木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

食事会で街角博物館-2 (No 1897)

2018-11-20 08:00:00 | 資料館

 「食事会という名の集まり」にて、四日市市南部に来て、最初に「東海道・日永郷土資料館」を見たが、次は食後のお茶を兼ねて、コーヒーが飲める「まちかど博物館」を尋ねた。 

  カーナビに住所で入力し、その誘導に従ったのであるが、団地のような住宅街に入るが、ここは古くに出来た団地らしく、道幅が非常に狭いし曲がっている。よたよたながら、どうにかたどり着いたのは・・・。

 

 「珈琲倶楽部・長の字」  (館長が「人長 和子さん」なので、これが所以?)
    四日市市東日野町1120-40

 「四日市まちかど博物館」 に書かれた資料を見ると「ご希望により、オールディーズLPを再生。懐かしい話もできます。また、展示発表の場としてご利用できます。・・・」とあり、ここに間違い無さそう。    

 

  

 これらの展示品を見る限り、「博物館」というには展示品が多くないが・・・???と思って居たら、店の人が戸棚の扉を開けて、見せてくれて、ここは色々なレコードを集めた所と判明したのであった。 

  音楽好きの私のこと、特に映画音楽が多いと言うから、即座に「南太平洋」や、同行の友の好きな「悲しみは星影とともに」を所望するも・・・中々出てこない。 お客さんの一人と想われる人も捜すも見つからない・・・?!。

  「鉄道員」や「慕情」は出てきたが、最後までリクエストした曲は出てこなかった。 「博物館」へのこだわりは止めて、コーヒーを飲みながら、場合に依れば懐かしい映画音楽が聴けるかもしれないと思って来るべき店と承知した。 

 時間になったのでコーヒーだけ戴いて、15時30分店を後に帰路についた。

 

 

 話は前後するが、今日は食事会であるが、そのことを全く書いてないので、金がなくて食事を抜かしたのかと思われては叶わないので、四人の名誉(?)のために、そうではない事を書いておく。

 今日の昼食は「鈴のれん」の予定であり、過去二回予約なしで訪れ、問題無く食べられたので、早めに入れば大丈夫と考え、11時20分頃店に到着した。

 入って見ると、何と今日は予約が入り、満席であるという。 待ち時間は聞くまでもなく、人が出てくるまでは、少なくも30分は要すると考え別の店とした。

 入ったのはその近くで、「鈴のれん」がその姉妹店とする「木曽路」である。 ここは以前入っているので、写真は省略し、間違いなく食「牛のしゃぶしゃぶ」をべたとの照明写真のみ載せることにした。

 

 

 かくして、今日も楽しい一日を過ごすことが出来、生きていてよかったと想った。

 

 

コメント

食事会で街角博物館-1 (No 1896) 

2018-11-19 08:00:00 | 資料館

 2018.11.14(水)、高校時代の友四人での「食事会と言う名の集まり」を四日市市内で行い、 食事後の腹こなしのために、食事場所から10分位走った所にある、「まちかど博物館」と言われる所にやってきた。 (今回は私が幹事役)

 このまちかど博物館は最近そこら中に出来て、ネット上ではいろんな表があるが、その全てが一覧表に出ているとは限らなくて、娘から聞いていて、予てから行きたいと思っていた所が掲載されていないと言うことが判明し、あちこちを見なければ全貌は分からないと悟った。

  まだ、全体像はわからないが、取り敢えず、興味の持てる所、余り走らないで済む範囲内にある所を撰び、数カ所を準備し、友の意見も聞いて撰ぶことにした。 今日は四日市市も南部で食事をする予定であり、その近くで考えた。

 

 「東海道・日永郷土資料館」
      四日市市泊町13-13

 ここは、毎週、水、土、日、祝日に開館するとあったので、水曜日に食事会開催とし、その午後に訪れたのであったが、 当日は午後は閉館と書いたものがあった。しかし、連絡先が書いてあり、電話すれば何とかなると考え、電話したら、数分で担当の方が来てくれて、ほっとした。 

 ここは国道一号線が、伊勢方面への分岐点にある「追分交差点」の直前(京都方面に向かい)に位置し、旧東海道沿いに建つ昔の富豪「八木長治郎(後述あり)」の邸宅を譲り受け、近郷の元教師達により、作られたものとの説明があった。

 昔懐かしい器具が並べられていた。

 

  この辺りで財を成した人にまつわる古文書など。

  

 この辺りを「日永」と言うが「日永うちわ」として、ちょっとは売れたものである。

 この辺りで採れる竹は、柔らかくしなりが適切であることから、うちわが柔らかくしなうために、それはそれは優雅な風が来るそうな!。

  私は知らなかったが、「日永たび」もこの辺りで作られ、結構もてはやされたようだ。 先の「八木長治郎」はこのうちわや足袋を販売して儲けたものらしい。

  この資料館に入ると、パンフレットをくれるが、そこに書かれた東海道の旧跡(日永地区)として16ヶ所が書かれているが、2013年に旧東海道を桑名から水口まで尋ねた時に、訪れて無く写真も無い所が、何と「日永足袋の碑」とここ「資料館」であった。

 

 ここにも懐かしい器具が並ぶ。

 

 お世話下さる方には お休みの所を、わざわざ来て、丁寧なご説明までいただき、昔のよき時代に思いを馳せる事が出来、懐かしくも、また、楽しくもあり、本当に有り難いことでありました。

 この後、もうひとつ「まちかど博物館」を尋ねたが、その記録は別途とする。

 

コメント

斎宮跡、斎宮博物館 (No 1795)

2018-06-08 08:00:00 | 資料館

  斎宮博物館は、水子供養に行く途中にあり以前から一度訪ねたいと思っていたところであるが、なかなかチャンスに恵まれなかった。 今回も普通なら、少し足を伸ばして伊勢神宮に参るところであるが、帰路にレッドヒルヒーサーの森に行く予定をしているので、足腰に余裕を持たせておくために、伊勢神宮の玉砂利道を歩かないでここにしたのであった。 (2018.06.04(月)撮影)

  

 「斎宮跡」

 

今日は月曜日で、休日であり、入ることも出来なかった。

 

 斎宮跡から、車で2~3分離れた所に博物館はあった。

 

 「斎宮博物館」

 

 当然。ここも休館日。 なお、博物館内部は”撮影禁止”であり、私には用がなかった!。歴史に触れたいとの思いはこの際捨てるしかなかった!。

 

広場では、祭りの準備らしい。

 

古墳(?)

 

  開館日に来たとしても、ここに書くことは大同小異、ブログとしてはさほどの代わりはないわなあと納得。

  

コメント

新発見の美術館 (No 1782)

2018-05-22 08:00:00 | 資料館

 御在所岳にある神社にお参りしたあと下界に降りて、食事中に”今日から小山田周辺で山野草展が開催されている”というだけの、不確実な情報がある事に気が付き、今から行こうとの、友の提案で即決、場所がわからんが、近くに行けば何とかなろうと出掛けた。 

 初めに、スマホで調べたら、小山田市民センターで2013年に山野草展が開かれたと出たので、その所番地をカーナビにセットし、行ってみたが、そこは身体障害者の体育施設、スマホに書かれた住所が違っていたので、改めて小山田市民センターに向かったのであった。

 そして、たどり着いたが、今はやっていないと言う。 そして聞けば近くの「美術館」で山野草展をやっているらしいことが判明した。 こんな所に美術館があることさえも、不思議であったが、行ってみると確かに美術館と書いてあった。

 半信半疑、恐る恐る覗いてみると、確かに美術品が並び、山野草展は2Fでやっているという。漸くたどり着いたが、ここは個人経営の美術館らしいから、有料で写真撮影禁止かと思ったが、何と無料であり、美術品も含めて撮影OKとのことで、小躍りしつつ入ったのであった。

 ありがたい事なので、先ずは美術館だけを紹介しようと思う。

 

 「小山田美術館」
       四日市市小山田町1901-1

 ネット上を漁ったが、ここの詳しい状況は書かれていなかった。

 

横には立派な旧家があった。

 

 美術館への入口である。 どこかのお兄さんがお座りになってる所から入場する。

 

1Fは絵画等の展示場。

 

 隣りは、立派な鉄道模型が配置されており、運転して遊べるようになっているみたいだ。 好きな友には溜まらん展示だろう。

恥ずかしがる(?)ので、暗い写真にしておいた。(実はフラッシュが点灯しなかっただけ?!)

 

 2Fでの、山野草展。

 

 山野草は私の”狙い目”と考えているが、正に今回も珍しい花が幾つかあったが、それらは別途紹介したいと思う。

                         ひとまずおしまい。

コメント (2)

荒れる金生山と金生山化石館 (No 1724)

2018-02-27 08:00:00 | 資料館

 石灰岩の掘削で荒れる大垣市の金生山と、掘った時に出土する化石が集められているので、金生山化石館等の現状を見てきたのでそのレポートである。(西美濃で食事会 シリーズ14-4)

 

 2018.02.18(日)いつもの仲良し3人が、食事会と称して、岐阜県の西部「西美濃」に来て、谷汲山華厳寺に奉納される、勇壮な谷汲み踊りを見たあと、 大垣市赤坂町にある、標高217mの「金生山(きんしょうざん or かなぶやま)」にやってきた。

 ここはウイキペディアによれば・・・ 

 数多くの化石が発掘されることで知られていて、「日本の古生物学発祥の地」と呼ばれることがある。地質学的価値も高いという。その一方で山全体が石灰岩の日本有数のその産出地であり、石灰岩、大理石の採掘が盛んに行われており、山容が変わり景観は損なわれつつある

 石灰岩を加工したもので、私が最も身近なものは、花を植えるときに酸性土壌を改良するために使う「石灰」であるが、友のメールによると、食品などに良く入っている、乾燥剤に使われており、岐阜県揖斐川町の会社製造とあった。

  金生山の周辺には下のような会社が多数あり、山がどんどん削られ、お寺と市営の公園のみが緑色で残るなど、山の姿がどんどん変わってゆく。

 金生山の航空写真であるが、この後訪ねる予定の、明星輪寺とその北西部に広がる岩巣公園を残しぎりぎりまで開発(露天掘り)されている様子が見て取れる。化石館はこの右下外である。 (友の入れ知恵)

 

 

 

  その過程で出た化石を集めた化石館が昭和39年に作られ、現在地には昭和60年に新築移転されたようである。 

「金生山化石館」

  大垣市赤坂町    大垣市教育委員会、文化事業団

 

金生山の中腹の金生山神社の東隣には、この山から出土した化石など約300点を展示した金生山化石館がある。 この化石館は、金生山の化石研究に生涯を捧げた故熊野敏夫の業績と化石の展示保存をするため、1964年(昭和39年)3月21日に開館した。

当山で出土した化石のみならず、沢山の貝の標本が多数集められている。

 館の職員(責任者?)が親切に 教えてくれるので、恥を忍んで、極めて初歩的な質問をしてみた。それは、化石がの内部がどうして固い岩石のようになるのかが、私の昔からの疑問であったからなのである。

 化石は柔らかい身の部分は勿論、貝や骨のような固い部分までが、何故あのような固いものに入れ替わるのか、それも、形をそのままにして、そっくり入れ替わることが、この年になるまで、謎であったので、この際と思いぶつけて見たのであった。

 結論を一言で言えば、「化学変化により、内容物が入れ替わる」と耳の完全でない私であるが、そう聞いた様に思う。化学変化と言っても、いろいろあろうし私の知らない世界であるから、これで理解することは困難ながら、おぼろげな形は見えたように思った。

 化石はどこでも、何でも出来上がる訳ではなく、偶然の重なりによって、ある場面のみが化石として残るのである。化石になる条件が整った場合のみに起こるということと理解した。

  ついでながら・・・

化石という日本語には「石に変化する」という意味もあるが、英語の fossil は「掘り出されたもの」に由来するそうである。
また、古代生物が残したもの、石化したものに限らず、その印象が地層に残ったもの、氷づけマンモスやミイラ化した恐竜、また巣穴、足跡、などの痕跡も化石という・・・・とか。

 

以下は当地で出土したものではないようであるが・・・・

下の巻き貝は毒を持つ貝であるが、見るからに毒々しい。 

 珍しい形をした貝。

 直径が1000mm近い、巨大な貝。「オオジャコガイ」

これも貝であり、長いものは1.5mもあるそうだ!。 「シカマイア」と書いて合った。

  お陰で今回は、ちょっぴりお勉強になった!。

 

 伊吹山(1377m)頂上付近がすっきり晴れて、美しい山並みにうっとり・・・!。

 

 このあとご一行様は、この山を少し登った所にある、「明星輪寺」に向かったが、その内容は別途としたい。

                         << つづく >>

 

コメント (4)

マッチ箱電車の運命 (No 1722)

2018-02-23 08:00:00 | 資料館

 谷汲鉄道のように、廃止の運命の道を行く如く見える、マッチ箱のような可愛いい電車、まだけなげにも走る樽見鉄道を撮り、存続を切望する。 (西美濃で食事会 シリーズ14-2)

 

  今回の食事会のメインイベントは、元「谷汲鉄道」の谷汲駅の広場で実施される、谷汲山華厳寺に奉納される、谷汲豊年祈願祭なのである。 廃線となった元「谷汲駅」に到着したのは、豊年祭りの踊り開始の一時間前であった。(撮影:2018.02.18)

 踊りは11時からであるが、すでに多くの人が広場に訪れていた。 

  この辺りには昆虫が多いらしく、蝶々のモニュメントのみならず、昆虫館(入場料¥200)が、元の駅舎につくられている。

 

 谷汲鉄道
  設立     大正13年
  営業キロ数  11.2Km
  軌間     1067mm
  駅数     9
  鉄道     単線、DC600v
  運転     毎時2往復、中間の駅で交叉、
  運行     廃線前は交叉なし、ワンマン運転
  名鉄関与   昭和5年頃から関与、昭和19年合併
  廃線     平成13年全線廃止、バス代替え運行開始

 元「谷汲駅」は駅そのままの形で残され、無料で見学出来る資料館のごとくになっている。 

 

 どこかのおじさまが、運転してござる。車掌さんもいるが、ねっから電車は動かない???。

 四日市の内部八王子線もマッチ箱電車であり、廃止が取りざたされたが、何とか市の努力のお陰で今は運行されているが、谷汲鉄道の二の舞にならぬよう、祈るものである。

 

  話は前後するが、上記の谷汲駅は揖斐町であり、車でここまで来る前に、道路添いにあった、「樽見鉄道」のマッチ箱電車にも遭遇したので、載せることにした。

 この「樽見鉄道」は大垣から樽見への鉄道であり、谷汲近辺は、揖斐川の支流根尾川沿いに走る電車である。 谷汲鉄道とは全く別のもの。

 

 正面と側面が全く別の塗装が施された珍しい電車の塗装。

 

 乗降客は一人もいないのに、ちっちゃな無人駅(木知原駅?)にもちゃんと止る、まことに律儀な電車だ。金儲けよりも、存続が第一のけなげとも見える、運営方針だろうか???。

 

 

 こんな電車ですが、何とかいつまでも長く走ることが続けられるよう、節に節に祈ります。

                          << つづく >>

 

コメント (4)

1710 「食事会-13-2」 新物喰いの悲哀

2018-01-15 08:00:00 | 資料館

 関東と東海を除き全国的に大雪で、半日以上に渡り多数の車や満員の列車が立ち往生するなか、奇跡的(?)に好天にめぐまれた当地方において、2018.01.12(金)、高校時代の仲良し四人でやってる「食事会」の 13回目は、名古屋空港で行うことになり、四日市を9時30分に出発し、東名阪にて小牧空港に向かった。 

 場所は、元の国際線ターミナル周辺を再開発し、ざっと見てその1/3をスーパーが占め、他を各種商店が入る「エアーポートウオーク」の隣りに作られた建物がその第一である。よって、周辺の駐車料はタダ。

 あいちミュージアム

  展示品は、YS-11など数機で、M社のものばかり、が並べられているが、目を引くものは何も無し。訪れる人も殆ど無く、閑散としている。

 

 

 熱心(?)に見入る、おっさん達。

 

建物の屋上は展望デッキとなっており、ここの方が展示室よりも、沢山の飛行機を見る事が出来る。ここに来るには¥1000要るが、国内線送迎デッキに行けば、無料で見られるのは言うまでも無いこと。

 

ただし、離発着するのは、ヘリコプターばかり。下のは、愛知県警と書いてある。

 

 MRJミュージアム

 あいちミュージアムから、小型バス2~3分間乗車。 身体検査があるかもと恐れたが、流石にそれはなく、しかし、厳重に撮影禁止であるから、カメラやスマホは、ロッカーに入れて、15名限定で、最終組立工場を遠くからちらりと見るのである。

 工場といえども、見せる為に特別に化粧されているからきれいであるが、製造現場で長く仕事をしてきた者にとっては、この程度の整理整頓清掃はごく普通のこと、工場の真ん中の高い位置から見るが、ただただ、部品らしき多数の箱と工具箱らしきものがずらりと並ぶのみ。

 組立中(?)の飛行機の胴体の中でさえも、人の動きは全く感じられず、試験飛行などで不具合が次々と発見され、再々の納期遅延が報じられているが、ここに来て、現場での組立ての仕事が進められない現状を垣間見た感じがする。

 広い工場の大部分を部品置き場が占めていることから、「仕掛かり品」が異常に多く、製造工程が滞っていることがはっきり窺える。見る限りここは部品置き場であり、ものつくりの工場とはとても思えない、極めて活気のない場所、倉庫の中を歩くと同じであった。

  建物の外観でさえ、撮影を許さないが、入った所だけが、撮影を許されている。 

 

頼みもしないのに、カメラを持ってくれたが、忌み嫌われる”足切れ写真”であった。

 

 名前と場所では、ふたつのミュージアムと称するものを見たが、別々に見ると、各館¥1000、合わせてみると、合計¥1500 この価値があるか否かは見る人の判断であろうが、期待に大きく反すると思う人も多々あるのではと感じた。

 昨年11月末に開館したが、その近辺の予約状況は、当初一のみヶ月分は全日満席であったが、今日(2018.01.13)朝現在では、次の土日(1/20,21)以外は空がある現状をみると、入館料の見直しや、予約制までも、現状維持は難しくなるのではと危惧する。

 見ると、二つの館ともに、空きスペースがいくつもあった。 飲食店が出来る予定も聞いているがまだ無く、この先も出来る可能性は極めて低いように思う。 別の構成も含め、今後充実される可能性も無くは無いので、早く来てしまったかも知れないが、いずれにしろ、またしても”新物喰い”の悲哀を味わったのであった。

                        以上

 追記

  つい先日も当ブログに書いたが、「食事会」と言いつつも、今回のブログは食事の言葉も写真もない、ちょっと変とも言える状態かもしれないが、実は今、この会の名前などをみんなに求めており、次回の集合時に決めることにしたのであった。

 ”嫌(賢)人会”とか”どこ行く会”とか、”嫁いいなり会”などと妙案が出ているが、ユニークな名前がいいのではと、私は思っているが、はてさて、どんな傑作な名前になるか・・・・?。

 

コメント (2)

1669 第11回食事会(2)テオヤンセン展

2017-09-21 08:00:00 | 資料館

  食事会と言いつつも、ついでに見る物の方が主体になりつつあるが、今回のブログはそのメインイベントとも言える、三重県立美術館における開館35周年記念と称する展示品を見るのであった。 

開館35周年記念Ⅱ テオ・ヤンセン展

    2017年7月15日(土)~9月18日(月・祝)
   テオ・ヤンセン展 展覧会特設サイト 

 

 テオヤンセン(Theo Jansen)とは、オランダ、ハーグ出身の物理学専攻の芸術家のようで、風で動くアート作品「ストランドビースト」と名付けた(造語)、プラスチックの多数のパーツで作り上げた、風や圧縮空気で動く造形物を世界のあちこちで展示しているようだ。 

  ストランドビーストとは、オランダ語で、砂浜を意味する”Strannd”と生命体を意味する”Beest”を繋げたもので、テオヤンセンの言う”生物”であり、作品の総称とされているようだ。・・・では、その”生物”をじっくり見せて戴こう。

 

おびただしいプラスチックのパーツの数々・・・・・!。これを何人で作ったか知らないが、何とも手間のかかる作品ではあるなあと、まず感心!。

 風を受けて全体が動いたり、各部分が動いたりする。

 

このようなプラスチック製の細かなパーツを気の遠くなるほどの数を組み立ててつくられている。

プラスチック製パーツを加工したり、組み立てるために使う、いわば治具と思われる。

 

風力の代わりに、人力で動かすと、面白げに、生物のように歩き始める。

 風力を受けて、プロペラが周り、主軸を回すので、そこに付いているクランクにより、”歩行”するのが、この”生物”の基本となっているようである。

主軸の回転を”足”の動きに変えるクランク部分。

 これは右端の三角の部分が不規則に伸びるのが”ウリ”のようであるが、三角を作る各辺の長さが不均等に変化することで、見た目に滑稽さが出て観衆を喜ばせる。 なを、上部にある透明なものは、ペットボトルであり、コンプレッサーでここに圧縮空気を溜め込み、その力で三角の部分を動かしたり、クランクを回して歩行するようになっている。

 

芋虫のように、うねりながら動く姿が、とてもユーモラスである。(実演はなく、ビデオ映像による)

 

 

日に数回、この”生物”を横方向(写真では手前、奥方向)に動かせてみせる。 動力源は上部にびっしり並ぶ、ペットボトルに移動式コンプレッサーで圧縮空気を溜め込んだもの。

 

上部にある、魚のヒレのような物が、バサバサと音を上げ、ヒラヒラとうごめく。

 

 以上であるが、結構見応えのある”生物”であった。

 

                   << つづく >>

 

 

コメント (2)

1668 第11回食事会(1)三重県立美術館

2017-09-19 08:00:00 | 資料館

  高校時代の仲良し四人で食事会を行っており、今回はその11回目となる。 食事会とは言いながら、メインは食事よりも見る物にこだわりつつあるが、今月はY君の発案で県立美術館で行われている「テオヤンセン展」を見るために、津市にやってきた。

 そのメインイベントは稿を改めるとして、まずは・・・・

 

三重県立美術館

   津市大谷町11 
       常設館を含めた入場料 ¥1000
       無料駐車場はあるが、小さいので満車であった。

展示について

美術館活動の成果が最も目につくかたちをとるのは、作品の展示においてです。とりわけ美術館の真価が問われるのは、その常設展示によってです。本館の常設展示は年間4期に分けて、日本近代絵画を中心に、現代に至る美術の流れを系統的に捉えることを目指しています。また企画展示室では独自のテーマによる自主企画展を催すとともに、より広い観点での共同企画展を行っています。  (美術館のホームページより)

  メインとなる「テオヤンセン展」については、別途にして投稿する。 また、当然と言えるが、常設館内部は撮影禁止であるから、写真は無し。

 

 

 

 

 

 

                     << つづく >>

 

 

コメント (2)

1641 トヨタ産業技術記念館(食事会-9)

2017-07-02 08:00:00 | 資料館

  高校時代の仲良し4人による、第9回目の食事会は、名古屋市西区にある「トヨタ産業技術記念館」にて実施した。 食事会とはいいながら、主体は「火力発電所」、「リニア鉄道館」などと“食べる事から見る事へ“と変わってきた。 このあたりは女性ならより美味しい物へと進むであろうが、”技術屋の端くれ”の我らは、こんな機械物に未だに興味が深いのであった。 (2017.06.30(金))

   入場料は通常¥500の所、シニアは無料と知り、今時無料は珍しくありがたい事であった。(駐車料も無料)

 

  館に入ると、先ず、286KVA(500馬力)の蒸気機関による発電機が目に飛び込んできた。 これは、ここで使われていたものではなく、当記念館設立に伴い、2005年にドイツから購入したものだそうな。 (スイス製)

下の写真が蒸気シリンダーであり、右が高圧、左が低圧、クランクにより、中央の大きな弾み車を回転させることにより、回転を滑らかにする。 なお、実用事は蒸気を送るが、ここにはボイラー設備はなく、動作実演は床下にある電動機で回転させている。 あの勇ましい蒸気音が聞けるかと思ったが、それは成らなかった。 蒸気の流入方向を制御するバルブ開閉音がカタカタと響く!。 

 

 蒸気機関からの動力は大きなフライホイールを回し、9本の太い紐状のベルトで286KVAの発電機を駆動する。 発電機は約二倍ほどに増速されている。

 

 係員による、説明と実演に、年老いた元高校生も熱心に見入るのであった。 起動にあたっては、幾つもある摺動部へのオイル供給用バルブをひとつずつ開けている姿は何とものどかである。 運転員は常にその油の液面も監視し、無くなれば補充しなければならないなあ!と思ったりしていた。

 

 これより、本館に入る。  ここは豊田佐吉の偉業を展示する場であり、織機の開発に重点を置いた展示がなされている。

 

 先ずは、綿から如何にして糸を作り出すか 、原理を実演と併せて詳しい説明がなされた。 中央の白い金属製のパイプ内に綿が入っており、回転すると共に、下の重りと、引く糸の強さでバランスを取り、巻き取る糸の太さを均一化させている。 綿には“ねじれ“があり、これをうまく利用して、連続して綿の塊から糸を作る過程が分り易く説明された。 

 

 綿の塊から、ごみ(花の額など)を除去し、絡んでいる糸の素を整列化させ、高速で連続的に(切れないで)糸を紡ぐことが出来るようにする一連の装置群である。 下の白い束から糸を作る。 

 

  糸は取り出した後、捻ることで、強くなることを、実演でしっかりと見せてくれた。 同行者は中国人らしい人たちであったが、同時通訳をしていた。  

 

 

 豊田佐吉がこしらえた、初期の機織機(複製、全手動)。

 

  縦糸を一本おきに前後に動かして、通り道をつくり、その間を横糸を巻いた“シャトル”が通過する。 シャトルが往復する度に糸がボビンから外れて、布になって行くのであるが、 大きなボビンとすることが出来ず、短時間で糸がなくなるので、豊田佐吉は機械の運転を止める事無く、瞬時に自動的にシャトルを交換するようにしたのだそうな!。(自動織機の始まり)

 

  このシャトルの往復運動の高速化とその交換がこの自動化の要であり、その後各種の研究開発が行われている。 下のはウオータージェット織機と言い、特殊なノズルから水と共に糸を飛ばすから、シャトルは無く、横糸は一方方向にのみ動き、後端で切断される。

  

下はコンピュータ制御で、色の糸を組み合わせ、画像のままに織る事が出来る最新式の織機のようだ。 

 

  

  ここからは、自動車に関する展示が行われている。 その最初は、自転車の横にエンジン付のタイヤを取り付ける試作品らしい。 ちょっと乗りにくそう!。

 

  車のボデーを板金で曲げて作る際のモデルを木で作成してあり、これと合うようにハンマーで叩いて曲げていくのである。  

 

 各種エンジンが展示されている。

 

オートマチック車のギアー。

 

  フレームレスのボディー。

 

 ミライ車。 

 

 

  二時間余り、昼飯も忘れて、見たのであった。 まだ、見られない所があったが、足の故障を抱える友を待たせているため、切り上げて、集合場所に向かった。

 この後、食事会をし、雨も止んだので、花の公園「ブルーボネット」をちらりと見たあと、喫茶店に立ち寄り、しばしおしゃべりをして解散とした。

 

 

 

 

コメント (4)

1605 リニア鉄道館(食事会-8)

2017-05-03 08:00:00 | 資料館

  高校時代の仲良し四人による、第八回目の食事会はJRが運営する「リニア・鉄道館」で実施された。 今日は朝から小雨がぱらつく空模様ながら、10時に四日市の喫茶店に集合し、30分ほどおしゃべりの後、いつもの通り、I君の乗用車に乗せてもらい、出掛けたのであった。  撮影 2017.04.26(水)

  

 「リニア・鉄道館」 

    名古屋市港区金城ふ頭3-2-2   入場料 ¥1000 

 

上の建屋の形は、リニア新幹線を模しているものと思われる。

 

 

 ただいま売り出し中の「リニア新幹線」。

車両の前部両脇が少し不自然になっているのがおわかりだろうか?。 ここがこの車両の心臓部、ここに「超伝導」のマグネットがあり、車両を地面(レールはない)から浮き上がらせると共に走らせる動力となる磁石が入っているのだそうだ。 「超伝導」とは銅線などの導体を臨界温度以下に冷却すると、電気抵抗がゼロとなる現象を言う。 こうすればロス(発熱)が出ないから、大きなエネルギーが発揮できる、大きな電磁力となるのである。(高校時代の電気理論から・・・)

 この実物大の車両に入ると、今の新幹線とは座席が一列減り、二人がけが二列であり、室内もそれに会わせたように、若干狭くなっているように感じた。 この座席に座り若干の説明と始動から停止までの乗車体験が出来るようになっていた。 始動時と停車前はゴム製のような車輪を使うので、振動が伝わるが、走行中は10CM位浮上するから、振動のないことを体験できるようになっている。

 ご存じの方も多いと思うが、この列車には運転手は乗っていなくて、車両の先頭にはカメラがあるのみなのである。下の写真前部の四角い窓のような物にカメラがある模様。 なお、運転操作は別の場所からカメラを見ながら遠隔操作されるのだとか。

 

ちょっと磨きすぎながら、この凛々しい姿はいつ見ても、心を揺さぶられる。 この機関車は一時期世界一速かったと、ガイド(無料)が言っていた。

 

 

 新幹線の初期の英姿!。 昭和39年10月1日から営業運転開始。

私はこの時期、ある特殊なモーター(水道局用大型水中モーター)のクレーム処理で、川崎市の荏原製作所に出張をしていたが、その調査結果が重大な問題とされ、工場に持ち帰って協議することになり、すぐに帰る必要があり、まだ開通したばかり、まだ、出張には使えなかったが、特別命令により、10月4日東京から名古屋まで初めて乗ったのであった。

 胸を躍らせて、開業間もない新幹線に乗ると、座席には白いハンカチと説明書が置いてあった。 その説明書には、この電車にはパンタグラフから14500ボルトの電気が供給されていると書いてあり驚いたことを今もはっきり覚えている。 当時は出張が多く、東京には、四日市から夜行(急行大和or伊勢)にのり、朝、東京駅の風呂に入り出掛けたものであった。

 当然帰りも夜の11時ころ出発の夜行列車であるから、川崎市内の歓楽街や東京の日劇などを見て、その後一杯飲んで、ご機嫌で夜行列車に乗ったものであった。 行きは緊張しているから、座席での浅い眠りであったが、帰りは仕事は終えたし、飲んでるから、普通車の座席の下に潜り込んで寝たこともあり、結構ゆとりがあり、ある面では楽しかったものだ。

 であるから東京方面に一日の出張でも二泊三日分の手当をもらうし、必ず遊びの時間が付くから結構楽しかったし、幾分良くないことも体験したものであった。 これが新幹線が開通すると、東京周辺なら当然日帰りとなり、早朝出発、夜遅く帰着となり、遊びの時間は完全になくなって、慌ただしさが増えたものだ。 この列車も一時期は世界最速だったそうな!。

 

 

 

 

 

ボイラーなど蒸気機関を客車の中に納めた列車。 こんな車両があったとは知らなんだ!。

蒸気機関車の運転室。

心温まる木の感触!。

 

巨大な蒸気機関車の動輪。

 

子供心に返って熱心に遊ぶ“おっさん”がひとり・・・・。

 

 国鉄バス・第一号車

 

リニア新幹線の浮上や走行の原理と動作の体験が出来るコーナーもあり。

キッズコーナーもあり・・・

 

  第八回の食事会は、屋外の展示客車内に於いて、弁当を食べることになった。

 

 

  このあと、四日市の「ゆるり」という、古民家風の店で、コーヒーを戴き、15時30分ころ解散した。

 

                            以上

コメント (2)

1573 美術館とその庭

2017-03-28 08:00:00 | 資料館

  2017.03.27(月)、少々寒いし風はあるが、今日はようやく空が青くなった。 ご近所から有効期限が明日までの無料入場券を戴いたので、期限切れにならないうちにとやってきた。 それとは別に、昨年来、ここは友から有効期限の無い無料入場券を頂戴していて、訪れる日を伺っていたが、期限付きを急に戴いたので、先に使わせてもらうことにしたのであった。  (入場料¥1000)

  ここは美術館でありながら、その庭には「山野草」を数多く植えていて、私の「花写真鑑」にまだ無い花(以下”新種”という)が多数あるからと、友がわざわざプレゼントしてくれていたのであったが、昨年は体調不良とやるきの低下で、ご無沙汰していたが、今年は頻繁に訪れようと考えていたときに、無料入場券を戴いたのであった。

 春は間近にきているようであるが、まだ寒く花たちも眠りから覚めきってはいないだろうから、少し早いが、入場券の有効期限があるから、早めの訪問となったのであった。 来てみると、まだ殆どの植物は緑色にはなっていないが、それでも”新種”は数点見付ける事が出来たので、登録完了後に掲載するとして、今回はその他の部分を公開したいと思う。

  当美術館では、今、広重の絵画などを展示しているが、写真撮影禁止のため、ここには掲載出来ない。 それに私の心は庭に飛んでいるから、矢のような早さで、展示品をみたあと、庭に向かった。 今日は寒く、誰も来ないのでひっそりしているが、私にはありがたく、隅から隅まで満遍なく見させてもらった。

  

内部で撮影が許される所のみ掲載する。

 

 

 

  「からくり人形」が展示されていたが、珍しくそのカラクリが見られたのであった。 見るとなんとその心臓部には電子機器が組み込まれ、コンピューター制御となっているのには驚いた。 このマシンの上部がカラクリ人形の舞台になっているのである。 ただし、下方はタイミングベルトを使って正確に動かすのに、上の方では紐である所のアンバランスがユーモラスに感じた。 

 

 

それでは庭に出て、草花と戯れる。

  

「ショウジョウバカマ(猩々袴)

  

 「ツ  (椿)

「黒龍」という名前が付けられており、”新種”にしたいところなれど、ぐっと我慢をしたのであった。

  

「アセビ(馬酔木)

  

「ヒウガミズキ(日向水木)

 

 

 

 このあと、数点の”新種”があるが、それらは登録完了後に掲載することにしていている。

 

 

コメント (4)

1541 徳川美術館(名古屋市)

2016-11-21 08:00:00 | 資料館

  名古屋に来たついでにと、当初は見る予定はなかったが、徳川園を見る途中で、入ることにしたもの。 当館の入場料は¥1200(シニアは1000)、徳川園との共通券は¥1200。

 

 「黒門」

 明治33年の作らしいが、名古屋市の大空襲にも生き残ったものだそうな。

 

美術館正面入り口。

 

 写真撮影はここまでと、厳しく指示される。 

 

「蓮左文庫」

 

  美術館前の広場。 右が黒門。

 

 庭園への通用門のようだが、閉じられている。

 

飲み物などの売店(左の建物)。

  

 美術館の中で珍しい花を見付けた。標識には「ハラン」「ピンクッション(針山のこと)」となっていたので、帰って調べたら、葉のように見えるのは「ハラン」であり、花は別のものと判明した。 この花は別名を「レウコスペルマム」と言い、私の「花写真館」に未登録の花(”新種”と言ってる)であることが分かった。  「花写真館」新規登録 第1373号。

 

 ここでは「ハラン」(斑入り)と組み合わせて、生け花風になっているが、この花が南アフリカ産と聞くと、日本の古き良き時代の品々を展示する美術館には似合わないようにも思うが?。

 

 

  ここまでさほど歩いていないが、足腰は早くも疲れをあらわしているが、まだ時間は13時になったばかり、近くでは名城公園が紅葉には良かろうと、足腰に号令をかけて向かったが、その記録は別途にしたい。

 

 

 

コメント (2)

1391 今城塚古墳と古代歴史館

2015-09-02 08:00:00 | 資料館

  2015.08.28(金)晴。 「太田茶臼山古墳」を見た後、継体天皇の陵はどちらなのかを探るためにと訪れたのであった。

  「史跡今城塚古墳」

    大阪府高槻市郡家新町    入場、駐車無料

ここは6世紀前半に築かれた、二重の濠を備える淀川流域最大の前方後円墳です。継体大王(聖徳太子の直系の曽祖父)の真の陵墓と言われています。発掘調査の結果、日本最大級の埴輪祭祀場や、墳丘内石積、石室基盤工などの当時最先端の土木技術などの貴重な発見がありました。 (歴史館の資料より、一部編集)

 下は上の写真中央にある「埴輪祭祀場」の拡大。

 

古墳の模型の片隅に子供がいる場所が、下の写真の中央やや左の大きな木の立つ位置であり、そこより右の濠を越えた辺りが、巨大前方後円墳の円の部分に当たる。

ウイキペディアによれば・・・

古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳である。古墳の被葬者は、形状や埴輪等の年代的特徴、また『古事記』『日本書紀』『延喜式』など文献資料の検討から、6世紀のヤマト政権の大王墓と推定され、6世紀前半に没した継体天皇とするのが学界の定説になっている

 

「今城塚・古代歴史館」

        入場、駐車無料 (古墳に隣接)

 陳列状況

 

 

 

 

 さて、結論であるが、再度ウイキペディアによれば・・・・

 真の継体天皇陵である可能性が高いことから、戦前《1935年-1944年昭和10年-昭和19年)》に設けられた臨時陵墓調査委員会においても、この古墳を「陵墓参考地に編入すべし」との答申が行われた。しかし、宮内庁は今城塚古墳の陵墓参考地指定については現在も難色を示しており、今城塚古墳から1.3キロメートル西にある大阪府茨木市太田茶臼山古墳を継体天皇陵に治定している。太田茶臼山古墳の築造は5世紀中葉と考えられており、継体天皇が没したとされる年代よりも古い時代の古墳と考えられる。

この大王墓が、6世紀にいたって畿内北部の淀川水系にはじめて出現することは、それまでずっと南部の大和川水系の大和河内にあった勢力から王権の主導権が移ったことを意味するとも考えられる。

・・・ということであった。

 

 

コメント (2)

1390 太田茶臼山古墳

2015-09-01 08:00:00 | 資料館

 2015.08.28(金)、六甲高山植物園を出たあと、来た道を戻り、中国道の茨木ICで降りて、古墳近くにある、「太田茶臼山古墳」にやってきた。

  大阪府茨木市太田3丁目  入場無料

    駐車無料(数台)、太田公民館(数台:30分無料)にもあり。

 

前方部分鳥居の奥に濠がありその奥が、前方、後円となる。

 

石碑には「継体天皇三島藍野陵」とある。

 

上空より見た古墳の全景。 この古墳の濠の外側堤防の二か所から、”円筒埴輪”が発見されたとか。

公民館前の立札(市教育委員会)によると・・・・(一部編集)

古墳は全長226m、全幅147m、最大高さ18.8mであり、28~33mの濠のある、巨大古墳で、5世紀に築造された。

ここは宮内庁によると、第26代継体天皇陵とされているが、日本書紀によると、天皇は6世紀に没せられたとあり、古墳の築造年代と異なることや、継体天皇が謎の人物であることも加わって、いろいろな推理や小説が生まれている。

継体天皇陵としては、ここ「太田茶臼山古墳」のほかに、「今城塚古墳」があるが、ここは地震で壊れたり、戦国時代に城が築かれた(今城塚名の由来?)ので、古墳としては変わり果てた姿になったので、宮内庁としては認めたくなかったのでは?とは友の言。

 

古墳の近くに咲いていた花「ノウゼンカズラ」

 

このあと、継体天皇陵は果たしてどちらが正しいのかを極めるべく「今城塚古墳」ならびに「今城塚古代歴史館」に向かった。

コメント