ80余りの寺を、生きてる間に全部を廻ろうと以前から考えていて、効率的に見て回る計画表だけは予てからきっちり出来ている。
最近ブログの最大のネタとしている「花」が少ない時期になって来たので、どうするかを思案していた所、梅雨の晴れ間を見て、撮影助手が急に何処かに行こうと言い出したのでこれ幸と乗ったのだった。(2012.06.22 金)
それも朝食を終わってからであるから時間が無いから、行動計画が出来上がっている所に限定される。前回は京都、ならば今回は奈良、奈良なら西部(平群町)と瞬時に決まった、言い出したのが8時からの”朝ドラ”が終わった後だから、急いで水筒にお茶だけ詰めて出掛けたのは8時40分を過ぎていた。
東、西名阪を走るのだが、カーナビは盛んに"道路工事で交通規制中”とか"〇Km先渋滞あり"とか言うが何もなく、通行無料の名阪も100Km/hを超えて走る事が出来る。"速度違反取り締まり中"の表示があるがお構いなし、覆面パトを2台見たが全て反対車線で10時には、「香芝IC」を降りる事が出来た。
「達磨寺」 (だるまじ)
臨済宗南禅寺派 片岡山
奈良県来た葛城群王寺町
境内拝観無料 駐車無料(数台)
この寺の創建については、推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山で飢えていた異人に衣食を施したという片岡山飢人伝説にからめて語られる。その後は、衰退と中興が繰り返され、江戸時代には幕府から30石が与えられた。
片岡山飢人伝説とは、『日本書紀』の推古天皇21年(613年)12月条[1]や『元亨釈書』に見える次のような話である。聖徳太子こと厩戸皇子が片岡山を通りかかったところ、飢えて瀕死の異人に出会った。太子はその異人に当座の寒さと飢えをしのぐため、食物と自分の衣服とを与えた。翌日、使いをやって異人の様子を見に行かせたところ、すでに息絶えていたので、丁重に葬った。それからしばらくして墓の様子を見に行かせると、死体は消えており、衣服だけがきちんとたたまれて、棺の上に置かれていた。これを知った里人は、あの異人は達磨禅師の生まれ変わりに相違ないと言い、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりであるという。
達磨寺の境内には達磨寺1号墳・2号墳・3号墳と称される3基の古墳(6世紀頃の築造)が存在し、このうちの3号墳の上に本堂が建てられている。この古墳は平安時代には聖徳太子ゆかりの達磨禅師の塚であると信じられていたようである。寺院としての形態が整うのは鎌倉時代以後と思われる。
堂内には国の重要文化財があるようだが、無断では入る事は出来なかった。
名前が解らないが、美しい葉が目を引く。
「キョウチクトウ(夾竹桃)」 白い花は本ブログ初登場
この辺りは法隆寺にも近く、聖徳太子にまつわる寺院は多いが、これより一度尋ねたいと予てから思っていた「信貴山(437m)」の山腹にある「朝護孫子寺」に向う。
<< 続く >>
今日も散歩は町内を片道3Km程(往復で約7~8千歩)を、カメラを持って歩き、道路脇に咲いてる花を撮らせていただいた。カメラは重いので、標準レンズは負担がきついから、もっとも軽い「60mmマクロ」に限定し、三脚はもっと重いから遠慮せざるを得なかった。
このレンズは焦点距離は短いので当然焦点深度が深いから、背景のボケには弱い、世に言う"図鑑的”写真となるが、主に図鑑に使う写真であるから”ぴったりなのだ。また、このレンズは近接撮影が可能で「等倍」の写真がとれるから、被写体にぐんと近づけば、かなりボカすことも出来て重宝している。
「コンボルブルス」 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-639.html
「ルドベキア」 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-643.html
「ティカカズラ」 (定家蔓) 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-646.html
垣根などによく使われている植物ではあるが、キョウチクトウの仲間であるから、樹液には毒があるそうだが、芳香がすると言うが、残念ながら私の感度の低い鼻には届かなかった。
「ブラシノキ」 別名:キンポウジュ
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-16.html
下の写真、真ん中が蕾、右が咲き始め、左が咲いた花、正に"図鑑的写真”にピッタンコだ!。
「キュウリ」 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-634.html
"こんなものまで載せて!”と怒らないで下さい。きれいな花ではないですか!。
「オキザリス」 ? 本ブログ初登場
オキザリスの花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-112.html
葉は小さくオキザリスとは異なるが、花は大きいが形が似る。
「ムシトリナデシコ」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-235.html
ピンクは本ブログ初登場。念のために、茎を触ってみたが、名前の曰くの"ネバネバ"はしっかり付いていた。
「ヒメオウギ」 別名:ヒメヒオウギ(姫檜扇)、アノマテカ
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-610.html
白い花があるとは知らなんだ!。
「アスチルベ」 別名:ショウマ、アワモリソウ 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-631.html
遠くで見た方がいいみたい!。
ドクダミに極似するが、確認が出来ない。
葉はそっくり、花びらは八重で途中にシベが覗いている、花芯は形は同じだがかなり小さい、あの独特の強烈な臭いを感じなかったのは、私の鼻のせいか?。
「ウキツリボク」 別名:チロリアンランプ
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-136.html
この色の花は本ブログ初登場。
「オキシベタルム」 別名:ルリトウワタ、ブルースター 本ブログ初登場。
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-632.html
春から初夏への写る時期、暑さ寒さを感じることなく歩く事が出来、最近の3回の散歩がてら撮影したものを、3回に分けて47種類の花を掲載させて戴いた。未掲載の6種を加えると、実に53種の花を撮らせて戴いた事になり、ご近所の皆さまに、大変ありがとうございましたとお礼を言いたい。
調べて見るとこの内25種類が”本ブログ初登場”であり、名前の判明したものは全て花図鑑に登録したので、6月13日現在、累計628種の花を収録することとなり、最終目標の千種に一歩近づいたのであった。
花図鑑インデクスはこちら http://sky.geocities.jp/spdpn334/hana-zukan/hzukan-sn.html
<< 完 >>
今日も最も安上りとなる、ご近所の花を撮らせて戴いた。
花好きとそうでない人がいるので、再々歩いていると、花を好んで作って居られるお宅が頭の中の地図に書き込まれ、おのずと足は花を見る事が出来る方向に向いて行く。回り道をせず効率的にその角を曲がるようになり、あの花が先日蕾だったからそろそろかなあと、期待も膨らみ散歩がたのしくなる。
「フランネルソウ」 別名:スイセンノウ(酔仙翁)
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-645.html
花を初めて植えたのは小学5年のとき、母に教えられて屋敷の畑に朝顔などを植えたのであったが、その時にしきりに咲いていたのがこの花で、母の顔と共に懐かしく思いだす。
「キンシバイ」 (金糸梅)
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-366.html
姓名不詳 本ブログ初登場。
「チョウセンアザミ」は昔、植物園で見た記憶があるが、勿論これとは全く異なるし・・・・・・
「ユリ」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-365.html
「ペチュニア」 別名:ツクバネアサガオ
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-10.html
今の時期、庭などに植えられている一番多い花ではなかろうかと思う程普及したものだ!。
「ユッカ」 別名:アツバキミガヨラン
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-641.html
珍しくはないが、本ブログ初登場。花が直立し雄大なので好んだが、狭い庭を大きく場所を取るので、かなり前に庭から追い出されてしまった。
「ハナビシソウ」 別名:カリフォルニアポピー 本ブログ初登場。
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-637.html
月日の経つのは早いもので、もう初夏、汗ばむような暑い日と、小寒い日が代わる代わるやってくる。
そろそろ花が少なくなってくるので、撮り溜めをしなければと思うが、何故か気合いが入らない。またスランプに陥りそうだ。
ブログの連日発行はジャスト2ヶ月で頓挫してしまい、いつまでたっても我ながら呆れる程の進歩の無さ、相変わらずのお粗末ブログから一歩も出ない。花と寺だけの、ワンパターン且つマンネリ化したブログでは、見て下さる人が減るのは当然のこと、しかし、こればかりは如何ともし難し。まあ、ぼつぼつやるさ・・・・・。
我が家の庭の花で毎日のブログを飾ることは種類が少なくて不可能、近辺の野原もすでに大方撮ってしまった。さりとて植物園などにはそうは行けないが、ご近所では多くのお宅で、それも珍しい花が見られるので、散歩にカメラを持って出ると1~2時間で20種位は撮れるから、極めて効率的なので、再々撮らせていただいている。
「スターチス」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-502.html
「マルバストロム」 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-640.html
「フリージア」 ?
名前が確定出来ない。
「ハルザキグラジオラス」 ?
これも名前が確定できない。
「マツバギク」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-155.html
「リシマキア」 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-642.html
「ゴテチヤ」 別名:色待宵草
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-494.html
「ガザニア」 別名:勲章菊
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-511.html
「ルリチョウソウ」 別名:ルリミゾカクシ 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-644.html
5/末~6/初のかけて、3回の散歩で撮らせてもらい、これを4回程に分けて掲載させて戴いている。
<< 続く >>
「コバノズイナ」 (小葉髄菜) 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-628.html
山野草と思われるが名前がわからない。 本ブログ初登場
このお宅は山野草を専門的に育てておられ、植物園も及ばない程の珍しい花、貴重な植物をそれも道端に出して見せて戴ける、私にとってはこれ以上になく有難いことである。
「ウンナンオウバイ」 (雲南黄梅)
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-585.html
「シシウド」 (猪独活)
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-360.html
伊吹山を歩いたのは最早4年程前になるが、頂上付近にずらりと咲いていたのを思い出す。その時一緒に歩いた人達との会話も幾つかを思い出しつつ・・・・。
「キリンソウ」 (麒麟草)
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-352.html
姓名不詳 本ブログ初登場
「オトメキキョウ」 (乙女桔梗) 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-629.html
「タニウツギ」 (谷空木) 本ブログ初登場
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-630.html
ウツギにも色々ある事を改めて知らされた次第。
「オキザリス」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-112.html
この花はごく薄いピンク、そして葉が珍しく黒っぽい赤なのだ。そう言えば、「カタバミ」でもこんな色をしたのを真夏の炎天下で見かけたことがあるなあ!。憎っくき雑草として。
「アゲラタム」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-383.html
山野草と思われるが名前がわからない。
「ヒルザキツキミソウ」 (昼咲月見草)
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-599.html
「ビジョナデシコ」 (美女撫子) 別名:ヒゲナデシコ、アメリカナデシコ
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-498.html
この場合だけは、「ヒゲナデシコ」の名は返上しような!。
これらは5月の中旬から下旬にかけて撮らせて戴いたものであるが、合計すると何と60種あまりになるので、申し訳ないが4回に分けて掲載させて戴きたいと思っています。
ご近所のみなさん、本当にありがとうございました。
<< 続く >>