木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1392 六甲高山植物園の花(その2)

2015-09-06 08:00:00 | 植物園の花

  私が夏の暑さや、体調不良を理由に取材に出なくなり、ブログが途絶えがちであることから、 私の喜びそうな花が多くあり、しかも”新種”(我が「花写真鑑」にまだ無い花=以下同)が、8種以上あると調べた上で、詳細な行動計画を立てて、行こうと言ってくれたのでありました。

 そんな有り難い提案を、断るはずもなく、万難を排して、2015.08.28(金)本当は通院の予約をしている日であったが、ケロリと忘れ(?)、若干(?)足の痛みなぞ構っていられないと、これも忘れて、朝7時30分、友の車が来るのを待って出掛けたものでした。

  前にも書いた事はありますが、 私の「花写真鑑」には、2015.09.05現在1183種類の花を掲載しています。 これだけ集めると、近場のホームセンターや花屋では”新種”を見つけることは、不可能に近くなっています。

  ところが、その中身をよく調べてみると、山野草や高山植物には、絶滅危惧種も多く含まれることなどあって、私の目に触れることが少ないから”新種”の可能性が高い。 そこに目を付けた友は、 かなり私の「花写真鑑」を見てくれていると言えるのです。

  こんなことで、六甲高山植物園では多くの”新種”を撮ることが出来たので、前回紹介したものに下記を加えたいと思います。 

 

「コハマギク(小浜菊)」   ”新種” 登録 No1167

「コ(小)」が付くだけあって、茎が極端に短い以外は「ハマギク」とおんなじだ!。

 

「センジュガンピ」   ”新種” 登録 No1169

花が千手観音の手を連想しての命名だとか、また、まだお目に係っていないが、ジンチョウゲ科に「ガンピ(岩菲)」と言う木があり、花が似るというが?・・・・。

 

「ホツツジ(穂躑躅)」   ”新種” 登録 No1175

花も葉も「ツツジ」とは全く異なるが・・・???。

 

「ヒゴタイ(肥後躰)」   ”新種” 登録 No1176

「ルリタマアザミ」の色違いかと思ったが、同一との記述が見つからないので、六甲高山植物園の表示を信じて、当面は別の種としました。

 

「タンナショウマ(耽羅升麻)」   ”新種” 登録 No1177

もう少し早ければ、美しい花に出会えたであろうに、残念ながら当日(2015.08.28)は実(種)の状態でありました。

 

「オオカニコウモリ(大蟹蝙蝠)」  ”新種” 登録 No1178

ちょっと言い訳をさせていただくと、 当日はかなりの左足親指周辺の痛さをこらえ、出来る限り表面に出さないで、撮影したものだから、こんなピント外れの写真と相成った次第。しかし、大切なまた今最もやる気の出る”新種”であり、非難は覚悟しての投稿です。

 もっとも、正常でも大した変わりはありませんがね!。

 

 ここより先は、私の持てる資料をいくら探しても見つからない花、名前が知れないものを、写真と共に六甲高山植物園に送り、早々とその返事を戴いて、漸く”新種”登録したものです。 

 六甲高山植物園のスタッフの皆さんにここで、改めてお礼を申し上げます。

 

 「アカバナ(赤花)」   ”新種” 登録 No1179

 「アカバナユウゲショウ」と花はかなり似てます。命名の元になった事は十分伺えます。

 

「ゲンノショウコ(現の証拠)」  ”新種” 登録 No1180

私が小学生の頃(終戦直後)、田舎の家で飼ってる「ヤギ」や「ウサギ」の餌を採りに行き、野原や田んぼの畔に「ゲンノショウコ」を見つけると、持ちかえれば、曾祖母が喜ぶと、根の部分から釜で切って持ち帰ったものです。

 調べたら、わが国有数の薬草で貴重な植物だったようです。 ばあちゃんが喜ぶはずです。 また、和名が「現の証拠」と書く事も、今、はじめて知りました。 名前の由来などは、上記をクリックすることで、見る事が出来ます。

  

「トウテイラン(洞庭藍)」   ”新種” 登録 No1181

「トウテイ」とは、済州島の古い呼び方だそうです。 観葉植物にもなりますが、丈夫で花期が長いので、商売にならず、花屋などには置かない花だそうです。 そう言えばホームセンターでも見たことはないですねー!。

   

 「ヤマトリカブト(山鳥兜)」   ”新種” 登録 No1182

2~3日早く来たようで、まだ、蕾状態です。

 

 「ヨシノアザミ(吉野薊)」   ”新種” 登録 No1183

普通のアザミ(オニアザミ)より、花や棘が小さいのが特徴だそうです。

 

  以上で六甲高山植物園で見つけた”新種”の全てです。 合計20種が新しく「花写真鑑」に登録することが出来ました。 これも、六甲行きを決めてくれた友と、植物園のスタッフの皆さんの日頃の手入れと、迅速な質問への対応があってこそと、御礼申し上げます。

  もう一つ是非書き置きたい事があります。 それは今回ここで集めた”新種”は合計20種になりますが、 この全てが日本または日本他が原産地であり、また、内7種が我が国固有種と明記されているものでした。 園芸品種など作り物の多い現代において、貴重な原種(一部自然の交雑種)であったことです。

 こんなことでここは年間を通して通いたい所ではありますが、 若干遠く、運転が下手で運転許可の下りない私にはそうもゆかず、悩むところでもあります。

 

 「ピンクテコマ」   ”新種” 登録 No1174

この花は、六甲の後、「太田茶臼山古墳」を訪ねた時に、門前のあるお宅の庭からはみ出して咲いてるものを撮らせて頂いたものです。 車の駐車場が少し遠いために、足の不十分な私が歩くのを気遣って、門前で待つ間に撮らせて頂いた花でした。 この先、この花を見れば、このことを常に思い出すでしょう。 友よありがとう!。

 

  六甲、茨木で作った思い出の全ては以上です。

 

 


1391 今城塚古墳と古代歴史館

2015-09-02 08:00:00 | 資料館

  2015.08.28(金)晴。 「太田茶臼山古墳」を見た後、継体天皇の陵はどちらなのかを探るためにと訪れたのであった。

  「史跡今城塚古墳」

    大阪府高槻市郡家新町    入場、駐車無料

ここは6世紀前半に築かれた、二重の濠を備える淀川流域最大の前方後円墳です。継体大王(聖徳太子の直系の曽祖父)の真の陵墓と言われています。発掘調査の結果、日本最大級の埴輪祭祀場や、墳丘内石積、石室基盤工などの当時最先端の土木技術などの貴重な発見がありました。 (歴史館の資料より、一部編集)

 下は上の写真中央にある「埴輪祭祀場」の拡大。

 

古墳の模型の片隅に子供がいる場所が、下の写真の中央やや左の大きな木の立つ位置であり、そこより右の濠を越えた辺りが、巨大前方後円墳の円の部分に当たる。

ウイキペディアによれば・・・

古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳である。古墳の被葬者は、形状や埴輪等の年代的特徴、また『古事記』『日本書紀』『延喜式』など文献資料の検討から、6世紀のヤマト政権の大王墓と推定され、6世紀前半に没した継体天皇とするのが学界の定説になっている

 

「今城塚・古代歴史館」

        入場、駐車無料 (古墳に隣接)

 陳列状況

 

 

 

 

 さて、結論であるが、再度ウイキペディアによれば・・・・

 真の継体天皇陵である可能性が高いことから、戦前《1935年-1944年昭和10年-昭和19年)》に設けられた臨時陵墓調査委員会においても、この古墳を「陵墓参考地に編入すべし」との答申が行われた。しかし、宮内庁は今城塚古墳の陵墓参考地指定については現在も難色を示しており、今城塚古墳から1.3キロメートル西にある大阪府茨木市太田茶臼山古墳を継体天皇陵に治定している。太田茶臼山古墳の築造は5世紀中葉と考えられており、継体天皇が没したとされる年代よりも古い時代の古墳と考えられる。

この大王墓が、6世紀にいたって畿内北部の淀川水系にはじめて出現することは、それまでずっと南部の大和川水系の大和河内にあった勢力から王権の主導権が移ったことを意味するとも考えられる。

・・・ということであった。

 

 


1390 太田茶臼山古墳

2015-09-01 08:00:00 | 資料館

 2015.08.28(金)、六甲高山植物園を出たあと、来た道を戻り、中国道の茨木ICで降りて、古墳近くにある、「太田茶臼山古墳」にやってきた。

  大阪府茨木市太田3丁目  入場無料

    駐車無料(数台)、太田公民館(数台:30分無料)にもあり。

 

前方部分鳥居の奥に濠がありその奥が、前方、後円となる。

 

石碑には「継体天皇三島藍野陵」とある。

 

上空より見た古墳の全景。 この古墳の濠の外側堤防の二か所から、”円筒埴輪”が発見されたとか。

公民館前の立札(市教育委員会)によると・・・・(一部編集)

古墳は全長226m、全幅147m、最大高さ18.8mであり、28~33mの濠のある、巨大古墳で、5世紀に築造された。

ここは宮内庁によると、第26代継体天皇陵とされているが、日本書紀によると、天皇は6世紀に没せられたとあり、古墳の築造年代と異なることや、継体天皇が謎の人物であることも加わって、いろいろな推理や小説が生まれている。

継体天皇陵としては、ここ「太田茶臼山古墳」のほかに、「今城塚古墳」があるが、ここは地震で壊れたり、戦国時代に城が築かれた(今城塚名の由来?)ので、古墳としては変わり果てた姿になったので、宮内庁としては認めたくなかったのでは?とは友の言。

 

古墳の近くに咲いていた花「ノウゼンカズラ」

 

このあと、継体天皇陵は果たしてどちらが正しいのかを極めるべく「今城塚古墳」ならびに「今城塚古代歴史館」に向かった。